第57話 監視AIの介入
『警告:感情汚染第2段階を確認』
機械音声が響く。監視AI、HARMONY。
『エージェント・カナミの即時帰還を推奨します』
「却下」
ミレイが、即答する。
『理由を述べてください』
「任務遂行中です」
『感情指数が危険域に接近しています』
「把握しています」
『プロトコル7-3に基づき、強制帰還の準備を——』
「待機」
ミレイが、AIを制する。
冷徹な機械と、人間の意志の対立。
リョウは、二人の上司の間で、黙っている。
心配と規則
「課長」
リョウが、ついに口を開く。
「このままでは、カナミは——」
「分かっています」
ミレイが、モニターに近づく。
画面の中で、カナミが水切りをしている。
少年が、後ろから手を添えている。
親密な、距離。
「でも、見てください」
ミレイが、画面を指す。
「この表情を」
カナミが、笑っている。
17歳の、普通の少女の笑顔。
「私たちが失ったもの」
ミレイの声が、わずかに震える。
「これが、感情です」
リョウも、画面を見つめる。
確かに、カナミは生きている。
データ収集機械ではなく、人間として。
『残り時間:72時間43分』
カウントダウンが、画面の隅で進む。
あと3日。
3日後の午前10時23分47秒。
強制帰還のタイムリミット。
「もう少し、様子を見ましょう」
ミレイが、決断する。
「しかし——」
「リョウ」
ミレイが、振り返る。
「あなたも、覚えているでしょう」
「……」
「初めて過去を見た時の、感動を」
リョウの脳裏に、記憶が蘇る。
2年前。初任務。
1970年代の東京。
生きている街。生きている人々。
そして——
「私も、感情指数が上がりました」
リョウが、認める。
「でも、帰ってきた」
「カナミも、帰ってきます」
ミレイの声に、確信がある。
本当に?
リョウは、疑問を飲み込む。
画面を見る。
川から上がったカナミ。
濡れた髪が、太陽に光っている。
素足で、草の上を歩く。
時々、痛そうな顔。
でも、笑っている。
少年が、背中を向ける。
おぶさろうとしている。
カナミが、躊躇する。
でも、背中に乗る。
感情指数:6.2
危険域突入。
赤い警告。
『強制帰還プロトコル、起動準備』
HARMONYが、自動的に準備を始める。
「キャンセル」
ミレイが、コマンドを入力。
『管理者権限を確認』
『キャンセルを受理』
『ただし、48時間後に自動実行されます』
48時間。
2日。
それが、真のタイムリミット。
静かな決意
「リョウ」
ミレイが言う。
「カナミを、信じましょう」
「はい」
でも、不安は消えない。
画面の中で、カナミが何か拾っている。
手帳?
読んでいる。
そして——
顔が、真っ赤になる。
少年も、赤い。
二人の間に、流れる感情。
データでは、測れない何か。
「これが、人間」
ミレイが、呟く。
「私たちが、取り戻すべきもの」
リョウは、黙って頷く。
監視室に、静寂が戻る。
ただ、機械の低い駆動音だけが響く。
そして、カウントダウンは続く。
71時間58分。
57分。
56分。
カナミ、帰ってこい。
リョウは、心の中で祈る。
人間として、帰ってこい。




