第49話 間接キス
「あ、これ」
ヒナタが、空のラムネ瓶を持つ。
「まだ少し残ってる」
確かに、底に少し。
「飲む?」
差し出される。
ヒナタが飲んだ瓶。
受け取る。
飲み口に、口をつける。
ヒナタの唇が、触れた場所。
間接キス。
意識する。
顔が、熱くなる。
でも、飲む。
最後の一滴。
甘い。
さっきより、甘い。
なぜだろう。
「美味しい?」
「うん」
カラン。
ビー玉が鳴る。
「この音、好き」
ヒナタが言う。
「私も」
「覚えてて」
「何を?」
「この音」
「うん」
「夏の音」
「ラムネの音」
「俺たちの音」
俺たち。
その言葉が、嬉しい。
カランカラン。
もう一度、鳴らす。
この音を、心に刻む。
データじゃない。
記憶として。
大切な、記憶として。
神社を出る。
もう、薄暗い。
商店街に、明かりが灯り始める。
「送る」
ヒナタが言う。
今日も、手をつなぐ。
自然に。
昨日より、自然に。
歩きながら、ラムネ瓶を振る。
カランカラン。
リズムを作る。
「音楽みたい」
「そう?」
「うん」
二人で、瓶を振る。
カランカラン、カランカラン。
不規則だけど、楽しい音。
商店街を通る。
マルフクの前。
もう、店じまい。
でも、フクばあちゃんが外にいる。
「あら、二人とも」
「こんばんは」
「ラムネ、美味しかった?」
「はい」
「よかった」
フクばあちゃんが、優しく笑う。
「若いっていいねぇ」
その言葉の意味が、分からない。
でも、温かい言葉だと分かる。
宿に着く。
「じゃあ、また明日」
「うん」
手を離す。
寂しい。
でも、明日がある。
「カナミちゃん」
「ん?」
「今日、ありがとう」
「私の方こそ」
「タケシと仲良くなれて、よかった」
「うん」
「これ」
ヒナタが、何か差し出す。
空のラムネ瓶。
「記念に」
「いいの?」
「うん」
受け取る。
まだ、少し冷たい。
「じゃあ」
ヒナタが、去っていく。
見送る。
瓶を振る。
カランカラン。
ビー玉の音。
部屋に戻る。
窓辺に、瓶を置く。
月明かりが、瓶を照らす。
ビー玉が、光る。
閉じ込められた、小さな月。
ベッドに横になる。
目を閉じる。
今日の音を、思い出す。
AMラジオのCMソング。
蚊取り線香のパチパチ。
プシュッという炭酸の音。
そして——
カランカラン。
ビー玉の音。
全部、覚えている。
記録じゃない。
記憶。
音の記憶。
これを、2130年に持って帰る。
データとしてじゃなく。
私の中に、染み込んだ音として。
※
今でも、時々思い出す。
あの夏の、ラムネの味。
2130年にも、炭酸飲料はある。
完璧に調整された、炭酸濃度。
最適な甘さ。
理想的な温度。
でも、違う。
あの夏のラムネとは、全然違う。
何が違うのか。
炭酸の濃度? いや。
甘さ? いや。
温度? いや。
分かっている。
一緒に飲んだ人が、違う。
場所が、違う。
時間が、違う。
そして——
私が、違う。
あの時の私は、17歳で、初めて炭酸を知って、驚いて、笑って。
ヒナタとタケシと、友達になれて。
全てが、新しくて。
全てが、輝いていて。
舌で爆ぜる泡の一つ一つが、夏の記憶。
カランカランというビー玉の音が、あの日の証。
今、私の部屋には、空のラムネ瓶がある。
ヒナタがくれた、あの瓶。
時々、振る。
カランカラン。
ビー玉は、まだ鳴る。
150年前と、同じ音で。
これは、記録じゃない。
記憶を呼び起こす、鍵。
あの夏への、扉。
カランカラン。
今日も、ビー玉が鳴る。




