第3話 監視AIとの対話
【監視AIとの対話】
時間管理局第3課。巨大なホログラムディスプレイが、部屋の中央に浮かんでいる。
私のデータが、立体的に表示される。身長158センチ。体重48キログラム。心拍数72。血圧110/70。
『エージェント:カナミ。17歳。感情指数:現在1.8』
機械音声が響く。監視AI、HARMONY。感情を持たない、純粋な論理体。
『警告:感情指数が基準値を超えています』
「すぐに調整します」
私は深呼吸する。施設で習った、感情制御の呼吸法。4秒吸って、7秒止めて、8秒吐く。
『感情指数:1.5、低下中』
『光スキャナー、正常作動確認』
目の奥で、かすかな熱を感じる。埋め込まれたスキャナーが、機能チェックを行っている。
『転送準備、完了』
『最終確認:任務内容を述べよ』
「1980年8月、消失予定地域の風景データ収集。感情介入レベルは0を維持」
『確認完了。注意事項:記録優先順位を遵守せよ。風景、建築物、文化、人物の順』
『警告:感情汚染の兆候を検知した場合、即座に帰還せよ』
『追加警告:虚偽報告の可能性を検知した場合、上層部へ自動報告されます』
ミレイ課長が、モニターの前に立つ。28歳。黒いスーツ。感情を読めない表情。若くして課長に抜擢された、優秀な管理官。
「カナミ」
彼女の声は、HARMONYより少し温度がある。でも、それも計算されたものかもしれない。
「君は『影』だ。そこに存在しても、痕跡を残してはならない」
「理解しています」
「本当に?」
課長の瞳が、私を見透かすように細められる。
「さっき、感情指数が1.8まで上昇した。何があった?」
リョウ先輩が、かすかに身じろぎする。でも、何も言わない。
「調整中のエラーです」
嘘。でも、課長は追及しない。
「私も17歳で感情を失った。でも君は違う。まだ、何かを持っている」
課長が、ホログラムに手を伸ばす。私の心拍データが、微妙に乱れているのが見える。
「それは、強みにも弱みにもなる」
「課長は、任務に行かれたことは?」
質問が口を突いて出た。規則違反。個人的な質問は、効率を損なう。
でも、課長は薄く微笑んだ。
「一度だけ。1970年代の、ある田舎町」
「どうでしたか?」
「美しかった。そして——」
言葉が止まる。課長の感情指数が、一瞬だけ0.3から0.5に上昇する。すぐに戻る。
「危険だった」
【転送室での最終準備】
転送室は地下300メートル。専用エレベーターで降りる。耳が、気圧の変化を感じる。
ここは、特別な場所だ。核融合炉3基分のエネルギーが、この部屋に集約される。壁は特殊合金。厚さ3メートル。放射線も、電磁波も、完全に遮断。
部屋の中央に、白い転送ポッド。卵型のカプセル。人一人が、ギリギリ入れる大きさ。
「服を脱いでください」
技術者が言う。感情のない、事務的な声。
専用の転送スーツに着替える。肌に密着する、薄い素材。体のラインが全て出る。恥ずかしさという感情は、とっくに訓練で消した。はずだった。
でも、なぜか頬が熱い。
ポッドの中に入る。冷たい。いや、温度は体温と同じはず。でも、冷たく感じる。
「全身スキャン開始」
青い光が、体を走査する。頭のてっぺんから、つま先まで。分子レベルで、私という存在がデータ化されていく。
気持ち悪い。自分が自分でなくなっていく感覚。
「量子ビーコン、埋め込み確認」
左腕に埋め込まれた、帰還用の発信機。小さなチップ。これだけが、2130年と私をつなぐ糸。
「生体データ、記録開始」
心拍、血圧、脳波、全てがモニターされる。向こうにいる間も、ずっと。
「カナミ」
リョウ先輩の声が、スピーカーから聞こえる。
「最後にひとつ。向こうで、もし誰かと出会ったら」
「はい」
「名前を、覚えるな」
奇妙なアドバイス。でも、先輩の声には、切実な何かがあった。
「転送まで、60秒」
目を閉じる。
母の記憶が蘇る。5歳の朝。まだドームが完成していなかった頃。最後の青い空。
母は窓の外を指差した。朝の光が、母の横顔を照らしていた。
「見て、カナミ。あれが青よ」
空は、どこまでも広がっていた。雲が、ゆっくりと流れていた。鳥が、自由に飛んでいた。
「きれい?」母が聞いた。
「うん、きれい」
「忘れないで。この青を」
その3日後、両親は「事故」で死んだ。反管理社会運動への関与を疑われて。
事故現場の写真を、後に見た。不自然な事故。でも、誰も疑問を持たない。持てない。