第102話 音の記憶
部屋に戻って、濡れた髪を拭きながら、目を閉じる。
ソウマが「タオルを多めに」と言って渡してくれたタオルは、ふかふかで温かい。彼の細やかな優しさが、最近心地いい。
27歳の私は、今も聞こえる。
ラムネのビー玉が転がる音。 カラン、コロン。
川のせせらぎ。 さらさら、ちゃぷちゃぷ。
蝉の声。 ミーンミーン、ジージー。
ハーモニカの震え。 優しく、切なく、愛おしく。
花火の音。 ドーン、パラパラ。
雨音。 ザアザア、ポツポツ。
そして——
遠くから聞こえる、17歳の私たちの笑い声。
屈託なく、無邪気に、永遠に若い声。
記録はできなかった。
でも記憶は、永遠に響いている。
■最後の対話
夜、開放されたドームの下に立つ。
星が見える。本物の星。
「ヒナタ君」
空に向かって語りかける。狂っているかもしれない。でも、これが私の習慣。
「約束、果たしたよ。この街に、空を作った」
風が吹く。
雨上がりの、湿った風。
その風に、声を乗せる。
「あなたは今、57歳。子供たちに音楽を教えている。ユイちゃんと幸せに暮らしている」
星が瞬く。
「私は27歳。でも、心の中では今も17歳」
ポケットから、学ランのボタンを取り出す。
10年経っても、大切に持っている。
「このボタンが、私とあなたを繋いでいる」
ボタンを胸に当てる。
「ありがとう、ヒナタ君。あの夏をくれて」
「ありがとう、私に『感じること』を教えてくれて」
そして、小さく付け加える。
「私も、前に進んでいるよ。ゆっくりだけど」
風が強くなる。
本物の風が、髪を乱暴に揺らす。
でも、心地いい。
生きている証だから。
■永遠の青
朝が来た。
雨は上がり、空は晴れ渡っている。
私は出勤前に、いつもの場所に立つ。
かつて「窓」だった場所。今は完全に開放されている。
「おはようございます」
ソウマが、いつものようにコーヒーを2つ持って現れた。
「今日も、いい天気ですね」
「ええ、最高の青空」
そこから見える空は、深い青。
ヒナタが見ていた、あの青。
「カナミ局長」
振り返ると、昨日の少女が立っていた。
「おはよう」
「おはようございます。あの、昨日はありがとうございました」
「どういたしまして」
少女が、恥ずかしそうに何かを差し出す。
ラムネだった。
「これ、お礼です。おばあちゃんが、昔はこれを飲んだって」
ビー玉入りのラムネ。
2141年に、まだ作っている人がいたんだ。
「ありがとう」
瓶を開ける。プシュッという音。
懐かしい音。
ゴクリと飲む。
炭酸が舌で弾ける。甘くて、爽やかで、夏の味。
「美味しい?」
「うん、とても」
少女が嬉しそうに笑う。
「一口どうですか?」
ソウマにラムネを差し出す。
「いいんですか?」
「ええ。これは、分け合うものだから」
ソウマが一口飲んで、驚いた顔をする。
「これは……不思議な味ですね」
「夏の味です」
「なるほど」
彼は優しく微笑んだ。
その笑顔を見ていると、新しい記憶が積み重なっていくのを感じる。
17歳の夏は永遠。
でも、27歳の春も、きっと大切な季節になる。




