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7. モルト

 時間を見てなかったのでわからないのだけど、十五分か二十分くらいは歩いたと思う、おそらく。

 あまり道に迷うことはなかった。現場からはいまだ煙が発生していたし、時折サイレンを鳴らした消防車やら救急車なんかが行き交っていたから。近辺ではたくさんの消防車がいまだくすぶっている工場の建屋のまわりを取り囲み、消火作業を続けていた。

 さっき陸橋からわたしたちが見た黒煙は、なにかの工場で爆発が起きた、ということのようだ。なんでだかわからないけどヌイがその現場に行くというので、わたしもついてくるしかなかった。なぜこのタイミングでわざわざ危険のある場所に立ち寄るのか、と思わないでもないのだけど。

 現場付近では道路上にまで大小の瓦礫が散らばっていた。消火活動の邪魔になるのであまり近くまでは寄れなかったし、周囲にはたくさんの人がいてごった返していた。そのほとんどは揃いの作業服を着ていて、目の前の工場から避難してきた作業員のようだった。あとは野次馬(ひとのこと言えない)だろう。

 道路に沿って現場を取り囲んでいる人々の間を縫うようにヌイは歩いていった。わたしははぐれないようについていくのが精一杯だ。

 現場の一角の、道路を挟んだ向かい側には数軒の民家が並んでいたが、そのうちの一軒は広い敷地の周囲をブロック塀が囲っていて、その高さは二メートルくらいあった。

 その塀の上に、作業服を着たひとりの男性が腰掛けて現場を眺めていることに、わたしは気づいた。その姿が遠くからも見えた。

 ひとの家の塀なんかに登ってたらその家の人に怒られるんじゃないか、大丈夫か? にしてもなんでそんなとこに座ってんだろ、高みの見物を決め込んでる、ってヤツ?――などとわたしは思いながら、そのひとのほうへと向かっているヌイのうしろを歩いていた。

 だんだん近づくと、そのひとは全身がススで汚れているのが見てとれた。顔も、ボサボサの頭も、真っ黒だ。爆発時に近くにいたせいかな、とわたしは思った。

 わたしたちが十メートルくらいの距離まで近づいたとき、そのひとは突然にこっちを見て手を振った。えっ? とわたしは思う。それから男は大きなガラガラ声を放った。

「よぉーっ、ヌーイ!」

 ヌイのことを知ってるの、このひと?

 その男性の座ってるすぐしたまで来て、見上げながらヌイはこう言った。

「なんでそんなところに座っている、モルト」

 ワハハ、とそのひとは笑った。

「ご挨拶だな、ヌイ。お前が俺を見つけやすいようにと思ったまでよ」

 そう言うと、その男性は地面に飛び降りた。ススが辺りに舞った。見れば顔だけでなく体もススだらけだ。

「なにせソラヨミに会いにいくんだ、よほどわかりやすくしてやらないと俺たちが落ち合うのも難しかろうと思うてなあ」

「いやここまでする必要はないだろ。冗談がすぎる」

 再び男はワハハと笑った。なんのこと? とわたしはその横で疑問に思ってる。

「で、ソラヨミに会う理由は――そこにいるお嬢さんか」

 ヌイはわたしのほうを振り向き、「そうだ」と答えた。それから、

「悠香、こいつはモルト」

 そうわたしに告げた。つまり、このひとが〈道行〉さんということなのかな。すごいところに居合わせたものだなあ、と思った。

 わたしは一歩前に出てモルトと呼ばれた男性に頭を下げた。

「千島悠香です。よろしくお願いします」

「おう、お手柔らかに頼むな。悠香さん。ん?」

 モルトの表情が訝しむようなものに変わった。

「どうかされましたか?」

 おそるおそるわたしが尋ねるとすぐにモルトの顔つきはもとに戻った。

「いや、なんつうか俺は爆発事故には妙に縁があってね。そっちのほうに鼻が効くと言うか。今ちょっと、悠香さんが未来の爆発事故に関係している気配を感じてな、少しばかり驚いちまったってわけよ」

 え、未来の爆発事故? なにそれ――。

「ほう、爆発事故なのか。悠香のことを世界が排除しようとしているのはそのせいか」

 たいしたことでもないかのようにヌイが口を挟んだ。驚きのあまり何も言えないでいるわたしをよそに。

「俺はただ気配を感じる程度しかできんから詳細はわからないけどな。なるほど、それでソラヨミに会いたいというワケか」

「ああ。彼女を助けたためにオレはペナルティをくらってしまった。ダブルで」

「ワハ、俺はダブルなんて経験したことないぞ。どんななんだ。二倍なのか、二乗なのか」

「二乗と言うべきだろうな、これは」

「おぅ、それはそれは。では、さっさと行動せねばな。じゃ、行くとするか」

「うむ」

 ふたりは歩き始めようとした。それを見て急に現実に引き戻され、慌ててわたしは言った。

「えぇーっと、ちょっと待って。モルトさんは、あの、すごい格好になってますが、お怪我とかはされてないんですか?」

 モルトはきょとんとした顔つきで聞いていたが、すぐに笑いだした。

「ああ、これか。いや、これは爆発の直後に避難誘導をしたのと、何人か人命救助をしたせいでな。俺自身は怪我なんてしてないから大丈夫――この作業着は防火服がわりに近くにいたヤツからちょっと借りたんだが」

 そう言いながらモルトは作業着を脱いだ。またもススが舞い、わたしは閉口する。

「ま、少しばかり焦げてるし、返されたところで困るだけか。このへんに置いときゃ、瓦礫と一緒に片付けてもらえるだろ」

 モルトは無造作にそれを道端に置いた。しかしその頭も顔もススだらけという状況は変わっておらず、下半身もひどく汚れている。

「じゃ、行こう」

 再びふたりが歩き出そうとするのをわたしは止めた。

「わぁーっ、ちょっと待って。その、次に行く場所って決まってるんですか。もうひとりの協力してくれるひとに会いに行くんですよね?」

「そうだ」ヌイが頷いた。

「それって近かったりするんです? 日が暮れる前とかに会えそうな感じですか?」

 わたしの問いを受けてヌイはモルトに視線を投げた。

「いやぁ、そんなすぐにどうこうって感じじゃないよな。少なくとも二、三日は歩かねばならんのではないかな」

 二、三日も歩くって――モルトのその返事にわたしはまたも言葉を失ってしまった。

「モルト。もう江戸時代じゃないんだぞ。文明の利器を使おう。悠香は現代人なんだから何時間も歩いたら翌日は筋肉痛で動けなくなる。幸い、トートから預かっている金がまだ残っているから金子(きんす)の心配はない」

 ――これはヌイのジョークなの? しょーもな。わたしが現代人って、あんたもそうやんけ! ってわたしの脳内にツッコミの台詞が思い浮かんだ。

「そうか、それはありがたいな。だが、それにしても今日のうちにどうなるという距離感ではなさそうだが」とモルト。

 気を取り直してわたしは口を開く。

「じゃあ、こうしましょう。今日はモルトさんも活躍されてお疲れでしょうし、わたしたちも東京からここまで来たわけだから、ちょっと早めに休むということで、どこか近くに宿を探しましょう。どのみちモルトさんのその格好じゃ電車にも乗れないし、まずは風呂に入って着替えることを最優先させるということで――それでいかがでしょうか」

 もちろんわたしがここでこれを提案したのは、そうでも言わないとこのススだらけの状態の男と一緒に公共の交通機関で移動する羽目になりそうな予感がしたからだ。

 案の定、わたしの提案をヌイは眉をしかめて聞いていた。だがモルトは笑って言った。

「おお、それはいい。悠香さんの言うとおりにしようじゃないか、な、ヌイ」

「ん、まあいいだろう」

 ふう。

「じゃ、ちょっと宿を探しますね」

 わたしはスマホを取り出し、検索を始めた。だが、すぐに思い出したが、世間は夏休みだし今日は土曜日なのだ。宿を取るのは簡単ではないかもしない。

 検索では数件のホテルが近隣(といっても歩いていくにはちょっとキツい)にあることがわかった。一番近いところに電話してみた。いかにもホテルマンという感じの声の男性が応答した。わたしは用向きを伝えた。

「三名様ですか。ちょっと本日は予約が一杯でして……、あ、少々お待ちください」

 そこで受話器の向こうで誰かと誰かが小声で話している気配が伝わってきた。再び男性が話し始める。

「お待たせいたしました。ツインの部屋がちょうどキャンセルで空きが出ましたので、そちらにエクストラベッドをプラスという形でしたらお受けできますが、いかがいたしましょう」

 わたしはそれで構わないと返事した。初対面のモルトと同室というのはちょっと怖くもあるが、ヌイの仲間ならば大丈夫と考えるしかない。このタイミングで部屋が取れただけ良しとせねば。

「宿は取れたよ」

 わたしはふたりにそう報告した。

「問題はそこまでどうやっていくかだけど……」

 スマホの地図で道順を確かめる。

「三キロちょいある」

 そうわたしが言うとヌイは「近いじゃないか。ゆっくり歩いても一時間もかからんだろう」と応えた。モルトも頷く。しょうがない、歩くか、とわたしも思った。モルトがこの状態ではタクシーにも乗車拒否されるだろう。

 そのとき、「あのう、差し出がましいようですが」と声をかけてくる人がいた。

 振り向くと作業服の中年男性である。

「お兄さんたちはこれからどこかへ行かれるので?」

「はあ、これから宿泊先に行くところです」そうわたしは答えた。

「じゃ、よかったらそこまで僕の車で送っていくよ。僕らの同僚を炎の中から救い出してくれたヒーローを歩いて帰らすわけにはいかないからさ」

 男性はそう言った。

 おお。

 わたしは尊敬の眼差しをモルトに向けた。モルトはハハと笑って頭をかいた。ススが舞ってわたしは顔をしかめた。


 到着したのはごく普通のシティホテルだった。わたしは車で送ってくれた男性に丁重にお礼を言った。

 チェックインを済まし、部屋に入ってベッドのうえに寝転んだわたしは、すぐにウトウトとしてしまった。まだ夕方と呼ぶにも早い時間だったが、あまりにもいろいろなことがありすぎてわたしは疲れていた。モルトが風呂に入っているあいだにどこかで着替えを買ってあげる必要があるかと思っていたけど、ヌイが自分の持ってきた服を貸すから大丈夫って言うので、気が抜けてしまった。

 賑やかな話し声で目が覚めた――ていうか耳だけ。

 ヌイと誰かが話をしている。とても仲が良さそうに。ヌイの話相手はとても凛々しくて爽やかな声の持ち主だ。誰――?

 わたしは目を開け、頭だけを起こした。

 部屋にある小さなテーブルを挟んで、ヌイともうひとりの人物が椅子に腰掛けていた。あれ、と私は思う。モルトはどこに行った?

 ヌイと話している人物は彼と同じくらいの歳で、なかなかの美男子だった。ヌイがクール系のハンサムだとしたら、男のほうはジェントル系というか。紅顔の美青年とでもいう形容が似合いそうな感じ――。

 ベッドのうえでのっそりとわたしが体を起こすと、ふたりは話すのをやめ、わたしのほうに目を向けた。

「友達?」

 目をこすりつつ、わたしはヌイに訊いた。

 めずらしくヌイが困惑顔になった。わたしの質問の意味がわからない、というように。

 もうひとりの男性が、アハハ、と笑った――その笑い方には聞き覚えがあるような?

「悠香さん、見間違えるのも無理はない。さっきまで俺は真っ黒けだったからねぇ」

 えっ、とわたしは思った。

「モルトなの?」

「他に誰がいる」そうヌイが応えた。

「えっ、でも声が全然違うから――」わたしは素っ頓狂に言った。

「ああ。さっきは、ほら、喉にまでススが入って、ひどい声になってた」

 モルトはそう返した。そしてこう続ける。

「風呂に入って生き返った気がするよ。悠香さんのおかげだな」

 わたしは自分の頬が赤らむのを感じた――ホメられたことと、勘違いをしてしまったハズかしさとで。

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