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15. ソラヨミかく語りき

 この複合施設にはリゾートホテルも含まれていた(幸いなことに)ので、わたしはツインの部屋をふたつ押さえた。ホテルのスタッフはずぶ濡れのふたりの姿を見て驚いたようだが、苦情などを言うことはなく、すぐに大きな白いバスタオルを持ってきてくれた。

 バスタオルでくるまれたふたりをエレベータに乗せ、わたしたちは部屋のあるフロアにあがった。少し離れているが同じフロアに部屋は取れた。

 先に着いた部屋にリセとモルトとソラヨミが入り、ヌイとわたしはもうひとつの部屋へと向かった。

 なかに入ると、ヌイは風呂場に直行した。

 部屋の明かりを点けずにわたしはカーテンを開けてみた。東京湾岸の夜景をそこから見下ろすことができた。ちょうど正面が羽田空港のある方角らしく、ゆっくりとそこに降りていく飛行機の灯りが見えた。

 ――カップルで泊まるなら最高な感じだな。

 そうわたしは思った。そういう経験は残念ながらないけども。

 電気をつけないまま、備え付けの椅子に腰掛けてわたしは夜景を眺めた。

 しばらくして、ヌイが風呂から出てきた気配がしたのでわたしは振り返ったが、彼がタオル一枚を腰に巻いただけの姿であるのが見えて、慌てて窓のほうに顔を戻した。ヌイはわたしに背を向けた形でバックパックを漁って着替えを取り出した。洗面所から漏れる明かりが彼の姿を照らしていて、そのため、それが夜景の窓に映って見えた。わたしはその姿から目を離すことができなかった。

 わたしはヌイが着替える一部始終を窓の鏡像として見ることになった。

 彼の裸身は美しかったが、怖くもあった。なんでだろうか、その理由はわからないけども。当然、わたしの心臓はドキドキしていた。

「悠香」

 ヌイに声をかけられた。

「はい」

 慌ててわたしは振り向いた。一瞬、寝てたフリをしようかと思ったけど、ヌイにそんなことをしても無駄だと悟ってやらなかった。

「リセたちの様子を見に行こう」

「頭は乾かさないでいいの?」

「ほっとけばすぐに乾く」

 わたしは椅子から立ち上がった。


 ドアをノックすると、すぐにモルトがなかから開けてくれた。

 部屋に入ると、リセがベッドに腰掛けていた。そしてもうひとつのベッドに、シーツを被った状態で体を丸めている人物がいる。当然、それはソラヨミであろう。

 リセはわたしを見てニコリとし、片手でベッドをぽんぽんと叩いて自分の隣に座るよう促した。わたしはそこに腰掛けた。モルトとヌイは椅子に座った。

 よく見ると、ソラヨミは細かく震えていた。

「体は洗ったの?」

 わたしはリセの耳元で囁くように尋ねた。もちろんソラヨミのことである。

「うん、ちゃんと全身くまなく綺麗にした」

 リセはわたしに囁き返した。

 そこからしばらく沈黙が続いた。わたしは考えている――ほんとうにこの人にわたしが世界から狙われている理由がわかるというのだろうか。風采のあがらぬ中年男にしか見えなかった人物と、何百年ものあいだ生き続けているというリセたちよりもっと以前から存在するとされる人物。到底そこにはまったく共通するものが感じられない。そもそも、歳を取らないだなんて、信じられない。なにもかもがわたしの理解を超えた話でしかないもの。わたしはヌイたちの言うことを頭から信じているわけじゃない。ただ自分にできることをやって、ヌイたちにいろいろ助けられながら、ここまで来ただけ。自分の置かれた状況に対して、なにもしないわけにはいかなかったから、そうしただけ。ほんとにそれが意味のあることなのか、全然わからない。ソラヨミが本当にヌイたちの言うような存在だなんて、信じてない。でも期待はしている。ソラヨミがなにかを教えてくれれば、わたしはそれに応じて次の振る舞いを決めることができるもの。それがなければ、もう、わたしにはなにも打つ手がなくなってしまうもの……。

 やがて、ソラヨミが話し始めた。

「私の眠っていたわずか数年の間に、ここまで状況が変わっていようとは――」

 それは、さっき下で聞いた気弱な声とはまったく異なる、地面にぽっかりと空いたほら穴の底から吐き出されてくるような声だった。

 皆は黙っている。わたしもそうする以外にない。

「日本はまもなく世界大戦に巻き込まれる。再び多くの命が犠牲となろう。そして日本という国の形は大きく変わる。国土の多くが失われる」

 えっ。

 わたしは息を呑んだ。ヌイ、モルト、リセの三人もそれぞれに身じろぎをするなどしている。彼らにとってもまったく予想外の話を聞かされているのだということがわかった。

「世界は血に飢えている。犠牲を欲しているのだ。理不尽に人々に襲いかかる痛みと苦しみ、そして悲しみ。世界は不条理な場所であることを、今いちど、人々にあまねく知らしめたいのだ」

「そんな……」

 わたしは思わず口にしてしまう。ヌイがわたしを見た。なにかを問うことを期待されていることをその視線に感じた――気のせいだったかもしれないけれど。

「その未来はもはや変えられないのでしょうか?」

 そう尋ねた。ソラヨミは少しの沈黙のあとに続ける。

「目先の未来というものは常に変わりうる。数年前の時点では、その未来はもっと先に起こる予定であったし、場所もずっと限定されるはずだった。

 だが、大枠において、未来は変わらない。世の流れというのはそういうものだ。大きい波があり、小さい波がある。波の引いた状態が長く続けば、次に来る波は巨大になる。幸運にも波にさらわれずに済んだ場所があったとて、周囲がすべて水に没すれば運命をひとつにする他ない――遅かれ早かれな」

「短期的に見れば、未来を先延ばしにすることはできる。そういうことですね」

 わたしはそう口を挟んだ。ソラヨミは返す。

「世界は常に最善のチャンスを狙う。来るべき変化がもっとも効果的に進む機会を常に捉えんとしているのだ。

 それに抗うのは虚しいことよ。人間の愚かさゆえ、だな。

 世界を敵にまわし、個人の、あるいは特定の共同体のみの幸せを追って何になる――だが、もちろんそれは可能だ、世界に抗って一時的な勝利を得ることは。

 そう、それが人間の人間たる所以とも言えよう。絶望的な努力を払ってでも自分の信義のために生きることは、人間にしかできないことだ。

 世界はそのように人間を作った。それが世界の深遠なる有りようだ」

 なるほど、とわたしは思った。そう、このときのわたしはまだ、完全にこのことを他人事のように聞いていたのだ。

「戦争の成り行きについて教えて、ソラヨミ」

 そうリセが言った。シーツを被ったソラヨミの頭(と思われる部分)が小さく頷いたように見えた。

「戦争は東欧、中東、東南アジアの各地で発生し、世界大戦の様相を示すこととなる。アジアにおける戦争は、T国にC国が侵攻してきたことに端を発する。日本はアメリカと共にT国側についてC国と戦うことになるが、東シナ海の戦闘に注力している間に、背後からR国とC国、それからN国から本土を襲撃される」

 恐ろしい話だ、と思う。これはいつくらいに起きることなのだろうか。十年、二十年先とか――?

「それが今年から来年にかけての出来事だ。そもそもT国にC国が侵攻する理由を与えることにも日本が関与する。現在、T国で稼働している原発のひとつが日本企業であるジーバ製だ。それの運用にもジーバは深く関与している。この原発の稼働状態をインターネット上に公開するシステムが今年の秋に新規稼働するが、これはクレイド社のクラウドサービスを用いて構築される。このシステムは実際の原発の運用自体には何の関与もしていないのだが、そのサービスに起因する不具合により、当該の原発があたかも暴走しているかのような情報を発信してしまう。そこでC国が、地域の安定を維持するためにその原発を平定しなければならない、T国には任せておけない、という表向きの理由でT国に侵攻する、という流れだ。つまり侵攻の口実を与えてしまう、ということだ」

 その話をわたしは青ざめながら聞いていた――まさか戦争の発端がわたしの仕事と関係しているなどとは! だが、なるほどそれなら世界がわたしを狙うというのも納得できる話なのかも。でも……。

「すいません、そもそもわたしはなぜ自分が世界から排除されようとしているかを知りたくて、ここにいるみんなに協力してもらって、あなたを探し出したんです。今のお話でかなりのところは理解できたように思うんですけども、一番肝心なところを教えてもらえませんか。その戦争へと至る一連の流れのなかに、世界がわたしを排除しようとしている理由があると思うんです。それはいったい何なのでしょう」

 ソラヨミは頷いた(ように見えた)。

「きみはクレイド社のサービスをジーバに紹介したキーパーソンだ。世界の思惑に大いに貢献した。だが今はその流れに懸念が生じている。きみはこれから、クレイド社のクラウドサービスにバグが存在することに気づく。そしてジーバに提供するはずだったサービスの開始時期を遅らせてしまう。そしてバグそのものの存在も消してしまう。そうなるとこのシナリオそのものがなかったこととなり、戦争の発生は次の機会に委ねられることになる。世界はそれを回避しようとしている」

 わたしはなにも言えなかった。だが、深く納得はしていた。嗚呼。嘆息。そういうことだったのか――それに呼応するかのようにもう一度ソラヨミは頷いた。

「さて、今、私が伝えねばならないことはすべて話したように思う。リセよ、そろそろ私を眠らせておくれ。できるだけ長く眠っていられるといいのだが……。世界がそれを許すかどうか、こればかりは私にもわからぬ……」

 ヌイが立ち上がり、わたしに向けて小さく「行こう」と言った。わたしは頷いて、ベッドから腰を上げた。リセのほうを振り向くと彼女は、あとは任せて、というようにわたしに頷いてみせた。

 ヌイのあとについて部屋を出た。モルトも一緒についてきた。

 三人は黙ったまま、もうひとつの部屋に戻った。

 部屋に入って、明かりを点けた。わたしは、座りもせずに、ヌイとモルトに向けて、こう口を開いた。

「ヌイ。モルト。ありがとう。世界がわたしを排除しようとする理由はわかった。本当に感謝しています。いくらお礼を言っても足りないくらい」

 モルトは、とんでもない、というように首を振った。

 ヌイは、頷いた。そして言う。

「礼などいらない。それよりもどうするんだ? いや、わかっている。悠香が世界の思惑通りにクレイドのバグを見逃してジーバにサービスをそのまま提供するつもりになったのなら、オレの感じているペナルティが消滅するはずだ。だがそれは消えていない」

「ごめんなさい――でも、そればかりはできない。わたしがそれを見逃したせいで戦争が始まり、多くの人が苦しみ、日本の国土も奪われてしまうなんて。たとえ世界からわたしが排除されることになったとしても。けど、ソラヨミも言ってたじゃない。世界から一時的な勝利を得ることは可能だって。ヌイのペナルティについては申し訳なく思うけど」

 ヌイは頷いた。

「それは悠香の決断だ。なんであれオレはそれを支持する。オレのペナルティなど、どのみち未来が確定してしまえば消えるから気にすることはない」

 モルトも口を挟む。

「それに、ほら、世界は言語化されることを嫌うから。さっきソラヨミが口にした時点であのシナリオは無効になったかも。それが証拠に俺は今ペナルティを受けてないし、ヌイだってペナルティがトリプルになったわけじゃないだろ」

「そうだな」

 再度ヌイは頷く。

「そうだといいけど……」

 わたしもそう口にした。モルトは口調を切り替えた。

「あ、俺はちょっとリセたちが心配だから、あっちの部屋に戻るわ。今日は大変な一日だったね、ゆっくりと休もうや。じゃ、おやすみー」

 一気にそう喋って、片手をあげてモルトは踵を返し、部屋から出て行った。ヌイは睨むような目つきでその姿を追っていた。

 わたしはベッドに腰掛けた。

「ねえ、電気を消していい? 夜景を見たいの」

 ヌイはスイッチのあるところまで歩いていって、明かりを消してくれた。それから椅子をベッドの脇に動かし、そこに腰掛けた。

 ふたりで窓の外に目を向けた。

 離陸した飛行機がゆっくりと光の尾を引いて上昇していく。

「ヌイ。わたしは明日から今までどおりの生活に戻ります。そして、すべき仕事をやり遂げます。世界から排除されてしまうかもしれないけど、それでも構わない。でも、なぜだか大丈夫な気がする。今までありがとう。もうヌイはわたしのことを守ってくれなくていい。ヌイはヌイでやるべきことがあるんでしょう? ヌイの本来の仕事が」

「そうだな」

「じゃあ、これでお別れ? それともわたしたちには別な未来もありうるのかな、例えば友達同士になれるとか、それか――」

 わたしはその次の言葉を口にすることができなかった。

 視界のなかを次の飛行機が離陸していく。

「そうだな」

 ヌイがどんな表情をしているのか、暗くて見えなかった。

「それはオレたち次第かもな」

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