サイン会参戦 2
「ただいまから花園先生サイン会を開催しまーす」
編集者らしき男性が声をあげると、並んでいた人たちがザワザワと騒ぎだす。
「あの男の人、花園先生の漫画のあとがきによく出てくる『スパルタ編集者のSさん』かなぁ」
舞の前に並んでいる遙がこっそり耳打ちしてくる。
「多分そうだよ」
「想像してたより若いや。花園先生と同じくらい?かっこいい人だね」
「本当だね」
「舞ちゃん好きなタイプ?」
「は?いや、花園先生を万全に支えてくださればなんでもいいけど」
「ふふ。そっか」
担当編集者らしき男は花園先生の脇に立って、先生が受け取ったプレゼントを回収したり、サインの補助をしたり、ずっと何かしら動き続けている。
スラリと着こなしたスーツとキリッとした目元がかっこいい。いかにも仕事ができそうだ。
(ふわっとした花園先生と並んだら絵になるなぁ。スパルタって話だけど、よく先生に気を配ってくれてるし。今後も頼んだよ、Sさん)
小娘に謎の上から目線で漫画家を託されたとは知らないSさんの尽力の甲斐あってか、サイン会は順調に進んでいる。
「わー、次だー」
「神宮くん、メガネとマスク外すの忘れないようにね」
「そっかそっか」
花園先生にはこんなにかっこいい男の子もあなたのファンですと教えてあげたいし、遙にも顔を隠したまま憧れの人に会うなんて寂しいことはしてほしくない。
(あの有能そうなSさんがいればサイン会がめちゃくちゃになることもなさそうだし、最初から変装なしでもよかったかも)
「次の方ー」
「あ、はい」
どこかそわそわした、けれど優美な足取りで遙が花園先生の前へ進み出る。
「……かっ……!」
花園先生が一言発してフリーズした。
(世界の主人公を目の前にした漫画家さんってああなるんだ……)
お気持ちお察し致します。
「俺、ずっと花園先生のファンで。これからも応援してます」
「ぐっ……まぶっ……」
「先生、サイン会なんですからサイン書いてください」
Sさんが花園先生の目の前に単行本を差し出す。花園先生は「ふぁい」と気の抜けたような返事をしながら、なんとかサインを書き上げた。
軽く頭を振って正気を戻す。
「あの、あなたみたいなすごくかっこいい男の子が少女漫画読んでくれてるの、すごく嬉しいです。応援ありがとうございます」
手渡されたサイン本によほど感動したのか、遙の目元が蕩け頬に赤みがさす。背後に大輪の花が舞う幻覚が見えそうなほどの完璧な笑みだった。
「大好き……なので」
思わずといった様子で溢れた言葉の威力は絶大だ。
「ひぇっ……」
顔を真っ赤にした花園先生が硬直する。
「はい、お時間でーす。どいてどいて」
「あっ、すみません。緊張して忘れてた。ファンレター」
「はーい、回収しまーす。花園先生休憩入りまーす。10分後に再開するのでよろしくお願いします」
Sさんがテキパキと仕切り、花園先生を支えて立たせる。
花園先生は「作画コストやべぇぇぇ」と呟きながらバックヤードへと消えていった。
(建った!フラグが建ったー!)
歴戦のフラグ建築士は見逃さなかった。遙に見惚れる花園先生にモヤリとするSさんの様子を。胸に手を当て、少し困惑したような表情を。
目の前で休憩に入っていく花園先生を見送りながら、舞は心の中でガッツポーズをしていた。
▪️ー▪️
「じゃあ花園先生とSさん、ターゲットだったの?」
「そう。花園先生は自覚済みだから、Sさんに意識させるのが仕事。本当は後日花園先生が弟さんと出かける日にフラグ建てるつもりだったんだけど、きっかけなんて今日で十分だったみたい」
サイン会後、チェーンのコーヒーショップで舞はタプタプと報告書を作成している。
「じゃあ今回のサイン会は仕事関係?」
「いや、これは私がガチで当てました。愛よね」
そもそも花園先生のような有名漫画家さんのフラグ建築なんて、大抵は大手事務所が持っていく。それに今回のような少し関係性が進んだ間柄のフラグ建築は2級以上が担当することが多い。
それでも舞に仕事が回ってきたのは、普段から事務所に花園先生の作品を全て並べ、社長にすばらしさを説き続けていた賜物だ。
「それにしても、舞ちゃんの仕事を何回か見学させてもらったけど、フラグ建築士って不思議な仕事だね」
コーヒーをブラックで飲みながら遙が小さく首を傾げる。
「不思議?」
舞はクリームの乗った甘いコーヒーだ。ちなみにコーヒーショップに入る前に「ここコーラないと思うよ?」と余計な心配をされた。
「誰と誰にフラグを建てるかとか、フラグが建ったかどうかの判定とか、全部。どうやって決まってるんだろうね」
「さぁ?国の事業だからね。私たちはただの下請けでシステムを使わせてもらってるだけ」
国民1人に1つ付与されたマイナンバーを利用しているとか、爆発的に増えた監視カメラを利用しているとか、実は国民には生体チップが埋め込まれているとか、色々な噂があるが詳しい仕組みはフラグ建築士にも知らされていない。
「俺も気づかないうちにフラグ建築士の人にお世話になってたりするのかなぁ」
「いやぁ、神宮くんはフラグ建築士要らずでしょ。なんなら右手を上げるだけで女は落ちるよ」
「ふふ。何それ」
報告書を送信し、甘いコーヒーを一口。口の中にクリームのほんのりとした甘さが広がる。
その様子を見ていた遙が、ひょいと右手を挙げた。
「……宣誓?」
「んー。落ちた?」
どこか面白がるような笑顔と、甘えるような声。
舞は一呼吸置いて自分の発言を思い出し、カッと頬に熱が集まるのを自覚した。今、情けないくらい顔が真っ赤だろう。
「……かっ……!」
「か?ふふ。花園先生と同じ反応だ」
「……勉強……みませんよ?」
「ごめんなさい。来月の試験で絶対合格したいのでよろしくお願いします」
さすが世界の主人公。消し飛ぶかと思った。