サイン会参戦 1
賑やかな休日の駅前。
多くの人が行き交うこの場所はそう、フラグの聖地。
今日も老若男女で駅前は混雑している。
待ち合わせらしきマダムの集団、どこに行くか話し合っている学生カップル、日曜日なのにスーツを着ているナイスミドル。
多くの人がごった返す駅前で、舞はまっすぐに目的の人物の元へ向かう。
「お疲れー。ごめんね神宮くん、待ったかな?」
人々がチラチラと向ける視線の先を辿れば待ち合わせ相手にはすぐに辿り着ける。今日は改札近くの柱の影。
あとは、本人の輝きと周囲の視線に負けずに声をかけられれば、遙を探すことは容易である。
「ううん。俺も今来たところだから」
待っていた側のお手本のような返事を寄越して、遙はにこにこと舞を見る。周囲に花が散っているような笑顔は、いつになく浮かれた様子を隠しきれていない。
「舞ちゃん、今日のワンピースかわいいね」
頬をほんのり染め、嬉しくてたまらないというように目を細める遙に改札へ向かうOLが目を奪われた。
近くで同じく待ち合わせをしていたらしい女子中学生2人が「ヤバ。でろ甘」と声をあげる。
「レモ恋の美々ちゃんみたい!」
目を丸くしたOLが視線だけを遙に残し改札へ吸い込まれていく。女子中学生2人組が「なんて?」と呟いた。
そんな周囲の戸惑いは全く意に介さず、舞は胸の前で握り拳を作った。
「神宮くんの綺麗めコーデもバッチリだよ。特にその青いシャツ、レモ恋の巽くんみたい!」
「ありがとう。今日のために探したシャツだから嬉しいな」
今日、舞と遙は漫画家のサイン会へ行く。
『レモンのように恋をしよっ』通称レモ恋。
花園梨々香先生の3作目となるその作品は、美麗な絵柄と王道を外さないながらも引き込まれるストーリーと圧倒的胸キュンで有名少女漫画雑誌で大人気連載中。現在16巻まで刊行されている。
そして今日、17巻発売記念と花園先生漫画家生活20周年を記念したサイン会が駅前の大型書店で開催されるのだ。
「うぅ、緊張するなぁ」
「あ、神宮くん、変装忘れないようにね」
「そうだった。ありがとう」
メガネとマスクを装着して、遙が「どう?」と首を傾げる。圧倒的スタイルの良さと漏れ出るオーラは隠しきれていないが、まぁ問題はないだろう。
舞が頷いたのを見て、遙はまた「緊張する」と呟き出した。
舞と遙は共に少女漫画に憧れてフラグ建築士を目指した者同士。フラグ勉強の時以外はもっぱら少女漫画について話すことが多かった。
その中でお互いに花園梨々香先生の大ファンだということが判明し、舞が花園先生のサイン会を抽選で当てた時は真っ先に同士である遙を誘った。
「すごくすごく行きたいんだけど……。昔、イベント列に並んでたら俺目当てのギャラリーが集まってきて主催者に迷惑かけちゃったことがあるんだよね。万が一花園先生に迷惑かけたらと思うと……」
電話口で申し訳なさと残念さを存分に溢れさせる遙に驚いてしまった。遙はいつだって自分の見目の良さを自覚しつつ、スマートな対応で平穏に生きていると思っていたのだ。
いつもあんなに真面目に頑張っている生徒をサイン会に連れていくこともできず、先生と呼ばれる資格があるだろうか。いやない。
遙の声は使命感を燃やす効果でもあるのか、舞は知らずに大きくなった自分の声をどこか遠くで自覚する。
「じゃあ並ぶときは顔隠しとけばいいよ。私とレモ恋の話してればファンだなってわかってもらえるだろうし。私は花園先生に1人でも多くのファンの姿を見せたいし、神宮くんにこのチャンスを掴んでほしい!」
一瞬の沈黙の後、電話の向こうで遙がおずおずと言った様子で話しだす。
「い、行っても大丈夫かな……」
「大丈夫!私がいるし!」
なんの根拠もなく随分な大見えを切ったが、「わかった。じゃあ、行きたい」と心底嬉しそうな声が聞けたので、まぁいい。
「俺今日のために、昨日レモ恋全巻読み返しちゃったよ」
「わかる。私もデビュー作から全部読み返した」
「え。ちゃんと寝た?」
「朝も髪のために早起きしたからぶっちゃけ寝不足」
「確かに、今日の髪型凝ってるなぁと思ってた。かわいいね」
「3巻の初デート美々ちゃんリスペクト」
「も、もしかしてこのリボンのヘアアクセは、巽くんが美々ちゃんにあげた髪飾りイメージ?」
「イエス」
「あそこの巽くんかっこいいよね」
「同意しかない」
遙をどうやって守ろうか考えていたが、周りの人も自分たちの話に夢中なようだし、大型書店のイベントスペースということで偶然通りかかるといった人も少ない。
そもそもこちらはプロモブでフラグ建築士だ。フラグの気配がしたらなんとか遙を隠そう。でかいスーツケースとか持って来ればよかった。
そんなことを考えていると、花園先生が登場した。いよいよサイン会が始まるのだ。