第20話 崩壊する倫理
説明を終えた堤田がさっさと歩き出した。
血の臭いに顔色一つ変えず、彼はのんびりと話す。
「解体部屋はこんな感じだ。せっかくだし調理するところも見るか?」
「いえ……もう、大丈夫です……」
「そうか。惜しいなあ、試食もできるんだが。まあ、平野が疲れてるようだし、寄り道せずに行くぞ」
「はーい」
手を挙げて元気に応じたのはミヒロだ。
村人を除くと彼女だけがウキウキしている。
その姿に平野はまた嘔吐しかけるも寸前で我慢する。
胃が痙攣して不快感を訴えていた。
ベニヤ板に挟まれた道は何度か分岐し、手作りの扉や暖簾で仕切られていた。
堤田は途中にある部屋を素通りしてトンネルの奥へと進む。
部屋からは誰かの笑い声や悲鳴、何かをゴリゴリと削る音、大量の液体が滴る音が聞こえてくる。
それらは聞く者の精神を摩耗させるおぞましさがあった。
本来の予定では、堤田はすべてを見せるつもりだったのだ。
それに気付いた平野は、寄り道を断ってよかったと心底から安堵する。
今の時点で手遅れなほど最悪な気分であることは考えないようにしていた。
ベニヤ板の道を抜けた先にはコンクリートの壁と鉄扉があった。
コンクリートの壁は表面が粗く、部分的に廃材らしき物体が飛び出している。
鉄扉は閂を差し通して厳重に閉ざされていた。
堤田が振り返って平野達に告げる。
「着いたぞ。たくさん歩かせて悪かったな。しっかり休んでくれ」
堤田が閂を外して扉を開けた。
その瞬間、平野は熱気と臭気に顔を顰める。
扉の向こうは薄暗い大部屋となっていた。
等間隔で柱が立っており、そこに手足のない裸の女が鎖で繋がれている。
ざっと数えても数十人はいるだろう。
女達の下には布団が敷かれているが、様々な汚れで黒ずんでいる。
室内のそこかしこから呻き声が上がっていた。
明瞭な言葉が一つもないのは、彼女達の口が縫い付けられているせいだった。
室内に電球はなく、代わりに点けっぱなしのテレビが光源となっている。
テレビは十台ほどあり、女達は食い入るように視聴している。
この部屋のおける唯一の娯楽であった。
「孕み袋の部屋だ。攫った女で村の子を増やしている。産めなくなったら殺して食うか、焼いて埋めるんだ」
堤田が得意げに説明するも、平野は一切聞いていなかった。
目の前の光景に絶望し、顔面蒼白で震えている。
「最悪だ……なんてことを……」
「おいおい、少子高齢化を知らないのか。子孫繁栄は良いことなんだぞ。これで岬ノ村はずっと存続できたんだ」
堤田が平野を諭すように言う。
屁理屈を垂れる生徒を叱るような口調だった。
平野は涙を流して室内を眺める。
(だから村には女性の村人がいなかったのか……)
平野達を連行してきた村人の一人が、おもむろに星原の尻を揉む。
男は下卑た笑みで唇を舐めた。
「あんた達はここで孕み袋になってもらうぞ。若いし見た目も良いから悪いようにはせんよ」
「平野。お前はこっちだ」
堤田が平野だけを引っ張り、大部屋には入らず脇の通路へと進む。
平野はなんとか振り返る。
ミヒロ、有栖川、星原が二人の村人によって大部屋へ押し込まれるところだった。
間もなく扉が閉じられて何も見えなくなる。
堤田と平野は暗い通路を歩く。
引っ張られてよろけながら平野は尋ねる。
「僕も……殺されて肉になるんですか」
「さあ、どうだろうな」
ニヤニヤする堤田は意味深にはぐらかす。
これまでのように説明する気はないようだった。
やがて堤田はトタン板で仕切られた部屋に平野を放り込む。
部屋の中央には金属製の錆びた椅子が設置されていた。
鉄板を打ち曲げたような肘掛けが溶接されており、各所に革のベルトが付いている。
椅子の周囲……否、部屋全体が赤黒い汚れで変色していた。
椅子を目の当たりにした平野の顔は引き攣っていた。
今からとてつもなく恐ろしい出来事が起きることを予感したのだ。
堤田は平野の背中を押して命じる。
「座れ」
「え、でも」
「いいから座れ」
堤田が平野の腕と肩を掴み、無理やり椅子に座らせた。
そして手際よく革ベルトで拘束していく。
ものの十秒ほどで平野は椅子から動けなくなってしまった。
身じろぎしてもベルトが緩まることはなかった。
堤田はその姿を見下ろして言う。
「先に言っとくが、俺はお前を殺さない」
「えっ」
意外な宣言に平野が驚く。
もしかしたら酷いことなんて起きないのでは、という淡い期待まで抱きかけた。
そんな気持ちを粉々に打ち砕いたのは、堤田の持つ赤いペンチだった。
年季の入ったペンチは塗装が剥げている。
ただし先端部だけは真新しい赤色で濡れていた。
堤田はペンチを動かしてカチカチと鳴らしてみせる。
嗜虐欲に満ちた嫌な笑顔だった。
堤田はペンチを平野の右手に持っていく。
先端がゆっくりと開き、固定された人差し指を挟み込んだ。
平野は掠れた声で「嫌だ。やめて」と言った。
僅かに力をかけながら堤田は笑う。
「俺が与えるのは死じゃない。絶大な苦しみだけだ」
つんざくような激痛に平野は絶叫した。
彼は首を前後に振り、手足に力を込めて痙攣する。
ボタボタと溢れる血液が肘掛けを伝い、床に新鮮な赤を加えていく。
剥がした爪を捨てた堤田は、またペンチを打ち鳴らした。
カチカチという音を立てて二枚目の爪に取りかかる。
「生きたまま苦しめた肉ってのは極上の味でな。俺はそれが大好物なんだよ」
「いっ、いぎぎいいいいいいいいっ」
「良い声だ。その調子で熟成させてくれ」
指先の痛みが爆発する。
平野は喉が枯れんばかりに叫ぶ。
ほとんど動けないので叫ぶしかなかった。
堤田は鼻歌混じりにペンチを動かす。
「俺は逃げた生贄なんて興味ねえんだ。好きにやらせてもらうぜ」
「ぽ……ぽ、ぽ……」
「どうした」
「ポジ、ティブに……もっと、たの……しく……」
平野の目から大粒の涙がこぼれる。
堤田は思わず苦笑した。
「ははは、じっくり壊してやるよ」
激痛が爆発する。
焦らずじっくりと、平野の反応を確かめながら繰り返された。
最初は泣き喚いていた平野だったが、両手の爪が無くなったところで脱力する。
ペンチが右足へ及ぶのを眺めつつ、彼は己に言い聞かせる。
(そうだ、これは映画の撮影だ……僕が演技をしているだけで、本当は痛くない。撮影が終わったらいつもの居酒屋に……)
右足の痛みで現実へと引き戻される。
平野は泣きながら謝り続けた。




