"冷酷姫"と評判の学級委員が義理の妹へ。学校「喋りかけないでください」家「お兄ちゃん大好き♡」と甘えてきて手が焼けてしまう
夏休みの浮かれ気分がまだ残っていたのか、塩谷カズヤは息を切らして学校へと到着した。急いで教室へと向かうと、そこには見慣れた学級委員——砂糖カナミが腕を組んでいた。
毛先が背中まで伸びた、夜空を連想させる黒髪。
宝石だと見間違ってしまうほど、綺麗に光り輝く猫目。
化粧水を使って、普段から手入れをしてるのが分かる美白肌。
結論を言おう。砂糖カナミは、美少女である。
と言っても、塩谷カズヤは決して臆することなく、手を合わせながら。
「悪い悪い……カナミ」
「カナミと名前で呼ぶのはやめてください」
「あっ! そ、そっか。ごめん……ここ学校だもんな」
「…………いちいち、学校だからとか言わないでください」
「あ、そうだよな……本当ごめんな」
「何だか、私が悪いひとみたいじゃないですか」
「勘違いされるかもしれないな。でも、俺はカナミが良いひとだって知ってるよ」
「…………だ、だから……な、名前で呼ばないでください」
照れているのか、砂糖カナミは顔を僅かに赤く染めた。
それから「こほん」と咳払いをしてから。
「もう少しで遅刻でしたよ、塩谷くん」
「今後はもう少し早く行動するよ」
「そうですね。しっかりとそう心がけてください」
「了解。で、はい。これ」
塩谷カズヤは、砂糖カナミに弁当箱を渡した。
「これ、姫子さんから。今日、お前弁当箱忘れてたろ?」
「…………う、うそ……そ、そんなはずは……」
「おいおい、そんな落ち込むなって。弁当箱忘れるぐらい誰にでもあるって」
「…………忘れ物なんて学級委員失格です」
「失格なんて言うなよ。それ言ったら、毎日遅刻ギリギリの俺は学生失格だ」
「たしかに、そ、そうですね……」
「納得するのかよ! もう少し慰めの言葉があっても良かったんだが?」
先生が廊下を歩いてきた。
そろそろ、教室に入らなければならない。
カズヤとカナミは、一緒に教室へと入るのだが。
その瞬間、カナミは小さな声で言った。
「あ、ありがとう……お、お兄ちゃん」と。
「おい……カナミ。学校内で、お兄ちゃんは禁止だ」
「はっ! ご、ごめん……つい……いつもの調子で言っちゃった」
「何かヤバくなったら、シスコンな俺が、学級委員に「お兄ちゃん」と無理矢理呼ばせているという噂をバラまいてやるから安心しろっ!」
「それするぐらいなら……普通に本当のことを正直に話すでしょ」
ごもっともな意見すぎて、カズヤは何も言い返せなかった。
◇◆◇◆◇◆
塩谷カズヤは平凡な男子高校生だ。
そんな彼にはひとつの悩みがある。
それは——砂糖カナミのことだ。
塩谷カズヤは、彼女のことが好きなのだ。大好きだったのだ。
だが、その恋心は決して叶うことはなくなってしまった。
なぜならば——。
「おい、カズヤ。挨拶しろ、今日から家族になる姫子さんと、娘さんのカナミちゃんだ」
人生とは、突然転機が訪れるものだ。
お盆が過ぎ、徐々に夕暮れ時が悲しくなる八月下旬。
父親の再婚が決まった。相手は、クラスメイトの母親と。
結果、俺はクラスメイト——砂糖カナミと兄妹になってしまったわけだ。
以前から、再婚するという話は聞いていたものの、実際に会うのは初めて。
カズヤも緊張気味だったが、優しいひとだと聞いていたので、あまり深刻には聞いていなかった。
だが、しかし。
今までただのクラスメイトだった女の子が、こうして家族になるとは。
「うそだろ……」
「うそでしょ……こ、こんなこと」
カズヤもカナミも、どちらも大きな声を出して驚いてしまう。
こんな状況が本当にあるのかと思って。
それでも、本当なのかを確認するために口を開く。
「あのー砂糖さんだよね?」
「そっちは塩谷くん?」
結果は言わずもがなだ。
殆ど毎日と言ってもいいほどに、同じ学び舎で勉強している仲だ。
決して顔を忘れるはずがない。
「カズヤもカナミちゃんも同じ学校、それも同じクラスメイトだったとはな」
父親は豪快に笑い、カナミの母親——姫子さんの肩をたたいて。
「これなら家族全員仲良くなるのは、もう時間の問題ですね!」
「はい、良かったです……カナミは、ちょっと人見知りな部分があって……最初はどうなることかと思ってましたが……クラスメイトの男の子がお兄ちゃんになるんですから」
◇◆◇◆◇◆
二人の再婚が決まったのは、大変めでたいことだった。
しかし、それと同時に問題が発生する。
「塩谷くん、ちょっと話いいかしら?」
夕飯を食べ終えたあと、リビングを出た瞬間だ。
壁に背中を預け、腕を組んでいたカナミに声をかけられた。
何だか、戦闘民族の王子みたいに見えたのは内緒である。
「どうしたの? 砂糖さん」
「私のことはカナミでいいわよ。もう家族なんだし」
「あ、そうだな……それで、どうしたんだ? か、カナミ」
「塩谷くんって、結構適応力高いのね。普通に名前呼びして」
「自分で呼べって言ったのに!」
ここでは少し話しにくいというカナミの要望で、カズヤは場所を変えることにした。
行き着いた先は、カナミの部屋だ。
元々空き部屋だった一室。部屋の片付けをする最中に何度もお邪魔していたので、特に驚くことは何もなかった。ただし、今でも段ボールだらけである。
「それで、話というのは?」
「九月から学校があるわよね?」
「うん、そ、そうだけど……もしかして夏休みの宿題まだ終わってない?」
「違うわよ。学校に行くとなれば、私たちの関係が明るみになるってことよ」
「あーたしかにそうかも。でも、それがどうしたの?」
「いやいやいやいや。そこはもう少し察してよ」
カナミは叫ぶように言った。
「高校生の若い男女が同じ屋根の下で暮らしている。周りから色々言われるじゃない?」
高校生という生き物は恋愛話が大好きだ。
他のひとには内緒だけど、俺あの子のことが好きなんだよねー。ここだけの話だけど。
と、教えてしまった時点で即アウト。
ここだけの話だと言っていたのに、その忠告を守ることもせずに、次から次へと話が回ってしまい、挙げ句の果てには、その好きな子の元へと届くことがある。
そして、告白したわけではないのに、「あの子はお前のこと好きじゃないって」という話をまた人聞きで聞くハメになるという、悪循環が始まってしまうのだ。
「た、たしかに……そ、それは困るよな」
「そうそう」
「俺が砂糖さんを惚れさせてしまい、家に上げているなんて知れ渡ったら……お、俺の命が幾らあっても足りないかもしれない」
「ちょっと待って。どうして私が惚れてる設定になるのよ!」
「だってさ、ここ元々俺の家だし」
「……そ、それは大変困るわね」
「あの二人、家に上げて……何やってるんだって話にもなると思う」
「…………高校生の妄想力が怖いわ。ただ、一緒に住んでるだけなのに」
というわけで、今後二人は学校では極力関わらないように心がけることにした。
それと、学校では今まで通り「塩谷くん」と「砂糖さん」で呼び合うようにした。
◇◆◇◆◇◆
昼休み。
学食派と弁当派で分かれる時間帯。
カズヤとカナミは、同じ弁当を食べることになる。
と言えど、食べる環境は違うのだが。
カズヤは仲のいい友達数人と。
その一方で、カナミはひとり黙々と食べている。
次の授業に向けてか、英単語の勉強をしているようだ。
「おい? どうしたんだぁー? カズヤ、お前砂糖さんのほうを見て」
ツンツン頭の友達が言った。
「いや……別に何も見てないって」
「今のお前は、完全に恋してる顔だったぜ」
「うるせぇー。何が恋してる顔だよ」
「でも、お前が本気で砂糖さんのことが好きなら、俺たちは協力するぜ!」
「まぁーそのときは頼むよ」
カズヤは叶わない恋だと知りつつも、その言葉を口に出した。
その後、昼休み中は、友達と駄弁りながら過ごしていると。
「塩谷くん。ちょっといい?」
カナミだった。学校内では、極力話さない約束だったのに。
自分から喋りかけてくるとは。何かあったのか。
と、思いつつも、カズヤは言った。
「あ、いいけど。どうしたんだ?」
「ここじゃあ……ちょっと話しにくい」
カズヤの友達がいるからか、カナミは少し俯きがちに言う。
人見知りな性格故に、苦労しているのが伝わってくる。
「それで、どうしたんだ?」
カズヤとカナミは、教室から少し離れた階段の踊り場で話すことにした。
人通りは少なく、二人だけで話すにはもってこいの場所である。
「ママが今日の夕飯何がいいかって」
「候補は何かないのか?」
「ハンバーグ、唐揚げ、チキン南蛮かな?」
「夕飯が決まってなくて、買い物に行けないってわけか」
「そういうこと。ママ困ってるから教えて」
「うーん。ハンバーグでいいんじゃないの?」
「了解。ママに連絡しとく」
相談事は終わった。
二人揃って、教室へと戻った。
カナミは自分の席へ、カズヤも自分の席へと戻るのだが。
カズヤの周りには、男友達が集まってきている。
コソコソ話をしており、目の敵とでも言うべき瞳を向けてきているのだ。
「おい……カズヤ。お前はどうやって冷酷姫を手懐けたんだ?」
「そうだぞっ! お前だけ冷酷姫と仲良くしやがって!」
「どんな催眠を使ったんだ。俺にも教えてくれー!!」
カズヤの学校には、“冷酷姫”と呼ばれる女子生徒がいる。
その冷酷姫こそが、先程まで喋っていた相手——砂糖カナミなのである。
男女関係なく喋りかけるのだが、全員無視か、毒舌を吐かれてしまう。といっても、殆どの場合、砂糖カナミが自分から逃げ出してしまうのだが。
最近だって、カッコいいと評判の先輩から「カナミちゃん、オレの彼女にならないかいー?」と言われても、「近寄らないでください。興味ないので」と一刀両断していたし。
自分の顔に自信満々だったのに、否定されたあの先輩は肩を落としていたっけな。
そんな誰にも懐かないと噂の砂糖カナミが自分から喋りかけてきたというシチュエーションに、男友達は全員腰を浮かせて驚いているわけだ。
「手懐けって……お、俺は別に何も」
「怪しいな。カズヤ……俺たちに何か隠してるだろ?」
「えっ!! 隠してるのか!! カズヤ、俺たちにも教えろー!」
男友達に質問攻めに遭うのだが、カズヤは砂糖カナミと兄妹になったとは口が裂けても言えなかった。
◇◆◇◆◇◆
「次の授業はなんだっけ?」
昼休みも終わりに近づき、カズヤは本日の時間割を確認する。
英語だった。カナミが英単語を覚えていたのは、小テストがあるからか。
と、思いつつ、英単語をひとつでも覚えようと、単語帳を探すのだが。
「やべぇ……わ、忘れちまった。友達に見せてもらってもいいが……」
コイツらと喋ったら、砂糖カナミとの仲を問い質されるだろう。
それだけは勘弁だ。
だが、男子友達以外に親しく喋れる女子生徒はいない。
これは困ったなと思っていると。
「あれ〜? もしかして、カズっち。単語超忘れたの〜?」
隣の席に座る頭空っぽそうな女の子が喋りかけてきた。
名前は、七見真美。
高校生なのにも関わらず、頭を金色に染めて、ウェーブまでかけている女の子。
耳にはピアスの穴も開けている。一応、規則ではダメとなっているものの、教師と仲がいいためか、今まで見逃されているらしい。カズヤたちのクラス内で、オシャレ番長に君臨している。
「忘れたけど何だ? 俺に文句でもあるのか?」
「えっ〜。今、可哀想なカズっちのために見せてあげようかなーと思ってたのにー。でも、ちょっと喧嘩腰だし、何だか嫌な感じになってきちゃったなぁ〜」
「お、お前な……」
「見せてくださいでしょ?」
「あいあい、分かりました。見せてください」
「それじゃあ、真美様、お願いします。英単語帳も見せてくださいと言ってよ」
悪びれもなく、そんなことを言い出すとは。
本人的には、冗談半分で言ってるかもしれないが。
こちら側としては、全然冗談に聞こえないのが怖いところだ。
「英単語帳見せてください……こ、これでいいか?」
素直に行動したカズヤを見てか、真美は笑みを浮かべた。
「うん。満足。それじゃあ、見せたげるから。こっち来て」
その後、カズヤと真美は一緒に英単語帳を見ることにした。
肩が触れ合って、無駄にドキドキしてしまう。だが、真美は全く気にする様子はない。
真美の単語帳は、メモが書き込まれていた。勉強とかだいきらいーというタイプかと思いきや、案外日頃から勉強しているようだ。ただのギャルと決めつけていたものの、違う一面もあるんだなと感心していると。
「ねぇー。真美〜。アタシにも見せてよー」
真美の友達が喋りかけてきた。見た目通りのギャルだ。
「今はダメ。カズっちと一緒に見てるから」
「友達より男取るのか……真美は」
「ちょ、何言ってるの! べ、別にかずっちは男として見てないから!」
男として見られてない。
そう言われてしまい、カズヤは若干心が痛んでしまう。
「あ、ちょっ、今のはごめん……カズっち。別にそーいう意味で言ってないから
「俺のことは気にするな。もうひとり頼れるひとはいるからさ」
「そ、それならいいんだけど……?」
真美は震える声で言った。
その隣には、真美の友達がいて、二人で一緒に楽しげに単語帳を見ている。
ともあれ、大変困った。小テストで一定以上の点数を取らないと、再テストになるのだ。
これは緊急事態だなと思い、カズヤは砂糖カナミの元へと向かったのだが。
「なぁ? 一緒に単語帳見ないか?」
「…………女子に見せてもらえばいい」
カナミは単語帳に目線を向けたまま言った。カズヤには興味なしの顔だ。
「見せてもらえなくて……うん、ごめん」
「私は都合がいい女じゃない」
「いや……都合がいいとか関係なくて」
「勉強の邪魔だから、あっち行って」
「あ、はい。わかりました」
拒絶されてしまえば、もう離れるしかない。
少しは仲が縮まったかなと思っていたのに。
「喋りかけないでください。勉強の邪魔なので」
馴れ馴れしすぎたなと反省しつつ、カズヤが席へと戻ると。
「やっぱり、三人で見よっか? カズっちも困ってるっぽいし」
隣のギャルは、気が利くタイプだ。
◇◆◇◆◇◆
五限目は、英語の授業だった。
本日は、英語担当の先生がいなくて、ALTの先生のみ。
カナダ出身の金髪巨乳先生なのだが、学生は言うことを聞かない。
ペチャクチャペチャクチャと楽しそうにずっと喋っているのだ。
金髪巨乳先生——エミリア先生は必死に「静かにしてください」と伝えているのだが、日本語が上手く話せず、困っている。
砂糖カナミは、異国の地で必死に頑張っている先生を見ながら、静かにならない教室へ
怒りを感じていた。
「みなさん、静かにしてください」
だが、これでも一向に静かにならない。
大きな声を出すのは、苦手なのだ。
砂糖カナミは、学級委員だ。それに間違いはない。
だが、学級委員を進んで行う女の子では決してなかった。
元々、砂糖カナミという少女は、人見知りで、誰かと関わるのがとても苦手。尚且つ、自分から積極的に大きな声を出すのは到底無理だった。
それでも、彼女は学級委員に立候補した。
学級委員になれば、何かが変わるかもと思ったから。
あのひとがそう言ってくれた日から——。
***
高校一年生。
とある日の放課後、砂糖カナミは家に帰らず、教室の机でぐだぁーと突っ伏していた。
そんな折、クラスメイトの男の子が話しかけてきたのだ。
「こんなところで何してるの?」
「あなたには関係ありません」
「と言ってるけど、俺は砂糖さんのクラスメイトなんでね」
軽い感じで言いつつも、その男の子は前の座席へと腰を下ろした。
「それに、今泣いてたでしょ? 目元に付いてるよ」
「…… な、泣いてなんかい、いません。私は泣きませんから」
「まぁーそれならそれでいいんだけど。それで何があったの?」
「あなたに話す必要はありません」
「たしかにそうだ。俺に話す必要は一切ないな」
でもねと、呟きつつ、いつも気怠そうにしている男の子は言う。
「教室にひとりポツンと残っている女の子を残して帰るほど、残酷な男じゃないんだよ」
「なんですか……気持ち悪いです」
「気持ち悪いか。それなら保健室でも行く?」
「あなたのことが、気持ち悪いと言ったんです」
「なるほど……傷つくな。それは。ただ、気持ち悪くても、俺は砂糖さんを放っておかないけどね。誰かが悲しんでいる姿を見て見ぬフリをするのは気持ち悪いからさ」
このまま黙っていても、このひとは帰ることはないだろう。
全てを話すしかないのか。
と、悩みつつも、砂糖カナミは口火を切った。
「実は、ママが再婚するらしいんです」
「それはめでたい話なんじゃ?」
「…………そうかもしれないけど、私、怖いんです」
「怖い?」
「はい。私……ひとと関わるのが苦手で……そ、その再婚したときに、相手側の家族と上手くやっていけるのかなって。学校でも殆ど友達はいないし……そ、それにひ、人見知りで、全然自分から意見とか言えないし……私のせいで、家族が壊れちゃうかもって。ママが折角、一歩前に進んでいるのに、私が全部台無しにしちゃうかもって」
砂糖カナミは、新たな一歩を踏み出すのが苦手な女の子であった。
昔から大好きなアイスと、新発売のアイス。どちらかひとつを選べと言われたら、毎回昔から大好きなアイスを選ぶ派である。新発売のアイスを選んで、失敗したくないのだ。
もしかしたら、新発売のアイスをめちゃくちゃ美味しいかもしれないのに。
今後、大好きになる可能性もあるのに。
それでも、変化に耐えきれないのだ。変化に適応できないのだ。
砂糖カナミという女の子は。
「極度の人見知りで、周りからは“冷酷姫”という異名も付けられてるし。本当は、もっと色んなひととお喋りしたいんですけど……で、でも声が出なくて……毎回毎回、黙り込んでしまって……」
「お姫様という異名を付けられているのか! 凄いね!」
「うう……塩谷くんも知ってるくせに」
「あははは」
「笑い話じゃないんです。私は深刻に悩んでいるんです!」
「そうだよね。今のは悪かった」
クラスメイトの男の子は、真剣な眼差しで言った。
「砂糖さんも自分の足で進んでみたらどうかな?」
「どういうこと?」
「例えばだけど、新しいことを始めてみるとか?」
「なるほど。でも、今から部活に入るのは勇気入ります」
「たしかに。今からっていうのはちょっと厳しいよね」
うーんと悩みつつ、男の子は親身に考えてくれた。
そして結論が出たのか、パチンと手を合わせて。
「学級委員になるのはどうかな? 変わる良いきっかけになるかもよ?」
「学級委員ですか……」
「再婚の件と繋がるかは分からないけど、新しいことにチャレンジするのはいいことだよ」
「なるほど……一理あります。少しだけ参考にさせてもらいます」
その後、高校二年生に進級した砂糖カナミは、学級委員に立候補した。
変わる決心をしたのだ。今までの自分を変えたくて。
***
もう少し大きな声で言うべきか。果たして、それで意味があるのか。
砂糖カナミは悩む。
自分には、学級委員というのは重過ぎたのではないかと。
声が小さいとは思っていた。幼少期からずっと演劇などで、声を出せなかった。
毎回毎回自分のせいで「台無し」になったと言われてきていた。
そんな自分を変えたかった。少しでもいいから前へと進みたかった。
でも、怖い。声を出すのが怖い。周りからどんな目で見られるのか。
考えるのがとても怖い。一歩前へ進むのが大変怖い。
そうだ。いいじゃないか。
このまま時間が過ぎるのを待てば。授業は勝手に終わる。
残りの時間、黙って見ていればそれだけで。
それでいいじゃないか。だ、ダメだ。そんなの絶対にダメだ。
変わるんだ。学級委員になって、過去の自分を変えたかったのだ。
でも——あと一歩が踏み出せない。怖い。怖くて、足が竦むし、声も震えてしまう。
あぁー、もうダメだ。
砂糖カナミがそう思った瞬間、救いの言葉を出してくれたひとがいた。
「みんな、静かにしようぜ」
ガタァと音を椅子を立ててから、立ち上がった男の子。
それは、あの日、砂糖カナミの相談に乗ってくれたあのひとだった。
彼の声は太く、全員の視線を一気に集める。
「現在、日本はグローバル化が進んでいる。少し街を歩けば、普通に金髪お姉ちゃんに会えるだろ?」
金髪お姉ちゃんという言葉に反応してか、男子から「金髪碧眼」とか「金髪ロリ」などの声が上がってきている。数人かは、某エロ動画サイトの、人気アマチュア女優の名前を出した奴もいたが、塩谷カズヤは無視することにした。
「お前ら、高校進学後、大学に行くだろ? で、その後はどうする? やっぱり大手企業を目指すよな? でも、知ってるか? 大手企業には海外出張というものがある」
大手企業の話になると、段々と生徒たちの目が変わってきている。
グローバル化と言われてもピンと来ない。
だが将来の話になれば、話は別だ。高校生にもなれば、将来を考える時期だからな。
「このなかには、海外出張になんて興味ない。そう言い出す奴もいるかもしれないが、本当驚くほどに稼げる。年収数千万円は確実だ。尚且つ、会社が家賃を負担してくれるので、お金には殆ど困らない。でも、海外出張に行くには、一定の英語力がないと行けない」
年収数千万円。
その言葉を聞いた瞬間、生徒たちの態度が豹変する。
ゴクリと唾を飲み込み、話に集中している。
「英語以外の選定もあるが、まぁー英語ができると海外出張の可能性は高くなる。まぁー中には、海外になんて興味ありません。日本大好きだというひともいるかもしれないが、今後ますます、日本に海外企業が進出してくるだろう。俗に言うところの、外資系企業だ。そこに入るには、やはり英語力が必要だ。日系企業だから大丈夫。そう思っていても、一部の企業では、社内公用語は英語というところもある」
塩谷カズヤは、「1、2、3、4、5、6」と指を折りながら。
「大学に現役合格し、学部で卒業するまでに残された期間は、残り6年もある。英語なんて習う価値ないと思って、サボるのもアリだが……ネイティブの可愛い先生に英語を教えてもらえる機会なんて、今後早々ない。大人になれば、英会話教室へと高いお金を払って通うしかなくなるからな。エミリア先生の授業は、今後絶対役に立つ」
で、と呟きつつ、カズヤは周りを見渡して言った。
「どうする? 英語を学ぶメリットはあるが、デメリットはないと思うぜ!」
塩谷カズヤの言葉を聞いて、彼の友達が同調するように言い出す。
「海外出張して、大金稼いでやる!」
「よっしゃああああああああ。俺、今日から英語頑張ろうっ!」
「ぱつきん姉ちゃんと、仲良くしたい!」
「海外のエロ動画を聴き取れるようになりたい! エロの探究心は決して変わらない!」
「英語の動画を日本語吹き替えたら、これお金に変わるんじゃね?」
英語を学ぶ理由は、各々違う。けれど、英語をもっと勉強したい。その意思は変わらない。
この日以来、エミリア先生の授業は大好評で、クラスの平均点が跳ね上がったことは言わなくてもいいだろう。
「はぁー」とため息を吐き捨て、カズヤが席へと座ると。
「やるじゃん、カズっち」
真美から褒められた。ピースサインを向けてきている。
「どういたしまして」
感謝の言葉を述べたあと。
「七見さん。単語の小テスト満点だったぜ」
◇◆◇◆◇◆
学校終わり。
自宅へと帰宅し、部屋のなかで漫画を読んでいるときだった。
トントンとノック音が聞こえ、「はーい」と返事を返す。
「お兄ちゃん、今日は迷惑かけてごめん」
制服姿ではなく、普段着の砂糖カナミであった。
ラフな格好である。
少しサイズが大きめなシャツに、ホットパンツ。
艶かしい太ももを見ると、変な気持ちになってしまう。
それにしても今日の迷惑とは何か。弁当箱のことだろう。
ともあれ、全然気にすることではなかったのに。
「そ、それと……今日も結構酷いこと言ってたよね?」
「酷いこと? 何か言ったか? 覚えてないんだが」
「その……カナミと呼ぶのはやめてって言ったこと」
それに、と呟いて。
「邪魔とか言っちゃって、ごめんなさい」
「あぁーあれのことか。アレは学校だから仕方ないだろ。別に気にするなって。別に気持ち悪いとか嫌いとか言われても、俺は普通に流せるタイプだからさ」
「す、すごい……」
「別に凄くはねぇーよ」
「私だったら……お兄ちゃんに言われたらショックで二度と立ち直れないかも」
「二度とは、大袈裟すぎるだろ」
「ほんとうだよ? だって、好きな男の子からそう言われると傷つくでしょ?」
「好きな男の子?」
塩谷カズヤは、決して鈍感なわけではない。寧ろ、敏感なタイプだ。
「ああえええええと、い、今のは……言葉のあやで。そ、その家族に言われたら……そ、それは傷つくよねーってことで……う、うん。そ、その……別に深い意味はない。うんうん」
怪しい返事だったが、これ以上問い詰めるのはあまりよろしくないだろう。
「あ、今日はごめんな。ちょっと馴れ馴れしすぎたよな」
「あ、あれは……ちょっとイライラしてただけ」
「イライラ? やっぱり俺にか?」
「……ち、違う。お、お兄ちゃんだけど、お兄ちゃんじゃないから」
要領の得ない返答だった。
どういうことかと悩んでみるものの、全く理解できない。
「今後単語帳忘れたら、私のところに来る。分かった?」
「でも、今日見せてくれなかったじゃん」
「アレはちょっとしたイジワル。二番目だったから」
「二番目?」
「わざわざオウム返ししなくていい。あと、深読みも禁止」
「分かったよ。なら、今後忘れたら、カナミの元に行くよ」
「うん。それでいい。お兄ちゃんはそうするべき」
「逆に、カナミが忘れたら、俺の元に来いよ。見せてやるからさ」
「うん。私、お兄ちゃん以外に頼れるひといないから絶対行く」
砂糖カナミは、友達がいない。
その言葉に、何の偽りもない。
砂糖カナミは人付き合いが苦手で、友達が誰ひとりいないのだ。
だが、塩谷カズヤはそれでいいと思っている。
「……お兄ちゃん、今日はありがとう。そ、その英語の授業のとき」
「ん? 俺が何かしたか?」
「私が静かにしてって、呼び掛けたとき……お兄ちゃんが助けてくれた」
「あーあれのことね。アレはただの自己満だって。俺、英語の授業が好きだからさ」
「エミリア先生のこと好きなの?」
「どうしてそうなる?」
「だって、英語の授業好きって言ったから」
「エミリア先生のことは好きだよ。うん」
「…………お兄ちゃんのエッチ。巨乳の金髪美女好きとかスケベ」
「そこまで言われる筋合いはないと思うんだが?」
「でも、エミリア先生にも、七見さんにも、私は絶対負けない」
「負けない? ん? 何言ってるんだ?」
「…………今のは聞いちゃダメ。聞かなかったことにして」
「まぁーそういうことにしててもいいが」
「物わかりがいいお兄ちゃんは大好き」
「聞き分けが悪かったら?」
「そんなお兄ちゃんは嫌い」
「嫌われないために、頑張らないとな」
あはははと、笑いながら、カズヤは言った。
すると、スゥーと白い手が伸びてきた。
その手は、カズヤの頭にぽんっと乗ると、優しく撫でてくる。
「今日、お兄ちゃん頑張ってたから、いいこいいこしてあげる」
「恥ずかしいからやめてほしいんだが?」
「なら、お兄ちゃんもやってみれば? いいこいいこ」
「誰に?」
「私に」
「やっていいのか?」
「手が滑ったとか言って、胸とかお尻とか触らないなら」
「そんなラッキースケベが起こるわけないよね?」
「お兄ちゃんは確信犯だから」
確信犯と言われれば、撫でたくはなくなる。
だが、いくら待ったところで、自分が撫でられないことに不服を感じたのか。
「お兄ちゃん、撫でて」
「まぁーいいけど」
「う、うん……」
カズヤは緊張しながらも、カナミの頭を優しく撫でることにした。
手入れを欠かさないためか、サラサラだ。トリートメントを欠かさないためか、艶があった。女の子を、ましてや、女の子の髪の毛を撫でるのは初めての経験だった。
「どうだ?」
「うん……ちょっとこそばゆいけど、気分が安らぐ」
「これぐらいでいいか?」
カズヤは撫でる手を止めたのだが。
「まだするべき」
と言って、カナミがカズヤの手を掴んで撫でさせるのだ。
「えっ? マジかよ」
「うん、もっともっとお兄ちゃんは妹の頭を撫でないとダメ」
「甘えん坊だな、カナミは」
「甘えられるのはお兄ちゃんだけだから」
「なら、好きなだけ甘えてくれ」
その後、カズヤは姫子さんの「ご飯できたら、二人とも降りてきてー!!」という声があるまで、カナミの頭を撫で撫でしてあげたらしい。
◇◆◇◆◇◆
夕食を取り終えた。風呂にも入った。残りは寝るだけ。
そうなったのにも関わらず、ベッドに就くことはできなかった。
「おいっ……カナミ。何してんだ? こんなところで」
砂糖カナミがカズヤのベッドを占領しているのだ。
返事はない。もしかして疲れて寝ているのだろうか。
「学級委員として、毎日頑張ってるんだよな」
カナミはしっかりしていると思う。
学校では、学級委員として。家では、義理の妹として。
カズヤや父親から見て、恥だと思われない家族として。
彼女は必死に頑張っているのだろう。
「俺の前だけでは、もう少し気を休めていいんだぜ」
カズヤはそう呟くと、優しくカナミの頭を撫でてあげる。
風呂上りの髪の毛は少々濡れていた。ドライヤーで乾かすのを忘れていたのだろう。
起こしてあげてもいいが、スヤスヤ気分良さげに寝ているのだ。
起こすのは、藪ではないだろうか。
「…………むふふふ、お兄ちゃんだいすき♡」
どんな夢を見ているのか、それは断定できない。幸せな夢でも見ているのだろう。
カナミの口から出てきた言葉に、カズヤは思わずドキリとしてしまう。
大好きと言われるのは初めてだったからだ。それも女の子から。
ただし、彼女の口から漏れた言葉の真意は分かる。
“家族”として大好きだということだ。“お兄ちゃん”と呼んでいるし。
「俺も好きだぞ、カナミ。俺はお兄ちゃんとして、これからも頑張るからな」
砂糖カナミを好きだという気持ちは、決して消えない。
だが、諦めなければならないのも事実だ。
砂糖カナミとは、既に家族で、義理の妹なのだから。
もしも、砂糖カナミのことを恋愛感情的な意味で“好き”だと伝えてしまえば。
家族崩壊を招く可能性がある。だからこそ、隠さなければならないのだ。
「ったく……世話がかかる妹だな」
カズヤはカナミを背負う。
弾力のある重みが背中に触れ、理性を吹き飛ばしそうになる。
でも、そんなもの関係ない。
自分は彼女の兄なんだと自覚し、カズヤはカナミを部屋まで送り届けた。
◇◆◇◆◇◆
「じゃあな、おやすみ。カナミ」
カズヤが部屋から出たあと、カナミはパチリと目を開いた。
急激に顔が真っ赤になってしまう。
この世界で一番大好きな男の子から「好き」と言われたのだ。
両想いと呼ばれるものである。
「うううううううううわああああんんんん〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
頭の上にある枕を掴んで、ぼふぼふと無駄に顔を突っ込んでしまう。
言葉にもならない叫びを繰り返すことしかできなくなってしまう。
「塩谷くんに好きって言われた……えへへ、好きって言われた」
頭のなかは有頂天になってしまう。
砂糖カナミは、塩谷カズヤのことが好きだった。
好きになったきっかけは、「学級委員になってみれば?」と提案されてからだ。
あの日以来、徐々に彼のことが気になってしまった。理由は定かではない。
何かと、目線が動いてしまったのだ。彼は周囲のことを気にして動くタイプで、誰もが気づかないところに、すぐに気付いて行動していた。素直にカッコいいと思った。
自分もあんなひとになりたいと思った。
優しくて、明るくて、友達もいっぱいいて。
砂糖カナミのような周囲から浮いている人間にも接してくれる。
本気で、王子様だと思った。
そんな王子様みたいな彼がお兄ちゃんになった。
カナミは家族特権、それも妹であることを武器に、カズヤに甘えた。
頭を撫でてーとか、普段なら絶対に言えないのに。
「塩谷くんのことで、頭が……頭のなかがいっぱいいっぱいになってるよ……」
恋する乙女の脳内は、回転が急激に早くなってしまう。
次から次へと妄想が膨れ上がっていくのだ。
「私と塩谷くんは、家族なのに。お兄ちゃんなのに……私、本気で恋しちゃうかも」
ほんとうに、ズルイよ。塩谷くんは。
そう呟きつつ、砂糖カナミは眠りに就くのであった。
カズヤに撫でられた感触を思い出しながら。
「えへへへ……今日はいっぱいいい夢が見れそうだよ……大好きだよ、塩谷くん」
この先、両想いなのに、“家族”という壁があって、お互いの気持ちを言えない二人。
そんな二人が、幾度の困難を乗り越えて、義理の兄妹から本物の夫婦になるのだが。
まぁーそれは、またの機会にでもするとしよう。
これは、ハッピーエンドが既に確定している物語。
ヒーローは、塩谷カズヤで。ヒロインは、砂糖カナミの。