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『椿』

作者: Charlotte


立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花

などと世間では申しますが

お家のためのお道具として

血筋に栄華を、家族に富を

父に威厳を、母に名誉を

お嫁に行くのが娘の宿命(さだめ)

いつしかそれは 淑女(おとめ)の呪詛と相成りまして

華毒と申す、これまた不可解

其の血になんとも馨しき、毒を齎す障りをば

処女(むすめ)に宿すに至つたので御座ひ〼


* * *


さてはて華と申しましても、色に種類に数は様々

今宵お聞かせ致しますのは、冬に微睡み散つて行く

美しき華の物語


女学校とは名ばかりの 嫁入りまでの浮世であれば

卒業なぞはお家の恥と 去りゆく友を微笑みながら

見送る日々の狭間にて その日を拒む 娘が一人


叶わぬことは覚悟の上と 思ひを伝えたあの方は

父の知人の紹介で 我が家に暮らす書生さん

いつかの冬にぽつくりと 首から落ちた椿の華を

拾つてくれたその顔の 寒さで赤らむ鼻先と 少々武骨な言ひ回し

すとん、と恋に落ちたのです


しかし我が家は所詮成金 喉から手が出る高ゐ身分

父の望みで決められた 華族の血を引く婚約者

これも私のお役目ならばと しゃんと澄まして胸を張り

貞淑な妻となりませう 慈悲ある母となりませう

良妻賢母となりませう


* * *


けれどもちょつぴり 寂しゐもので

叶わぬ思ひを秘めたまま 嫁ひでゆくのは切なゐもので

ご迷惑とは思ひながらも 偶然出会つた帰り道

私の歩幅に合わせて歩く 言の葉のなゐ優しさに

「お慕ひ申しております」と

ぽつくり落ちたあの華のよに うつかり告げてしまつたのです


「なりませんよ、お嬢様」

もうすぐお嫁に行くのでせう

一歩踏み出すあの方の 黒い外套(コヲト)のお背中が

拒絶のように 思われて

お口になさつたお言葉に 私の心が抉られて

ごめんなさい、と口にして 家路を歩むその道は

暗く、くらく、とつても昏く 遠く感じるものでした


* * *


家事にお針に手習いに やるべきことは沢山あれど

得手不得手というものは 誰しも持ち合わせてゐるもので

お針の課題はどふしても あとに残してしまひがち

夜に縫うのは危ないですよと 女中は咎めて来るけれど

浴衣の仕上げの提出は 明日に迫つているのです


ちくちく縫い縫いお針を進め 気付けば月は中天に

ぽつかりまあるいお月様 ぼおつと見上げてゐるうちに

ちくりとお針の先端が 指に刺さつて血がぷくり

布地に垂れてはいけないと 慌てて指を咥えると

滲み出るのは鉄でなく いつかの冬の椿の香


咄嗟に頭に浮かぶのは ひつそり巷で謳われる

淑女(おとめ)呪詛(のろい)といふ病

華の香が血に宿り 毒と成り果て害を成し

軈てはその身も蝕んで 死へと至るとされてゐます


* * *


嗚呼、なんてことでせう

「いや」と口では叫んだけれど こんな障りを持つ身では

嫁ぐことなどできませぬ

駆け付けてくる女中たち 血には決して触れては駄目と

静止の言葉を掛けながら

心の何処か片隅で 私は安堵してゐたのです


お医者様がやつてきて 私の血を採り「ああ、やはり」

控えめふわりと香るのは 血液ではなく華の香

助ける術は未詳だと 唇を噛むお医者の横で

ああ婚約は破談だと お父様は悔しがり

血の気の失せたわが()の頬を 母はほろほろ涙を流し

優しく撫でてくださゐました

哀れみ慰めくださゐました


華毒と呼ばれるその障り 未だ仔細は明らかならず

娘が患つたとなれば

世間の視線がどうなるかなど 言わずもがなの知れたこと

結局私は肺を病み 都を離れた別荘で

静養すると言うことで お役御免と相成りました


* * *


お友達にはさよならの お手紙書いて女中に託し

泣ひて嫌がる弟に お母様をよろしくと 最期の約束指切りし

明日には都を離れるという 最後の晩は雪景色

雪見障子の硝子に覗く 積もつた雪をぼおつと眺め

そろそろ眠りに就こうかしらと 微睡み目を閉じ四半刻


瞼の裏に浮かぶのは 懐かしきあの椿の華

きつと私のこの呪詛は あの日の私が掛けたもの

ならば私は叶わぬ恋と 添い遂げる路を歩みませう

たつた一人の私くらい 私の心と最期まで 共に歩んで逝きませう

そう思つていた筈でしたのに


「起きていますか、お嬢様」

雪見障子の片隅に ぼんやり浮かぶ人影は

あの日あのとき諦めた 静かで優しい彼の声


* * *


「こんな夜更けにどうなさつたの」

体を起こしてそう問うと 彼は静かに障子を開けて

部屋へと入つてらつしやりました

月の光を背に受けて 柔らかく笑むその顔に

つきつき、ずきずき 諦めた恋が疼きます

「椿の華を、お届けに」

そう言い彼が差し出したのは いつかの冬と同じ赤

けれどもそれは前とは違い どうやら手折つたようでした

「どうしてこれを、(わたくし)に?」

両手で華を受け取つて 首を傾げたその問いに

彼は頬を赤らめて 小さく俯き言いました

「あの日の答えを伝えたく」

お慕ひ申しておりますと 伝えてしまつた過ちは

どうにもならぬと知りながら 伝えたこの身の咎なのに

「椿の華を手折るのを お許し頂けますでせうか」

差し出された大きな手 それは応へに他ならず

ほろりほろりと夜露のごとく 熱い涙が零れ落ち

「ええ、ええ、勿論」

頷ひて 私はその手を取りました


* * *


明朝とある商家にて

冬椿一つ髪飾り 手首を切つた()()が二人

雪に埋もれてひつそりと 命を落としておりました

黒い外套(コヲト)で守られるよに 抱きしめられた病の娘

宝物を抱きしめるよに 彼女を抱えた書生の男

二人の片手はしつかりと 絡めるように繋がれて

肺凍る雪の冷たさに 幽かに香る椿の(かほり)

幸福(しあわせ)そうな二人の顔に 娘の母は嫋やかに笑み

「きつとこれでよかつたのです」

そう語つたと謂われています


さてはてこれにて幕は閉じ

椿の話はお仕舞ひ、お仕舞ひ

これは余談でございまするが

椿の名を持つ植物は 茶花の女王と謳われる 美しい華でござゐます

そしてなによりその殆どが 食に薬にその他諸々

人の生に根深く寄り添ふ 強ひ花でもあるのです

しかし反面その花は 香りを然程持たないと 長年謂われておりました

ですが今日に至る研究で 甘ひ香りを持つものも 在ると謂うのが見つかりました

お家のためにと己を律し 学び励んだその姿

屹度心のうつくしき その血に宿つた毒の香は

優しく甘く香しく 甘露であつたことでせう



読んでくださりありがとうございます。

こちらの作品は、Twitterにてフォントを変え背景を作成し、一区切り一枚の頁として投稿しております。

ご興味がございましたら、私の名前で検索していただけますと幸いです。

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