4.ミドリの錬金術師
静かに深く呼吸を整えた後、両手を合わせ目を閉じる。
「『銀の匙』発動!」
初体験ーー
ーーそれは特別な1ページ。
初めてのスキル発動、それは特別な瞬間。高揚する精神、湧き上がる神聖なオーラ。
「あっ、あっ」
「え? いや、確かに『富江』は100万回発動してるけどさ」
いいじゃない。
あんなの自分の意思で発動させてるわけでも何でもないんだから。
てか、発動中に話しかけないで下さい。
「ごめん、ちょっと黙ってて」
「……」
数分後。
「あっ、あっ」
「待って! 今めちゃくちゃ集中してるから、話しかけないで!」
「あっ! あっ!」
「痛っ!」
目を閉じたままスキル発動を止めようとしない私に剛を煮やした切り落とされた右手が、またもや右足に噛み付いた。
「イタッ! ミギエさん! ちょっとくらい無視されたからって、ひどくない?」
「あっ、あっ」
「いやでも、初めての発動だし少しくらい時間がかかってもおかしくーー」
「あっ! あっ! あっ!」
「え? そうなの? 本当に? 全然? 全く変化なし?」
「あー、あー」
確かにミギエさんの言うことももっともだった。
いくら初発動とはいえ、数分の間なんの変化も見られないのであれば、それは明らかに発動失敗と言っても過言ではない。
「まさかの初錬成失敗? ーーあ、錬成って言っちゃった」
ガックリと項垂れる私。
初挫折。ということにしとこう。
あ、ちなみにミギエさんというのは、もちろんこの切り落とされた右手のことで、なんだかんだと世話焼いてくれるし、妙に愛着が湧いてきたこともあって、ついついペット感覚で名前をつけてしまった。
本人は安易だと文句を言ってたが、実は案外お気に召しているのではないだろうか。
「あっ、あっ、あっ」
「え? 何故目を閉じて手を合わせたのかって? そりゃそれが錬金術師としての正しい錬成方法だからでしょ!」
「あっ? あっ? あっ?」
「え? いや、あの錬金術師ってのは……話せば長くなるんだけどねーー」
「あー」
「え? 長いならいいって? ちょっとそれ、ひどくない?」
「あっ、あっ」
「え? しっかり目を開けて?」
「あっ! あっ!」
「『銀の匙』発動って言ってみるの?」
次の瞬間、スキル『銀の匙』が発動した。
身体の内側から何かが湧き上がり、視界前面に直径30センチ程の魔法陣が表示される。
「ちょっと待って! 今ので発動? え、なんで!?」
折角のセレモニーが台無しになったガッカリ感が半端ない。だがしかし、我々には感傷に浸っている暇はない。
仕方なくその流れのまま足枷を等価交換しようとするも、なかなかどうしてうまくいかない。
足枷に照準が合わない。というか、足枷を素材として認識できない。
「あれ? あれ?」
ついに「さっさとしろ」と、ミギエさんのデコピンが飛んできた。
「イッタァァァア!」
思わず目を閉じた瞬間、スキル発動は停止した。
スキル『銀の匙』
物質を別の物質へと等価交換出来るこの夢のスキルには、幾つもの落とし穴が存在していた。
まず、それ単体での発動は不可能。最後まで錬成を成功させるには、派生スキルである『素材鑑定』が必要不可欠だった。
『銀の匙』ーー派生スキル『素材鑑定』ーー
素材となる物質を鑑定・分析することが可能で、『銀の匙』発動の際には、魔法陣内に位置する物質を素材として指定することができる。
そのことに気づくまで、あーでもないこーでもないと何度となく発動しては失敗し、通算失敗回数が30回を超えた頃、ようやくミギエさんが未習得だった派生スキルの存在を思い出してくれた。
流石は頼りになる相棒である。
「なるほど。言われてみれば、コレ必要そうだよね」
早速、ソレを試そうとしたところ、またもや思わぬ壁にぶち当たった。
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『素材鑑定』
解放必要経験値:1000
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はい??
え、待って! ちょっと高すぎない?
そりゃ本体の500万に比べたら微々たるものだけども。私の残り経験値って……
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名前:なし
種族:ゴブリンモドキ
レベル:3(MAX)
HP:15 MP:0 経験値:4,525
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これから先も派生スキル解放やスキルレベルを上げるために経験値は絶対に必要になるだろうし、下手したら『銀の匙』発動にも必要かもしれない。そうなったら毎回それなりの経験値を持っていかれるわけでーー
ーーとはいえ、このスキルを取らなければ『銀の匙』そのものが使えない。
ちなみに、もう一つの派生スキル『トランクルーム』はというとーー
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『トランクルーム』
解放必要経験値:2000
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まさかの『素材鑑定』よりも高かった。
しかし、トランクルームという名前からして、おそらく収納系ーー
これは何としても手に入れておきたいスキルである。
うーん。高いけど欲しい。
「よし! 両方取ろう!」
私は覚悟を決めた。
レベル3のゴブリン如きに、敵を倒して経験値を手に入れるという選択肢はほぼない。
だが、私には『富江』がある! 『富江』の派生スキル『死亡経験値獲得』なら、自分が死んでも経験値をもらえる。
100万回死んで500万と5千と少しだったってことは、目の前の脂ギッシュメタボの分を引いたとしてーー
【一回の死亡で、獲得経験値およそ5】
なんだと!?
「割りに合わない!」
その事実に気づき、慌ててもう一度考え直そうとしたときには、すでにミギエさんの手によって経験値上納ボタンが押された後だった。
「ああぁぁぁぁあああ!!」
閑話休題
我々には時間がない。
そう、タイムリミットは迫っているのだ。悩んでなどいられない一刻も早く、ここを脱出しなければ!
「『銀の匙』発動」
何度目かの挑戦の際、発動時に詠唱は特に必要ないことに気づいたが、気分の問題なので詠唱する。せめて詠唱したい。
湧き上がる謎の力と視界前面の魔法陣。
視線を足枷に移し魔法陣内に重なるように配置する。
瞬間、発動する派生スキル『素材鑑定』
ビンゴ! やはりこのスキルが発動条件。
【腐食した出来の悪い鉄の足枷】
【ゴブリンモドキの右足】
待て! 私の足まで素材に入れるな!
慌てて【ゴブリンモドキの右足】を指定解除する。
ちなみに『素材鑑定』で詳細を表示すると、その素材の細かいステータスが表示可能である。
てか、どこまで素材認定する気なのか。『銀の匙』恐ろしい子。
次に視界右側に、いくつかの錬成候補が表示された。
【腐食した出来の悪い短剣】
【腐食した出来の悪い片刃ナイフ】
【腐食した出来の悪い小型ノコギリ】
【腐食した出来の悪いetcーー】
全部腐食してて出来が悪かった。
等価交換と言われればそれまでだが……もう少しくらい忖度してほしい。
短剣と悩んだ末、無人島に持っていくならこれだよね。
ーーと、【腐食した出来の悪い片刃ナイフ】を選択しようとした瞬間
「あっ! あっ!」
ミギエさんからの「待った!」がかかった。
どうやら、ミギエさんは【腐食した出来の悪いノコギリ】推しのようだ。
何故にノコギリ?
小型ノコギリを持つ切り離された右手… うん、画面がヤバイ。
「左足もあるから、そっちはミギエさん用のノコギリにするよ」
私の言葉に、ミギエさんは満足そうに頷いた。
改めて【腐食した出来の悪い片刃のナイフ】を選択する。
次に、経験値5を消費する旨の確認が表示された。
料金は死亡経験値一回分。なんかツライ。
複雑な気持ちで決定ボタンを押した。
その刹那、魔法陣が銀色に光ったとほぼ同時に、私の右足を数年間縛り付けていた足枷はその姿を変えーー
「ぎやぁぁぁぁぁあああ!!」
【腐食した出来の悪い片刃のナイフ】が、私の右足に突き刺さっていた。