story1(3)_sideキミ
バイト終わりに店から出ると目の前で踞み込んでいる女性がいた。不覚にも「えっ?」と小さく声を上げてしまう。その女性は杖のような棒を両手で握りしめ、驚いたように俺を見て固まった。
俺とその女性は数秒間見つめ合う。
短髪とは言えない金髪にメガネを掛けている自分。決して誠実そうに見える見た目じゃあないことは自分でも分かっている。初対面の女なんて、みんな怖がるかすり寄って来るかのどちらかだ。だからなのか、この女性の反応は新鮮だった。怖がる様子もなく、何かを訴えるようにして俺を見つめてくる。
何だ? と思っていると何やら騒がしい声が此方に近付いてくる。そちらに視線を移すとガヤガヤと耳障りな声をあげながら男達が走ってくるのが見えた。
あー、訳ありか。
ちらりと女性に視線を向けてから、俺は建物の外へと何食わぬ顔で出た。すると、ちょうど四人の男達の前を遮るかたちに。
「おいっ!」と俺に声をかけたはいいものの、金髪にメガネという派手な(世間的には不良なんかな、俺)姿の俺を見て一瞬相手が怯んだのが分かった。
「何か俺に用っスか、おにーさん?」
話し掛けやすいようにと態とゆるーい感じで笑ってみる。逆にそれが怖いとよく言われるけど。
声をかけた手前、後には引けないのだろう。男は声をかけたその勢いのまま俺に聞いてきた。
「女っ、女見なかったか?」
「んー? おんなってー?」
それだけじゃ分かんねーよ、と首を傾げる。
「こっちに走ってきた女、見なかったか!?」
男は俺に言われて、もう一度言い直す。それにしても、説明下手くそか。
「あー、走ってる女ならあっちの方に行ったのが見えたけど(たぶんお前らが探してる女とは別のジョギングしてる女だけどなー)」
そう言って指をさすと礼を言うこともなく、男達は俺が言った方向に走っていった。
「どこ行ったんだよ、あの女!」なんて、叫ぶことは忘れずに。
男達の姿が見えなくなるのを確認してから俺はさっきの女性のところに戻る。俺が戻ってきた事に気付いてピクリと体を揺らしていた。
「あの……、さっきの連中行ったよ? おねーさん、大丈夫?」
怖がらせないようにと、出来るだけゆっくりと話し掛ける。
「あ、ありがとうございます」
しかし、特に怖がっている様子はない。俺の顔をじっと見つめながらお礼を言う様はどちらかと言えば戸惑っているという方が表現としては合っている気がする。
「いや、大丈夫ならいいけど」
何故だか分からないけど、その姿が何だか可愛く思えて、思わずクスリと笑ってしまった。
怖がるでもなく、媚びてくる感じでもない。俺は今までに遭遇したことのない人種だ、とその女性をまじまじと見つめる。
綺麗な瞳、してんなぁ。
なんて、呑気に思いながら見続けていると女性が両手で握りしめている杖のようなモノ、――というか杖だ――が目に入った。
「その杖、もしかして……視えないの?」
ストレートに聞きすぎたか、と思いながらも様子を窺っているとそんなに大層なことでもない、という風にその女性は普通に「はい」と答えた。
それならば俺が変に気を遣うこともないだろう。あ、でもこの女性さっきまで無我夢中で男達から逃げていたはずだから、きっとここが何処だか分かってはいないな。
そこまで考えて念のため聞いてみた。
「そっか。ねぇ、よかったらおねーさんが分かるところまで送るけど……。ここが何処だか分かってる?」
「いえ……」
やっぱりな、と思いながらもまた笑みが溢れそうになっている自分に気が付いて口許を引き締める。
視えないと言われたのだから、この女性に俺の表情が見られることはないんだけど、何となく。何となく、この女性には視える人と同じように接した方がいいような気がした。
俺の一挙一動をきっとこの女性は分かっているから。
家の近くにコンビニがあるから、そこのコンビニまでとお願いされた俺はそこまでこの女性を送ることになった。
立てるかと手を貸そうとすれば、大丈夫だと断られ、歩く時に腕を貸した方がいいかと聞けばまた大丈夫だと断られた。
あまり他人には干渉されたくないタイプなんだろう。
俺の顔を見上げている彼女を見つめながら不思議な感覚に陥る。
さっきも思ったけど、視えていないのが嘘みたいだ。視えているかのように俺の顔に視線を向けている(という表現が正しいのかは分かんないけど)彼女の瞳はやっぱり綺麗で俺の方から思わずふいと目を逸らしてしまった。
彼女のペースに合わせながら、いつもよりもゆっくりと歩く。少し話をして、その後は会話らしい会話もないまま歩き続ける。俺は、不思議とこの沈黙を気まずいとは思わなかった。
スマホで確認しながら歩いていると、少し先にコンビニの看板が見えた。どうやらアレが彼女の言っていたコンビニらしい。
「さっき教えてもらった住所のコンビニまであともう少しだよ」
もう直ぐだと彼女に伝えるとホッと息を吐いたのが分かった。
コンビニの前まで来ると、家はもう直ぐそこだからと早々と去っていこうとする彼女に、俺は何となくそのままサヨナラをするのが惜しくなって心配を装って会話を繋げようと声をかけてしまった。――いや、心配しているというのは決して嘘じゃないんだけど。
「本当にここまでで大丈夫? また、変なのに絡まれたりしない?」
大丈夫だと、あまりにもさらりと言われるもんだから俺も食い下がって何度も何度も大丈夫かと尋ねてしまった。
流石にしつこかったかな、と思っているとご丁寧にも深々と頭を下げてお礼を言ってくれる彼女。
「大丈夫です。ここまで案内してくれて、どうもありがとうございました」
やっぱり変な女性だなと思いながらも自然と俺の口角は上がっていた。
「いや……ふふっ」
俺の笑い声を聞いて不思議そうに首を傾げる彼女。
今日会ったばかりの彼女に“可愛い”なんて(しかも、相手は年上だろうに)。俺、どうかしてんなと思いながらも一人で勝手に笑ってしまってごめんなさいと言う意味を込めて謝った。
彼女は何故俺が笑っているのか、何故謝ったのか全然分からないという顔をしている。
次に口をついて出たのは自分でも驚くほどに自然と出てきた言葉だった。
「ねぇ、助けた代わりに俺のお願い一個だけ聞いてくれない?」
これではそこら辺にいるナンパ野郎と同じじゃんか。そう思いながらも俺は期待してしまう。
俺はこの女性にきっとまた会える。そんな気がしているから。
目の前の彼女からは何も反応が返ってこない。もしかしたら今、頭の中で必死に考えてくれているのだろうか。
そうだったら、いいのに。
直ぐに「ノー」と拒否られなかったのをいいことに、俺は続けてこう言った。
「おねーさんの名前、教えてよ」
そんな事でいいの? なんて顔をしている彼女。案外顔に出やすいタイプなのかと思いながらも、あとひと押しだと少し落ち込んだ声を出しながら更に続けてみた。
「あ、ダメ?」
俺のダメ? に戸惑った顔をしながらも彼女からは答えではない言葉が返ってきた。
「あ……、あなたの名前は?」
彼女に言われて目を丸くする俺。そう言えば、名乗っていなかったとここで初めて気が付いた。
「あー、ごめん。人に名前聞く前にまず自分が名乗れって感じだよね? 俺は篠塚公人。さっき、おねーさんと会った場所でバイトしてて」
俺が自分の名前を告げると、どうやら“バイト”というワードに引っ掛かったらしい。
「えっ、バイト中だったの? ごめんなさい、私迷惑かけて……」
よっぽど動揺したのか、さっきまで頑なに敬語を使っていた彼女の言葉が少し砕けた。恐らく彼女は気付いていないんだろうけど。何となく、それが嬉しいなんて感じてしまった俺は分かりやすく声のトーンが上がった。
「いや、もう上がるところだったから大丈夫だよ。帰る支度して出てきたところでおねーさん見つけて」
「ホントにありがとう……。助かりました」
再び深々と頭を下げる彼女にどんだけ律儀なんだと思いながらも長い間引き止めてしまったことを詫びる。
「いーえ。本当に大丈夫だったから、気にしないでよ。それよりも、早く家帰った方がいいよね。ごめんね、引き止めちゃって」
ここまでの道中、何故男達に追い掛けられていたのかを大まかにだが聞いていた。早く帰ろうと急いでいたところ、酔っぱらいに絡まれたと。それなのに俺までもが長い時間引き止めちゃったら彼女に悪い、と今になって気が付いた(もっと早く気づけよ、俺)。
「いえ。あの、私は大丈夫だからあなたももう行って下さい」
「あー、そっか。俺に見られてちゃ行き辛いか。気付かなくてごめん、じゃ!」
笑って手を振ってくれる彼女に困っている様子はなくてホッと息を吐く。それじゃあとくるりと背を向け歩き出した時に肝心なことを聞いていない事に気が付いた。
あ、名前聞いてない……。
やっぱり教えてくれなかったかぁ……と思っていると後ろから俺を呼び止める声がした。
「あの!」
「っ、はい!」
驚きのあまり、思わずいい返事をしてしまう俺。
「四宮葉月」
「……えっ?」
聞き間違いかと思い、思わず聞き返してしまう。(決して聞こえなかった訳ではない)
「私の名前」
「…………」
続けて言った彼女に聞き間違いではなかったと認識した。
――四宮葉月。
――四宮葉月。
自分の中で何度も何度も反芻する。
俺がハッと気付いた時にはその場に彼女の姿はなかった。
珍しく自分から興味を持ってしまったさっきまで一緒にいたその女性の顔を思い浮かべて、自分でも気付かない内に俺の口角は自然と上がっているのだった。