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Track7: Message In A Bottle

「居なくなった!?」


 セイイチがTom&Collimsに到着するとユウコが姿を消していた。


「昼間は来てたみたいなんだけど、

 店の鍵も掛けずにどこか出掛けちゃったみたいなんだよね」

「携帯は?」

「それが全然繋がらなくてさ。一体、何がどうなってんのか……」

「マジかよ……」


 客のオーダーをテキパキ捌きながらセイイチに応えるケンジだったが、ユウコがいなくなってしまったことをそれほど心配していないように見えて、セイイチは不審に思った。


「今、K君が探しに行ってくれてるから、何か解れば連絡してきてくれると思うよ」

「K? あいつここにいたのかっ!?」

「うん……裏の倉庫の引っ越しを手伝ってもらってたんだ。

 俺、すっかり忘れちゃってて来た時には全部片付けてくれてたんだけど……」

「あいつなんで……っ!?」


 セイイチが強い口調でまるで蔑むように不快感を露わしたため、ケンジはただならない気配を感じ取った。


「なに?どうしたの? K君となんかあったの?」


 敵意とも受け取れるセイイチの急な態度の変化にケンジが質問を差し挟んでみるが、セイイチは「いや、こっちの話だ……」と冷たく言い放つだけだった。


「それで、連絡は?」

「えっ……いや、まだないけど……」

「くそっ! どこ行った……っ!?」

「ーーなんでセイイチ君が気にするの?」


 何度か会話を交わしただけの店のスタッフにセイイチがどうしてそこまで拘るのかがケンジは気に掛かかった。一人でぶつぶつ言いながら質問にも答えようとしないセイイチの態度を怪しく感じて「まさかお前、また手出したんじゃないだろうな!」と憤る。

「バカっ! そんなんじゃねぇよ!」とセイイチが強く否定するが、疑り深い眼差しでケンジが睨みつけた。


「あのぅ~、店長ぉー」


 間の抜けた声で二人の会話に割って入って来たのは店のスタッフの一人で、金髪に両耳がピアスだらけという派手な出で立ちの若いスタッフだった。いかつい見た目とは裏腹に、眉尻が下がった見るからに気の弱そうな顔立ちをしている。


「あのぅ~、展示品のギターなんですけどぉ~」


 緊張感が薄れてしまいそうなのんびりとした話し方にセイイチがイラつく。ユウコが抜けた穴を埋めるために他のスタッフ達が奔走する中、この若者だけは別の時間軸に生きているような鈍さを身に纏っている気がした。


「ギター? どうかしたの?」

「メンテナンスにでもぉー、出したんですかぁ?」

「いや、特に予定はないけど。なんで?」


 いつもこんな喋り方なのか!? とケンジに対してツッコミを入れたくなるのをグッと堪えて、セイイチは二人のやりとりをイライラしながら聞き続ける。


「あのぅ~、ギターが一本無くなってるんですけどぉー」

「……あぁ!?」


 全く切迫感を感じさせない口調に、言葉の意味を理解するのに一瞬のタイムラグが生じる二人。事の重大さに気づいて思わずふたり揃って大声を上げると、店内の全員が驚いて彼らに目を向けた。


 以前、店の楽器が盗難に遭い、騒ぎになったことがあった。客として訪れたバンドファンの仕業で楽器はすぐに戻ってきたが、バンドを好きでいてくれたファンが犯人だったというのは何とも後味が悪く、現場検証への立ち合いや尋問など、TASKの事故の際にも経験したデジャヴを繰り返すようで、二人にとっては苦い経験だった。


「本当だ、無くなってる……」


 音響機材が集積されているブースにいつも飾られているはずの古いアコースティックギターが無くなっていた。


「え、なんで?

 mor:c;waraの楽器は無事なのに、なんであのボロギターが無くなるの??」

「ビンテージなら一本で数百万なんてのもあるけど、あのギターにそこまでの価値はないよな」

「わざわざあのギターを選んだってことは、何か特別な理由があったのかな?」


 そこまで言うとケンジは先日セイイチがこのギターについて言葉を濁していたのを思い出した。ギターを持ち出した人物は少なくともその特別な理由を知っている可能性があると気づいて二人は不可解そうに眉を顰めて顔を見合わせる。そこで何かに思い当たったように「そういやー」とセイイチが口を開いた。


「あの子が弾いてたぞ。俺が来たときはまだあったんだ」

「え? ユウコちゃん? ギター弾けたんだ。

   っていうか、何しに来たの?」

「そうだ、まずい!」


 またも質問には答えず、急に切迫した様子でカウンターへと駆け戻るセイイチ。そのままカウンターテーブルの上や座席の下を覗き込んで何かを探し始めるので、カウンター席に着いていた他の客が驚いて、セイイチの行動を訝しげに見つめた。


「どうしたのセイイチ君? 探し物?」

「ああ、デジタルプレイヤーだ。ここに無かったか?」

「デジタルプレイヤー? いつも持ち歩いてるやつ?」

「昼間来た時に置き忘れて行ったんだよ」

「えっ? ーー僕らが来た時には何も無かったけど……」

「くそっ!!」


 苦虫を噛み潰したような苦悶の表情に失望の色が浮かぶセイイチの横顔。TASKが亡くなったあの日に病室で見せた力なく頽れるセイイチの姿をケンジは思い出した。

 セイイチがあの曲に対して尋常ではない思い入れを抱いていることはケンジも知っている。そのデジタルプレイヤーを無くしてしまったということがセイイチにとってどんな意味を持つのか、ケンジは想像するのも恐ろしいくらいだった。


「ユウコちゃん、本当にどこ行ったんだろ? 何か知ってるはずなんだけど……」

「変な事件に巻き込まれてなければいいですねぇ~」


 相変わらずのんびりした調子で金髪のスタッフがそんなことを言うので全く緊張感が感じられないのだが、否定しきれない現実を思い知らされてセイイチとケンジは思わず顔を見合わせた。

 セイイチはデジタルプレイヤーを紛失してしまったショックが相当堪えているようで、暗く沈んだ表情でフラフラと力なくカウンターの席に着くと、そのまま気が抜けたように項垂れてしまった。


「ーー例の録音の曲、知ってたんだよ」

「えっ?」


 項垂れたままでボソリと呟く弱々しいセイイチの声にケンジが戸惑う。


「歌ってたんだ、ここで。あのギターを弾きながら」

「え、それってユウコちゃんの話?

 歌ってたって……どういうこと?」

「あの子は何か知ってる……!」


 セイイチの話を聞いてケンジはユウコと初めて会った日のことを思い出した。Mor:c;waraの楽器には目もくれずあのギターにばかり興味を示していたのは、セイイチの言う”何かを知っている”というセリフを裏付けているような気がした。


「あのギターってセイイチ君のじゃないんだよね?」

「ああ、多分あれはタスクのギターだったんだと思う」

「やっぱり」

「Eclipsの設立当時、うちの専属スタジオがSeaNorthだった時期があっただろ。

 そのときからあのギターはあそこにあったんだ。

 イチロウは自分のじゃないって言ってたしーー」

「タスクが預けたってこと?」

「ーーかもしれない……」

「でもユウコちゃんがそんなこと知ってるわけないのにどうして?」

「わかんねぇよっ……!」


 ギターを持ち出したのはユウコなのだろうか? もしそうだとして、なぜ彼女がギターの存在を知っていたのか? 一体何の目的があって、そしてどこへ行ったのか?金髪のスタッフの言う通り何か事件に巻き込まれたのだとしたら……

 一度考えだすと不吉な予感がどんどん加速していき、二人は具体的な解決策を見出せないまま不安な面持ちで沈黙してしまった。そんな二人を見てカウンターに着いていた馴染みの客が声をかける。


「じゃあ、本人に聞いてみたら?」


 二人に声をかけたのはナンシーだった。いつものように店の出入り口に近いカウンター席でシドと並んでビールを飲んでいる。

 能天気にそんなことを言い出すナンシーのセリフに二人は困惑した。


「連絡がつかないのにどうやって聞くんだよ?」


 イラついた口調でセイイチがそう言うと、シドがまるで当然といった様子で答える。


「ユウコちゃんならSeaNorthにいるよ」

「……ああっ!!?」


 シドからの意外な情報提供に再び二人が揃って大声をあげる。


「なんで知ってんだよ……!?」

「なんでって、ここに来る前に会ったから……」

「会ったって何で!?」


 セイイチのあまりの狼狽えぶりにシドの方が面食らい、切羽詰まった表情で追及するセイイチの剣幕に怯んで身を仰け反らせた。


「なんかギターの調整してくれって、うちに持ってきてたからさ。

 二年ぶりくらいかなー? 久しぶりだったから驚いたよ」

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ。志度君ユウコちゃんのこと知ってんの!?」

「え?知らなかったの? よくうちに出演してくれてたんだよ」

「は!?」


 SeaNorthは二十年以上続く音楽スタジオで、同じビルの中にライブハウスも経営している地元のバンドマン達には有名なハコだ。

 EclipsRecords設立時には専属スタジオとして契約していた時期があり、セイイチ達にとっては繋がりの深い場所でもある。

 セイイチ達も素人時代にはバンド練習で利用したり、ライヴハウス主催の対バンイベントに出演させてもらうこともあったため、志度とはその頃からの顔見知りだった。

 当時インディーズバンドの中でも高い人気を誇るバンドに所属していた志度は、セイイチ達にとっては良きライバルであり、共に夢を追いかける同志のような存在だったが、現在バンド活動はしていないらしい。当時からローディーとして働いていた彼は、今でも変わらずSeaNorthで仕事をしている。


「ユウコちゃん、やっぱり音楽やってたんだ」

「上手だよ。歌声が綺麗でね。ファンも多かったんだけど、

 この一~二年は仕事が忙しかったらしくて出演してくれなくなっちゃったんだ。

 ここで働き始めた時は驚いたけどね」

「知り合いなら教えてくれたらいいのに。志度君も人が悪いな」

「いやいや、俺も最近まで気づかなくてさ。

 どっかで見たことあるな~とは思ってたんだけど、何度か話してようやく気づいたって感じーー」


 ひとまず所在がはっきりしたことにケンジはホッとしているようだったが、ユウコがなぜあの曲を知っていたのか理由を一刻も早く知りたいセイイチは二人が世間話でもするように和やかに話しているのをやきもきしながら聞いていた。


「ギターの調整って、もしかして古いアコースティックギターか? martinの?」

「ん~、俺は見てないから解んないけど、

 たしかにアコギのハードケースだったなぁ」

「お、俺ちょっと行ってくる!」


 志度の返事を聞くや否やすぐさまカウンター席から立ち上がると、セイイチはそのまま店を飛び出して行く。

「えっ、あぁ、気を付けてーー」と急な展開にケンジが戸惑いながらセイイチの姿を見送ろうとすると、丁度店の電話が鳴りだし、ケンジがあたふたと受話器を持ち上げた。

 セイイチが店のドアを勢いよく開けると、普段は柔らかい音色のドアベルががけたたましく鳴り響く。


「セイイチ君! ちょっと待って!!」


 ドアベルの音を押し退けてケンジの大声がセイイチの背中にぶつかった。

 先を急ぐセイイチがイラつきながらも足を止めて振り返ると、半ば青ざめたようなケンジの表情が目に入った。


「セイイチ君…… 警察から電話……」


 瞬間的にTASKの事故の第一報を受けた時もケンジが電話を受けていたことを思い出す。あの時の驚愕と絶望に青ざめたケンジの表情が重なって見えた。







 窓口で案内されたフロアに辿り着き「刑事課」の看板を目にすると、とてつもなく大きな事件に巻き込まれてしまったような気がして、セイイチとケンジの二人は心許無い不安に駆られた。担当の刑事が来るまで、受付の前のベンチで待つように言われた二人は、まるで借りてきた猫のように大人しく腰かけている。

 時刻は夜の八時を回っていて、一般的な公務員ならとっくに帰宅している時間のはずだが、刑事課受付のカウンター越しからは、沢山の刑事たちが忙しなく働く姿が見えた。大体の刑事は険しい表情で、熱心に資料を読み漁ったり、パソコンのモニターを睨み付けているが、中には大声で電話口の相手と何か話している刑事もいて、困惑と呆れが混じった表情で早く受話器を置きたそうにしているのが見てとれた。

 酔っ払いが増えるこの時間は、厄介なもめごとや訳の解らない通報が多いらしい。ロックバンドなどやっていれば、警察の世話になるようないざこざに巻き込まれることも少なくなかった。そのたびにこうして一つ一つ親身になって対応してくれていたのかと思うと頭が下がる思いがした。

 慌ただしい署内のこの空気には特別な緊張を感じる。何度訪れても絶対に慣れないとセイイチは思った。

 セイイチと並んで連絡を待っているケンジも、落ち着かない様子で心配そうに俯いている。警察からの電話が店に入ったことで動揺したケンジはひどく取り乱した。

「ユウコちゃんが警察に連行された」と何度も繰り返すばかりで、なぜそうなったのか電話口の会話を殆ど理解していなかった。今は落ち着いているが、ユウコの身を案じるその横顔はいつもの朗らかなケンジの表情からは打って変わって暗く沈んでいた。


「おい、もしかしてセイイチか? ケンジまで」


 廊下の奥から歩いて来た恰幅のいい中年男性が、ベンチに腰かけていた二人に気づいて声をかけた。

 少しパーマがかった白髪交じりの髪は自然に任せるままに無造作にウェーブしていて、最後にクリーニングに出したのは何時なのかと思えるくらいよれよれの安いスーツを着ているので、くたびれたような印象を与える。


「あ、葉加瀬さん。無沙汰してます」


 以前にも何度か世話になったことがある葉加瀬という名の刑事で、普段は人情に厚い人のいい刑事なのだが、怒らせると非常に厳しく容赦がないので、二人にとっては心から恐れる人物でもあった。目じりの下がった温厚そうな表情をしているが、刑事としての本能を宿した両目は眼光鋭い。


「何だお前ら、また何かやらかしたのか?」

「そんなんじゃありませんよ。今日は別の用事です」

「ガっハっハ。わかってるよ。冗談だ。おまらもすっかり大人になったもんだな」


 豪快に笑う葉加瀬の後ろから制服の警官がユウコを伴ってやって来るのが見えて、ケンジが少しホッとした様子で「ユウコちゃん」と呼びかけた。


「なんだ、迎えに来たっておまえらっだったのか?」


 制服警官に促されて、葉加瀬の隣に歩み出たユウコは、何かを必要以上に恐れているような不安げな様子で迎えに来た二人の表情を窺い見ていた。

 少し憔悴し、沈んだ表情のユウコを心配してケンジが「大丈夫?」と声をかけるが、ユウコの視線はケンジの隣に立つセイイチに向けられていて、それに気づいたケンジがセイイチを見ると、今にも怒鳴り散らしかねない形相でユウコを睨みつけているのが解った。


「葉加瀬さん、生活安全課じゃなかったですか?」

「ガキのおもりは後輩に任せたよ。今は窃盗犯係だ」


 セイイチが騒ぎ始める前に空気を変えようと試みるケンジ。


「俺みたいな頑固者じゃ現代の若者にはついていけんよ」と葉加瀬が顔を顰めながら笑うと、俯いたまま佇んでいたユウコの背中を押して「さて、このお嬢さんの処分だがーー」と話を戻した。


「被害届は出さないんだろ? だったら警察の出る幕じゃない。

 なにか誤解があるみたいだからじっくり話し合うと良い」


 そう言われてユウコはほんの少し葉加瀬の横顔を覗き見たが、相変わらず俯いたまま委縮するように肩を竦めた。


「お前っーー 何考えてんだっ……!」

「待って落ち着いて。まずは話を聞こう」


 セイイチがユウコに詰め寄ろうとするのをケンジが咄嗟に止めに入り、出鼻を挫かれたセイイチは渋々言葉を飲み込んだ。


「何があったんですか?」


 狼狽えていたせいでユウコがなぜこうなったのか理由も解らぬまま、とりあえず警察署へ飛んできたケンジは改めて葉加瀬に質問した。

 葉加瀬の話では店のギターを持ち出したユウコはそのままSeaNorthnoのリペアスタッフに修理を依頼したらしい。しかし、ケンジの店のギターだと気づいたスタッフが早まって警察に通報したようだった。


「前にもお前さんとこの楽器が盗まれたことがあったんだろ?

 通報した兄さんはそのことを覚えてたみたいだぞ」


 ユウコは相変わらず無言のまま俯き、セイイチは不機嫌そうにそんなユウコのことを凝視している。

 重苦しく沈黙するセイイチとユウコの様子に葉加瀬も気づいたらしく、二人を交互に見たあと困惑しながら白髪交じりの頭をワシワシ掻いた。


「長い間スタジオで預かっていたギターだから、お前の店に譲ったことも覚えてたんだそうだ」

「先にうちに連絡してくれればよかったのに……」

「まったくだ。人騒がせな連中だよ、お前ら」

「すみません……」


 苦笑いしながらケンジが葉加瀬に頭を下げるのを見たユウコは、さすがに気が咎めたらしく「あのっーー 悪いのは私です。すみません……」とようやく重い口を開いた。

 ユウコがあまりにも委縮しているので、気の毒にすら感じたケンジは、隣で何か言おうとしたセイイチを睨みつけて牽制した。セイイチは少しムッとしながらも口を噤む。


「ちゃんと戻ってきたから別にいいんだけど。

 どうしてギターを持ち出したりしたの?」


 ユウコが気負わないように気を遣いながら、話を聞き出そうとするケンジ。それに応えようとユウコも「あのーー私っ……」と声を発したが、そのあとの言葉が続かず何かを言おうとしてはやめる動作を繰り返した。

 彼女の口を重くしている何かがあるのは確かだが、それが何かは解らないし言葉を選んでいるようにも見える。ユウコの説明を待とうとケンジは思ったが、隣で焦れていたセイイチが先に我慢の限界を超えてしまったらしい。


「どうしてタスクのギターを盗んだんだ!?」


 業を煮やしたセイイチがフロア中に響き渡るくらいに声を荒げる。


「ご、ごめんなさい!

 盗んだわけじゃないんです…… 私……」


 怯えた子犬のように目を潤ませるユウコの姿を見て、ケンジはセイイチを落ち着かせようと間に入ったが、火がついてしまったセイイチを宥めるのは簡単ではないことも知っていた。すると冷静さを欠いたセイイチに対して葉加瀬が無言で睨みを利かせた。セイイチは思わずギョッとしてすぐさま身を引く。

 眼光だけでセイイチを引き下がらせてしまう葉加瀬の刑事としての威圧感にケンジは今ほど感謝したことは無かった。


「あの……私、どうしても確かめたいことがあって……」


 恐る恐るといった様子でユウコが少しずつ口を開き始める。




 頭に血が上っているセイイチを相手に本当のことを話して理解してもらえるかと不安を抱きながらも、セイイチを納得させるには真実を話す以外に方法はないとユウコは覚悟を決めた。

 セイイチの圧力に負けないように意を決した真剣な眼差しを向けてユウコが事実を伝える。

「あのmartinは私のギターです。」







 セイイチが会社の電話に呼び出されて店を飛び出していったあと、ユウコはしばらくの間、セイイチが置き忘れていったデジタルプレイヤーを聞きながら胸を締め付ける懐かしい記憶に思いを馳せていた。

 少し息苦して温かい、切なくも華やいだ淡い感情が胸の奥をくすぐる感覚に少しだけ浸っていたいと思ったところで、唐突に無機質な電子音が鳴り響いてデジタルプレイヤーは起動停止した。壊してしまったのかと不安に駆られたが、充電が切れやすいとセイイチが話していたことを思い出し、その通りであることを願った。

 あの録音は今やこのデジタルプレイヤーに記録されているものしか残っていない。つまりこれが消えれば、永久に失われることになってしまう。

 カウンターに放置しておくわけにはいかないし、店の拾得物置場に残しておくのも何となく気が引けた。ユウコは手の中にある貴重な記録をどうすべきか思い悩み、セイイチに直接手渡せる時まで自分で持っておこうと決めた。何となくーー 出来る限り心臓に近い位置のポケットを選んで仕舞っておくことにする。


 店の事務所に通じる裏の勝手戸が開く音が聞こえて、ユウコはケンジが来たのだと思った。事務所への出入り口はカウンターの反対側、店の奥のステージ脇にある音響ブース内にある。”STAFF ONLY” のプレートが張り付けられた扉を開くとそこには意外な人物が立っていた。


「あれ? ユウコちゃん。ケンジさんは?」


 勝手口に立っていたのはKだった。よれよれのTシャツとジーンズという出で立ちで、袖を肩まで巻くってタオルを首に巻いた状態でTシャツの襟に突っ込んでいる。少し汗をかいているのか、体の表面から湯気が立ち上っていた。


「まだ開店前なので……あと30分くらいは来ないと思いますけどーー」

「やっぱり……あの人忘れてんなーー」

「ケンジさんに用事ですか?」

「引っ越しの手伝いをお願いしてたんだよね。裏の倉庫の」


 そういってKは勝手口から見える店の裏手にある小さな古いガレージを指さした。店の中に置ききれない荷物や、お酒のストックなどを保存するのに利用しているらしいが、すぐに持ち出せるように、よく使用するビール樽の類いはガレージの外に置くことが多いため、ユウコは今まで利用する機会が無く、立ち入ったことは無かった。

 以前この場所にあったCDショップのオーナーの持ち物のため、現在は共同で使用しているという説明だけケンジから受けていた。


「どうしてKさんが裏の倉庫の引っ越しを?」

「あー、ここって元々、俺ん家だったから」

「え?」

「あれ……もしかしてユウコちゃん気づいてない?」


 Kはどこか残念そうにユウコを覗き込んだが、ユウコはKが何を言っているのか理解できず首を傾げる。


「俺ーー あのCDショップの跡継ぎ。玉音堂の。

 玉井圭一」


 自分の名を口にするのが恥ずかしいのか、ぎこちなく笑うK。しかしピンとこないユウコは不可解な表情を益々深めてKを見つめ続ける。


「うわっ、ちょっとショック  

 クラスは違ったけど、一応同じ高校だったんだけど……

 タスクともそこそこ仲良かったんだよ」


 そんなKの説明を聞いてユウコは小さな驚きと共に、ふとタスクの高校時代の男友達の顔を思い出してみた。

 記憶はハッキリしないが、言われてみればKによく似た少年とつるんでいるところを目撃したことがあるような気がしてきた。


「俺もはじめは気づかなかったけど、何度か来るうちに、

 そういえばタスクの彼女によく似てるなって思ってさ」

「彼女って……」

「あれ? 付き合ってたんじゃないの?」


 ユウコが恥ずかしそうにして押し黙ってしまったのを見て、Kはばつが悪そうに苦笑いを浮かべた。そして思い出したように「引っ越しの後始末がまだ残ってたんだ」とガレージの方へ向かおうとする。


「ああ、そうだ。

 お店で不要になったものも持って行ってもらいたいってケンジさんに頼まれてたんだけど、なんか聞いてない?」


 ユウコは何も知らされていなかったため首を横に振る。

「そうだよね」と諦め顔で呟いたKが「とりあえず必要になりそうな物は避けておいたから、あとは自分で何とかしてって伝えといてくれる?」とユウコに伝言を頼んだ。


 ガレージから運び出された段ボールの山が店の裏に積みあがっていて、リサイクル業者と思しき年配の男性がそれらをトラックの荷台に積みこんでいた。

 段ボールの中身は売れ残ったCDやレコード、販促用のポップ類らしい。開いた段ボールの中から昔憧れた懐かしいアーティストや、ユウコが見たことのない古いアーティストの写真がプリントされたジャケットが覗いている。

 積み込み作業を遠目で見ながら、かつて夢中になったアーティスト達も、こうして忘れ去られて、捨てられて行ってしまうんだとユウコは何となく物悲しく名残惜しい気持ちになった。 

 手際よく段ボールを荷台に積みこんでいくKと作業員を何気なく眺めていたその時、ユウコは見覚えのあるCDジャケットに目が留まり、思わず「あっ」と声を上げた。それに気づいたKがトラックに積み込まれようとしていた段ボールを見て「それはいいです。置いていってください」と慌てた様子で段ボールを受け取った。


 箱の中にはMor:c;waraのCDやグッズがたくさん詰まっていた。

 ユウコが持っているものもあれば、見たこともない古いフライヤーやライヴのパンフレット。雑誌のインタビュー記事のゲラなどが無造作に収められていた。ファンにとっては値打ち物の宝の山を危うく捨ててしまうところだったとKが胸を撫で下ろす。

 ふと箱の底にジャケットも裏表紙も無いまっさらなクリアケースに入ったCDをユウコが見つけた。CDの表面にも何もプリントされていないので、おそらくはCDーRだろう。手書きの文字で”アコースティック・ブルー(仮) ”と書かれたラベルが張り付けられているだけだった。


 しばらくして積み込み作業が終わると、ガレージの中はすっきりと片付いた。

 店の備品がいくつか残されているだけで、CDショップが抱えていた在庫や販促用のポップ類も全て無くなっていた。


「生まれ育った場所がこれで本当になくなっちゃたな~」


 空っぽになったガレージを覗き込みながら寂しそうにKが呟く。

 先日、父親が亡くなったらしく、長らくバーと共同で使用していたガレージの所有権も売り渡してしまったらしい。ここに今後何が建てられるのか解らないが、Kにとって思い出の詰まったこの場所に自分と繋がるものが何もなくなってしまったことが残念でならないということだった。大切なものを失う寂しさはユウコにもよく分かる。二人は無言のまま薄暗いガレージの中をボーっと見つめた。


 ガレージの隅にはまだ店の所有物である備品やMor:c;waraに関するアイテムが無造作に置き去りにされている。さほど多くないので、今のうちに軽く片付けておこうと思い、ユウコは中に足を踏み入れた。薄暗いガレージの隅に追いやられたそれらの山に近づいた時、ユウコは懐かしい記憶の琴線に触れるあるものを発見して、心臓が大きく脈打つのを感じた。

 ガレージに取り残された備品の山に埋もれるように、アコースティックギターのハードケースがひっそりと立て掛けられている。くすんだ鳶色のケースの蓋には見覚えのある”Steranote”と印字された星図を模した青いステッカーが貼られていた。




「やっと手に入ったよギターケース!」


 少年がそう言って少女に差し出したのはアコースティックギター用の鳶色の古いハードケースだった。


「えー、もっとかわいいのが良かった。赤とか白とかさ」


 失望の色を隠さずギターケースに不満を漏らす少女に対して、少年が不服そうに「贅沢だなー」と口を尖らせる。


「高校生のちっぽけな小遣いじゃ、これが限界だよ。

 兄貴の友達にお願いして譲ってもらったんだから」

「えーー、おさがりぃ? なんかここ穴空いてるし」


 そういって少女が指さした箇所には黒い焼け焦げたような痕跡があり、革の装丁に穴が開いていた。タバコの火を落としたらしいと少年が説明すると、少女のふくれっ面により一層不快感が広がる。あまりにハッキリと不満を言うので、少年はしょぼくれて肩を落とした。


 数日前、少女が学校に担いできた古いアコーステックギターはケースが用をなさないため新しいものを見繕う必要があった。軽音部の顧問に頼み込んで、ギターはケースが見つかるまでの間、部室で保管させてもらうことになったが、少女の祖父が購入した古いギターは音楽室の備品室の片隅で再び放置されることになってしまった。


「ちゃんとクリーニングしておいたし中は綺麗だからさ。ひとまずこれで許して」

「うん……」


 ギターケースを見つめる少女の瞳が寂しそうで、少年はばつが悪くて目を伏せた。しかし少女はギターケースがただ気に入らないだけで不満を漏らしたわけではなかった。その日は彼女にとって大切な日だった。


「あのさ……」


 少年が少女の顔色をうかがいながら、ぎこちなく目を上げる。


「もう一つ……あるんだよね」


 そういうと、少女が抱えているギターケースを指さして「開けてみて」と恥ずかしそうに頬を緩ませた。促されるままケースの蓋を開けてみたが、特になにか変わったものがあるようには見えなかったが、ヘッドを支える窪みのすぐ下側が小物入れになっていて、名刺サイズほどのクリーム色の紙が挟まっているのが少女の目に留まった。引き抜くとそれは二つ折りの上質な紙のカードで表面にロココ調の花柄が薄く浮彫されていた。

 カードの内側にはオシャレな筆記体で「HappyBrithday」と小さく印字されている。


 思わず言葉を失って胸の奥に熱いものを感じた少女は嬉しそうに瞳を潤ませる。そんな少女の表情の変化に少し気を楽にした少年が「中を見て」とギターケースの小物入れを指さした。

 蓋を開けるとそこには、その当時少女が夢中になっていたアーティストの新譜のCDアルバムが収められていた。”Steranote”と題されたアルバムのジャケットは藍色の夜空に無数の星座が煌めくデザインになっている。


「えっーー ちょっとどういうこと!?

 このアルバム明日発売なのに! なんで!?」


 少女が驚きながらCDを取り上げると、さらにその下から近々開催されるワンマンライヴのチケットまで現れて、少女はますます声を高くして燥いだ。


「えっ! 当たったの!?」


 すっかり取り乱しながら喜ぶ少女の様子に、ようやく安堵した少年が満足そうに微笑んだ。目を輝かせて何度も「なんで? どうしたの!?」と聞いて来るので、少年は「まぁ、いろいろとコネを使ってね」とだけ答える。


「ねぇ、ライヴ、チョー楽しみ!

 やっぱりニューアルバムの曲が中心なのかな!?」


 あどけない少女の視線が注がれて、今回のサプライズが成功したことを素直に嬉しく思う一方、彼女の質問にどう返答すべきか困って少年は言葉に詰まってしまった。そんな彼の態度を不思議に思い、少女が「え?行かないの?」と不安そうに訊ねる。


「俺の分は落選しちゃった」


 茶化すような口ぶりで苦笑いを浮かべる少年の表情から、気を遣わせまいとしているのが少女には読み取れた。

 少女は少し申し訳ないと感じたものの、ライヴを観に行きたいという思いが勝っていたため、子猫のように物欲しそうな目で「もらっていいの?」と少年を覗き込む。

 少年は内心惜しい気がしていたものの、そんな彼女の目にキュンとしてしまい、自信たっぷりに「もちろん!」と胸を張って見せた。すると少女が心底嬉しそうに「ありがとう!」と声を上げて、そのまま勢い余って少年に抱き着いた。

 少年は心臓が止まるかと思うほど驚いたが、同時に少女も自分の行動に驚いて、すぐに身を離した。

「ごめん……」と恥ずかしそうに微笑む少女に対して、少年もまた「た、楽しんできて」とぎこちない笑顔で照れ臭そうに頭を掻いた。




 ギターケースに貼られているステッカーはあの後ライヴに一人で行ったユウコがお土産としてタスクに買ってきたものだった。ギターを修理して返してくれた時、相変わらず煙草の焦げ跡を気にしていたユウコのためにステッカーを貼って隠してくれたのだが、今はもう色褪せて表面のラミネートも剥がれかけている。


「そろそろ閉めるけどいい?」


 背後でKがガレージのシャッターに手をかけながら、ユウコが用事を済ませるのを待っていた。やはり高校当時のKの面影は残念ながらはっきりしないが、お互いが昔から何となく知っているというのはすごく妙な感じがした。

 ガレージに残されたMor:c;waraのCDが詰まった段ボールを見てふと、タスクが発売前のCDを入手できたのはKの手助けがあったからなのだろうかと思い至った。長い間忘れていた小さな疑問の答えが見つかったような気がして、ユウコは思わず表情を綻ばせる。

 タスクというたった一つの共通項だけで、店と出会い、セイイチと出会い、彼の古い友人と出会い……

 ずっと胸に支えていた大きな疑問の答えに向かって、少しずつ前進しているのが解る。

 あと一つ、どうしても確認しておかなければいけないことがユウコにはあった。

 ユウコはギターケースを荷物の山の中から取り出して「ありがと」とKに声をかけるとそのまま店の中へ戻っていった。




 仕事には特に必要にならなそうなものを持ち出したユウコの行動を不思議に感じながらも、Kはケンジがまだやって来ないことの方に大きな不満を覚えていた。

 ガレージのシャッターを閉じて鍵をかける。そのまま引き上げようかとも考えたが、一応ケンジの到着を待つことにしたKは店の中に戻った。

 作業中邪魔になるし、傷が付く心配があったため、スマートフォンは事務所の机に置いていた。ディスプレイを点灯させると、何件か着信があり、すぐに折り返そうかと思ったが力仕事をしたせいか喉が乾いていた。

 店の方に移動し、めぼしい物が何かないか物色していると何だか悪いことをしているような気がして急に後ろめたくなってきた。こんなに待ち惚けを食わされているのだから、コーヒーの一杯くらい貰っても平気だろうと考えるが、一応先にユウコには声をかけておこうと思った。しかしそこで、そういえば先ほどから彼女の姿が見えないことに気が付く。そのまま店内のあちこちを探してみるが、ユウコの姿はどこにも無かった。

 ユウコが忽然と姿を消してしまった。店の中に特に変わったところは無いように思えるが、Kは何かが足りないような気がして嫌な胸騒ぎを覚えた。

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