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Track4: IN THE HOLE

 ヘッドホンから流れる懐かしい友の声を聴きながらラップトップのプレイビューを見つめる。

 曲に合わせて常に形を変え続ける極彩色の波形を見ていると余計なことは何も考えずに済むような気がした。曲の入れ替えで波形が消えて画面が真っ暗になると感情の薄れた無表情な自分の顔が映り込み、ユウコはラップトップを閉じた。


 二年前のあの日からユウコはMor:c;waraの曲を聴くと途方もない寂しさを感じるようになってしまった。それでもたまにこうして彼らの音楽を聴きたくなるのは、未だにタスクの死を受け入れられないでいるからなのだろうと認めている。

 タスクに預けたギターはもう二度と戻ってこないだろう。今はただ、随分前に剥がれてしまったまま修復しなかったピックガードが手元に残っているだけだった。何度も手に取って眺めているうちに擦り切れて表面の塗装が剥がれてしまっている。白く残った文字の痕跡がなんとか読み取れるくらいだが、今となってはこんな残骸が唯一の形見だった。

 彼の訃報を聞いた時、あまりのショックで胸に大きな穴が開いてしまったように感じた。時間が経てばその穴は自然に塞がっていくものと思い込んでいたが、現実には時間の経過と比例するように空虚な喪失感が広がっていくばかりだった。

 悲しいとか寂しいとか、そういった感情は今でこそ少し薄れたが、以前にも増して”どうして?”という疑問が何よりも大きく成長している。

タスクと最後に会った夜、彼はまた会おうと約束してくれたが、そう言いながらもどこか釈然としない態度がユウコは気がかりだった。「自分はもう歌えなくなるかもしれない」と言った彼の台詞が今では重要な意味を含んでいたような気がして不用意な邪推で頭がいっぱいになってしまう。

 どうしてあんなことを言ったのか?どうして突然自分の前からいなくなってしまったのか?ユウコの心は未だ二年前のあの夜に置き去りにされたままだった。


 人気絶頂の最中突如バンドを襲った不幸は、当初深い悲しみを持って世間に公表された。全国ツアー最終公演の僅か三日前というタイミングで公演が中止になったこともあり、マスコミはこの出来事を大きく報じた。しかしバンドを取り巻く不穏な噂や移籍トラブルを巡る裁判がクローズアップされると、TASKの身に起こった不幸な出来事は、単なる事故ではなかったのではないかというあらぬ憶測が流れ始める。

 舞台装置の不具合による不慮の事故という警察からの正式な発表があったにも拘らず、一度火のついてしまった世間の興味はしばらく沈静化することはなく、彼の後を追う自殺者まで現れ、ちょっとした社会現象にまで発展した。

 バンドが正式に解散を発表して事態は収束へと向かっていったが、未だに関係者達は口を噤み、TASKの死の真相は謎に包まれている部分が多い。

 あれから二年が経過し、事故は遠い昔の出来事のように人々の記憶から薄れ始めているが、ときたま思い出したようにTASKに関する記事が写真週刊誌などに小さく掲載されることがある。部屋の隅にはそんなMor:c;waraに関する記事が掲載された古い雑誌がいくつも積まれている。

 どれも信憑性に欠ける噂や都市伝説の類ばかりなのだが、それでもつい手に取ってしまうのは、彼が最後の夜に告げたあの言葉が胸の奥深くで停滞してユウコをきつく縛り付けているからに違いなかった。

「自由に歌える君が羨ましい」といったタスクの声が耳の奥で呪詛のように繰り返し聞こえていた。




 リビングではユウコの母親が夕食の支度をしていた。

 ユウコの姿を認めて「もうすぐだから、ちょっと待ってて」とか細い声で伝えるが、その態度はどこかよそよそしく、娘の顔色を窺うような不安げな眼差しにユウコは苛立つ。

 タスクが亡くなってからというもの、何をするにも気が入らず、塞ぎ込むようになってしまったユウコはいつしか心のバランスを崩していった。

 周囲の時間は正常に流れていても、ユウコの時間は二年前のあの日から止まったままでそこから先に進むことが出来ていない。

 そんな心の不協和音からついに限界を越えてしまい、五年勤めた会社をあっさり辞めてしまった。母はそんなユウコを心配して彼女の行動に理解を示したが、毎日何もせずに家のなかに引篭もっているのを不憫に感じたらしい。次の仕事を探すように促したり、旅行に行ってはどうかと勧めてみたり、はじめのうちはユウコもそんな母の気遣いに感謝していたが、だんだんと鬱陶しくなり最近は口を開くとケンカするようになってしまった。

 自分が悪いことは痛いほど解っているのに心と体が先に進むことを拒否しているようで、自分ではどうにもならない息苦しさにユウコは苦しんでいた。

 何時ものようにテーブルの上に置かれた求人誌と旅行雑誌のセットから母の無言の圧力を感じてうんざりする。夕餉の香りが鼻について、母の寂しそうな背中を見るのが辛かった。

 ユウコは家を飛び出し、気づくと日が暮れ始めた街を宛どもなくフラフラと彷徨っていた。







 ちょうど営業が始まる居酒屋やバーの看板に明かりが点り始め、昼間は寂しく感じるくらい静かな通りが俄に活気づいてきていた。

 仕事終わりの時間にはまだ少し早いはずなのに、すでにほろ酔いでふらついているスーツ姿の中年男性や、学生バイトらしい威勢のいい若いスタッフが店先で通行人に声をかけている。

 楽しげに行き交う人々の笑い声や忙しなく開店準備に追われる繁華街の雑音に紛れながら、ただ街の様子を眺めているだけで余計なことは考えずに済むように感じた。

 飲み屋ばかりが連なる細い通りを抜け、両側に小さな個人商店や住宅が建ち並ぶ少し静かな通りに出ると何処からともなく音楽が聞こえてきた。繁華街の街頭スピーカーから流れてくる音楽とは違う生きた音。乾いた木材の中を反響する暖かいベース音や鳥が囀ずるような心地良いピアノの弦の響きが、車の走行音や雑踏に紛れて聞こえてくる。

 録音ではない、人が演奏している音楽だと直感して、ユウコは導かれるように音のする方へ進んでいった。

 大通りに面した一角に、見覚えのない古めかしい佇まいの店があり、音楽はその店から聞こえて来ているようだった。

赤茶色のレンガの外壁に木枠のドア。通りに面したテラス席から開閉式のガラス戸で仕切られた店内の様子が少しだけ見える。アンティーク調のアイリッシュパブのような外観だが、店の造りが新しいのでオープンしてからまだそれほど時間は経っていないように思えた。


”Bar Tom&Collins ”

 針金細工で作られた猫のようなキャラクターが店名ロゴの横にちょこんと座っている看板がドアの上にぶら下がっている。

 そういえばこの場所には以前、老夫婦が経営する”玉音堂”という名の小さなレコード店があった。時代に合わせて流行りのCDも置いていたから学生時代にはたまにタスクとお気に入りのアーティストの新譜を買いに来ていたのを覚えている。思い出の場所が一つ消えてしまったことに寂しさを覚えて、時間は着実に経過しているんだということを改めて思い出した。

 テラスの窓から店内を覗くと、店の奥に小さなステージがありバンドが演奏している様子が見えた。店の前に立てかけられている黒板に手書きの文字で”JazzyNight ご自由にお入りください”と書かれていて、隅に申し訳程度に小さく”スタッフ募集中”と書き添えられていた。

 店のドアを開くと古い喫茶店のようなベルがカラカラと小気味のいい音を立てた。それに気づいたスタッフがユウコに視線を向けて、元気よく「いらっしゃいませ」と声をかける。三十代前半くらいの人の好さそうな男性が出迎えてくれた。


「おひとりですか?」


 愛想よく微笑むとそのままカウンター席にユウコを招く。

 店内の内装もアンティークやインダストリアルでまとめられていて、カウンターの周囲は沢山のお酒のボトルで埋め尽くされていた。天井から規則正しくぶら下げられているワイングラスが、暖色系の照明に当てられてキラキラ輝いている。

 カウンターにはユウコのほかにカップルが一組、店内のテーブル席にも沢山の客が座っていて、皆一様にステージの演奏に注目している。演奏しているのは年配の男性達で、ギター、ドラム、ウッドベース、ピアノの四人組。ジャズには詳しくないユウコだが、スウィングと呼ばれる独特のリズムに乗せて難しいフレーズをいとも簡単そうに演奏しているのを見ると、腕の立つベテランのように思えた。


「お姉さん、ジャズ好きなの?」


 隣に座っているカップルの一人がユウコにそう声をかけた。

「いえ、私はあまり……」と返すと二人は何故か納得したような表情で顔を見合わせた。女性客の方がウキウキした様子で「もしかしてMor:c;waraのファン?」と聞いてくるので、思いもしなかった名前が発せられたことに驚いて言葉を失っていると、何も答えないのを不審に感じたのか「え、違うの?」と重ねて尋ねられた。

 なぜ突然Mor:c;waraのことを聞かれるのか疑問に感じながらも、なにか答えなければいけないと思って「別に嫌いじゃないですけど……」とだけユウコが答える。


「もしかして、誰のお店か知らずに来たの?」

「え、何の話ですか?」


 彼らの問いかけの意味が本当に解らず、ただ首を傾げていると、女性客が「この人、誰だと思う?」と先ほどカウンターに案内してくれた店員を指さした。好奇心いっぱいの子供のようにワクワクしている女性の目がユウコを見つめる。


「知らないならいいの。余計なことは言わないで」


 指をさされた店員が「ご注文は?」と女性客の質問をはぐらかしてユウコに水の入ったグラスを差し出した。


「この人ね。Mor:c;waraでドラム叩いてた人」


 カップルの男性客がそんなことを口にするが、やはり意味が解らずにユウコは気が抜けたように目をパチクリさせた。

 女性客がカウンターに置いてあった写真立てを持ち上げて、男性店員の顔の横に翳すと彼は恥ずかしそうにその手を払い退けようとしたが、写真の中の人物と並べて見て、ユウコはようやく彼らの言葉の意味を理解した。


「えっ、KENJI……さん?」


 写真に写っているのはMor:c;waraのドラマーのKENJIだった。

 目の前の男性は髪が短く、化粧もしていないのでパッと見ただけでは同一人物だとは気づかないが、顔を構成するパーツの一つ一つは紛れもなくKENJIで、言われてみれば写真の中の人物と同じ顔をしている。


「ほら、やっぱり解んないんだって。全っ然ーー面影無いもん!」

「髪伸ばして化粧してりゃ、誰だって別人だよ!」


 女性客が可笑しそうに笑うのでケンジが少しムっとして応える。

 ユウコは女性客から写真立てを受け取り、驚きながらケンジの顔と写真を何度も見比べた。


「そんなにじっくり見ないでよ。……恥ずかしいから」

「あっ、すみません……」


 そう言われてユウコはようやく写真を元の位置に戻した。


「あの、ここってKENJIさんのお店なんですか……?」

「まぁね。バンドが解散してやることなくなっちゃったからさ」


 少年のように無邪気に笑ってそう答えるケンジの表情は、バンドでドラムを叩いていた頃のKENJIのイメージからはかけ離れていた。

 音楽番組やライブの映像ではいつも受け答えするのはボーカルのTASKかギターのICHIROUでSEIICHIとKENJIの二人はいつも後ろに控えて殆ど喋らない無口なイメージがあった。自分の店を経営していることといい、お客さんに対して愛想よく話している姿といい、とても意外に感じる。


「よく言うよ、これ見よがしにバンド時代の遺産を店内に飾ってるくせに」

「や、あれは……お客さんが喜ぶからさ」


 男性客に言われて気恥しそうに返事をするケンジ。ユウコが改めて店内を見渡すと、店のいたるところにMor:c;waraの写真やCDのジャケットが飾られていることに気がついた。ステージの脇にはいくつか楽器も並んでいて、よく見るとそれはMor:c;waraメンバーが愛用していたオリジナルデザインのギターやベースのようだった。


 思いがけず懐かしい空間に入り込んでしまったような温かい気持ちになる。写真の中には元気に笑うTASKの姿が写っていて胸の奥がチクリと痛んだ。

 古い友人の記憶を宿す店に特別な親しみを覚えつつ、何気なく店の中を眺めていると、ユウコの視線はある一点を見つめたまま凍り付いた。

 何かの間違いかと思ったが見れば見るほど疑念が深まっていく。

 ステージ脇の音響機材が集められた一角に古いアコースティックギターが一本飾られていた。遠くてよく見えないが、それはあの日タスクに預けたギターによく似ているように見えた。同じメーカーの同一モデルなのは間違いなさそうで、唯一違いがあるとすればピックガードが貼られていることだけだった。ユウコは無意識のうちにギターに駆け寄り、間近でじっくり観察を始める。すぐ近くのステージで演奏しているギタリストが不思議そうにユウコを覗き見た。


 古いモデルだが同じものが現存しているのはあり得ない事ではない。それでも、ここに同じものがあるのは単なる偶然だとは思いたくなかった。

 指板のすり減り具合やボディーについた細かな傷は随分長い間使い込まれてきたような年期の深さを感じさせるが、綺麗に整備されているので傷や汚れがあまり目立たず、近くで観察したところで、あのギターなのかどうかは判然としなかった。ピックガードは市販の真新しいものに張り替えられている。


「そのギターに目をつけるなんてなかなか通だね」


 背後にケンジが立っていて関心するように腕組しながら満足気にウンウンと何度も頷いた。


「かなり古いギターだから現存する数も少ないんだ。

 Mor:c;waraの楽器じゃなく、このビンテージに目を付けるなんて、相当目が肥えてる証拠だよ」


 そう言ってケンジはまたウンウンと頷く。

 本当のことを話す気にはなれないし、話したところで信じてもらえるとも思えなかったので、勝手な勘違いをしてくれているのは都合が良かった。

「昔、同じモデルのギターを持っていた友人がいたので」と詳細は省いて無難に答えると、ケンジが「元カレ?」と悪戯っぽく笑いながら楽しそうに尋ねた。肯定も否定もせずにただ恥ずかしそうに目を伏せるユウコの様子に、ケンジは「そっかぁ~、いい思い出だったんだね」とニコニコしてまた頷いた。

 その時、店の扉が開きケンジが反射的に「いらっしゃいませ」と新しい客に向かって呼びかけた。

 細身で背が高く、肩まである長い髪の男性が入口に立っていて「よっ」と片手を挙げてケンジに向かって挨拶する。

 初冬のこの時期には少し寒そうな黒い革ジャンにジーンズというラフな格好でありながら、不思議と洗練された上品さを漂わせているのは、身の丈に合ったスタイリッシュな着こなしが型に嵌っているからだと思う。海外の高級ブランドのものと思われる高価そうな洋服やアクセサリーを身に着けているのにいやらしさを全く感じない。ごく自然に自分に似合うコーディネートをチョイスしただけというゆとりが感じられた。

 長い黒髪の分け目から除く表情はサングラスで隠されているが、その男性をユウコはよく知っていた。元Mo:c;waraのベーシストのSEIICHIだった。


「なんだお前か」

「なんだとはなんだよ失敬な。客だぞ俺は」

「どうせいつもツケのくせに」


 冗談めかしてお互いに憎まれ口を叩きあうセイイチとケンジの表情は和やかで、とても仲が良さそうな印象だった。Mor:c;wara解散の理由の一つとしてメンバー間の不仲説もあったくらいなので、ユウコにとってはそんな二人の関係性に小さな驚きを覚える。

 セイイチがカウンターの席につくと先ほどのカップルとも顔見知りなのか、セイイチは「あんた達はいっつもいるなぁー」と楽しそうに笑った。

 ユウコは記憶の中で知っているSEIICHIとは全く違うその姿に戸惑い、唐突にTASKが亡くなった日のことを思い出した。その日のSEIICHIの異常なほど寂しそうだった横顔が今でも脳裏に焼き付いている。




 冷たい雨が降りしきる中、TASKの死を悼む人々が黒い列を成す葬祭場。

 入場規制が敷かれた門の前には沢山の報道陣やファンが押し寄せ、TASKの遺体が安置されている境内は騒然としていた。

 濡れた地面に崩れ落ちて泣き喚く女性や門の格子にしがみついてTASKの名を叫んでいる男性の姿を後目にユウコもまた一般参加の列に並んで、遺族席の傍らに沈痛な面持ちで佇むMor:c;waraメンバーを遠目に見ていた。

 彼が亡くなったと最初の報道があってから早四日。知らせを聞いてすぐに彼の家族に連絡を取ったが、すでに熱狂的なファンが事務所や実家にまで押し寄せていたため、古い友人だとどんなに説明しても取り合ってもらえなかった。

 ユウコは近親者による密葬には参加できず、仕方なく一般参加が許される今日まで待つしかなかったが、それでも彼の眠る棺を遠目に見ることしか許されず、彼の最期の姿を見ることは叶わなかった。

 祭壇に飾られているTASKの遺影は優しく微笑んでいて、それを見守るメンバー達は一見気丈に振舞っているようにも見えたが、その横顔には少し疲れた様子が見て取れる。

 特にSEIIHIは半身を失ってしまったような力の無い暗い目で献花台を見つめていて、TASKの遺影には視線を向けることすらできないようだった。ユウコはそんなSEIICHIの姿を見ていられず、献花台に花束を捧げると、SEIICHIに視線を向けないように意識しながら頭を下げてすぐにその場を立ち去った。

 タスクとの最後の別れにしては、素っ気ないほど短いその時間にユウコはやりきれない思いを抱えながらも仕方なく斎場を後にする。後ろ髪を引かれる思いで最後にもう一度遺影を振り返ると、献花台近くで小さな騒動が起こっていた。ICレコーダーを手にした男性がメンバー達と対峙している。


「ツアー前から解散の噂があったと聞いていますが本当ですか?

 前事務所との裁判も長引いていますが、TASKさんは本当に事故で亡くなったんでしょうか?」

「どういう意味だ?何が言いたい?」


 記者の質問に対してSEIICHIがイラついた様子でそれに応える。


「遺書のようなものはなかったんですか?」


 記者のこの質問に無気力に佇んでいるだけだったSEIICHIの表情が変わった。


「あいつが自殺したって言いてぇのか!?

 ふざけんなよてめぇ!!」


 怒りを露わにしたSEIICHIが記者の胸倉に掴み掛かる。周囲にいたメンバーやスタッフ達が慌てて止めに入ったが、怒りの収まらないSEIIHIは狂犬のように白い歯を剥きだして何度も怒鳴り散らしながら彼らの静止を振り払おうとした。質問した記者は警備員に無理やり門の外へと押し出されたが、彼の姿が見えなくなってもSEIICHIの怒声は斎場内に響き続けていた。


 多くのファンが連日この斎場に詰めかけてパニック状態に陥っている様子がニュースやワイドショーで取り上げられていた。

 TASKの死に関しては不可解な部分も多く、警察による捜査が進行中らしいが、バンドに関する不穏な噂や前事務所とのトラブルを引き合いに、あらぬ憶測も流れ始めていた。

 Mor:c;waraの楽曲の歌詞に言及しては事故との関連性を結びつけようとする趣味の悪い報道がそれに拍車をかけ、TASKのあとを追って自殺するファンまで出てきていた。そういう報道を目にすると、ユウコも友人の死を冒涜されたような気がして心底腹が立ち、場所をわきまえないあの無礼な記者に対してSEIICHIが怒り狂うのも納得できた。

 いつも華やかなステージでファンを魅了するメンバー達が一様に黒い喪服姿で佇んでいるその日の光景がユウコの目には異常なほど寂しく見えて、怒りに目を血走らせるSEIICHIの横顔が強烈にユウコの記憶に焼き付いていた。




 目の前で和気藹々としているケンジとセイイチが本当にあの日目撃した二人なのか疑問すら感じてしまう。セイイチに至ってはMor:c;wara時代の面影をそのまま残していて、現役のバンドマンという雰囲気が滲み出ている。気難しい人物だとよく噂されているセイイチが笑っている姿を見ると、とても人当たりが良さそうな人物に思えた。

 何気なく入った店で奇妙な出会いが重なり、ユウコの中でずっと止まっていた時計の針が動き出したような気がした。タスクのことを想うといつも憂鬱な気分に沈んでしまうのに、ここにいるとそんな後ろ暗い気持ちが沸いてこない。ユウコにとってここは特別な空間だった。


 セイイチの存在に気づいたのはユウコだけではなかった。一部の客がステージの演奏に耳を傾けながらもカウンターに着いたセイイチの方をチラチラと窺っている様子が見えた。しかし当の本人は気にすることなくケンジと楽しそうに話し込んでいて、そんな二人の様子をユウコは微笑ましく眺めながらギタリストのICHIROUはどこにいるんだろう?とそんなことを考えていた。

 そのとき、ふと何か物足りない気がして店の中を見回してみた。何に引っかかったのだろうか?と考えながら何気なくステージに目を向けるとすぐにその正体に気づいた。ギターの音が止まっていた。

 機材にトラブルがあったらしく、ギタリストが手元のスイッチをいじってみたり、シールドを挿し直したりしているが一向に音が出ないので首をかしげている。

 バンドのメンバーもギターの音が鳴らないことに気づき、彼のパートをカバーするようにフィルインなどを増やして穴埋めしているが、さほど慌てた様子もなくそんな対応をしているところを見るとやはりかなり腕の立つベテランらしい。

 改めて店内に目を向けると、ケンジのほかにスタッフが1人いて客の注文や給仕に追われてステージ上でのトラブルには気づいていないようだった。他にスタッフらしい人の姿は見えない。

 カウンターをしきりに気にしていた客達はどうやら、セイイチに興味があるわけではなく、ケンジにそのことを伝えようとしているようだとユウコは気づいた。カウンターまでケンジを呼びに行こうかと考えたが、それよりも先に体が動いていた。


 ギターのシールドが繋がったアンプを見ると電源ランプが点いていないため電気系統のトラブルのように思えた。

 ステージの裏手に回りアンプの裏側を見るとそれは随分古い真空管のアンプシステムで、四本並んだ真空管の1本が酷く曇っていた。絶縁のために管内にコーティングされている物質が剥離すると真空管の内部に付着して硝子を曇らせ、故障の原因になる。

 正常に作動していれば目が眩むほどの強い光を発しているはずなのに、真空管は四本とも沈黙していた。どうやら真空管に通電していないのが原因らしい。

 これをすぐに修理するのは難しいと考えて、他に使える物がないか辺りを見回すと客席からは見えない位置にトランジスタアンプが三台置かれているのを発見した。そのうちの1台に電源を入れるとホワイトノイズが聞こえて問題無く作動しているのが解りステージまで移動させる。

 シールドをそちらに繋ぎなおして再びギターの音色が鳴り始めたのを確認してから、今までチューブアンプの音を拾っていたマイクを新しいアンプに向けて移動させた。

 大きな混乱もなく対応するユウコの手際の良さを見ていたギタリストが嬉しそうに親指を立てて微笑むとすぐに演奏を再開する。観客達のホッとした笑顔がステージの奥から少しだけ見えてユウコも胸を撫で下ろした。


 一仕事終えてたことで落ち着いて演奏を聞きたくなり、そのまま客席へ戻ると驚いた表情で見つめるケンジの姿があった。


「あ、ありがとう。助かったよ。キミ、なんかやってたの?」


 そう聞かれてユウコは返答に困ったが、先ほどのケンジとの会話を思い出して「昔の彼が……」とはにかんだ笑顔を作って言い繕った。ケンジがなるほどと頷いて納得する。

 カウンターからその様子を眺めているセイイチと一瞬目が合ったような気がしてユウコは急に恥ずかしくなり目を逸らした。偶然にも逸らした視線の先に例のアコースティックギターがあり、これも何かの巡り合わせなのかもしれないと感じて、不意に沸き起こった衝動をそのまま言葉に発する。


「あの…… スタッフってまだ募集してますか?」

「えっ?」


 ケンジは一瞬キョトンとユウコの顔を見つめていたが、発言したユウコ自身が一番驚いていた。

 別の人格が勝手に口を開いたような全く意図していない台詞に急に恥ずかしくなり、ユウコは咄嗟に顔を伏せたが、ケンジはユウコの申し出を理解してすぐにパッと嬉しそうな明るい笑顔を見せた。


「あ、ああ……! もちろんだよ! 機材に詳しい子なら助かるよ!」


 ユウコはケンジのそんな優しい笑顔にホッとして肩の力を抜く。

「よろしくお願いします」と深々と頭を下げるとケンジは「そんなにかしこまらないでよ」と照れ臭そうに頭を掻いた。


「それで君、名前は?」

「ユウコです」


 バンドの演奏が終了し観客の間から拍手が起こる。ユウコは人懐っこい笑顔を向けるケンジの肩越しに、カウンターで一人グラスを傾けているセイイチの姿を見つめていた。

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