Track3: Time after Time
ロココ調の椅子やテーブル。細かなダマスク柄が描かれたベージュの壁紙には年代を感じさせる日焼け跡がある。
テラス席に通じる大きなウィンドウには両脇に臙脂色のカーテンが吊り下げられていて、これは古い映画館のスクリーンをイメージしているそうだ。少し離れた位置から外を眺めると、行き交う人の姿や、通りに面する洒落た建物が窓枠の内側に小さな世界をつくって見えた。なるほど映画のワンシーンを見ているような気になる。
カフェにしては少し上品すぎる雰囲気にセイイチはどこか落ち着かない気分だった。
午前中雨が降っていたせいで空は薄暗く、初冬の肌寒さが身に堪える寂しい昼下がり。気を遣った取材者側が店の半分を貸し切りにしていたが、店内にはランチついでにお茶をしているママグループが二組いるだけだった。
上品そうな出で立ちで取材が始まっても特にこちらを気に留めるような素振りも見せないので、気負う必要は無さそうだと感じて、セイイチは肩の力を抜いた。穏やかな空気の流れる静かな店内にはカメラマンのシャッターを切る音が軽快に響く。
「今回の新曲は随分爽やかな印象ですね」
「最近は女性ファンが増えてきましたからね。
これまで正統派なロックを追及してきましたが少し方向性を変えてみようと」
「ええ、イメージが変わりました。
KANONさんと言えばクールな大人の女性を代表するアイコンのような存在ですから」
「当人はそう言われるのがあまり好きではないみたいですけどね。
プロデューサーとしては戦略が功を奏しているといえるので嬉しいです」
気さくに受け答えするセイイチの様子にインタビュアーの女性はホッとしているようだった。
業界内では”気難しい人物”と噂されていることくらいはセイイチも知っている。思い当たる節が無いわけでもないが、噂話というのは大概、大きな尾ひれが付いて広まってしまうもので普段は全く気にしないのだが、初対面の相手に必要以上に警戒されてしまうのも考え物だといつも思っていた。
型通りの質疑応答を何度か繰り返すうちにだんだんと緊張感も薄らいできて、和やかなやり取りが続くとインタビュアーの女性はこの機会待っていたように少し踏み込んだ質問を始める。
「KANONさんの曲には恋愛をテーマにしたものも多いですよね」
「恋愛は誰にとっても身近なものですから。
身近なテーマを歌うことで、多くの人に共感してもらえると思っています」
「Mor:c;waraの曲も恋愛を歌ったものが多かったですよね。
特に失恋ソングはすごく印象に残っています。なにか意図があったんですか?」
「さぁ、どうですかね? 詞を書いてたのは主にTASKだったし
女々しいやつでしたからね」
「またまた。メンバーはモテモテだったと聞いてますよ。特にセイイチさんは」
「やめてくださいよ……」
思った通り、話がMor:c;waraのことに及び始めた。みんな気にしていることは一緒なんだなと思うと、セイイチは虚しさを感じる。
この後の質問はいつもと同じ内容だろう。それに対するセイイチの答えもいつもと変わらない。
「バンドが解散して二年経ちますが、未だにMor:c;waraの人気は衰えませんね。
復活を望む声も多く聞かれますが、それについてはどうお考えですか?」
インタビュアーの表情は硬く、意を決して質問したのだという様子が見て取れる。真剣な眼差しで見つめられるといい加減に答えるわけにもいかないのが面倒だった。
「多くの人の心に残る作品を作れたというのは光栄ですが、
Mor:c;waraの活動再開は120%ありません」
予想通りの答えだったのだろう。インタビュアーは少し残念そうにしながらも、さほど表情は変えなかった。それでもなお真剣な眼差しを向けてくるので嫌な予感がした。
「やはりTASKさんが原因ですか?」
この手の質問は腫れ物に触れるように過敏に気を遣う人間が多い。そういう相手の態度がセイイチは嫌いなのだが、この女性は臆する様子もなく単刀直入に切り込んできた。ハッキリそう聞かれるとさすがに答えに躊躇してしまう。
意外に食えない奴だと感じながら、心の動揺を隠すようにセイイチが窓の外へ視線をはずそうとすると、その時これまでセイイチ達には興味を示そうともしていなかったご婦人方と目が合った。ただの偶然だとは思うが、なにか妙に気まずいプレッシャーを感じてしまう。
「今は俺もアーティストを抱えてますし、ほかのメンバーもそれぞれ自分の人生を歩み始めてますから、それだけが原因というわけじゃないです」
嘘をついた。
やはりMor:c;waraにとってTASKの存在は大きかった。同じバンドをやるにしても、他のボーカルは考えられない。それほど彼の存在は重要だったとセイイチは改めて認識するが、それを今更誰かに話そうとは思わなかった。きっと他のメンバーの答えも変わらないだろう。
インタビュアーがデジタルレコーダーの録音を停止させると「答えづらい質問をしてすみませんでした」と頭を下げるので、セイイチはできるだけ穏やかな表情で「いつものことだから」と彼女を労った。
店の外に出て改めて外気の厳しさを実感して身が震えた。雨は降っていないが、湿度の高い冬の寒さは体の芯まで冷気が滲み入ってくる感じがする。
コートの襟元を絞めてポケットに手を入れると煙草がなかった。Kがいれば一本恵んでもらうところだが、今日は用事があるとかで珍しく会社を休んでいる。
KANONの新曲の完成が間近に迫り、最後の大詰め作業を思うと身が引き締まる思いだったが、今回はそんな緊張感すら楽しめるくらいにワクワクしている。
KANONにとっては大きな転機になるかもしれない今回の新曲とCM出演のオファー。タイアップを念頭に置いた新たな曲の構想もすでに纏まありつつあり、仕事は山積しているが前向きな期待感と、やる気に満ちていて足取りは軽かった。
ツアー最終日まで残すところあと三日。
完成した舞台装置の点検作業も終わり、演出プランの最終確認が行われていた。
ステージの背景を巨大なLEDのモニターが占拠していて、楽曲に合わせて映像が目まぐるしく変化する。モニターは真ん中で割れて二つに分かれる仕掛けになっていて、ステージの左右の壁に沿うように扇型にスライドして中央が開ききると、もうひとつ小高いステージが奥から迫り出してくる。
「おおーっ、マジこれ!? ヤベェ! 俺がやるの?」
第二のステージの中央にはモニターと同じくらいの高さのタワーが聳えていて、タワーの天辺に設置されたお立ち台の上でTASKが燥いだ声を上げた。
興奮が抑えきれないといった様子でウキウキしながら観客席を見下ろしているが、腰が引けた状態でお立ち台に設置されている手すりに縋りついている姿が下のステージに立っているSEIICHIからでも見える。
それもそのはずだ。ライヴ終盤でTASKはここからダイブする。
「何だよ、ビビったか?」
「いや……想像してたよりも高いからさーー」
不安げな口振りながらも表情は半笑いで、SEIICHIを見下ろすTASKはやはりこの状況を楽しんでいるようだった。
「ツアーのラストは派手に飾りたいって言ったのはお前なんだからな」
「まさか、空を飛ぶとは思ってなかったけどね」
TASKにとっては不安よりも期待の方が大きいのかもしれない。舞台装置を見つめる目は新しいオモチャを貰った子供のように輝いている。
忙しいツアーのスケジュールの中、新譜のレコーディングも重なり、メンバーやスタッフ達は少なからず疲弊してきていた。そんな中でTASKの身に起きた不幸を告知するのは、更なる重荷をみんなに背負わせることになりかねないと、TASKの意向でツアーが終了するまでは伏せておくことにした。
いつも通りに振る舞うと決めたTASKの様子は、その言葉通り特別に大きな変化は無いように見える。むしろ以前にも増して前向きになったのではないかと思えるほどだった。
スタッフが「もういいですよ」と声をかけると、TASKはどこかホッとしたように、それでいて残念そうに肩を落としながら、タワーの裏に設置されている急な階段を降りてきた。そのままステージの中央まで進み出ると、観客席を真正面に見据える形で仁王立ちになる。
眼前に広がる壮大な空間の隅々までを記憶に焼き付けようとしているのか、まだ誰もいない空白をジっと見つめたあと、大きく息を吸い込んで目を閉じた。
TASKは今、ライヴの熱狂と興奮を思い描いて緊張しているのかもしれない。
観客から押し寄せるエネルギーの波動を受け止めるだけでもとてつもないパワーが必要になるのに、その波動を自分達の奏でられる最高の音に乗せて返すにはもっと大きな力が必要になる。それを思うだけでSEIICHIは毎回足がすくむ。
チケットはSOLDOUT。身が引き締まる思いがした。
観客席に対峙したまま時間が止まってしまったように微動だにしないTASKの背中が一瞬、やけに寂しそうに見えた。力なく肩を落としているようにも見えるその後ろ姿にSEIICHIは言い知れない不安を覚える。
「なんだ、緊張してんのか?」
半ば茶化すように声を発したのはTASKの纏う空気に嫌な予感を感じたからだった。無言のままTASKの背中を見つめていたら、得体の知れない不安感が正体を現わしてしまうよな気がして恐ろしかった。
「そりゃするだろ、一万四千人だぜ」
振り返ったTASKの表情は依然として和やかで、不安そうな様子はないように見えたが、少し寂しそうな目をしている気がした。
「これが最後になるかもしれないしな」
SEIICHIは自分の心臓がハッキリと音を立ててビクンと跳ね上がるのを感じた。
「縁起の悪いこと言うんじゃねえよっ」
「怒んなよ、冗談だって……」
TASKにとってはステージに立てる最後のライヴになるかもしれない。それはSEIICHI自身もずっと前から危惧していたことだったが、本人がそう口にすると紛れもない現実となって眼前に突き付けられた思いがする。
逃れようのない運命に抗う術が無いという事実がSEIICHIをイラつかせ、思わず発する言葉に感情が混じってしまった。
冗談だといじらしく笑顔をみせるTASKの表情に、SEIICHIは自分がとことん情けなくなり、何もしてやれないことに益々苛立ちを募らせていく。
「でもさ、もし……」
TASKが急に寂しそうに視線を落とした。
「ーーもし本当に……」
俯いたまま言い淀むTASKの横顔には不安が色濃く滲んでいる。言葉を探しているようにも見えるが、この先に続く台詞は、きっとSEIICHIにとって好ましくないものだろうということだけはハッキリと想像できた。
「これが本当に最後になるならーー
……いいライヴにしような」
そういってSEIICHIに向かって視線を上げたTASKの目には、この上ない優しさが浮かんでいて、驚くほど穏やかな表情をしていた。
近い将来に待ち受ける華々しい未来を素直に期待しているのか、それとも全てを諦めてしまったのか、その真意は計り知れなかったが、SEIICHIはまっすぐ自分を見つめるTASKの眼に思わず胸の奥を熱くした。
あの時のTASKは努めて気丈に振る舞いながら明るい表情を見せていたに違いないが、目の奥に宿る光には不安が滲んでいるのがSEIICHIには解っていた。
ーーいや、あれは不安というよりも恐怖だったのかもしれない。
開店までにはまだずいぶん時間がある。ケンジが来るのはいつも夕方四時頃だし、照明の点いていない薄暗い店内は、昼間といえど少し寂れた物悲しい雰囲気がある。
ただそう感じてしまうのは自分だけなのかもしれないと彼女は思った。
初めてこの店に客として訪れた時、あのギターがここにあるのが彼女には信じられなかった。Mor:c;waraメンバーの楽器とは違って、店内のインテリアとして飾られているだけの古いアコースティックギターは、ずっと前に友人に預けたきり戻ってこなかったそれとよく似ている。このギターが同じ物だという確信は持てないが、ケンジの経営するバーにあるというのは見過ごせない事実だった。
それに先日のセイイチが見せたあの反応ーー。誰のギターなのかについて詳しく言及しなかったのが、自分の思い過ごしではないという考えを補強してくれているような気がした。
手近な椅子を引き寄せると、ギターを持ち上げて膝の上に乗せる。ネックを握った感触やボディーの重みのしっくりくる感覚にどことなく懐かしさを感じながら適当なコードを押さえて弦を鳴らすと、誰もいない店内にアコースティックギターの柔らかい音色が響いた。
何度も聞いたことがある優しい音に胸の奥を熱くする。記憶の中と違うのは音の広がりが少し弱いくらいだろうかと感じたが、それが何故なのか、その理由も彼女には解っていた。
二年前のあの夜、タスクが歌ってくれたあの曲は、今では空で歌えるほど耳に馴染んでいて、はじめて歌ってくれた日のことも鮮明に思い出せる。しかし思い出すたびに途方もない寂しさに襲われるのは、彼女自身が二年前のあの日から未だに立ち直れていない証拠でもあった。
ギターを触ったのはいつぶりだろうか?あの日以来、音楽からは遠ざかっていて、正しくコードを押さえられるかどうかも不安だったが、体がまだ覚えているような気がした。
記憶の糸を手繰りながら歌声に合わせてぎこちなく指を動かしていくと、自分でも驚くほど自然にメロディーが生まれてくるので、ユウコは知らず知らずのうちに涙を流していた。
セイイチは思わず店の扉を開いた。
取材を受けたカフェから録音スタジオがあるビルまでは繁華街の中を通るのが近道で、道中にはBar Tom&Collinsがある。
店が開いていればケンジと軽く会話を交わしてコーヒーをテイクアウトするのがルーティンとなっているのだが、今日はまだ昼過ぎで店の中には誰もいないはずだった。
店の前を通り過ぎようとしたとき、店内からギターの音が聞こえてきたため、テラス席のブラインドの隙間から中を覗くと、スタッフのユウコが慣れた様子でギターの演奏をしながら歌っている姿が見えてセイイチは驚いた。
先日店で話したとき歌は苦手だと言っていたため、やはりなにか隠しておきたい事情があるのだろうとセイイチは考えて、彼女に気づかれないように隠れて店のドアのそばで聞き耳を立てていたのだが、その瞬間更なる衝撃で思わず店のドアを開いてしまっていた。
ユウコが演奏していたのはデジタルプレイヤーに記録されている、あの曲だったからだ。
「おい、その曲……!!」
ユウコは突然姿を現したセイイチに驚いて目を丸くしている。どういうわけか、その瞳からは一筋の涙が頬を伝っていた。それに気づいたユウコは慌てて顔を拭う。
「セ、セイイチさん。どうしたんですか?店は夕方からですけど……」
「ーー今、そのギターで……」
「あっ、ごめんなさい。ちょっと触ってみたくなっちゃって……」
ユウコはギターを元あった場所に戻すと「ケンジさんなら、まだ一時間くらいは来ませんよ」とまだ潤む目でぎこちない笑顔を取り繕ってセイイチをやり過ごそうとした。しかしあまりの衝撃に困惑したまま硬直しているセイイチは、言葉が見つからないといった様子で、驚きと不信感に満ちた眼差しをユウコに向け続けている。
「も、もしかしてコーヒーですか?
今準備するんで、ちょっと待っててください」
落ち着き無くそそくさとカウンターに向かおうとするユウコの背中に向かってセイイチがなんとか一言を絞り出す。
「どうして君があの曲を知ってるんだ……!?」
セイイチの発言にユウコは歩みを止めた。ほんの短い時間、逡巡するように沈黙した後、恐る恐るセイイチを振り返ると、その目にはありありと困惑の色が浮かんでいた。
「ーーどうしてって…… セイイチさんもあの曲知ってるんですか?」
「知ってるも何も、あの曲はタスクが書いた曲だろ」
「えっ…… でもこれは私と彼以外は……」
ユウコのその返答にセイイチは胸の奥で今にも消え入りそうなほど小さく燻っていた火種が、俄かに輝き増すのを感じた。
「まさか、君なのか……?」
無意識のうちにそんな言葉がセイイチの口から洩れたが、それを聞いてもユウコはますます困惑の色を深めるばかりだった。そんなユウコの様子にセイイチは焦れたようにポケットの中からデジタルプレイヤーを取り出すとカウンターに置いた。
「これはあいつの……
タスクが持っていたデジタルプレイヤーだ。
言っただろ、この中には一曲だけしか入ってないって。
君が今歌っていた曲だ」
セイイチのこの発言を聞いてユウコが驚いたように大きく目を見開いた。そのままカウンターに置かれたデジタルプレーヤーに視線を落とすとその瞳には涙が薄く滲み、驚きと共に何かを愛おしく思うような繊細な輝きが俄に点った。
ユウコの表情の変化を見逃さなかったセイイチは、ずっと追い求めてきた答えを知る鍵が彼女だと直感し、困惑と期待とが綯交ぜになった興奮した様子で彼女に詰め寄る。
「君は一体誰なんだ?」