Track2: I still haven't what I'm looking for
「コチラが来春発売予定の新モデルです」
差し出された一枚のプリント用紙を覗き込むセイイチとK。資料には新機種のデジタルプレイヤーの概要がイメージ写真と共に印刷されていた。
EclipseRecordsの来客用エントランスは24階建てビルの最上階にあり、壁一面の大きな窓から都内の景色を見渡せる。
エントランスの半分が会議スペースとして利用されていて、低いパーティションで仕切られた小さなブースが並んでいるのだが、狭い場所が嫌いなセイイチは普段からエントランスの来客用ソファーを好んで打ち合わせの場所に利用している。セイイチとK、ステラ電子の担当者二人の合計四人が低いコーヒーテーブルを挟んで向かい合わせに座っている。
「CMキャラクターにはぜひKANON (カノン)さんを起用させて頂きたいと考えております」
担当の松山が健康的に日焼けした肌を照からせながら、妙に白い歯を見せて嬉しそうに笑う。アメコミヒーローのような逆三角形の体に安物のスーツが少し窮屈そうで、低いソファーに小さく収まってる姿が非常に息苦しそうだ。
見るからにスポーツマンといった体育会系のエネルギッシュな若者がセイイチはなんとなく苦手だった。理由としては高校時代、軽音部に所属していたセイイチはスポーツ系の部活動を優遇する学校の体質が気に入らなかったことに端を発する。
大人達から見れば、放課後に悪ガキたちが集まって騒音を打ち鳴らしているようにしか聞こえなかったのかもしれない。地元の商店会やライブハウスが主催する高校生以下を対象にしたコンテストでいい成績を残しても、教師たちからすれば腐ったミカンであることに変わりはないらしい。
毎回予選で敗退してばかりの野球部やサッカー部が無条件で持て囃され、連中が何かやらかしても軽い注意で済ますような教師たちの依怙贔屓ぶりが気に食わず、気性の激しいセイイチは彼らと対立することが多かった。
そんな学生時代の理不尽をいまだに根に持っているワケは当然無いはずなのだが、本能に刷り込まれてしまった劣等感を完全に払拭することは難しいらしい。体育会系の人間と対峙するとセイイチは微かな敵意を感じてしまう体質になっていた。しかも松山はなぜか終始嬉しそうに眼を輝かせながらこちらを見ているので、セイイチは余計に薄気味悪さを感じていた。
差し出された資料に視線を落として仕事に集中する。
「デジタルプレイヤーのCMですか。CM曲もKANONの楽曲を?」
「もちろんです! いやぁ、実は私Mor:c;waraの大ファンだったんです!
セイイチさんがプロデュースされているKANONさんも大好きでして!」
興奮した松山が豪快に大きな声を張り上げるので、向かいに座っているセイイチは思わず耳を塞ぎそうになった。隣に座る高松がそんなセイイチの様子に気づいたのか、申し訳なさそうに視線を送ると「松山君、そういった個人的なことは」と彼の言動に釘を刺した。
白髪交じりだが若々しく、体型に気を遣っているのかスリムで、身なりも小綺麗にしている高松は、落ち着いたベテランの風格を漂わせる紳士といった印象だ。
体の大きな松山がソファーの半分を占領しているので、やけに小さく頼り無さげに見えてしまうが、感情を表に出すことが少なそうな冷静な眼差しが、共に仕事をする相手としては安心材料だとセイイチは感じた。
高松に注意された松山は「すみません」と残念そうに肩を落したが、すぐに気を取り直して説明を続ける。
「このシリーズは初代のモデルが発売されて以来十五年めになります。
今回のモデルチェンジは節目の年にもなるので、CMの内容も初代モデル発売時のオマージュ作品にしようと考えているんです」
「オマージュ?」
「内野あかりという歌手を覚えていらっしゃいますか?」
そう言うと松山はプレゼン用に用意してきたタブレットを操作して古い動画ファイルを再生した。
渇いた大地の中央に葉を落とした枯れ木が一本立ち、その麓に女性が佇んでいる。風の戦ぐ音さえ聞こえない無音の荒野の中で大きく息を吸い込むと、彼女は美しく力強い歌声を響かせ始めた。
艶やかで微かなビブラートを含んだハスキーな歌声が荒涼とした大地に花を咲かせる。頭の天辺から突き抜けるような鋭い高音と芯の通った低音の両方を巧みに使い分ける圧倒的な歌唱力には思わず息を呑む迫力があった。
楽器による伴奏は一切なく、CMの最後に製品の画像が映し出されるまでのおよそ三十秒間、女性の独唱だけの映像が続く。
聞くものを強力に引き込む唯一無二の表現力と存在感があってこそ初めて実現するCMだった。
「懐かしいですね。よく覚えてますよこのCM。
この曲がヒットして一躍トップシンガーの仲間入りを果たしたんですよね」
当時まだ小学生だったとKが嬉しそうに語る。
セイイチはふと昨夜バーでその話をしたばかりだったことを思いだし、妙に運命じみた偶然を感じた。
「その年の音楽賞総ナメだったからな」
「でも、突然引退しちゃいましたよね。今どうしてるんだろ?」
Kがそんな疑問を口にすると「今は海外で生活しておられるようです」と高松が抑揚のない落ち着いた調子で応えた。
「この企画が持ち上がった時、我々も彼女の行方を追ったんですが、そこまでしかわかりませんでした」
高松の語り口は訥々としていて、声の大きな松山とは対象的だった。礼儀正しく真面目そうな人物だが、堅物といった印象も抱かせる。
「内野さんは元々ジャズシンガーだったそうです。
若いころはなかなか芽が出なかったそうで、このCMが話題になったときには既に結婚されていてお子さんもいたそうです」
「十五年くらい前でしたよね。今そのお子さんは高校生くらいか……」
「そうだと思います」
高松の返答を聞いてKが考え込むような難しい表情を見せる。今の会話の中で気に掛かるような事は何も無かったように感じたセイイチは、Kのその表情の変化を不審に思った。
「引退の理由は公式には発表されていませんが、どうやら子育てに専念するために海外に移住されたようです。当時このCMを担当したディレクターに聞きました」
高松の話ではそれ以降内野あかりは目立った音楽活動をしていないようで、消息についても殆ど解らないらしかった。
十五年前ーー圧倒的な歌唱力を武器にある日突然表舞台に姿を現した歌姫は、その類い稀な才能で日本の音楽シーンを席巻した。しかし当時からあまりメディアに姿を現さない謎めいたアーティストでもあった。
大ヒットを記録したCM曲以外の作品は発表されておらず、実在するアーティストなのか疑問視するような噂まで囁かれるほどだったが、その歌声が世界に与えた影響は多大だった。
「このモデルは料金設定が比較的高めなので、
若い世代にも手に取ってもらえるように今、中高生の間で絶大な人気を得ているKANONさんにお願いしたいんです!」
暑苦しいくらいに意気込む松山が相変わらず大きな声で嘆願するので、エントランスに偶然居合わせた来客の数名が何事かと驚いた様子でセイイチ達を見た。
「そう言って頂けるとありがたいですね。KANONも喜ぶと思います」
取り繕った笑顔で答えるが、若者特有の熱意にはやはり馴染めないセイイチ。表情には出さないようにと努めながらも松山が「よろしくお願いします!」とまた大声を上げるので思わず視線を逸らしてしまった。
再びタブレットの映像が視界に入る。そこに映し出されているデジタルプレイヤーの画像を眺めてセイイチは上着の上からポケットの中に仕舞ったプレイヤーに手を触れた。
奇しくもそれはセイイチの持つデジタルプレイヤーと同型のモデルだった。
「大きい仕事になりそうですねKANONさん」
「ああ、今は忙しい時期だけど、もう少しだけ頑張ってもらおう」
担当者を送り出し、人心地つくセイイチとK。エントランスに張られたKANONのポスターを見つめながら、KANONに委ねられた大役の重さにセイイチは一抹の不安を覚えた。
「KANONさんなら大丈夫ですよ。きっと期待以上の成果を出してくれますって」
セイイチの不安げな表情の変化を見て取ったのか、まるで心を読んだようにKが呑気にそんなことを言う。
昨夜のやり取りで気まずい思いをするかと思ったが、Kは何事も無かったようにあっけらかんとしていて、物事を楽観的に捉えられるそんなKの性格がセイイチにとっては大きな救いだった。
「それにしても、こうも偶然が重なるとなんか運命的なものを感じますね」
KANONのポスターを見ながらKが一人で頷く。セイイチが「偶然?」と問い返すと、ほんの一瞬ばつが悪そうに表情を曇らせたが、すぐにいつもの調子に戻った。
「セイイチさんが持ってるあのプレイヤーって、CMの初代と同じ奴ですよね。
すごい偶然だと思いません?」
「そういやそうだな」と今まで気づかなかったような口ぶりでセイイチが答える。
「それにあの二人。松山と高松ってーー
四国の地名じゃないですか。性格真逆だし」
能天気にそんなことでケラケラ笑っているKだったが、セイイチは何故かその笑顔に不自然さを感じた。その正体が一体何なのかさっぱり見当もつかないが、セイイチはKの表情が演技じみいるような気がして違和感を覚えた。
「オーディション?」
録音作業に追われるスタッフ達の傍らで、TASKの歌録りを見守っていたICHIROUに対してSEIICHIが提案したのは、EclipseRecordsの将来を担う、次世代のアーティストを発掘するためのオーディションの開催だった。
「これからもっとEclipseを大きくする気があるなら、
新しいアーティストを見つけなきゃダメだ。
Mor:c;waraだけで牽引していくのは限界があるだろ」
「まぁ、確かにな」
ICHIROUはそう呟くと、少しだけ考えるように録音ブース内のTASKから視線を逸らした。
「そんなに急がなくてもいいんじゃないか?
裁判が落ち着いたばかりだし、一週間後にはツアーのファイナルだ」
そこまで言うと改めて録音ブース内に視線を戻すICHIROU。
「それにほら
新アルバム制作の真っ最中なんだから、全部片付いてからでも遅くないだろ」
サンライズとの権利問題が解消されたことで、過去のMor:c;waraの楽曲の使用が公に可能になった。レーベルを移籍し、精神的にも一段落した彼らはこれを機に初めてのベストアルバムの制作に着手し始める。
自分達にとって思い入れのある曲や、ファンから人気の高い曲を選りすぐって、現時点では三十曲ほどの候補が出揃っているのだが、ここからさらに十八曲前後まで絞り込む必要があった。全曲再収録、再編集を施した、現在のMor:c;waraによる名盤が生まれる予定だ。
「今だからこそ俺は言ってるんだよ。
何のしがらみもなく自由に振る舞える今だからいいんじゃねぇか」
いつにも増して熱の籠るSEIICHIの説得にICHIROUも再び考え込むようにして「うーん」と唸った。
「まぁ、ひとまずはツアーが終わってからだ。
この話はツアーが終わってからゆっくり話そう」
ICHIROUの言う通り先を急ぐようなことではないくらいSEIICHIにも十分解っていた。しかし胸の奥で燻り始めた不安と焦りが日に日に肥大化していくのはどう足掻いても止められない。SEIICHIはただ、この不安が周囲に悟られないように努めながら、「そうだな……」と力ない声で呟くのが精一杯だった。
そのとき、録音中の音声が唐突に停止されて作業ブース側に設置されたスピーカーからやけに力ないTASKの声が響いた。
「ごめん、ちょっと休憩」
作業担当のスタッフとICHIROUが困惑した様子で顔を見合わせる。「ちょっと乾燥してるみたい」と喉に手を当てて録音ブースから出てきたTASKは、顔色が悪く肌に脂汗が滲んでいた。
「おい、大丈夫か?」
「ツアーであちこち飛び回ってたから、ちょっと疲れちゃって……」
申し訳無さそうに眉を寄せて、穏やかな笑顔でICHIROUに答えるTASKの様子にスタッフ達は心配そうな表情を浮かべながらも、大事ではなさそうなことに俄かに安堵していた。しかしSEIICHIだけは表情を変えずにTASKの様子を見守っていた。
「今日はもういいから休んでろよ。ツアーの最終日に倒れられちゃ大変だからな」
「大丈夫だよ。少し休めば良くなるから。社長室のソファー、借りていい?」
「別にいいけど……無理するなよ」
渋々といった様子でICHIROUは了承するが、ふらつきながら録音スタジオを後にするTASKの背中を見て不安げな表情を濃くした。
防音扉のハンドルが重そうなので、SEIICHIが手を貸してやると「ああ、ごめん」と弱々しい笑顔でTASKが応えた。
設立間もないEclipseRecordsは繁華街の小さなビルの1フロアを間借りしているだけの小さな事務所で、録音スタジオは向かいのビルの地下にある。
事務所には数名の社員が常駐しているが、バンドのメンバーはスタジオに入り浸っていることの方が多いため、こちらのビルに顔を出すことは少なく、メンバーが顔を出すとちょっとしたⅤⅠP待遇で迎えられる。
フロアの奥にパーティションを置いて仕切っただけの小さなエリアがあり、ICHIROUの仕事用デスクと来客のためのソファーと低いテーブルが置かれている質素な空間がEclipseRecordsの社長室兼応接室になっていた。
「大丈夫か?」
薄い毛布を頭まで被ってソファーの上で横になっていたTASKが、SEIICHIの呼び掛けに反応して毛布の中から顔を出す。録音スタジオに居たときよりも随分顔色が良くなっているのを見てSEIICHIは安堵した。
「ああ、ごめん。もう大丈夫。すぐ戻るよ」
「いいから、休んでろ。ICHIROUが『今日はもう帰って寝てろ』だってよ」
TASKはそれを聞いて「まだ歌い足りない」と子供のように口を尖らせて悔しがる。
体調は回復したようだが、それでもSEIICHIが「黙って帰れ」と諭すのでTASKは残念そうに目を伏せた。
「みんなには?」
「まだ何も。約束は守るから心配するな」
「ありがとう」
いつになく低い声で話すTASKの様子が気がかりだったが、それは体調のせいだけではないことをSEIICHIは理解している。とても受け止めきれるわけがない悲惨な現実にTASK自身が一番困惑しているはずだった。それでもメンバーやスタッフ達に心配をかけまいと、気丈に振る舞うTASKの姿勢にSEIICHIは胸の奥を熱くする。
昨夜、突然告げられた衝撃の事実をまだきちんと消化出来ていない。多分一生出来ないだろう。
バンドを辞めると言い出した時は瞬間的に頭に血が登り、思わず殴りかかりそうになったが、その後に続く言葉で地獄の底に突き落とされたようなゾッとする寒気を覚えた。聞き間違えならどんなに良かっただろうか。あの時TASKはハッキリとSEIICHIの目を見て告げた。
「俺、もうすぐ死ぬんだ」と……
生バンドの演奏があるのは週に二~三回。JazzyNightやRockNightのような特別なイベントがある週末は立ち見が出るほど客が押し寄せる。そのため平日の夜は客の数は少ないが、静かな店の雰囲気が好きな常連客も多い。
”シドとナンシー”と店員達からあだ名されている二人はそんな平日夜の常連客だった。彼らはいつも十八時頃にやってくると入口に近いカウンター席に陣取って二~三時間、音楽(特にロック)について熱く語っていく。
知識が深い二人なので、セイイチも店で顔を合わせると楽しそうに音楽談議に花を咲かせるのだが、酔っぱらってくるとMor:c;waraはここがダメなんだとシドとナンシーの二人が説教を始めるので、決まってセイイチが不機嫌になり、ケンジはその度にセイイチを宥めるのに苦労していた。ケンジは最近この3人には強い酒を出さないようにしている。
セックスピストルズが好きなわけでも、服装が派手なわけでも、ましてイギリス人でもないのにこの二人が世界的に有名なカップルに例えられるのは、単に彼氏が志度という珍しい苗字だからだった。
「最近ここもお客さん増えたよね。平日でも満席になることあるし」とシド(志度)。
「いつまで続くか彼と賭けてたんだ。私の勝ちぃ~」とナンシー(本名はさなえらしい)
賭けに勝ったと嬉しそうに髪を揺らすナンシーにシドはしかめっ面をしながらも、どこか嬉しそうで、そんな二人の会話にケンジは「嫌なことするなぁー」と苦笑いで応じた。
「ライターさんが勝手に記事にしちゃったんだよ。元Mor:c;waraメンバーが経営するバーってさ。
だけどおかげで客足が伸びたんで、こっちも開き直ってメンバーの写真とか楽器とか展示し始めたってわけ」
店内の各所にはオフショット写真やCD、ライヴのパンフレットやフライヤーなど、コアなファンにとっても珍しい貴重なアイテムが額に入れられて飾られているほか、カウンター内の一番目立つ場所に音楽賞を受賞した際に贈られた金色のディスクを納めた盾が仰々しく飾られている。
生バンドの演奏が無い日は来店したお客を少しでももてなそうというケンジの配慮で、ステージ上にMor:c;waraメンバーが愛用していた楽器が展示されている。そんなケンジの営業努力の甲斐もあり、演奏がない日を選んでやって来るMor:c;waraファンも多い。
「今じゃMor:c;waraファンの聖地さ」
そう言って二人の常連客に声をかけたのはセイイチだった。ドアベルのカラカラと乾いた音色が、店内に流れているBGMのボサノバと混じり合って心地好いアクセントを添える。
「あっ、セイイチさん!」「どうも」と二人が応じると「あんた達いっつもいるなぁー」とセイイチが二人の隣の席に腰を下ろした。
「お前もな」とケンジがセイイチの前に水と灰皿を差し出す。セイイチが来るのはいつももっと遅い時間なので、仕事の合間の休憩にでもやって来たんだろうとケンジは理解してコーヒーマシンの準備を始めた。
「ジャックダニエルですか?」
先日話をした女性スタッフがセイイチに注文を確認する。
煙草に火を点けようとしていたセイイチは「いや、まだ仕事中だからいいよ」と笑って、挽いたばかりのコーヒー豆の粉末をフィルターにセットしているケンジを指さした。二人のやりとりに気づいたケンジが「じゃあ、代わってもらえる?」と言って彼女を呼ぶと、女性スタッフは「すみません」とはにかんだ笑顔を見せて頭を下げた。
「新人は可愛いねぇ~」
煙草の煙を吐き出しながらセイイチが言うのを聞いて、ケンジが「手ぇ出すなよ」とかなり真面目なトーンで凄んで見せるので、セイイチは思わず噎せ返った。
「今日はバンドの演奏無しか」
「そう毎日演者が見つかるわけじゃないしね。誰か良い人いたら紹介してよ」
「それはこっちのセリフ」
二人のやり取りを聞いていたナンシーが「セイイチさん何か演ってくださいよっ」とはしゃいだ様子で声を上げ、シドも一緒になって「Mor:c;wara聞きたいなぁー」と囃し立てる。
「おいおい、冗談はやめてくれよ」
突拍子もない二人の申し出に困惑しながら、セイイチが何気なく店内に目を向けると、テーブル席に着いている他の客も何か面白そうなことが始まる予感に目を輝かせて二人を見守っていた。
「ケンジ君も一緒に!」
「えっ!俺も!?」
客の誰かが発した台詞にケンジが狼狽えて素っ頓狂な声を上げる。
「バンド辞めてから殆ど触ってないし、俺はもう叩けないよ……」と自信無さげな発言をしながらケンジがセイイチに不安に満ちた目を向けると、「リズム隊だけじゃな……」と二人は顔を見合わせた。
「Mor:c;waraの曲書いてたのってセイイチさんですよね?
ギターも弾けるんじゃないですか?」
告げ口ともとれる発言をしたのは先ほどケンジに頼まれてコーヒーを淹れていた女性スタッフだった。悪気はなかったようだがセイイチが”余計なことを”と恨めしく女性スタッフを睨むと、彼女は申し訳なさそうに目を伏せた。
「そうそう、セイイチ君のギターもあるし、なんかやってみたら?」
ケンジがここぞとばかりに責任転嫁する。
”このヤロウ!”とケンジを睨んだが、当の本人は素知らぬふりを決め込んであらぬ方向を見ながら客の無茶ぶりを回避できたことにホッとしているようだった。しかしそこでセイイチはふと疑問を口にする。
「俺のギター?」
Mor:c;waraではベーシストだったセイイチは作曲以外でギターを弾くことは無かった。曲作り用に自分のギターは持っているが、それは自宅か作業場のスタジオにしか置いていない。バンド解散後にケンジに頼まれて、店に展示するためのベースを一本寄贈したことは覚えているが、それ以外はセイイチには心当たりが無かった。
「ほら、あのギター。セイイチ君がくれたやつだよ」
そう言うとケンジがステージ脇の音響機材が集められた一角を指さした。そこには年期の入った古いアコースティックギターが一本立てかけられている。セイイチはそれを見て「ああー」と思い出したように唸った。
「あれは俺のギターじゃねぇよ」
「えっ、じゃあ誰のギター?」
「さぁ、俺も知らねぇ」
妙に素っ気なく、何処と無く不機嫌そうに答えるセイイチ。その剣のある物言いに、ケンジはセイイチの心の変化を敏感に感じ取った。
「スタジオに置いてあったんだよ。
イチロウのでも無いらしいけど、捨てるわけにもいかないから、会社で保管してたんだ。お前が店に飾るギターを探してるっていうから、譲ったんじゃねぇか」
「へえ、そうだったの」
平坦な返事をして平静に振る舞いながらも、ケンジはセイイチの感情の揺れを気がかりに思っていた。
「え、なになに?何なのそのミステリー?」
セイイチの様子の変化に気づく筈もなく、ナンシーが面白そうに肩を揺らす。しかしセイイチは何も答えず無言のまま煙草をふかしているので、ケンジはセイイチがそれ以上語りたがらない理由に思い当り、追及するのをやめた。
「どうぞ。コーヒーです」
注文していたコーヒーが淹り、女性スタッフがセイイチにコーヒーを差し出す。「おっ、サンキュ」と言ってそれを受取ると、セイイチは短くなった煙草を灰皿に押し付けて「じゃあ、またな」とケンジに声をかけた。
「あとでスタジオにも出前してくれ」
「蕎麦屋じゃねぇっての」
セイイチが店を出ると彼等の演奏に期待を寄せていた客達の残念そうな溜息が漏れた。店内はいつもの平日の夜と同じように落ち着いた雰囲気を取り戻した。
「オーケー、お疲れKANON」
ミキシングブースからレコーディングブース内に声をかけるセイイチ。緊張した面持ちでセイイチのチェックを見守っていたKANONにようやく笑顔が浮かんだ。
「今回の新曲はマジで会心っスね!」
「お前が言うと軽く聞こえるな」
「いや、本気ですって。やっぱスゲェっすよ、セイイチさん!」
KANONの歌録りが終了し、新曲の全貌がほぼ形になった。Kは曲の出来栄えに感嘆しながら自分のことのように喜び、セイイチも我ながら上出来だと頷いて、満足のいく仕上がりを内心で評価していた。
これからまだミックスダウンの作業が残っている。細かな指示をエンジニアに出さなければいけないため、まだまだ気を抜くことは許されない状況だが、作業がひと段落付いたので一つ肩の荷が下りたような心地だった。
「お疲れ様でした」
レコーディングブースから出てきたKANONがセイイチに声をかける。
「おう、お疲れ。おかげでいいのが出来そうだよ。
ありがとな」
セイイチが手を挙げて応えると、KANONは弾けるような笑顔を見せて、嬉しそうに「ありがとうございます!」と頭を下げた。
背が高くスリムで、切れ長な二重の大きな瞳にシャープな輪郭のKANONは世間ではクールな女性というイメージが強い。それでもこうして近しい人間にはよく笑顔を見せる愛想のいい女性なので、レコーディングの際にしか顔を合わせない多くの男性スタッフは、そんなKANONの笑顔に骨抜きにされるらしい。
マネージャーに促されてスタジオを後にするとKANONの立ち去った後の室内には男達のむさ苦しい溜息が聞こえてきそうだった。
「これでCMが決まればKANONさんは来年の顔ですね」
「まだ気が早ぇよ」
「そうですか?松山さんのあの様子じゃ、決まったようなもんじゃないですか」
「だといいけどな」
CMの話を聞いて以来セイイチは、内野あかりと同じように何も無い荒野でKANONが歌う姿を想像して楽曲のイメージを膨らませてきた。まだ形にはなっていないが、Kの言う通り今回の新曲の完成度の高さは、更なる秀作が書けそうな自信をセイイチに抱かせていた。
「内野あかりもあのCMで時の人になりましたからね。きっとKANONさんも来年は音楽賞総なめですよ!」
「そんな簡単じゃねぇよ」
「そんなことないですって!今回の新曲ならヒット間違いないですよ!」
「楽観的な奴だね」
興奮するKとは対照的なセイイチだが、言い知れない期待感が胸の奥に燻り始めているのを自覚していた。
メロディーが出来上がったとき、これはKANONにとって代表曲になるとセイイチは確信し、すぐにレコーディングを開始しようと言い出した。
KANNONの歌声は男性キーに近い中域辺りにハリがあり、男性のロックボーリストにも引け劣らない力強さがある。そんなKANNONの声を生かすため、疾走感と迫力のあるハードロックを中心に曲作りをしてきたが、女性の歌うロックは下手をすると聞き手を選んでしまうとっつきにくさがあるとセイイチはいつも感じていた。
今回は挑戦的な試みとして、意識的に爽やかで耳に馴染みやすいキャッチーさを追求してみたのだが、結果的にKANONが本来持っている女性特有の繊細さを上手く引き出すことに成功し、最高の一曲に仕上がったと自負している。
「音楽賞か……」
賞が欲しくて音楽を志したわけではないが、着実に歩んできた活動が実を結び、評価されるのは素直に嬉しい。
そういえばMor:c;wara時代にいくつか賞をもらったなと、セイイチは当時のことを思い出そうとしたが、授賞式会場の独特の空気感に終始緊張し通しだったことしか記憶にないと気付いて、乾いた笑いが込み上げた。
日本レコード協会会員に属する大手レコード会社各社が協賛して開催する年に一度の音楽の祭典。受賞式会場の高級ホテルには沢山の音楽業界関係者の他、マスコミや芸能関係者が来場し、かつて自分達が憧れたロックスターの面々も顔を揃えていた。
息が詰まりそうな小さな密室のなかで毎日同じ面子と顔を突き合わせて繰り返すレコーディングの日々。
噎せ返るような熱気の中、煙草やアルコールの匂いが充満するライブハウスでがむしゃらに演奏に明け暮れてきたメンバー達にとっては眩しすぎるくらい華やかな世界が広がっていた。
タキシードや高価なブランドスーツで身を包んだ来賓達の中、派手な髪型でチャラチャラした出で立ちのMor:c;waraのメンバーは完全に浮いた存在で、ただでさえ緊張しているのに、どこか浮わついた空気と格式ばった貴賓さとが混在する不思議な空間が醸し出す独特の雰囲気に完全に飲まれてしまっていた。
受賞式のステージでどんなパフォーマンスをしたか、今では思い出すことすら出来ないほどあの時は頭が真っ白だったが、ひどい緊張のせいでKENJIが終止えづいていたことだけは何となく覚えている。
ほんの数年前のことなのに随分大昔のことみたいだな。とぼんやりしていると、最近は過去のことばかり思い出してはナーバスになっている自分に気が付いて慌てて頭を振った。
まだ残っている作業に集中しようと、気持ちを切り替えるセイイチ。息抜きのために喫煙所へ向かおうとすると「煙草っスか?」とKも後からついてきた。
道すがら煙草の箱を探してポケットに手を入れると例のデジタルプレイヤーが指先に触れた。取り出すつもりはなかったが、煙草の箱と一緒に出てきてしまい、セイイチは慌ててポケットの中に戻そうとする。
「別に隠さなくてもいいじゃないスか」
Kがセイイチの仕草に気づいて窘めると、セイイチは疲れたように「お前の言う通りだよ」と呟いた。
「今こうしていろんな人間が一緒に同じ目標に向かって走ってるっていうのに、俺はずっと過去を引き摺って生きてるんだ。
二年も前に録音されたデモだけを頼りにどこの誰かもわからない歌い手を探し出そうなんて馬鹿だよな……」
セイイチにしては珍しい弱気な発言にKが同情したのか「だけど、そのおかげでKANONさんを見いだせたんじゃないですか」とフォローした。
セイイチは鼻でフッと嗤うと「ああ、皮肉な話じゃねえか。本来の目的は未だ果たせていないままだ」と寂しそうにひび割れた液晶の画面を見つめた。