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Track9: Desperado

 懐かしい歌声がヘッドホンを通して聞こえる。目の前に座るタスクはカフェのテラスからぼんやりと空を眺めているが、その横顔はどこか緊張していた。


「まだ持ってたんだ。恥ずかしいから消してよ」

「え、嫌だよ、良く録れてるのに」

「自分で歌えばいいじゃない。Mor:c;waraの曲にするんでしょ」

「いやいや、曲作りは兄貴とイチロウ君のセンスには遠く及ばないよ。あの二人は天才だからね」

「うん、何度も聞いた」

「兄貴がいなかったら今の俺もいないから」


 タスクは同じMor:c;waraメンバーのSEIICHIとICHIROUの音楽的な才能を尊敬して、いつもそんなことを言う。しかしユウコにとってはタスクも十分天才だった。学生の頃、適当に歌っただけの鼻歌をすぐに譜面に書き起こして曲に仕上げてしまったことは今でも忘れられない出来事だ。

 プロになるつもりも音楽で身を立てたいという思いもユウコにはないが、音楽という共通項で繋がっている以上、お互いの才能の差に引け目のようなものをユウコはいつも感じていた。

 タスクの音楽活動が忙しくなり、ユウコも大学が忙しくなって来たことで会う時間は以前に比べて減ってしまったが、二人の心のすれ違いの理由は時間的なことだけではないとユウコは感じている。

 カフェの前を楽器を背負った女子高生の一団が通り過ぎていく。その手にはインディーズバンドを特集した雑誌が握られていて、表紙にMor:c;waraの写真が掲載されていた。

 Mor:c;waraのメンバーとして活躍するタスクは、今や友人と呼ぶにはあまりにも遠い存在のような気がする。こうして同じテーブルについていること自体が不自然で、ユウコにとっては心苦しい現実だった。


「最近人気出てきたよねMor:c;wara」

「まだまだだよ。みんな俺の卒業を待っててくれてたから、これから頑張らないと」


 そう言ってタスクは通り過ぎていった女の子達の背中を見送った。その横顔を見てユウコはずっと思っていたことを唐突に告げる。


「ファンが沢山いるんだから、彼女なんていちゃダメだよ」

「えっ?」


 タスクは何か言おうとしたがそのまま口籠った。ユウコが切り出そうとしていた話の内容をあらかじめ察していたのだろう。二人の間に沈黙が訪れる。


「そろそろ次の講義が始まるから、戻らないと」

「あ、……うん。大学忙しそうだね」

「まぁね。……バンド頑張ってね」


 タスクとの小さな恋が終わった瞬間だった。







 ほんの三分ほどの録音が終わり再生が停止する。

 ラップトップに繋いだデジタルプレイヤーから流れる懐かしい自分の歌声を聞いていると、なんだか少し恥ずかしい気がするものの、胸の奥にホッとする懐かしい温かさが宿るのをユウコは感じた。

 昨夜セイイチはタスクのデジタルプレイヤーをユウコに託した。理由はこのデジタルプレイヤーの本当の持ち主はユウコだからだということらしいが、それがどういう意味なのかユウコにはまだ解らなかった。ユウコはずっと昨夜のセイイチの言葉の意味を考えていた。


「君が持っていてくれ」

「え、いいんですか?」

「ああ、この曲の本当の持ち主は君だろ?」

「でも、Mor:c;waraの新曲だって……」

「いや、多分違う」

「え?」

「よく聞いてみな。君にもわかるはずだ」


 昨夜から何度も繰り返し聞いてみたが、結局その意味は解らずユウコは諦めてベッドに寝転がった。


 二年の時間を経てようやく戻ってきたギターが視界の端に映り、ピックガードが貼られていた部分に薄っすらと白い汚れがついているのが目に入る。掠れてしまって今では何と書いてあったのか読み取ることはできないが、それはユウコにとっては忘れられないタスクとの思い出の一つで、ギターが戻って来たことは素直に嬉しかった。

 手元に残った二枚のピックガードを眺める。一枚は学生時代にタスクが張り替えたもの。もう一枚は昨夜、タスクのギターから剥がしたもの。

 二枚めのピックガードの裏に書かれた文字列を眺めながらその意味を考えていると、ふいにラップトップのミュージックプレイヤーのインターフェースが目に留まりユウコはハッとした。アプリケーションとリンケージされたプレイヤーの容量が何かのファイルで大きく占領されていることに気づき、ファインダーでプレイヤーのディレクトリに直接アクセスしてみる。

 画面に表示されたものを見てユウコは小さく驚きの声を上げた。ユウコは慌てて部屋を飛び出すとTom&Collinsへと走った。







「ええーっと、確かこの辺にぃ~」


 ガレージの中でケンジが残された荷物の山をかき分けていた。


「まだ見つかんねぇのか?」

「うるさいなー、セイイチ君も手伝ってよ」


 店の備品やMor:c;waraの遺産が数多く残されている箱の山は無秩序に積み重ねられているので、どこに何が入っているかが解らず、きちんと整理しておくべきだったとケンジは心から後悔した。


「お前に解らないなら俺が入っても同じだろ」

 セイイチは煙草をふかしながら、一人悪戦苦闘するケンジの背中をただ黙って見ている。

「あった。これだ!」


 ケンジが目的の箱を見つけるとセイイチは吸いさしの煙草を捨てて、ようやくガレージの中に入ってきた。箱の中にはMor:c;waraの未発表曲を収録したデモCDや古いパンフレット、雑誌のインタビュー記事のゲラなどが無造作に詰め込まれていて、その中に表紙も何もないまっさらなクリアケースに収められた一枚のCDーRが入っていた。セイイチが「これだ」と得意げにそれを取り上げる。

 CDーRの表面には何も印刷されておらず、”アコースティック・ブルー(仮)”とだけ書かれたラベルが貼り付けられている。


「そのCDーRにもあの曲が?」

「ああ、デジタルプレイヤーは昨日あの子に渡したけど他にも音源があったのを思い出したんだ」


 ケンジが額の汗を拭いながら、散らかしたガレージの箱を適当に整理すると、過去の遺産が詰まった箱を二人で覗き込んだ。


「へー、機械に疎いセイイチ君がコピーを残しておくなんて今日は雪が降るかもね」

「ちがうよ。あの子のギターケースに入ってたんだ」

「え? じゃあユウコちゃんに渡すためにタスクが入れておいたってこと?」

「さぁな。あの録音と同じものが入ってるだけだぜ。特に意味は無さそうだけどな」


 手書きのラベル以外、何も目印になるものがないCDーRは、以前セイイチがギターをスタジオから回収した際に見つけたものだった。歌声に関する情報が何か得られるかと思ったものの、中に収録されていたのはデジタルプレイヤーに記録された音源と全く同じ音声だけで、それ以外には何も聞き取れなかった。声の主を見つけた今、セイイチにとっては胸に秘めた計画を進めるための資料として必要なものだ。


「あ、セイイチ君見てよコレ」


 箱の中を漁っていたケンジが一枚のチラシを引き抜いてセイイチに見せる。


「二年前のオーディション?」


 ケンジが箱から取り出した古いチラシには次世代を担う新たな才能を発掘するオーディション開催の知らせがプリントされていた。日付は二年前で、主催していたのはまだ設立間もない頃のEclipsRecordsだ。時期的にはツアーが終了して間もなくーー TASKが事故で亡くなりMor:c;waraが解散を発表した直後だった。

 独立したばかりの会社を盛り上げていくため、Mor:c;wara以外のアーティストも育てていくことを目的としたオーディションだったが、タスクの訃報を受けてバンドが解散し結局開催されることはなかった。その後、再起をかけて改めて開催したオーディションでは、TASKの録音データの女性を探し出すという別の目的がセイイチの中にはあったが、偶然にもKANONを見出し会社は立ち直った。


「懐かしいねーこれもスタジオにあったの?」

「多分な。この箱に入ってるのはSeaNorthとの専属契約が終了したときに、スタジオに残ってたものをとりあえずまとめて突っ込んだだけだから」

「いいかげんだな~」


 セイイチの大雑把な仕事ぶりにケンジが呆れながら苦笑する。


「でもスタジオにあったってことは、これもタスクがユウコちゃんに渡そうとしてたってことなのかな?」


 ケンジがしげしげとチラシを眺めながらそんな疑問を口にするが「考えすぎだろ」とセイイチがそれを否定した。


「オーディションに呼ぶなんてそんなまわりくどいことするか?

 直接紹介してくれればいいじゃねぇか」

「いやぁ、それは……」


 ばつが悪そうにケンジが言葉を濁すとセイイチは「なんだよ?」と不満げに口を尖らせた。


「セイイチ君、自分が認めた人以外認めないじゃん。

 だから直接紹介したくなかったんじゃない?」

「そんなことねぇよ!」


 セイイチは思わずそう否定したが、つい昨日の海老名とのやり取りを思い出して急に後ろめたくなった。自分の頑固さが招いた今回のことにはきちんとケリをつけなければいけないと思い返す。


「イチロウ君から聞いたよ。会社辞めるって啖呵切ったんだってね」


 海老名とのやり取りを思い出しているのを悟ったかのようにケンジがその話題に触れる。いつもニコニコと和やかにしている割には他人の心の内を見通すのが上手いので、ケンジには嘘をつけないとセイイチはいつも思う。


「二人が喧嘩するのはいつものことだから、心配はしてないけど、ちゃんと謝らなきゃダメだよ」

「解ってるよ、うるせぇな」

「君達二人が居なきゃMor:c;waraは存在してなかったんだよ。Eclipseも二人で作った会社なんだし、どっちが欠けても上手くいかないのはお互い解ってるでしょ」


 そんな恥ずかしくなるような台詞を平気で口にできるケンジがセイイチは少し羨ましかった。偽りや飾りが無く本音で思ったことを言えるケンジの存在は、衝突の多かったセイイチとイチロウにとってかけがえのない存在だった。

 自分達だけじゃない。誰が一人欠けてもそれはMor:c;waraではなかったとケンジに伝えたいと思うが、すでにそのバンドが存在していないことにセイイチは歯痒さを覚える。そのまま二人はガレージを後にして、箱を持ったまま店内に戻った。

 カウンターに段ボールを乗せて中を漁りながらケンジがもう一つ気掛かりなことをセイイチに尋ねる。


「K君とは?」


 昨夜ユウコを探しに出たKは、セイイチ達と一緒に警察から戻ったケンジが連絡を入れるまで、街のあちこちを探し回っていたらしい。そもそもKとユウコにそれほど深いつながりがあるわけではないので、全くお門違いな場所を探し回っていたらしく、ケンジが連絡すると、はじめは抗議の声を上げはしたもののユウコが見つかったことを素直に安心しているようでもあった。

 そして店が終わりユウコやスタッフ達も帰宅した後になってようやくKが戻ってきた。セイイチはKの姿を見るや否や、いきなり掴み掛かろうとしたが、いつものようにケンジが止めに入り冷静に話し合うように促した。しかしKはなぜセイイチが激昂しているのか全く思い当たらないといった様子で、困惑しながら申し開きをする。


「社長に聞きましたよ。ひどい誤解ですよ」

「誤解だと?」

「確かに、サエちゃんのことについては話していなかったこともありますけど、その必要が無いと思ったから言わなかっただけです。」

「ふざけるな!KANONのCMがなくなったんだぞ!」

「……それは、悪かったと思ってます。だけど  

 サエちゃんの親が誰か知ったところでセイイチさんは考えを変えたりしませんよね?」

「どういう意味だ?」

「セイイチさんにはフェアに判断してもらいたかったんです。

 彼女が誰の娘だろうと、才能だけを純粋に評価してもらいたかったんです。」


 セイイチの表情は憤然と怒りを湛えているが、Kの説明を聞いて微妙に変化するのがケンジには分かった。


「お前がサンライズの連中とつるんでるって話は?」

「そりゃ、昔の同僚ですから飲みに誘われることくらいありますよ」


 怒りに顔をこわばらせているセイイチとは対照的に、Kは落ち着いた様子で事実だけを語っているのが穏やかな表情から読み取れる。


「向こうが俺に紹介してきたんですよ、路上に面白いやつがいるってね。

 多分そのころからサンライズも目をつけてたんですけどサエちゃんがセイイチさんのファンだったからこっちを優先してくれたんです」


 Kの話を聞くうちに、セイイチはとんでもない勘違いをしていることにだんだんと気付き始めているようだった。しかし一度振り上げた拳をすんなり下すのが気に食わないのか、依然として表情には怒りの色を顕したままでいる。


「なんで電話に出ないんだ?」

「言ったでしょ、今日は家の用事があるって。

 忙しくてそれどころじゃなかったんです」


 そう言うとKは不服そうに眉間に皺を寄せるとケンジに向かって抗議を始めた。


「ケンジさんもケンジさんですよ。約束すっぽかして俺にだけ片付けさせるなんて」「いや……本当すみません。反論の余地もありません……」


 ケンジがあっさりと非を認めてKに謝罪すると、その様子を見ていたセイイチは理解が追いついていないといった怪訝な眼でケンジを睨みつけた。


「俺がセイイチさんを裏切るはずないでしょ。

 Mor:c;waraに憧れたからEclipseについてきたんですよ」


 「周りを信用しろ」といったイチロウのセリフがセイイチの脳裏に蘇る。

 WEBニュースの記事を鵜呑みにして自分を信頼してくれている人間を裏切るような真似をしたのはどうやら自分の方らしいと気づき始めたセイイチは、腹の底で煮え滾っていた怒りが徐々に鎮まっていくのを感じる一方で、その怒りの矛先は自分の早合点による不注意へと向っていった。


「セイイチさんが信じてくれなかったのは残念です……」


 苦しい胸の内を吐き出すように、緊張した様子で遠慮がちにそう切り出したK。怒りに任せて裏付けのないままKを糾弾してしまったことを思えば、セイイチはどんな批判を受けても仕方ないと思った。


「俺にだって夢がありました。

 自分のバンドはうまく行かなかったけど、この仕事をはじめてからほかの誰かの背中を押してやることがもう一つの夢になったんです」


 いつも飄々としているKの顔つきには沈鬱な影がはっきりと表れている。


「彼女の歌声は俺が出会った才能の中でもダントツで輝いて見えました。

 だからセイイチさんにも理解してもらえると思ったんです」


 感情をあまり表に出さないKが、切々と訴える深刻な瞳をセイイチに向ける。それは心の底から吐き出した悲痛な叫びに聞こえた。


「明確な理由があって、プロデュースを断ったなら俺だって納得します。

 ……だけど、今のセイイチさん見てると、ずっと過去の亡霊にしがみついてるようにしか見えなくて……」


 自分でも気づいていたことだが、いつも近くで見ていたKの言葉だからこそ、その鋭さが胸に深く突き刺さる。ただひたすら理想を追い求めるあまり、周りが見えなくなっていたのは事実で、最大の理解者を信頼していなかった自分が呪わしかった。Kはそのまま少し言い淀むように間を置くと、覚悟を決めたような厳酷な眼差しでセイイチを見澄ました。


「セイイチさんが俺の夢を壊したんです」


 鈍器で殴られたような重い衝撃がセイイチの肩に圧し掛かる。いつも楽天的なKのそんな大らかさに甘えて、必要以上に傷つけてしまっていたと思うと、セイイチは自分が許せないと感じた。


「悪かったよ……」


 ただ一言、そんな言葉しかセイイチは言えず、それ以上何か言おうとしても下らない非難の言葉しか出てこない気がしてセイイチは臍を噛んだ。


「二人とも本音で話すのが下手すぎるんだよ」


 暗い顔で対峙する二人を見かねてケンジが仲裁に入った。


「セイイチ君は何でもかんでも自分の責任みたいに背負い込みすぎるし、K君はセイイチ君に遠慮しすぎ」


 ケンジの容赦ない指摘が二人の緊張状態を和らげた。

 痛いところを衝かれた二人は、悔しそうに、それでいてどこか照れ臭そうに表情を緩めると、二人の様子を見て取ったケンジが「まだ言い足りないことがあるなら、とことんやるといい」と言って二人をカウンターに座らせた。

 並んで座る二人の前にジャックダニエルのボトルをドカンと置くと「店のおごりだ」とケンジが苦々しく笑った。




「今日から三日間特別休暇だってよ」

「休暇?」

「イチロウの妙な誤解のせいでKには迷惑かけたからな。責任感じてんだろ」

「君も少しは責任感じなさいよ」

「言われなくても感じてるよ」


 煩わしそうにセイイチがそう言うと、店の扉が開きカラカラとベルが鳴った。「おはよぉございまぁ~す」というのんびりした挨拶が聞こえてセイイチとケンジが目を向ける。


「あれぇ、セイイチさぁん。いらっしゃいませぇ」


 相変わらず鈍い喋り方をする金髪の店員に「ああ、邪魔してるよ」と応じるセイイチ。平静を装ってはいるものの、セイイチが彼の話し方が気に食わないのは明らかで、ケンジは面白そうにニヤついた。


「土井君、今日は早いね。開店までまだだいぶ時間あるよ」

「はいぃ。早く目が覚めちゃってぇ。

 昨日忙しくて、やり残した仕事がまだあるのでぇー

 早めに準備しようかと思いましてぇ」

「助かるよ。ありがとう」


 こういう人間は体感している時間の流れものんびりしているんだろうか?と二人のやり取りを聞きながらセイイチが考えていると、再び店の扉が開き、今度は勢いよくベルが鳴り響いた。


「ハァ、ハァーー……! セっ……セイイチさん……っ!

 よかったーー……ハァ。ここにいて……っ!」


 肩で大きく息をしながら切れ切れに言葉を繋ぐユウコ。彼女の突然の登場にセイイチもケンジも呆気にとられて返事をするのも忘れてしまっていた。


「ユウコちゃん、どうしたの? 今日、休みだよね……?」


 驚くケンジを他所にユウコはセイイチに焦ったような眼差しを向け続けたまま何か伝えようとしていた。何度も大きく息をして、ようやく呼吸が整ってきたところで、切羽詰まったように声を上げる。


「セイイチさんっ ーー大変ですっ!!

 メッセージの意味が解りました!」







 小さな事務室の中でひしめき合いながら、コンピューターの画面を覗き込む四人。頭と頭がぶつかりそうになりながらも強い好奇心に駈られて押し合いへし合い全員がモニターを見つめている。


「さぁて、何が入ってるのかなぁ~?」


 普段は経理計算くらいにしか使わない店のコンピューターを前に、鈍いスタッフの土井が意気揚々と楽しげに声をあげると、試合開始直前のスポーツ選手よろしく首や肩の間接をパキパキと鳴らした。

 モニターを見つめる土井の目は嬉々としていて、いつもの彼からは想像がつかないくらい凛々しい横顔を覗かせている。カタカタと軽快にキーボードを打つ姿は別人が憑依したような機敏さがあった。


「元々システムエンジニアやってたんだって。

 人間関係に疲れて辞めちゃったらしいけど」

「マシンに触るのは半年ぶりくらいですぅ」


 土井の豹変ぶりに驚いているセイイチにケンジが小さな声で伝えると、それを聞いた土井がいつもの調子でノロノロと答えた。人は見かけによらないなとセイイチが一人ごちる。


「さぁ、開きましたよぉ~」


 デスクトップの画面にはタスクが残したデジタルプレイヤーの中のファイル群が映し出されている。

 ユウコはピックガードに書かれた文字列がディレクトリパスだと気づき、デジタルプレイヤーの中に他にもファイルが隠されているのかもしれないとセイイチに教えたのだったが、機械音痴のセイイチは自分では操作できないのため、代わりに偶然居合わせた土井にPCを操作させることにした。

 ルートディレクトリにはシステムファイルなどを格納するフォルダの他にもいくつかのフォルダが存在していて、音楽ディレクトリには”Notitle”というファイル名のmp3が一曲だけ保存されていた。


「これってあの曲か?」


 画面に映し出されたNotitle.mp3を指さしてセイイチがそう聞くと、ユウコが「そうだと思います」と答える。

 土井がミュージックプレイヤーを起動させてファイルを開くと、例の録音が再生された。


「他には?」


 ケンジが人一倍ワクワクした様子で土井に操作を促す。

 ルートディレクトリ直下の音楽フォルダ以外は映像や画像を格納するためのフォルダが存在しているが、ファインダーに表示されているファイルのサイズはどれも0MBばかりで中には何も入っていないのが解る。しかしその中で1つだけ大きな容量を占めているフォルダがあった。


“data …… size 527MB”


 土井がフォルダを開くとさらにその下に”sonar”と名付けられたフォルダが格納されていた。


「ピックガードのメッセージ……」


 ファインダーの下部に表示されているディレクトリパスには、タスクがピックガードの裏に書き込んだアルファベットの文字列と同じ階層が表示されていて、それを目にしたセイイチが思わず声を漏らす。

 “data/sonar”ディレクトリの中には大量のファイルが格納されているが、PCでは認識できない拡張子のため開くことができず、ファインダーには真っ白なアイコンが大量に並んでいた。


「多分、何かのソフトのファイルじゃないかと思うんですよねぇ。

 専用のソフトがないと開けませんねぇこれはぁ」


 土井がノロノロとそう説明するとセイイチは思わず「くそっ!」と声に出して悔しがった。しかしそこでユウコが考え込むような表情で土井に指摘する。


「このsonarってもしかして、音楽ソフトのsonar (ソナー)じゃないですか?」


 ユウコの発言を受けて土井がネットで情報を調べ始める。

 ファイルの拡張子を見る限りではユウコが指摘した通り、いくつかSONAR独自のファイルが存在しているようだったが結局解るのはそこまでで、公式HPに行くと残念ながら開発が2017年で中止されてしまっているためそれ以上の情報は得られなかった。


「昔使ってたんです私も。彼はデータを常に持ち歩いてたみたいですね」

「そういえば、たまにスタジオのパソコンでなんか作業してたな、あいつ」

「ああ、僕も見たことある。

 みんな疲れ寝てる横で黙々と一人で編集作業してたよね」


 セイイチとケンジがTASKについての思い出を語りながら顔を見合わせた。

 専用ソフトが無ければ開けないデータではこれ以上進展が無さそうだという失望がその表情に現れている。するとユウコが何か思いついたのか、急に土井からマウスを奪い取るとファインダーの中を調べ始めた。


「もしかしたらレンダリングされたファイルがあるかも……!」


 僅かな希望に縋るようにユウコがモニターをじっと見つめながら、沢山のファイル群をスクロールしていく。そしてある瞬間操作の手が止まりユウコは目を輝かせた。ひとつだけPCが認識しているファイルが存在していた。

 Fullversion.flacという名前が付けられたファイルだけ8分音符のアイコンで表示されている。そのファイル名が意味するものを全員が同じく理解した。一同は誰が言うでもなく皆一様に同じ期待に息を飲み、小さな空間が沈黙に包まれる。

「それ、再生できるか?」とセイイチがユウコに聞くと、マウスを奪われた土井が「ちょっといい?」とユウコから再びマウスを取り返してアイコンをクリックした。しかし画面には”サポートされていないファイル形式のため再生できません”というメッセージのダイアログが表示され、ファイルを開くことが出来なかった。


「ああ~、やっぱりダメですねぇ。

 flacは標準ではサポートされていないので変換しないとぉ」

「どういう意味だ?聞けないのかこれ!?」


 苛つくセイイチが声を荒げて土井に詰め寄る。しかし土井は焦れるセイイチのプレッシャーには全く動じずに「ちょっと待ってくださいぃ~」と軽く受け流して、ブラウザで音声ファイルを無料で変換できるサービスを探し始めた。


「flacファイルはぁ~、圧縮率の低いファイルフォーマットなのでCDと同じくらいの音質があるんですぅ。最近だとハイレゾの音源なんかにもよく使われてますねぇ~。容量が大きいのでそのまま再生できるプレイヤーが少ないんですよぉ~」


 専門用語がさっぱり解らないセイイチは土井が何を話しているのか殆ど理解できていないため、ただその作業の成り行きを見守ることしかできず、ますます苛立ちを募らせた。


「CDにして誰かに渡そうとしてたってことなのかな?」

「そうかもしれませんねぇ~」


 ケンジが土井に対してそう言ったのを聞いて、セイイチは記憶の琴線に何かが触れるのを感じた。しかしその正体が何なのか解らず、ひとまずはそのまま土井の作業を見守る。

 目当てのサイトを見つけた土井がflacファイルを変換サービスに読み込ませると、ブラウザには変換完了までのカウントダウンが表示された。約三十秒ほどで変換が完了する。


「二年間持ってたのに気づかなかったなんて、セイイチ君マジで機械ダメなんだね」

「うるせぇ、俺はアナログが好きなんだよ」

「CDはデジタル音源ですよぉ、セイイチさん」


 土井のツッコミに対して腹立たし気にセイイチが悪態を吐くと隣でユウコがクスクスと笑った。何時か聞いたやり取りだな。とセイイチが口の中で呟くとその瞬間に思い出した。TASKとあの夜に交わした最後の会話を。

 新曲の構想があると明かしたTASKに対してSEIICHIはCDにして寄越せと要求した。その時も彼と全く同じ会話をしている。

 つまりタスクはこのデータをセイイチに渡そうとしていたのだと気づいて、セイイチはTASKの意思を二年間もこの中に眠らせてしまっていたことに居た堪れない気持ちになった。


 PCに接続した小さなスピーカーから変換完了のアラートが鳴り響く。ブラウザからmp3に変換したファイルをダウンロードすると、いよいよ待ちに待った瞬間が訪れて、室内の全員が固唾を呑んだ。

 土井が画面に表示されたmp3ファイルをダブルクリックしてミュージックプレイヤーを起動させると、勿体ぶるようにはじめの数秒間だけ無音のままタイムカウントが進み、その後サンプリングされたギターやドラムの音が流れ始めた。

 打ち込み音源のようで楽器の音は機械的な音色を発しているが、緩やかなメロディーはMor:c;wara 初期の楽曲を思わせる力強いロックバラードに仕上がっている。楽曲の導入部を耳にしてセイイチは「あの曲だ……!」と力強く頷いた。


「バンド編成でロック調にアレンジされてるけどこれはあの録音と同じ曲だ」

「じゃあ、これがMorcwaraの新曲ーー」

「いや、たぶん違う」

「え?」


 セイイチはそれ以上の説明はせず再び音声に意識を戻した。じっくりと吟味するように眉間にシワを寄せて音源を聞いている横顔に、ユウコはセイイチの発言の真意を掴めず困惑する。

 イントロが終了し歌唱パートが始まると歌声の代わりに電子ピアノの旋律が流れ始めた。タスクの歌声を聴けるかと期待していたユウコは少し残念に思いながらも、歌声の代わりにメロディーを紡ぐ電子音に意識を向けて、なぜ自分で歌わなかったのか?と疑問を感じた。

 自分の歌声で聞いていた時とは違い、電子音が無機的なために音階だけがより際立って聞こえる。ユウコは記憶のなかでタスクの歌声を再生し、PCから流れる音楽にその面影を重ね合わせようとしたその瞬間ーー ユウコはセイイチの言葉の意味をようやく理解した。


「キーが高い……!」


 思わずそう呟くユウコに、隣でセイイチが満足そうに何度も頷く。


「録音を聞いた時からずっと疑問だったんだ。あいつの音域ではこの曲は歌えない」

「じゃあこれはなんのために……?」

「はじめから君のために書かれた曲だったんだ」

「え?私のーー?」


 単なる思い付きの鼻唄がタスクの手によって生まれかわり、ユウコ以上に強い思い入れを抱いていたのはタスクだった。そのためユウコにとってはタスクの曲という認識しかなく、Mor:c;waraの曲として書き直すつもりなのだろうとずっと思っていたが、それが自分のために書かれた曲というのは一体どういうことなのか理解できなかった。

 趣味で歌う程度の自分に曲を残そうとした理由がユウコには検討もつかないし、バンドに託そうとしていたというセイイチの話を信じるならば大きな矛盾が生じる。セイイチの発言を俄かには信じられないユウコが困惑する一方で、大いなる謎解きに成功して喜ぶように、ひとり納得しているセイイチが続ける。


「もしかするとアイツは自分の代わりを捜してたのかもな」

「え?」

「残された時間が少ないことを知ってあいつは自分の代わりに歌い続けてくれる誰かを捜していたのかもしれない」


 そう言うとセイイチが黙ってユウコを見つめた。その目には真っ直ぐな力強さがあり、ご褒美を待つ少年のように熱い期待が込められているように感じた。そしてセイイチと同じようにケンジも強い眼差しでユウコを見つめている。


「まさか、それが私だって言うんですか?」


 悪い冗談でも聞いたように狼狽えるユウコに、セイイチは何も言わずに頷いた。その態度と眼差しは真剣そのもので、冗談を言っているようにはとてもみえない。

 思いもしなかった事態に混乱してしまったユウコが返答に詰まっていると、ケンジがセイイチの考えを補強するように告げる。


「僕もセイイチ君の言う通りだと思うよ。

 TASKの才能を見出だしたのはセイイチ君だったからね。

 セイイチ君に曲を託したのは、ユウコちゃんの才能にも気づいてくれると信じたからなんじゃないかな」


 タスクにそんな計画があったなんて信じられないと感じながらも、ケンジとセイイチの二人が認めてくれているという事実をユウコは嬉しく思った。そしてセイイチはユウコが一番気に病んでいたことに答えを出してくれた。


「アイツが羨ましいと言ったのは、君なら自分の思いを具現化するのに十分な才能を持っていると信じたからだと思う」


 羨ましいと言われたときから、もう二度と歌ってはいけないような気がして、ずっと音楽から遠ざかっていたというのにーー また歌っても良いのだろうか?と、ずっと押さえ付けていた衝動が疼くのをユウコは感じた。

 曲が中盤に差し掛かり、デモ音源では失われていた部分に差し掛かると、ギターによる伴奏がしばらく続いた。ギターソロが挿入される予定だったと思わせる構成で、次第に全ての楽器の音が厚みを増していくと、そのまま曲は盛り上がりが最高潮のまま再び歌唱パートに雪崩れ込んだ。


「完成してたんだな」

「……約束守ってくれたんだ」


 タスクと会話を交わした最後の夜、彼は明言しなかったものの、きっと完成させてくれるとユウコは信じていた。二年前既にその約束は果たされていたことに気づいて、ユウコは瞳を潤ませながら嬉しそうに微笑んだ。

 曲の再生が終わり小さな空間に静寂が訪れると不思議な高揚感が4人を包み込み、しばらくの間誰一人として言葉を発しようとしなかった。セイイチは二年間ずっと探してきた答えをようやく見つけ、ユウコと出会ってから胸の奥で膨らみ始めた希望の光が現実味を帯びて目の前に現われたことを実感した。

 そして、セイイチがユウコに向き直りずっと抱いてきた思いを言葉にする。


「君のことを俺にプロデュースさせてくれ!」

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