魔女と白雪姫
こんにちは、葵枝燕でございます。
今回のお話は、公式企画[冬の童話祭2018]参加作品でございます。企画内イベント「ifの話」の「白雪姫」を使っています。
童話、というには何だか漢字が多めな気がしないでもないですが、作者はあくまでも“童話”のつもりで書いております。
それでは、どうぞご覧ください!
その魔女は困っていました。目の前には、美しい一人の少女がいます。
(何てことだろうね。これでは、わたしの願いが叶わない)
魔女は、何とか笑顔だけは絶やさずに、少女を、少女の手にした赤い果実を見つめていました。少女は、困ったように自身の手にあるその赤い果実を見ています。ツヤツヤときらめくその実は、魔女の目から見てもとてもおいしそうなものに見えました。
(せっかく、最高の毒を仕込んだというのに)
そう。魔女は、目の前にいる少女の命を奪うために、ここにいるのです。魔女はどうしても、目の前にいるうら若い乙女を赦すことができなかったのでした。
魔女は、とある国のお妃様です。前のお妃様が病気で亡くなり、その次の妻として王様と結婚したのでした。
亡くなった前のお妃様には、王様との間に一人娘がいました。雪のように真っ白な肌に、薔薇のような赤い唇、気立てのいい性格――あらゆる意味でとても美しいその娘は、皆から“白雪姫”と呼ばれていました。
魔女は、自分より何歳も下の娘に、途轍もない嫉妬心を抱きました。それはもう、魔女自身でさえも自分自身の心が理解できないほどに、強く醜い感情でした。
そんな魔女の心に、さらに暗い感情を堕としたのが、魔女の大事にしている魔法の鏡です。この鏡は、質問には何でも正直に答えてくれるのです。
「鏡よ鏡」
ある日、魔女は鏡に訊ねました。
「この世で一番美しいのは、だーれ?」
王様と結婚してから、魔女はそれを訊くのが習慣となっていました。鏡はいつも『この世界で最も美しいのは、お妃様、あなたです』と言ってくれました。魔女はそれが、嬉しかったのです。
周囲の人間は、亡き前王妃の娘である白雪姫に夢中でした。夫である王様でさえも、前のお妃様に生き写しだという白雪姫に優しく接していました。それこそ、ときには魔女のことを蔑ろにしてしまうほどに溺愛していたのです。
だから魔女は、鏡が自分の欲しい答えをくれるのが、たまらなく嬉しかったのです。
『この世で一番美しいのは』
しかし、その日の鏡の答えは、魔女の望んだものではありませんでした。
『白雪姫です』
それから何度も、日付が変わる度に魔女は鏡に問いかけました。この世で一番美しいのは、一体誰か――と。しかし、鏡から魔女の望む答えが返ってくることはありませんでした。
(わたしが、美しくないっていうの?)
それは、魔女にとって認めたくない事実でした。それでも、魔女自身にもわかっていたのです。この世で本当に美しい人は自分ではなく、亡き前王妃の娘である白雪姫だということは、心のどこかでは知っていたのです。
知っていたからこそ、魔女の心は暗い色で満たされていきます。暗い感情が混ざり合って、魔女の中に激しい炎となって燃え盛りました。
(……認めるものか)
その夜。魔女は、一人の狩人を部屋に呼び出しました。
「おまえに頼みがある」
そう切り出しましたが、その言葉には有無を言わせぬ響きがこもっています。そんなことをしなくても、この狩人が自分に逆らうはずがないことを魔女は知っていました。
「王妃様の頼みとあらば、何なりと」
「よい返事だ。二言はないな?」
狩人が頷いて応えます。魔女は、ニタリと口角をつり上げました。
「白雪姫を殺しておしまい」
「……は? 今、何と?」
魔女は、恐ろしい笑みをよりいっそう強くして、
「白雪姫を殺せ、と。そう言ったのだ」
と、命じました。
「な、なぜでございますか? 白雪姫はあんなにも慕われていらっしゃるし、それにまだ幼いではありませんか」
「わたしの頼みが聞けないとでも? 先ほどの『王妃様の頼みとあらば、何なりと』という言葉は、わたしの聞き違いか?」
その重い言葉に、狩人がブルリと身体を震わせます。
「……承知しました。必ずや、王妃様のご期待に応えましょう」
「よろしい。証拠として白雪姫の心臓を持って、もう一度ここに来い。成功した暁には、金貨を二袋――いや、五袋やろう。……期待しているぞ」
「ありがたきお言葉」
狩人が、低く頭を下げます。魔女は、満足げに頷きました。
数日後。狩人が、魔女の部屋を訪ねてきました。
「こちらが、白雪姫の心臓でございます」
獣の皮でできた袋を差し出しながら、狩人はそう言いました。
「やってくれたか」
魔女はその袋を受け取りました。中を確認しようかと思いましたが、後でゆっくりと一人のときに確認しようと決めて、狩人へと向き直ります。
「そこのテーブルに、約束の金貨五袋が置いてある。持って行くがよい」
「ありがとうございます」
狩人は、テーブルに置かれた五つの袋をサッと持つと、挨拶もそこそこに部屋を出て行きました。魔女としても、いつまでも狩人に居座られると困るので、呼び止めることはありませんでした。
(これで、わたしがこの世で一番美しいはずだ)
魔女の中には、そんな思いだけがありました。
「鏡よ鏡」
狩人の手によって白雪姫がいなくなってから、数日の月日が流れました。その日、魔女は鏡に訊ねました。
「この世で一番美しいのは、だーれ?」
今度こそ、自分の欲しい答えをくれるはず――魔女は、そう思っていました。
『この世で一番美しいのは』
鏡が厳かに答えます。
『白雪姫です』
“シラユキヒメ”という言葉が一つ、魔女の耳を、頭を、心を、揺らしていきました。
「何だって!?」
それは、あり得ない答えでした。白雪姫は、既にこの世にいないはずなのですから。その証拠は、今も魔女の部屋にあるのです。
「もしや、嘘を言ってるね……? あまりわたしを怒らせないでおくれ。これ以上言うと、割ってしまうからね」
魔女は、低い声で脅すように言いました。固く握りしめられた拳は、怒りによって震えています。
『恐れながら申し上げます。ワタシは嘘を言いません。この世で一番美しいのは白雪姫――それは、事実でございます』
鏡は、そんな魔女の声に臆することなく、凛とした声で答えました。その声に、魔女の怒りは頂点に達し、魔女は固く握りしめた拳を振り上げました。しかし、その手は鏡を叩き割ることはなく、力なく下ろされました。
「なるほど、ねぇ」
魔女にも、この鏡の言っていることこそが真実なのだということは、どこかでわかっていたことでした。鏡は嘘を言いません。鏡の言うことは、全てが真実。だとすれば、答えは一つです。
(つまりわたしは、あの狩人に騙された――ということか)
それに気付いた魔女は、ドアへと身体を向け、どこか颯爽とした足取りで、部屋の外へと出て行きました。
しばらくして部屋に戻ってきた魔女の手には、一つの林檎の実が握られていました。それは、庭園に植えられている林檎の木になっていたもので、魔女はいくつもの実の中から一際立派な実をもぎ取ってきたのでした。
(すまないね)
魔女は心の中で、林檎の実に謝ります。こんなに美しい実を、人の命を奪うために使おうとしている自分が、ひどく醜いものに思えました。
「ここか」
魔女は、森の入り口に立って、そう呟きました。
(こんな近くにいたとはね)
白雪姫の居場所は、城からそこまで離れていないこの森の中だと、鏡が教えてくれたのです。なんでも、森に住む七人の小人達と共に暮らしているということでした。そして、その七人の小人達が、朝日が昇ってから夕日が沈むまで仕事に出かけていることも、鏡から得た情報でした。つまり、昼下がりのこの時間、家の中には白雪姫ただ一人――これほど絶好な機会もないでしょう。
「フフフ」
憎い白雪姫を、ようやく亡き者にできる――そう考えると、魔女の口からは自然と笑いがこみ上げてきます。
(待っておいで、白雪姫。わたし自ら、殺してあげる)
魔女の手に提げられた籠には、真っ赤に熟れた林檎の実が入っています。その中でも一際美しい実に、魔女は毒を仕込みました。食べたら最後、白雪姫の息の根は完全に止まるという猛毒です。
魔女は、森の中に向けて一歩踏み出しました。
魔女は困っていました。目の前にいるのは、一人の美しい少女――名は、白雪姫。白雪姫もまた、困ったように手の中にある果実を見つめていました。
「食べないのかい? こんなにおいしいのに」
魔女は試しにと、毒の入っていない林檎の実を、白雪姫の目の前で囓ってみせました。普通なら、それで安心して自分も林檎を口にするはずです。しかし、白雪姫は、困り顔で林檎の実を見つめているだけです。
「あの……」
意を決したのか、白雪姫が口を開きます。
「ごめんなさい、いただけません」
「なっ!? あ、いや……どうしてだい?」
動揺を悟られないよう、魔女は慌てて言葉を足しました。白雪姫は、そんな魔女の心の内に気付くことなく、林檎の実をそっと指で撫でています。
「あたし、その……林檎が……」
よほど言いにくいことなのか、白雪姫は口ごもりながら言葉を紡ぎます。そんな白雪姫の様子に、魔女は何だかイライラしてきましたが、白雪姫の言葉を辛抱強く待っていました。
「林檎が、大嫌いなんです」
「へぇ、そうなのかい。林檎が大嫌いねぇ。……え?」
魔女の頭が、一瞬その思考を止めて、すぐに忙しなく動き出しました。白雪姫は、そんな魔女にやはり僅かも気付くことはありません。
「だから、いただけません。ごめんなさい」
「そ、そんなこと言わずにさぁ。ほら、一口食べてごらんよ。もしかしたら、好きになるかも――」
「お断りします」
ピシャリと、白雪姫は言いました。魔女は思わず息を飲みます。
「誰だって、嫌いなコトやモノ、苦手なコトやモノは、避けたいはずでしょう? 無理をしてまでそんなことをするなんて、あたしはいや。林檎を食べるくらいなら――」
白雪姫は、手の中の赤い実を憎々しげに見つめました。
「いっそ死んでしまった方がいいわ」
魔女は、トボトボとした足取りで帰路につきます。籠の中には、大量の赤い木の実がありました。その中には、毒を仕込んだ林檎の実もあります。
あの後、色々な方法を魔女は提案しました。パイ、ジュース、ジャム――しかし、その全ての意見を白雪姫は却下しました。どんなに手を加えても、それが林檎であるなら絶対に食べたくない――その意志を、白雪姫が曲げることは最後までありませんでした。
「わたしとしたことが、敵のことを全く見ていなかったとはね」
力のない声が、夕暮れの中に溶けていきます。自分が全く白雪姫の好き嫌いを知らなかったことを、魔女は深く後悔していました。
「林檎がだめなら、他のモノで試すしかない……か」
沈んでいく夕日に目を向け、魔女は今度こそ成功させてみせると、強く決意したのでした。
『魔女と白雪姫』のご高覧、ありがとうございます。
書き始めてから完成間近になるまで、タイトルが『林檎嫌いの白雪姫』でした。でも、どちらかというと魔女が主人公な感じがしたので、今のタイトルに落ち着きました。
この企画に参加するのも二度目ですが……やっぱり童話って難しいなと感じました。これは、はたして童話といっていいのかというのが、ずっと頭に居座っていました。でも、作者が「童話なんです、一応!」と言えば、そうなるのかなと思って投稿します。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました!