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聖剣英雄(偽)譚  作者: 伽藍堂
序章~空の上
7/75

07

 リーダー格の男は前に出た。


 由利の冷やかな視線がその一挙動を射貫く。

 ひらひらと紙吹雪が由利の周囲を踊る。

 ナイフははらりと形を崩し、由利の手の中に収まった。



 男は泣いていた。それでも紅い瞳は力強く輝き、その能力を放っている。男の涙は悲しみの涙ではない。涙の粒は重力に逆らって、音も無く漂う。




「我々はどのような刑に処されるんだ?」

「司法は神祇庁の管轄ではないのだよ。それと、裁きを受ける気があるのなら……その力を収めてはくれないだろうか」



 男の手元で水の滴が集まり出す。



「善悪の基準は何だと思う?」


 静かな声で問う。水は揺れて、その様子はまるで遊んでいるようだ。



「ふむ、少なくとも君たちではないだろう。君たちの思想は何も解決はしてくれない。理想を叶えるのは正しい手段だ。決して力ではない。それに……君たちの力はただの仕事にきた公務員に妨げられるほど弱いのだから」


 違うかね、と由利は問う。



「なるほど、だが我々は救われる。自己満足で救われるんだよ」



 そして彼らの思想は一人の少女を救う。彼らは一人の少女を救うことで救われる。解決することはなくとも。



「足を掬われるの間違いだろう」



 由利の呪術が男の足元を薙いだ。

 由利の足元から伸びていた紙製のロープは千切れた。横なぎにした勢いのままはらりと揺れて、どこかへ飛んでいく。



 男の足元から水が吹き出たのだ。高圧の水、ウォーターカッターというようなものか、と由利は当たりをつける。ウォーターカッターほど強力でなくとも元来紙は水に強くない。



 由利の手元で筒状の物体が形作られた。だんだんと棒は伸び、先に刃らしきものが形成される。一メートルほどの『パピルススピア』は棒に刃が付いただけの簡素な造りだ。原始的な槍だった。


 その上見た目はペーパークラフトそのものなので、仕事用のスーツを着た姿とは似合わない。ナイフのような小物ならともかく槍は大きすぎる。



 お互いの距離は数歩分お互いに前へ出れば殴りあえる距離。そして今の段階で飛び道具でお互いの命を狩りとれる距離だ。


 二人の意識を表すように紙切れと水滴の舞踊が穏やかになり、場の圧力が増していく。そして互い違いに能力が解放される。



 回転する紙は水を切り離し、弾丸と化した水は紙を噴きとばす。座席からクッションがばらばらに弾け、二人の肉を血が滴る。



「西風よ、ゼファー」



 由利の言葉に男の背後から突風が襲い掛かる。体勢を崩す男の手元で水が渦を巻いて、風の勢いに乗って由利を襲った。


「足を取られているな」

「余計なお世話だ」



 由利は床に押し流された。床を水が覆い、由利は体中を濡らして呻く。自分の起こした風を利用されて、腹が立つことこの上ない。



「炎よ、アグニよ」



 由利は懐に手を突っ込んで呟いた。火が舐めるように由利の体を一瞬覆う。水分だけが見事に蒸発して、湿度の高い熱気が不快指数を上げる。



「仕切りなおしか」


 男の言葉に由利は立ち上がると、苛立ったように懐から手を引き抜いた。真っ白な紙が二枚、微かに『気』と『火』と書かれていた形跡のあるものが宙を舞い、水に落ちていった。


 由利は槍を投擲する。水の盾がそれを受け流し、槍はにわかに紙片に解けた。男は槍の変化になど目もくれず、盾は刀に形を変える。だが由利は反撃を許さず、接近した。



 由利の手には純白のナイフ。躊躇なく喉元を狙う。男の腕に水が纏わりつき、鎧を形成する。由利の体が男の腕を支点に回転し、宙に投げ出される。


 柔術の一種か。由利はそんなことを思いながら、冷静に対処する。投げ出されたその領域は奇しくも槍が解けた場所。



 由利の手元で槍が姿を取り戻す。



 振り返った男の指先から水が迸り、由利の肌に侵入する。血液が迸り、腕の筋肉が弛緩する。


 代わりに槍が男の肩に刺さり、数メートル押しとばす。



 二人は着地する。男は肩を押さえて蹲り、由利は腕を擦り相手を睨む。傍から見れば勝敗は決したようにも見える。だが、テロリストにはもう一人。



 拳は由利の後頭部を壊そうと迫った。由利の裏拳を女の拳は砕き、代償に女は足を掬われる。無防備になった腹に由利の膝が入り込み、女は背中から水の溜まる床に落ちた。



 女は背中から男の水の中に落ちた。男がまだ制御し得る水の塊に落ちた。女は男の能力を強化する能力を持っていた。それを由利は知らない。



「骨が折れた」



 由利は嘆いた。完璧に気が抜けていた。女が聖人と呼ばれる人種だということを思い出すのに少しの、そして致命的なラグがあった。


 女の黄金色の美しい瞳が愉しそうに歪むのを見て、由利は表情を不快感のあまり歪めて、根拠の欠けらもなく跳び退いた。



 女の唇に血が付いていた。体の奥の方から吐き出されたのか、衝撃で口の中でも切ったのか、はたまたあるいは自ら自発的に血液を求めたのか。


 女は床とキスをした。床に残った水に血液を溶かした。


 水が不気味に脈動した。不自然に脈動した。水に過ぎないのに、ただ勢いで飛んだ弾丸とは違い何かの意思を感じさせる、そんな動きを見せた。


 水の塊が流動を始め、流れを作る。まるで生物の血液が体内を一周するように。



 水は今や、獣となっている。猛々しい、テロリズムに盲従する意志なき獣。輪郭ははっきりとし、関節の位置までも容易に想像できる。


 二人の能力が創造した幻獣。

 ギリシアの神話でオルトロスと呼ばれる、尾が蛇、二つの頭を持つ犬。



 体内では真っ赤な血液が凝り固まり、一つの器官として定着している。血液器官は水の流れを生み出すために脈動を繰り返しているのだろう。心臓というわけだ。喉の辺りで水の流れがうねりを作り、気味の悪い音を奏でた。



 槍がはらはらと姿を変える。切っ先が丸くなり、あたかも棍棒のようになる。『パピルスクラブ』と銘された紙の塊は由利の手の中に行儀よく収まった。


 それから思い出したように髪の一部が手の中から這い出て腕を保護するように巻き付いた。右腕が折れているらしい。



「ハーキュリーズのものまねか」

「日本ではヘラクレスと呼ばれることの方が多いがね。神話通りに殺されたまえ」



 ギリシャの英雄ヘラクレスはミュケナイの王に仕え、十二の仕事をした。


 その一つにゲリュオンという怪物の飼っている牛を奪うというものがある。そして牛を守っていたのがオルトロスである。オルトロスはケルベロスという三つ首あるいは五十の首を持つ犬の弟として登場する。

 オルトロスはヘラクレスと戦ったが、棍棒で殴り殺されてしまったらしい。



 由利はどこかで学んだ知識を再確認する。大事だと思える大筋だけを切り取る。必要不可欠なのは棍棒を持った人間がオルトロスを屠ったというところ。


 単なる験担ぎだが由利は至って真面目に考える。


 ヘラクレスという怪力の英雄がオルトロスを倒すシーンを。できるだけ細かく、詳しく、神話に正確性はいらない。ただ最強の英雄が野良犬を殺すシーンを思い浮かべる。



 呪術は科学ではない。聖人や魔人の能力も科学的には説明できていない。どこまでも適正が求められる、天性の、超自然的な技能だ。人間の脳や身体はある程度科学的な制御を受けいれることとなったが、よりオカルトな領域は科学ではまだ解明されていない。大切なのはイメージだ。


 呪術はイメージに左右される。


 ヘラクレスがオルトロスを殺した。英雄が怪物を殺した。正義が悪を滅ぼした。そのイメージは反映される。


 古代の人々がその英雄譚を無邪気に信じたように由利も己の勝利を疑うことはない。棍棒を持つ者は怪物の身を砕き、その生命を奪い去るのだ。


 オルトロスは吠えた。生命を得たことを歓喜するように。あるいは由利の中に恐怖心を喚起するように。


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