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聖剣英雄(偽)譚  作者: 伽藍堂
二章~狼
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27

 財布がすっかり重くなった。違和感のある表現だと思う。


 実態は単純なことでお札が減って小銭が増えたのである。重みが増えると同時に心まで重くなったことを痛感しつつも歩みを進める。


 三条さんから解放されて校舎の中へ、静かな世界へ逃げ込もうという算段だった。

 もっとも今日の学校で平穏な場所があるとは今更思わない。最後の砦、屋上までが知り合いとはいえ変人に、あるいは変人の放つ雰囲気に占領されているのだ。


 あるいはそれは俺の勘違いやらの要素が積み重なったたちの悪い幻想なのかもしれないけれど。そんな幻想はぶち壊すと右腕を振るったところで、仁からの冷たい視線が余計に息を圧迫することになると簡単に予想ができるから絶対にやらない。


 楽しそうな人の声の間を一人寂しく抜けていくと、気がつけば自分の教室の側にまで辿りついていた。


 教室に吸い込まれていく人々の男女比は男の方が僅かに多いくらいか。教室内から響いて来る女子の高い声が男を引き寄せているのだろう。そんな馬鹿どもが湯水のように銭を落としてくれているのならクラスの首尾は上々だろう。食べ物や飲み物に関してもそう不満の出るような出来ではなく、客も満足できるだろう。


 皆が幸せなWIN-WINの関係が出来上がっている。商売する以上絶対的な得は客ではなく店がするものだが。ただ少しだけ違和感が意識に上る。先程から耳を打つ店員の言葉に強い忌避感を抱く。客側としてみればむしろ甘い誘惑として響くのかも分からないが、問題は俺が店員であることだ。


 いらっしゃいませ、とラーメン屋のような迫力で男子が言っているとすればおそらく客としては多少の恐怖を抱くだろう。予想外だからだ。


 では『おかえりなさいませ、御主人様』と女子が明るく優しく丁寧に言ったならば、多少の苦笑いと共に客足も伸びるだろう。一般的な男子と可愛い物好きの女子やらは喜んで中へ入るだろう。


 それでは『おかえりなさいませ、お嬢様』と男子が物腰柔らかにのたまうものなら、恐らくこれも売上が伸びる一つの要因となりえるだろう。店員がイケメンに限る話だが。


 当然ながらこの喫茶店において、ラーメン屋のような怒号が飛ぶことはない。二つ目のメイド喫茶的なものも別に大丈夫。視覚と聴覚が幸福に包まれること請けあいだろう。では三番目の執事喫茶的対応(ただしイケメンに限る)はどうだろうか。客としては別に構わないよ。


 爽やかな笑顔で言うイケメン相手には失笑をプレゼントするまでである。あるいはメイドに五感を掌握され、まず存在に気付かないという可能性すらある。むしろ気付きたくない。


 別にイケメンの面なんて拝んでも全く嬉しくないのだ。さらには括弧内の条件を満たせないものがそんなことをしようものならば事故が起こるぞ。訴訟ものだ。



 先程からしつこく言うように俺は店員である。ちなみにシフト表で定められた役職は客の案内。要するに俺はイケメンでもないのにあの不愉快な文句を言わなければならないのだ。男からも女からも憐れみの視線を向けられることが確定している。



 それはともかく…………俺がここで客として入店して、今案内をしているらしい男女二人の姿を嘲ってやるのもやぶさかではない。

 声から判断するに二人ともが俺のよく知る人物だ。だが佳奈のメイド姿は幸か不幸か似合っているだろうし、昴も顔だけはいいのだ。むしろ後のシフトにおいて、白けた目を向けられるのは俺の方だろう。


 そろりそろりと教室から逃げようとする俺。教室内に掛かりきりのクラスメイトたちは当然ながら俺に気付くことはない、はずだった。不思議なことに、そして不運なことに俺の姿はクラスメイトに目撃されたらしかった。客足が途絶えて暇な時間が生まれたのが運の尽き、暇を持て余した二人組は気まぐれに教室の外を覗き、俺と目が合ったというところだ。


「おい、どうしたんだ。シフトまだ先だったろ」

「その通りだよ。何か用か?」


 執事のコスプレは予想通り似合っていた。高い女子の集客効果が望めそうである。対して佳奈のメイド服に関して、こちらもやはり高い集客効果が望めそうである。


「佳奈の格好すごいよな」


 佳奈を俺の前に引っ張り出す昴。佳奈は顔を赤らめて後ろに逃げようとしていたのだ。どうせならば速やかに逃げ去ってもらいたかった。昴の下卑た笑いからその狙いを理解する。


「感想の一つくらい言ってやれよ」


 ほとんど予想と違わぬセリフを楽しそうな様子で昴は放った。俺は容易に予想できた流れに対して、情けないことにうろたえる。言葉を失った俺は助け船を求めて咄嗟に佳奈に目を向けるが、彼女は俯いておそらくは俺の言葉を待っているのだろう。


 それならば存分に語ってやろう。口には出さずに。いや、面と向かって女性を褒めるだなんて度胸はありませんよ。真っ白なレース? フリル? 何かふわふわしたものが? とりあえず判断できたことはただでさえ貧弱な語彙の喪失と共に頭が真っ白になったことだ。


「あ、ああ、そのよく似合っていると思うけど」


 顔は背けず、自制心のたまものか朱に染まるようなこともなさそうだ。おかげでただ単に言葉に詰まっただけと取られるだろう。きっと、そうであると願いたい。


「ありがと」


 佳奈の中でもメイド姿を見られるという羞恥は無事に消化されたらしく、血液の巡りも正常に戻ったようだ。嬉しそうな笑顔で応えてくれる。


「ところでお前は感想の一つでも言ったのかよ」


 昴に一矢報いてやろうという企みと昴ならばどう対応するだろうという疑問が半分ずつを占めた問いだった。昴は一瞬動きを止めたあと芝居掛かった動きを始める。具体的には佳奈の手を取り跪いて見せた。


 周囲の視線が集まるのを肌で感じた。え、何のイベントなんでしょう?


 目の前で全て行われている地続きのものだったはずが、いつのまにかラブロマンスの魔空間に。

 というか絵になる。二人が客観的に美男美女だからだろう。昴の口が指先に近付くことはなく、俺の目からは昴の迷いが見て取れた。


 皆の注意が集まり一挙動に張り詰める緊張感。佳奈は呆気に取られて固まっていた表情と行動と、それから思考回路までを取り戻したようだった。二人して口元はわなわなと震える。ここに至り昴は何も考えずにミュージカルの王子様然とした行動を取ったのだということが分かった。


 こいつ馬鹿なんだな、としみじみと思う。

 昴の口元が意を決したように開かれる。佳奈の口元が引き締められる。致命的な一言が紡がれる寸前、佳奈の手が瞬いた。平手が最小限の動きで昴の頬へ吸い込まれていき、そして通り過ぎた。音も無いのは昴が身を引いたからだ。その危機管理能力には敬服するが少しばかり浅はかだった。大人しく平手を受けることを拒否した昴の腹に、佳奈の足が減り込んだ。苦悶の表情と怒りや恥ずかしさの入り混じる表情が鮮やかなコントラストを見せる。


 ギャラリーの一人が倒れ伏す昴に呼び掛けた。


「その教室が店なの?」


 床に転がったまま昴は頷く。佳奈は教室の中に逃げたようだ。ギャラリーの質問で周囲の人々は今の光景を一種のパフォーマンスとして捉えたらしい。最初のギャラリーはドンマイという感じで昴の手に小銭を握らせて店内に入っていく。中の店員は佳奈から変更されたようで、さっきまでとは違う声が響く。蹲る昴の手元にはたくさんのチップが寄せられ、客足は伸びていった。


「大丈夫か」

「ど、同情するなら金をくれ」


 もう一回ボディーに一撃加えてやろうという衝動を抑え、チップの中から数枚くすねる。同情するなら金をくれとは随分と古いドラマのセリフだったはずだが、その気持ちはよく分かる。


 俺だって昴なんかでは思いもよらないような面倒事に巻き込まれているのだ。口を閉ざせば俺の事情は誰も理解できない、俺だけの事情として俺を苦しめ続ける。口を開ければさらに面倒なことになっていくのだろう。

 だから同情はいらないから金はくれ。それただの喝上げじゃないか。


 俺は口を開いてそんな面倒事を呼ぶような呪文を唱えはせず代わりにため息を吐く。それから手の中のコインを見るとそれなりの金額でささやかな幸福を噛み締める。そうして幸運を連れてきてくれた青い鳥を足蹴にすると廊下を歩き出す。


 だがやっぱりシフトのことを考えると憂鬱で、昴に当たった足にそれなりの力が入っていたのも仕方がない。そんな小さなことを気にしていると禿げるかモテないか寿命が縮まるかしてもっと深刻な悩みに発展するのだ。


 それからしばらくしてシフトが回って来てからの記憶は曖昧だ。その理由としては学園祭という密度の高い一日においてそれはスキップできるような些事であったということだ。覚えている価値すらない記憶だった。ということで略。

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