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僕は彼女の体から読み取れた遺言のような命令に従う。まずはベランダに彼女の肢体をあるいは死体を安置する。日の光を浴びて目を閉じる姿は安らかに眠っているようにしか見えない。いや永遠に眠るだけなのだ。彼女の顔を見ると永遠と一晩の違いが分からなくなった。
僕は彼女を日の下に晒したまま、ベランダへの鍵を閉めた。カーテンを閉める。
「どうしたの? ハルヒお姉ちゃんは?」
「ちょっと外にいたいんだって」
ジュリアは僕の言葉に違和感を覚えたようだったが、それ以上は追求しない。これ以上問われても答えが返ってこないことは分かっているのだろう。
ジュリアは基本的に賢い。年相応に可愛らしく、年不相応に現実を知っている。望むものは簡単に手に入ることはなく、望むものが現実に存在しない可能性を知っている。望みが叶うことの不可能性を知っている。
それが子どもとして正しいことかは知らないが、少なくとも僕よりは正しい。望み過ぎて、存在しないものを求めて、血の繋がった存在を壊した。望まなかったが、望む可能性があり、当時要らなかった存在を捨てた。
理想と現実は違う。
そんなことはともかく、ジュリアをどうしよう。やけに陽日に懐いていたようだ。
「お姉ちゃんはいつまで外にいるの?」
「一時間くらいかな」
僕は彼女から感じ取った情報を思い返して伝える。情報の周りをコーティングするように痛みと熱が覆っていた。
少なくとも陽日の体に刃物が突き立ったのも血が溢れたのも事実。
ただ死んではいないのだろう。死んで生き返るというなら別だが。もっともその二つにどれほどの違いがあるかも僕にはいまいち理解できない。ただ感情的には生き返るよりは死んでいないのほうが好ましい。
それはさておき、時間をどう潰そう。今上天皇陛下が何企んでいるか分からないのであまり家を空けたくはない。
さてアニメでも見ますか。往年の名作アニメを選ぶ。テレビの前にあぐらを掻く僕の膝の上にジュリアが乗る。小さな温かさと柔らかさが心地良い。それが女の子特有か、子供特有かあるいは小さな可愛らしい生き物特有かは知らないけれど、僕の記憶にない心地良さ。
目の前で勧善懲悪のどこかで見たようなストーリーが流れ出す。ジュリアはそれに目を白黒させる。
正義はどこにあるのだろう。少なくとも僕の心の中にはない。先程から頭を廻る不安は陽日の安否などではない。死体をベランダに放置するリスクやらの考えが脳内を忙しなく駆け廻っているのだ。
例えば自殺を確固たる意志で行った人がいるとして、それを救うことは正義なのか。やはり僕の中には正義は存在しない。正義とはそこで問答無用で命を救い、その精神までも救ってしまう。そういう容赦のないものだ。僕のように悩みはしないのだろう。
日が傾いていく。あと数時間で6月の12日が終わる。
不思議な心地だ。西日本で最高クラスの権力者を我が家に迎え、彼女は今やただの肉だ。そしてジュリアを抱えてアニメを見る。日常と非日常と幻想が同居した現実。どこまでいっても地続きの現実。昨日までは想像もできなかった現在。二十年前までは想像しようとも思わなかった現在。
日が沈んでいく。温かく日々を見守る巨大な星は見えなくなる。時計を見る。夜が街を覆うのはあと二十分というところか。そして陽日が指定した時間はあと十五分。
前後編の後編は正義が悪を退けるシーン。悪というのも律義なもので、主人公が単調な長台詞を喋れば大人しく終了を待っている。そんなどこか滑稽なシーンをジュリアは神妙な顔をして見つめていた。悪というのもなかなかに立派なもので、そのキャラクターには主人公たちと争うにたる立派な理由があるようだった。きっとストーリーの視点が悪側であれど、面白いものとなっただろう。
善悪が相対的なものであるというような陳腐なものを実感した頃、日が見えなくなるのを感じた。代わりに現れたのは格好の悪い月。あと一日二日で完璧になれるだろうに、まるで未完成なまま無理に空に浮かべられたようだった。
僕はジュリアを床に降ろして立ち上がる。ベランダの鍵を開けると、陽日は座っていた。月光を浴びた陽日は眠たそうに僕を見る。
「面白いことになっているね」
傷一つない体をまじまじと見つめるのも失礼だとは思う。無基質で赤なんて欠けらも見えないベランダの床を見る必要性もない。
「面白いこととは――」
何でしょう? ただそれだけのことを言うタイミングで部屋の中から着信音が聞こえた。
「すぐに分かるよ」
どこか楽しそうな言葉は背を向けた僕の耳に潜りこむ。頭から振り払おうとしても、消えるのは死体放置のリスクに関する思考と正義に関する下らない戯れ言。
スマホの画面に出た名前は同僚の名前。今上天皇陛下が面白いと言うのだからきっと面白いのだろう。何せ自分の体に刃物を突き刺しても平然としておられるお方なのだ。さぞスリリングで常人では計りしれないような内容なのだろう。
電話の向こうから聞こえた声はディスプレイ通りの想像通りの声。内容も想像通りの、予想だにできないものだった。




