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6月の12日、時刻は18時頃。玄武学園高等部生徒会室には明かりが灯っている。
今この部屋に通常の生徒会の業務として残っている人員はいない。ではなぜ残っているか。それは一ヵ月と少し前に同じようなメンバーが集まった時と大差ない理由からだ。
テーブルの上にはコーヒーとココアのカップが並び、湯気がほのかに立ち上る。
パタン、という音が響く。誰もそれに目を向けなかった。本を閉じて本棚に置いた渡会秋晴は手を自分のココアの上にかざした。少しずつ温かさが失われていく様子を全員が見ていた。
佳奈と由利は手元の温かいココアを口に含んだ。甘みは変わらずとも少しだけ温度が下がったような気がして、二人は眉をひそめた。
生徒会の長の腕章を付けている少年は椅子の背もたれに身を委ね、窓の外に立つランドマークタワーを眺めている。その首には真っ白な包帯が巻かれている。
庶務の少年は椅子に深く腰掛け、睡魔に身を委ねている。
「個人的な用件で申し訳ありません」
生徒会長は背中を向けたまま口火を切った。話を聞くつもりで来た三人は顔を見合わせた。生徒会長が個人的な頼みをすることは多いことではないが存在する。だが真剣に頭を下げて話を切り出すのが常だった。
「……いえ、ちゃんとした仕事なんですけど、ちょっと個人的な事情がありまして」
椅子をくるりと回す。軋む音が苦しそうに響く。首筋に伸びた手は居心地の悪そうに包帯を弄っている。
生徒会長である三条大樹が怒っているということは簡単に伝わった。それは表情や声といったものではなく、より視覚的な情報として伝わった。
三条大樹の瞳は赤と黒で明滅し、地獄の炎と闇を覗くような気分を三人にもたらした。三人は静かに口にカップを近付ける。温かさが地獄の余熱のようで気分が少し重くなった。
三条大樹も自分のコーヒーを飲む。何を思ったか、一気にそれを飲み終えると
「こんな気分で飲むもんじゃありませんね」
と笑った。苦々しい笑みだった。
やはり三人は黙ってカップに口を付ける。最後の一滴までがカップから消えた時、渡会は沈黙を破った。
「何があった?」
簡潔な言葉は会話の始まりとして最適なものだった。
「僕は数日前、仕事に失敗しました」
言葉が途切れた。その静寂が不自然なものになるまえに次の質問が空気を震わせる。
「どんな仕事だったんですか?」
年下の同僚の質問に、明滅する瞳はいくらか安定した。
「端的に言えば、僕は人を殺しました」
驚くほど平坦に人を殺したという事実を告げる。庶務の少年は重いだろう瞼をうっすらと開き、再び閉じた。佳奈は目を丸くしてなにかを堪えているような様子だ。大人二人は静かに死者に目を閉じる。
「失敗したというのは殺してはいけなかったということかね?」
まるで世間話でもするような気軽な様子で由利は口を開く。ただ目を閉じて祈るだけで気持ちの整理を終えたのは職業病とも言える馴れだ。たとえそれが生徒でも、他人が血に手を汚すことは自分が手を汚すこととは違う。そこには月とすっぽん、雲と泥の差がある。
「いえ。殺すことは構いません。ただそれよりも荷物を奪うことが優先でした」
事務的な口調で訂正する。そこにはまるで人の命などないようだ。佳奈は落ちつきなく飲み終わったカップを弄っている。由利はその様子を見て、少しだけ安らぎを覚える。
「それに死んだのは新聞の記事になってましたよ」
「ああ、スーツの男が殺されたやつか」
「無職のスーツ男かね」
ニュースでは未成年のチンピラが捕まったと言っている事件だ。どうやらチンピラは犯人ではないらしい。皆が押し黙ると静けさ余計に強調される。三条大樹が息を大きく吸うのもはっきりと強調された。そして静かに沈黙を破る。静寂は破られてしまう。
「……荷物の中身は魔銃でした」
それにどういう意味があるのかそれぞれ吟味する。佳奈も銃という響きに一度は目を輝かせたが、その意味合いに気付いたのか、筋肉が強張った。
張り詰めた空気は重く停滞する。夕方から明るさが消えていき段々と夜の闇が広がる。その闇に一足早く呑み込まれたような暗さだった。窓の外ではランドマークのセントラルタワーが輝き出した。
セントラルタワーがどういうものかここにいるメンバーは共通認識を持っている。それは神様の兵器を封印する場という共通認識だ。
神様の兵器は剣と呼ばれる。正確に言えば剣と呼ばれることが多い。それは剣が一つの代表格だったからであり、それが定着しただけのことだ。
銃もあれば弓もある。剣と言えども幾通りも存在するのだ。
「月明かりを浴びる狼ってあんなにかっこいいんですね」
魔の銃が出現した。ただそれだけのことだ。そういうように三条大樹は微笑む。だが他の誰一人としてまともに微笑むことはできない。ただ苦しい息の音が喉から出た。
「それが、どうして個人的な問題になるのだね」
由利は懐から紙片を出して言った。警戒を顕にする。まず由利の頭を過ぎったのは三条大樹が魔銃の力を手に入れようとすること。どこまでも個人的で、利己的な望みだ。
そしてその望みは神祇庁の公務員である以上、抱いてはならないものだ。公務員は市民の利益と権利を守るべきものだからだ。少なくとも結城由利は最大多数の最大利益を理念として働いている。
「僕には妹がいます。生意気な妹でいつも喧嘩ばかりですが」
口元が歪む。高校生に似付かわしくない疲れた声。
「先生は所有者になる条件を知っていますか?」
三条大樹は気持ちを切り替えたように先程よりいくらか明るく問い掛けた。
「所有者になる条件?」
今まで聞いたことのない表現に由利が訝しげな声を出す。
「所有者になる条件は欠落していること」
深い眠りから覚めたような庶務の少年は答える。感情を欠落したようでいつもの調子とは違う様子。椅子の上の体は存在までもが欠落したように朧げになる。
真っ黒な目が周囲を見回す。その中身の欠けたような視線に皆が居心地の悪さを感じる。
「クラウンの言った通りで、欠けていることが所有者の条件です」
気を取り直すように三条大樹は再び口を開く。
「僕の妹の名前を知っていますか?」
「三条朧」
淀みのない滑らかな答えを返したのはクラウン。誰も覚えることのない名前を迷うことなく口にする。
「僕は刺青にして、頭に呪術と能力で書き込んでいます。朧って漢字が格好良くて助かってます」
そこまでしてやっと記憶することを許される名前だということだ。事実、ほかの三人はそれぞれの方法で記憶を試みたようだ。宙に書いている佳奈は、口を開いて眉をひそめた。氷でその名を造形した渡会は形が崩れると同時に記憶まで崩れたようだ。紙に記入した由利はそれから目を離した途端、不安そうに目を泳がせた。
「この間はまだ覚えてたのに」
佳奈は諦めがつかないようで悔しそうに言う。手は何度も意味のある文字をなぞろうとして断念している。
「目の前に本人がいるなら、多少は記憶しやすいんだ」
「つまりこれが名前の欠落ということかね」
「名前に力があるというようなことはお前の専門だろ。結城」
「言葉に力がある、だ。もちろん名前にもだが。物事を規定するのが言葉だというのは別に呪術だけではない」
苦虫を潰したような表情で名前の書かれた紙を眺める由利。紙を離して、意識を集中させる。紙は変化していく。その文字列にそって自らを規定しようと姿を変えていく。そこに現れたのは形容しがたい形。それはある場所から霞のように、またある場所から塵に、さらには空気に溶けるように消えていく。
「……実態がない。初めてだよ。こんなことは」
「……朧は明日消えて無くなります」
消えて無くなるというフレーズは不気味な余韻を残して消えていく。
「どうか助けてください」
三条大樹はいつも通り頭を深く下げる。
それに対し、いつも通りの返答がいつもより重みをもってされた。
窓の外では中途半端な形の月が東の空に浮かんでいる。セントラルタワーはいつも通り彩華島を見守るように立っている。自然の光と人工の光はまるで示し合わせたように強く発光する。妖しく怪しく、神秘的に輝く。
妹を守るという個人的な欲望を嗤うように、大自然は、超自然は輝き続ける。




