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聖剣英雄(偽)譚  作者: 伽藍堂
二章~狼
52/75

18 ※

 電話を掛けた覚えはある。だが家に帰った覚えはなかった。


 頭を振って考える。


 僕は確か廃棄区画にいた。廃棄区画で情報収集をしていたのだった。なぜか。それは仕事だったからである。誰からの仕事か。それは女子校生であり一級呪術師であり天皇陛下であるお方だ。

 僕は情報収集の結果、求めた情報でなく、情報収集を邪魔する輩がいることに気が付いた。

 安全第一、自己保身、女性至上、幼女性愛をモットーとして掲げる僕は悩む間もなく、電話を掛けたのだった。無論四番目は冗談である。八割程度。


 電話を掛けたのだった。

 それはおかしな話だ。僕は電話を掛けてから家に帰った覚えはなかった。


 今僕が横たわるのはフローリングだ。木には見覚えのある染みがいくつも付いている。目線を上げると見なれた家具がある。いつも使う家具だ。

 鼓膜を打っている、聞いているだけで幸せになれそうなボイスは僕が養う幼女のものだ。


 僕は身を起こす。少しだけ頭が痛むような気がして抑えてみると抜けた記憶が帰ってくる。寝起きで意識が定まっていないようだ。


 裸ワイシャツ、裸エプロン、裸の幼女、自己保身をモットーとして掲げる僕は電話を掛けた。頼れる女子校生へと縋ろうと思ったのである。ちなみに僕は社会人として自立をして五年くらいは経っている。それから四つのうちある程度は冗談だ。



 たっぷり十回コールして、繋がる音がした。それから僕は彼女の指示を一つ聞いたのだった。


 その指示の通り僕は愛用のスマホをコンクリートの上へ置いた。メールが届いたのはそれからすぐのことで、僕は地面に置いたままでそれを開いた。画面には魔法陣が描かれていた。その魔法陣がどういうものかは知らなかったが、直感にしたがって、それから離れた方がいいと思った


 日の光のように穏やかに発光する模様。その光は徐々に強まり、僕の視界を塗り潰そうとするかのようだった。事実、僕の視界は暖かく、柔かな光に白く染まり、意識は黒く染まった。


 どうやら頭の痛みは殴られたか、何らかの物理的な手段で打撃を加えられたことに起因するらしい。


 僕は立ち上がり、伸びをする。腕時計に書かれた日付は6月の12日。時刻は午後の三時。時刻だけを見て何時間か経ったのだなと判断しかけて自制する。1日と数時間が経っているらしいことに気付いたからだ。


「よく寝ていたな」


 僕の背中に体感で1日程前に聞いた声がぶつかる。


「おはようございます」


 僕は彼女に背を向けたまま挨拶をする。振り返りたくなかったのは、彼女がここにいることを夢だと思いたかったからだ。夢ならば余程いいと思いつつも、恐る恐る振り返る。


 恐れ多いことに天皇陛下は僕の狭い家の中、裸足で立っていた。別に僕はその御御足を舐め回すように眺めていた。嘘、ただ目が釘付けになってしまっただけである。黒い髪に黒い目は僕の目にしっかりと写る。その美しさは漠然と捉え所がなかったが、頭の惚けているせいだろう。


 僕は目を黄金色に輝かせて顔を摘む。流れ込む自分自身の情報は意識が鮮明に保たれている事実を脳に伝える。夢を見ているわけでも幻を見ているわけでもないことが確定した。


「あの、少し頭が悪いようなので少し膝枕をさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「いい医者を紹介してあげようか。外科が専門なんだけど」


 膝枕の代償に外科に行く必要があるような怪我をさせられるらしかった。

 僕は冷たい汗を背中に感じて、苦笑いする。


「一つ質問をしてもよろしいでしょうか」


 陛下は僕の問いに対し、どうぞとでも言うように手を出した。彼女の後ろの方には不思議そうな顔をしたジュリアがいる。


「なぜあなたがこちらにいらっしゃるのでしょうか?」


 僕は心持ち姿勢を正して、丁寧な言葉遣いに気を付けて発言する。神祇庁という組織は上下関係、年功序列、敬語の使用について結構甘い組織である。求められるのは仕事ができるかどうか。だからこそ僕のような社会性の欠けた人間でも勤まっているのだが。


「敬語はいいよ。天皇様がこんなところにいるわけはないからね」


 彼女は悪戯っぽく笑った。そうだ、天皇陛下がこんなぼろい部屋にいるはずがない。京都の皇居で雅な生活を送っているのが相応しい。


「陛下はなぜこのようなところにいらっしゃるのでしょう?」


 繰り返したのは同じ質問。僕の思考能力は驚くほど衰えているらしい。陛下もそれがお分かりになったのかフレンドリーな口調でこう言った。


「OK。まずボクの名前を知ってるかい?」


 僕は混乱する頭で思い出そうとする。


「黎明天皇でしたっけ」

「失礼だな。死ねと言われるようで気分が悪いんだけど」


 彼女は苛立った様子になる。そう言われてそれがどういう名前か思い出す。死後に贈られる名前だ。


「失礼しました、今上天皇陛下」

「贈り名で呼ぶなんて世が世なら極刑ものだよ。不敬罪だ。それにボクの名前は称号とは違う。さらにここでは天皇なんて呼ぶな。そして敬語もなしだ。分かったかい? 二級異能師さん」


「しつれ……ああ、ごめん。僕はあなたの名前を覚えてない」


 僕は正直に言う。国の象徴たる天皇の名前など、記憶に全くございません。テレビのニュースや新聞で天皇陛下の名前が記されていたとして、そんなものを覚えるくらいならアニメの若手声優の名前を覚えるのが僕だ。僕は特定のメーカーの電化製品をよく使うからってそのメーカーの社長の名前を覚えはしないし、よく会う上司の下の名前など興味もない。人の名前なんて正直どうでもいいのだ。


「陽日と呼んでくれ。苗字がないからね」


 彼女は照れ臭そうに言った。


「陛下では駄目ですか」


 僕の言葉に彼女は少し黙ったあと答える。


「ボクはまだ数日身分を隠してここにいるからね。ばれたくない。敬語も息苦しいからやめて欲しい」


 なるほど、納得がいかない。確かに敬語は息苦しい。年下の女の子相手に必死に御機嫌を取るようにするのは本意ではない。ばれたくない、身分を隠すというのも分かる。とても正規の手段だとは思えない方法で、外出――天皇風に言えば行幸しているのだから。ではここに数日間留まる理由は何だろうか。


「なんでこんなことを?」


 僕は曖昧に問う。何を尋ねるべきなのかという困惑が如実に表された、いい質問だと思う。


「明日、玄武学園の学園祭がある。そこで聖剣とコンタクトを取ろうかな、と」

「えと、保護者の方的なのから了承は」


 僕は陽日の身を案じてみる。大体答えも想像ができるから、嫌な予感がした。


「あると思う?」


 陽日は今の状況を楽しんでいるような口振りだ。純粋培養のお嬢様っぽいしな、と無責任に考える。だがよくよく考えると、神祇庁次長は能力がなければつとまらない。それにこの人当たりの良さ、フレンドリーさはあまりお嬢様っぽくない。


 どうやら陽日は本気で聖剣とコンタクトを取るつもりらしい。国の象徴が国内でも有数の脅威へと歩み寄るのは一向に構わないが、どこかよそでやって欲しい。ニュースで眺めるのが相応しい出来事だ。


「分かった。で、これからどうするの?」


 自分自身の環境適応能力に自信を持つ。理不尽なのはどこでも一緒だ。会社だろうが学校だろうが役所だろうが、上司のわがままに振り回されて、鬼の居ぬ間に洗濯よろしく上司の居ぬ間に悲しく愚痴り合うのだ。諦めろ、諦めたらそこで潔くすっきりと次に進めるぞ。


 仕事を的確にこなすにはある程度諦めることが重要だ。諦めたら試合は終了するけど次目指して頑張ろうぜ、くらいのポジティブさが必要だ。諦めに寛容になることが肝要だ。


「とりあえず、ジュリアちゃんともう少し遊んどくよ」


 天皇陛下の遊び相手などとは出世したものだな、ジュリアよ。テロリストの娘なのに。件のテロリストたちはその陛下から何らかの取引を持ち掛けられたらしいけど。あれかな、娘さんをくださいみたいな感じかな。向こうからすれば命を助けてくれるなら何でも、という感じだろうか。


「ところでさ、一昨日頼んだことやってくれた?」


 陽日はジュリアを膝の上に乗せて頭を撫でながら言う。


「やっている途中でした」


 僕の体感で一日前の依頼は全くできていない。実際は妨害を受けて戦略的停滞をしたわけだが。


「やっている途中だった、ね……。諦めたらそこで試合終了なんだよ」


 僕のちょっとした丁寧語を咎めるように訂正したあと、まるで僕が仕事を途中で放棄したというふうに咎める。別に可愛らしい女の子からなじられるのは嫌いではないが、そんな風に決めつけられるのは心外だ。僕だって公務員の端くれ、給料分の働きをしようと思うのは当然だ。ただでさえ安い給料なのに。


「おかしなことがあって困ったから電話したんだけど」


 僕もまるで言い訳でもするような心地で小さな声を出す。


「困ったことか。ボクがここに来たことかな?」

「それは困ったことがあった結果起こったさらに困ったことです」


 陽日は少しだけ悲しそうな顔になる。ジュリアはその体に身を預けて顔を見上げた。


「何があったの?」

「妨害がありました」


 陽日の口は感心したように動く。ジュリアは僕と陽日の顔を見て理解できないことを悟ったのか目を閉じた。陽日は口元を上げて好戦的ともとれる笑みを浮かべた。


「面白いことになってきたな」


 陽日はどこか遠いところを見据えて呟いた。


「サイコメトリングは当然だけど一方的な能力だろう?」


 一応は質問の形式をとっていたけれどそれは何とか聞き取れる程度の音量。答えたものか迷うレベルだ。そしてその推測は正しい。僕の能力は触れたものから意識や記憶を読む能力。意識せずに残された、たとえるなら無雑作に捨てられたゴミを拾うような能力だ。

 そこから人の知られたくないものまで読みとろうというのだから下世話な能力だ。


 当然残されたものがどうなろうが、それを気にするものは誰もいない。経験則として今まで見知らぬ相手から情報収集を妨害されたことはない。


 僕は目の色を物理的に変え、腕時計に触る。流れ込む意識、記憶、情景。最近のものはほとんど僕自身が体験したことだ。女子高生の後ろを幽鬼のような足取りで着いていく自分の姿が朧げに見えたがそれは忘れてしまおう。


 続いてスマートフォンに触れる。意味の分からない1と0の波の向こうに情景が出現する。情景の渦を読み解くような心地で眺めると、陽日の姿もあった。神祇庁の地下での僕と彼女の意識を記憶しているのだろう。陽日はどこまでも感情の感じさせないただの情報を記録している。


 残す情報はコントロールできる。では残した情報をコントロールできるのか?


 誰の意志で僕の能力は邪魔されたのか。誰かの意志があの情報の上に上書きされていて僕の能力を途切れさせるような効果を生み出した。きっとそうだろう。現実的にできることなのかはともかくとして。


 陽日がベランダに出ようとしたらしかった。外の6月の空気が部屋に入る。梅雨のせいか少しずつ湿っていく嫌な空気だ。


 陽日は陽光を浴びて佇む。陽日はこちらに目を向けた。その目の色は紛れもない黒。


「どうしたの、お姉ちゃん?」


 ジュリアは床に座って眩しそうに陽日を見る。気付けば日の光が部屋に入りこんでいる。


「ごめん、なんでもないよ」


 陽日は安心させるように微笑んだ。太陽のような温かい笑み。僕はベランダに向かう。足元に気をつけて、陽日に集中しながら。僕は陽日のことを知ろうとする。僕は確かに陽日が先程まで座っていた場所を踏んだ。


「まさか、ありえないでしょう?」


 驚きのあまり敬語になった僕を陽日は咎めるような冷たい目で見る。その目はやはり夜のようだ。


「この世にありえないことなんてありえない」


 陽日の視線の先、僕の後ろで何かが倒れる音がした。ジュリアは心地良さそうな寝顔を見せている。


「僕もこんな風に穏やかに気絶させられたらよかったな」


 僕は先程まで痛んでいた頭を掻く。僕の視線の先、別に僕が陽日の胸にばかり注視していたというわけでないが、陽日の胸には赤い染みができている。僕は息を呑んで注視する。別に性的な意味ではなく。


 陽日の手はいつの間にか小刀を握っていて、その刃は赤く濡れている。


 緩やかに力と血液を失っていく体を咄嗟に支える。彼女から流れ込んだ情報に欠けたものはなく、今の現状を伝えていることを僕は悲しく思う。彼女は呪術を使っておらず、彼女の眼光は黒いまま変色することはない。


 彼女は穏やかに心臓の鼓動を止めていき――。

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