04
幸い、誇れることではないが俺は授業をサボり馴れている。教室では読書と睡眠と最低限の学習並びに宿題。それ以外の場所では睡眠と読書。ちなみにあまり禁止されている類のものを持ってこないのは没収されると面倒だから。
そんなわけで一限から授業をサボったのはさして問題ではない。今は屋上で風を浴びながらのんびりと過ごしている。と思いたかった。
いつも通り避難したのは屋上に続く階段。屋上は俺が知る限り開かれたことはないのだ。
そこには驚くことに先客がいた。ウォーカーなんて名前のくせに絶対歩いたわけではないだろう人でなし。通い馴れたサボり道を転校初日の生徒に待ち伏せされたのはあまりいい気分ではなかった。
ソフィアはいとも容易く南京錠を引き千切る。女子高生の挙動じゃないなぁ、としみじみ思っていると怪訝そうな目付きで見られた。ホームルームからほぼノンストップで精神攻撃を受けている気がする。
「どういうつもりだよ?」
俺は屋上のドアを開けるソフィアに尋ねる。
「屋上に出るつもりですが」
冷やかな言葉におちょくられている気分になる。確かにそんな冷水のような視線を浴びせ掛けられれば太陽光の一つや二つ浴びたくなるだろう。だがもちろんドアを開ける行動についての問いではなく、先程のくだらない上に傍迷惑な嘘についての質問だ。
「違う。さっきの風呂とかのことだよ」
「違う? 私がドアを開けたのが屋上に出るためでない?」
いや、そこに食いつくなよ。会話の流れも言動もトリッキー過ぎるだろ。
「分かりました」
スムーズに心を読まれたような気がしたが気にしない。
ソフィアは屋上にさっさと出ていく。俺は彼女に続いて初めての屋上に足を踏み入れた。
なんていうことはない、普通の屋上。太陽が暑く眩しく照らす。ソフィアの黄金の髪に光が溶け込み光るようだ。いつにも増して太陽も張り切っているらしい。
「別に嘘は吐いていません。ただ誤解させただけです」
唐突にソフィアはこちらを向いて楽しそうに笑った。年齢よりも幼く見えるのはいたずらを成功させた、とでも主張するような達成感が笑みに混じっているからだろうか。
それともかつてソフィアに向けられた笑顔が無意識のうちに、頭のどこかで重なるからだろうか。
「それにしろ風呂なんて根も葉もないだろ」
ソフィアは本当に楽しそうに笑う。
「不思議ですよね。火の無い所に煙は立たないのに根も葉もない噂が立ってますよ」
本当にどうでもいいところで。
「大体立たせたのはお前だ」
「女の子に勃たせるだなんて穢らわしいです」
「誤変換だ」
「クラスメイトの皆さんも誤変換をしてるんですよ。都合良く。自分たちが期待するように。まず私と彰さんじゃ釣り合いませんよ。格が違います」
さらっと酷いことを言う。だが同意する。聖なる剣と人間の恋愛は物語の中だけの幻想だ。たとえこの地球上のどこかに存在するとしても、少なくとも身近には必要ない。
「それでどうします? クラスの皆さんの期待に応えますか?」
「残念だがごめんだ」
俺はそう言うと日陰を求めて歩き出す。
6月に入れば梅雨の季節だというのに空気は乾き爽やかな風が吹く。
結局俺は屋上のドアから位置的には右斜め後ろ、ちょうど階段からは見ることのできない位置に座り込む。足音が聞こえてきたのはそんな時だった。授業中だと言うのに走っている。屋上のドアがゆっくりと開く。おそらく普段開いていない屋上に入るのは少しの勇気がいったのだろう。
「やっと見つけた」
肩で息をしながら現れたのは佳奈だった。こちらを覗き込む。
「授業はいいんですか? 佳奈はてっきり真面目かと思いました」
佳奈はソフィアに目を向ける。何を考えているのかは分からない。
「いやいや、私はあんまり真面目じゃないんだよ。ソフィアと同じでね」
二人は顔を見合わせて笑った。
「それで、今みたいな友達ごっこで大丈夫かな」
「はい、大丈夫でしょう」
二人とも眩しいほどの笑顔なのだが見ている側は胃が痛くなる。どういう打ち合わせがあったら友人関係をごっこ遊びと形容するような演技がスムーズにできるのだろう。
「一つ聞きたいんだが、お前らは会ったの何回目?」
二人は俺の質問に少しばかり顔を顰める。あまり聞かれたくはなさそうだ。
「彰君の病室とか……」
「あとは大体お互い避けてましたからね」
「そうだね。流石に会いたくないしね」
目の前で繰り広げられる心地悪い会話。話している様子はフレンドリーなのに内容が不穏当。女子の裏の顔、本音トークという感じがして気持ち悪い。
「それにしてもわざわざ走って来るなんて……ヤキモチですか?」
唐突にソフィアは面白がった様子で言う。対する佳奈は笑顔で、さらりと恐ろしいことを口に出す。
「そんなんじゃなくてさ、どっちかって言うと彰君が殺されてでもないかと思ってさ」
「なるほどスプラッタを見たくて急いで来たと。……鬼畜ですね」
「どっちがだよ。その解釈が鬼畜だろ」
というかラブコメ的な思考回路からホラー的思考回路までの移行が速すぎる。
「それでだ。佳奈は何か用なのか?」
会話の流れが一度途切れる。これは精神衛生上の判断だ。女子の、片方は女子かも少し怪しいが、本音ゆるふわトーク(笑)に堪えられるほどの強度が俺の精神にはないだろうという判断である。
佳奈はひとしきり唸ったあと答える。
「私の目的は端的に言えば監視だね」
この答えはきっとオブラートに包まれている。監視という中途半端な響きには、本来もっと危険な意味合いが含まれているはずだ。爽やかな清々しい空気が硬化する。風に流されていく言葉には柔らかな敵意。
「粗探しですか。結構なことです」
ソフィアは穏やかな笑みで、柔らかい笑みで、つまりは不自然な笑顔で会話を続ける。その口調は静かに耳に溶け込むのにも関わらず、どうにも内容が耳に突き刺さるようだ。
分かっている。彼女たちは敵である。人間と人外。呪術師と聖剣。日常と非日常。異質であるということはお互いに理解できないということだ。
理解できない、その思考が、その存在が、それはつまり恐怖を思い起こさせる。
今の俺も目の前で行われる会話がどこを目指すのか分からず混乱し、恐怖している。どちらかを失ってしまうのではないだろうか、そういう恐怖だ。
「協定を結びましょう」
「協定?」
「どういう意味だ?」
ソフィアの唐突な発言に人間二人は戸惑うばかり。
「私は彰さんの武器です。つまり所有物です。あなたたちと敵対する意志はありません」
「だから私たちもあなたと敵対しない。そういうこと?」
「簡単でしょう? あなたたち弱者の特技です」
「いちいち嫌な言い方をするね。私の一存で決めることではないけれど、分かった」
「お役所の意向はまた今度聞きます」
話がまとまる。聖剣からの歩み寄りは神祇庁にとって悪いものではないはずだ。人、物、街にたくさんの被害を出した戦闘をもう一度繰り返すのは、国からしてもきっと得策ではない。子供でも分かる話だ。
「じゃあ、もう一つ質問。あなたは何がしたいの?」
軽く問われたのは簡潔な質問。今後の予定を聞くような日常的にあるような平凡な質問。
ソフィアはすぐには答えない。答えがあるのか、答えを言うのか、嘘を言うのか。何にせよ、悩む彼女の姿は人間以外の何者でもなかった。
ソフィアは何がしたいと言っていただろうか。彼女が記憶を失う前、俺との関係性が少なくとも今よりは強固だった頃、何を考えて俺を助けたのだろう。約束を守った。確かにそうだろう。ではその約束は何を意図して結ばれたものだろうか。
ソフィアは長い沈黙を破ろうと口を開く。だがその口は音を出さない。
日陰にはどうにも冷たい風が吹き込む。身を切るような風のせいか、家でペットとなっている獣を思い出した。
彼女は再び口を開いた。
「難しいことを聞きますね」
それは知っている。だからこその沈黙。人では想像がつかないからこその質問だ。彼女は静かに、確認するように続ける。
「目的はありません。……残念なことに」
彼女は断言する。そして申し訳なさそうに付け足した。そのふざけているとも思える解答に対して苛立ちを覚えたのは佳奈。確かに馬鹿げている。何の目的もない、つまりは気まぐれに行動する大量破壊兵器が認められる道理はない。
「あなたは何を目的に生きていますか?」
佳奈は何も答えることができなかった。俺は答えを見つけることができなかった。
重苦しい沈黙が日陰に停滞した。
「聖剣の目的は魔剣を捕らえることです。では人類の目的は何ですか? 神は何を望んでいるのでしょう?」
彼女は小首を傾げて、夕飯の内容を尋ねるような気安さで聞いてくる。
誰も答えを知らない問いは日の光の眩しさに紛れて見えなくなった。
ソフィアの口が静かに動く。小さな動きは空気を震わせることもない。それなのにも関わらず、俺は彼女が呟いたであろう疑問がはっきりと分かる。
私の目的は何でしょう?
その答えもまた誰も見つけることができない。日の光はまだその解答を照らさない。




