03
魔のゴールデンウィーク周辺から数日後。聖剣は驚くほど自然に自宅の風景に馴染んでいる。俺が病院にいた間にかなり美咲、由利さんとソフィアは仲が良くなったようだ。
だが美咲はソフィアが何なのかは知らないようで俺に面倒臭い絡み方をしてきた。
曰く「どこでナンパしたの? 犯罪は駄目だよ。お兄ちゃんがそんな駄目人間だったとは……ぐすっ」
最後に涙目だったのは身内に犯罪者がいることで世間体への危機感を覚えてらしい。我が妹ながら薄情だ。
結局それなりの時間病室で過ごした俺だが、暇を持て余した美咲が遊びに来ることもあり、知りたいこともまともに教えてもらってはいない。
ソフィアの名前を知った、つまり目覚めた後は体に異常がないか調べたわけだ。結果筋肉の痛みでまともに動けないことが判明。今日やっと帰宅した。
ソフィアは俺のことを忘れてしまった。俺はソフィアのことをほとんど覚えていない。別れ際のシーンだけ。
姉のような存在だったとは漠然と思う。彼女が全て忘れたせいかどんどんと間違ったイメージが出来上がる気がして怖い。せめて彼女に確認がとれれば安心もできるのだろうが。
美咲は死にかけた前後の記憶を失っているらしい。都合のいい話で誰との関係性も歪むことなく平和な日常に戻れている。
お世辞にも晴れ晴れしているとは言えない5月の三週目。クラスではゴールデンウィーク後の怠さが抜けたであろう頃、久しぶりの登校だった。
朝から面倒な予感はしていた。ただ単純に学校が久しぶりすぎて気まずさを味わうのが嫌だったこともある。
朝からいつものメンバー、美咲に佳奈、昴での登校。俺は一度も口を開かなかった。佳奈と会話をするのは久しぶりだ。普段の平凡で平穏な日常会話をするのは遠い昔のようだ。昴も俺のそんな様子を見て口を閉ざし、佳奈と美咲は二人で話していた。それでも空気はあまり悪くない。お互いが平穏を崩さないように歩み寄る空気はどこか温かい。
登校だけで少しヒットポイントを削られ、気分的には毒の沼を歩き続けるようなイメージ。痛みはないが生命力が疲弊するようだ。
クラスメイトの優しい反応も然り。休んだ理由はなにかの感染症ということになったらしい。由利さんと渡会先生がディテールを決めずに言い振らしたようだ。エイズにインフルエンザ、エボラ出血熱、コレラ、感染性胃腸炎、マイコプラズマ肺炎。
感染症のデパートみたいになっていた。絶対死ぬだろそれ。噂には剣で刺されたというものもあって笑い話になっていた。とてもそれが一番近かったとは言えない。
クラスメイトが騒ぐのが静まった頃にはホームルームの時間だった。一人だけエイズの感染源をしつこく聞いてくる奴がいたが由利さんに教育的指導(物理的かつ暴力的)を受けていた。
由利さんが転入生という単語を出したときにはダウンしていた昴も目を輝かせた。由利さんの楽しそうな顔、佳奈の暗い顔を見て、面倒な予感が当たったと思った。
女子だ、と由利さんが付け足すと男子の歓声が響く。
ドアがスムーズに滑る。誰かが外人か、と漏らした。黄金の髪が揺れる。しなやかな肢体が黒板の前を進む。普通の靴が楽器でも奏でているかのように音を鳴らす。どこかから感嘆の声が漏れた。クラスの空気が緊張と弛緩を繰り返す。
「始めまして、ソフィア・ウォーカーと言います。文化や言葉の違いで多々迷惑を掛けることがあるかもしれませんが仲良くしてもらえると嬉しいです」
そうソフィアは完璧な笑顔と流暢な日本語で頭を下げた。動作一つ一つにまで気品が漂う。流石に神様の兵器だなと間抜け顔で眺めていると、視界の端に由利さんの意地の悪い笑みがちらついた。
「困った時は滝峰に頼るように言っているからよろしく。他のみんなもな」
大体の想像通りの言葉。強制の形でなく推奨なのが性格の悪い部分だ。俺への命令ではなく彼女に頼まれたら助けてやれよという程度。教師からの強制ではないから他の奴が出しゃばることはできるのが痛いところ。面倒なところだ。俺への対抗心が空気に溶け出すのを感じた。
黒板前のソフィアは微笑を浮かべた。目線はしっかりとこちらに注がれる。そして予想通りテンプレートな台詞がその小さな口から紡がれる。
「彰さん、よろしくお願いします」
彼女に悪気があったのかは分からない。ただクラスメイトのほとんどは彼女の言葉に違和感を持ったらしい。
俺は内心冷汗を掻きつつ、「なあどうしてあんな美人を紹介してくれないんだよ」と不平を言う昴を黙らせる。
「彰さんって……二人はどういう関係なのかな?」
どこかの女子が目を輝かせて言った。男子は脅すようにドスを効かせた声で追求の声を上げる。
クラスが騒めく中、俺はどうすることもできず、ため息と共に顔を伏せた。戦略的撤退だ。
「よろしくソフィアちゃん。安倍昴です。こいつの親友。ベストフレンド」
自己紹介をして手を差し出す昴のフレンドリーさはどこから来ているのだろう。どこにでもある男子高校生の手と白魚と形容されるような手が結ばれた。
「よろしくお願いします、安倍……昴さん。昴さんでいいですか?」
昴は親指を立てて笑っている。どうでもいいが日本と外国でジェスチャーの意味は変わらないのだろうか。そんな心配も必要はないらしい。ソフィアはOKですと親指を立てる。文化に差がなかったのか、神様的な対応か。まあ差はないか、この程度。
「よろしくね、ソフィアさん。吉田佳奈です。佳奈って呼んで。呼び捨てでいいよ」
「よろしくお願いします、佳奈。私もソフィアでいいです」
平和な自己紹介が行われる中、俺一人が机に突っ伏しうなだれる。平和が嫌いなわけではない。むしろ平和最高、日常最高、第九条最高だ。
「彰さん、大丈夫ですか? 家から調子悪そうですけど。いつもはもっと元気ではないですか?」
なぜか俺の目の前の道にだけソフィアが地雷を布設していく。そんな想像が鮮やかに視界に広がる。わざわざ家とかいつもとか言う必要無いよね。クラスメイトから不穏な気配が立ち上る。ステルスアッキーとか奉仕部員みたいな属性があれば回避できるの?
「……で?」
昴の言語能力が退化した。たとえるならスタッフロール後ろから二番目くらいのキャラからモブくらいまでの退化だ。え? たとえが分からない? 仕方無いじゃないか、人間だもの。というか大差なくない?
「……でって何だよ?」
無意味な沈黙を経て、無意味なモノローグを挟み、やっと俺が会話を再開する。
「それでどういう関係だ? 親愛なる彰君とソフィアちゃんの関係は」
それ以前に俺と昴の関係に親愛とかいう美しい言葉がつくの?
現実逃避気味の思考が親友(笑)を際限無くディスる間にソフィアが質問に答えた。女子クラスメイトの期待に応えた解答を返した。俺が最も期待せず、予想した中でセリフ、つまりは嘘で。さらには恥じらいらしきものをもって。
「彰さんとはその、家族……みたいな、もの……です」
ここまでだったら誤魔化しの効く発言。彼女が口を噤み余計なことをほざかなければ全く問題ない。せいぜいマンガやラノベの日本語ぺらぺら外国人を殺したくなるくらいの些細な嘘である。問題はここから。
「……お風呂とかっ、そういうことはその……」
根も葉もない嘘である。はっきり断定していないから嘘ということでもないかもしれないが、一つ言わせてもらう。
俺は風呂上がりのソフィアを見たことがないし、風呂場並びに脱衣所ですれ違ったことさえない。この女、家族みたいと言った人間を嵌めましたよ、わずか数秒の間で。せめてそういうイベントがあった後ならばラノベ的テンプレイベントの一つですけどよ。
地の文が崩壊するほどの悲痛な叫びだ。
クラス内の空気が揺らいだ気がした。というか恐らく気のせいだった。あるいは思い違いだと信じたかった。むしろ気が違った方が楽かもしれない。
そんな空気を作り出した張本人は自分がやらかしたことをどう思っているのか首を傾げている。
静かに俺は逃げ出した。これも戦略的撤退だ。




