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両の手に剣が握られている。
俺は二本の重みに耐えかねて膝を地につけた。
コンクリートが舞うなかで久々にまともな呼吸が出来た気がした。ここが日常と非日常の境の空気だ。この大して美味しくもない空気が俺の求めていた空気だ。
神と出会ったのが夢のようだった。だが神が語りかけてきた証拠はある。口の中に残るスープの味と歯に付いたネギが確かな証拠。
記憶は……契約の文句はついに思い出せなかった。
頭が重い。
顔に当たるコンクリートは熱を持っていた。
混濁していく意識で捉えた最後の景色は『聖剣最強』という拙い、自分自身の文字だった。
かつての俺の幻想の証だった。
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呪術師たちは優雅なお茶の時間を楽しむ。
今回の二振りの剣はとても価値のあるものである。特に聖なる剣は、最高の価値がある。それはつまり最強の兵器である、ということだ。上から伝えられた出所不明の情報はたとえ嘘でも問題はない。
それが最強でも最弱でも、国にとって、あるいはそれぞれの守るべきものにとって脅威であったことに変わりはないのだから。そしてそれが制御下に置かれたことこそが成果なのだから。
場所は高等部生徒会室。時刻は深夜0時。街が静けさを取り戻し、ネットワークを通じて人々が騒ぎ続ける時間帯。
生徒会長はいつも通り肌色成分の多いゲームをする。庶務はスマホを片手に椅子に沈む。由利は真っ白な折紙で鶴を折っている。佳奈は拳銃の整備をする。渡会はいつものように分厚い本を読んでいる。
紛れもなく今回の事件はお偉方の意向通りに終わった。軍の軍事演習でなぜか被害が出た地区は不幸中の幸い、彩華島が土地と建物の管理までしていた場所である。ショッピングモールを中心としたいくつかのビルのことだ。
ネットではさまざまな憶測が飛び交う。正しい憶測と全くの出鱈目が溶けあっている。
少しの誤差があれども予定通り事件は終わった。誤差の一つは巻き込んではならない兄妹を渦中に引きずり込んでしまったこと。政府はあまりにも彼らを中心に出来事が進むことを恐れていた。だからこそ傍らに監視を置いたはずが裏目に出た。政府の役所仕事では高校生の向こう見ずさと損得勘定の出来なさ、そして優しさを予想出来なかった。
そして一つの誤差が一つ仕事を増やした。情報の統制だ。ただでさえデリケートな問題に一般高校生が交わるせいで面倒さが増した。それから兄妹以外にもいくらか身勝手な人種がいたらしく彼らには適切な処理がなされた。病院のベッドがしばらくの期間埋まるのも必要経費だった。
情報を消すのはいくつかの方法がある。まず二つに分ければ世間に出てから消すか、世間に出る前に消すか。
呪術師とはその特殊な技術を用いて後者の行動を取らざるを得ない時が多々ある。世間に出る前の情報を誰が持つかを把握するにもまず呪術が用いられることは多々ある。
その命令が下った時、駅のホームに流れるような独特の喋り方が室内に響いた。珍しい着信音だ。
次の日の朝一人の男が死体で見つかり、呪術師たちの仕事も決着した。さすがにその後数日間は、肌色成分過多の効果音が部屋で鳴っていようとも、呪術師たちは顔をしかめなかった。
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温かいものと冷たいものを感じて目が覚めた。視線を彷徨わせるとぶつかるのは、月の光を浴びて椅子の上で寝ている美少女と俺の腹の上でよだれを垂れ流す妹。壁際で寝息を立てるペットサイズの獣にその横で分厚い本を読む教師。
温かいものは妹の頭で、冷たいものは俺の頭に載っている氷の塊らしい。氷枕を無理矢理冷凍するとこうなるのかと妙なところで納得してしまう。というかそんな荒技をしようとする教師の頭が大丈夫か心配になる。
ベッドは病院のパイプベッド。つい昨日寝ていたのと同じ部屋らしい。天井の模様がよく似ている。少なくとも俺の主観では。
ドアが閉まる音が簡素な部屋に響いた。渡会先生が出ていったらしい。俺の視界で残りの二人と一匹あるいは一人と二本がぴくりと頭を揺らす。
美咲は俺の顔を見て涙を目に浮かべ、イタチは俺に謝るように頭を垂れる。
聖剣は……ただ無表情を保つ。その目には喜びと悲しみが少しと戸惑いがたくさん。彼女の目が俺の視線とぶつかると彼女は困ったような顔をする。俺はその表情の意味が分かる。
俺には神が奪ったものが何か理解できた。彼女はきっと理解できない。彼女は俺を見て、ただ戸惑っているようだ。
もしかしたら彼女は俺のことを知っているかもしれない。例えば俺がやったこともないボーリングを知っているように、彼女は俺の名前とパーソナリティを知識として知っているかもしれない。だが彼女は俺との約束を知らないだろう。
彼女は記憶を失った。
俺のあさはかな願いの代償に思い出を失ったのだ。
ドアが再び開き、目元に涙を浮かべる由利さんが入ってきた。聖剣は椅子から離れ壁際に移動する。行き場所が分からないという様子が伝わってきた。由利さんと後ろから付いてきた佳奈がそのスペースに入る。
口々に出される、心配しただとか良かったという言葉。俺はそれらに適当に対応して、剣だけを残して話させてくれと頼む。
皆は出ていった。由利さんの残した紙がひらひらと二本に張り付いた。
美少女と獣が病室で俺と向きあう。
「改めてはじめまして。滝峰彰だ。よろしく」
彼女は驚いたように俺の伸ばした手を握る。俺のもう片方の手はイタチの柔らかい毛を撫でた。
「はじめまして彰さん。私は王の剣。昔は王にソフィアと呼ばれていました」
その名前には確かな聞き覚えがあった。遠い昔のことだった。
「これからよろしくお願いします、私の主」
胸を突かれるような心地がした。俺はやっとのことで返事をする。彼女は俺を主として認めた。彼女は俺とまるで姉と弟のように過ごした懐かしき日々のことを知らない。それは俺と同じく忘却の彼方だ。
だが不思議と不安は覚えない。彼女にとってその思い出がどうであったのかはともかく、俺は単純に忘れてしまっただけなのだ。それは俺が幸せな日々を思い出さなかったことに起因する。つまり記憶などもとより必要がなかったのだ。
「ああ、よろしく頼む」
疑問は尽きない。不思議な気分だ。俺は彼女を安心させるような言葉を嘘でも思い付けない。そんな優しさは発揮されなかった。俺が言葉を尽くしたところで彼女にとってどれだけの価値のものが失われたのか理解することなどできない。
遠くからの聞きなれた騒ぎ声と漂うカレーの香りについ笑みがこぼれた。俺にとって価値のあるのは夢幻のような過去でなく地に足が着いた現在だ。ところで明日は俺の食事当番だろうか。
柔かな空気の中、二粒の涙がこぼれたのは、滲む目ではよく見えなかった。俺はただ手を強く握る。もう二度と離さないと決意するように。もう二度と失わないと覚悟を決めるように。温かい手は俺の痛みをほぐしていく。




