22
神殿は俺の夢に出てくる通りの荘厳な雰囲気で包まれていた。だけど確かにそこは檻の中だった。
冷たい石の上に俺は横たわる。そばにいるのは聖剣の少女と魔剣の獣。美女と野獣という言葉が浮かんだが彼らはラブロマンスを繰り広げない。今から始まるのは何だろう。
そしてそこに俺がいるのはどういう意味があるのだろうか。俺が再びここを訪れたのはどういう意味があるのだろうか。
石の畳には血が流れている。これは俺と魔剣から流れ出したものだ。では、あの遠くに付着した赤黒いものは誰のものだろう。いつのものかも分からないあの血痕は俺の知る人のものだろうか。俺の肺から息が漏れた。一人と一匹あるいは二本の目が俺を向く。
俺は聖剣が伸ばした手を迷わず掴む。優しくこちらを気遣うような手つきを魔剣がじっと見ている。俺はその手をしっかりと握り、当てにならない足を叱咤激励するような心地で何とか立ち上がった。
祭壇も夢と寸分違わず同じものだった。妖しく明滅する透明な光はやはり不気味だ。半透明の不可思議な物体。イタチよりも大きくそびえ立つ。
祭壇も夢と寸分違わず同じものだった。つまり俺の知っているとおりのままだった。
「なあ、あれは何だ?」
「何だと思いますか?」
彼女は微笑んでいる。イタチは表情こそ分からないが明るい雰囲気を纏っている。俺は首を振って問いに答える。知るわけがない。
「あれはあなたの選択の結果です。魔剣の勇気の結果でもありますけど」
「よく選んだって褒めてもらってもいいか」
笑い声と共に聖剣の小さく温かい手が髪をくしゃくしゃにした。
「俺は前にもここに来たことがあるのか?」
その答えを彼女は知らないかもしれない。だがこの場所については彼女たちのほうがよく知っているはずだ。
あの物体の雰囲気は二振りの剣とよく似ている。人間からすれば異様な存在だということははっきりとしている。
「懐かしいですね。まるで昨日のことのようにはっきりと覚えています。あれから私は眠っていましたから……ずっと夢に見ていました」
聖剣は感慨もひとしおといった様子で呟く。その瞳は俺には計りしれないほど遠くを見つめているような気がした。
「……お前たちは何だ?」
俺はやっとのことでそれだけを尋ねた。息が辛うじて漏れただけの掠れ声で、彼女に届いたかは疑問だったが彼女は聞き返すことはなくただうーんと唸った。彼女は目を閉じて答えを探している。そして舌が滑らかだがまとまりなく動き出す。
「私たちは騎士で従者で指導者で、ほかにも様々な役割を与えられた存在で……。そういうことではありませんね。私たちは……」
彼女は泣きそうな顔で言葉を切った。俺には彼女が何を言いたいかは分からず、彼女に掛ける言葉も知らない。
「まぁそれはともかくとしてだ。俺の望みはどうしたら叶うんだ?」
彼女の泣き顔はあまり見ていたいものではない。人間よりも遥かに巨大でチートのような力を持つ化け物が、自分のことを説明することすらできずに浮かべる涙に何の価値があるのだ。俺の目は逃げるように焦点をずらす。
「怖がっていますか?」
彼女は涙を拭い、そう言った。何を? と聞き返そうとあるいは強がろうとした声は喉の奥を痙攣するばかりで伝わらない。彼女は口の端を上げて言った。
「帰る方法はありますから安心してください」
目の端で巨体が伸び上がるのが見えた。イタチが跳躍したのだ。祭壇の頂上はイタチが上ってもまだ余裕があり、人があと十人程度ならば乗れそうだった。
イタチはこちらを見つめて、来いとでもいうように首を傾げる。聖剣は俺の背を押した。優しくそれでいて有無を言わせない力強い手だった。
俺は一歩ずつ一人で足を出す。石の床が冷たくしっかりと俺の足を支える。石の階段は俺の足からすると少し大きく、上りにくかった。そのせいか普段よりも足が重い。空気が絡みつくように俺の足を引き留めようとするのを感じた。石の階段の脇、火が灯っていく。俺の進む先が照らされていく。灰色の石の上に赤黒い染みが点々と続いているのが見えた。
汗が頬を伝った。イタチと対峙したときでもここまでの圧迫感は感じなかった。それともここにきて麻痺していた感覚を取り戻しでもしたのか。
頂上に辿り着いた。とても時間が掛かったように感じたのに、学校のフロア一つ分程度の段数しかない。頂上から見下ろした先には出口があった。今まさに上ってきた階段の向こうだ。俺はすぐさまそこから逃げ出したかった。
俺は深呼吸をして振り向いた。魔剣と聖剣の向こうに半透明な箱がある。一辺十メートル程度の箱の中には【何か】があった。【何か】がいた。
「剣を取ってください」
聖剣の言葉を聞いて何も考えず伸ばした手に、刀がおさまった。刃に祭壇の炎が煌めく。イタチは箱に寄り添うように歩を進める。聖剣はいつの間にか人から刀に戻っていたらしい。
『魔剣を貫いてください。箱に私が突き刺さるようにまっすぐと』
魔剣はそれを肯定するように一声鳴いた。
俺は構える。地上で構えたのと同じように中段でまっすぐと。
「なあ、お前は何で受け入れるんだ? 理不尽だとは思わないのか?」
イタチは答えなかった。
代わりに風が吹き荒れた。そして俺の背中を荒々しく押し、手の中の聖剣はそのまま突き出された。イタチの首の下、胸のあたりに潜り込んでいく刃。赤黒い染みの素が床に溜まっていく。
刃はどんどんと押し込まれていく。聖剣は輝きを増した。輝きと赤い液体が半透明の箱の中に伸びて溶けていく。神殿の空気が硬くなる。箱の中の【何か】が目を覚ました。刃がイタチの肉を抉ったそのままに箱に刺さる。
ふっと風の圧力が弱まる。手の中の刀がすっと箱に引き寄せられた。俺は咄嗟に力を込めたが、少しずつ手から離れていく。イタチの体も半分以上はもう見えなくなり、刃も半分は飲み込まれた。
もはや意地になって刀の柄から鍔に持ち替える。全体重をかけて引っ張った。この行動に何か理由があったのかと問われれば、曖昧な笑みを返すしかないのだが、兎にも角にも必死だった。ただ漠然とそうするべきだと感じた。
手の中の聖剣が驚いたような、嫌がるような震えを伝えてくる。
イタチは歯の奥から苦悶の吐息を漏らした。文字通り身の裂かれるような痛みを味わっているのだろう。
箱の中では【何か】が驚いたように俺の目の辺りを見つめている。【何か】が手のようなものを伸ばした。俺の手にそれは絡みつき、指を一本ずつ丁寧に外していく。
イタチは鋭い爪をゆっくりと振るい、俺の体を押した。
確実に目があった。【何か】は俺の目の奥を覗いていた。感情の波は驚くほど少ない。俺は【何か】と相対して一種の綱引きをしているはずなのに、俺の表情とは全く違う無表情。俺の睨みつける目、そこから伝わる怒りまでも興味深い実験材料を見るかのような無機質な目だった。
だがそこには何もない。箱の中にも表面にもそんなものは見えない。そんな感覚があっただけだ。五感が狂いだしている。
『人はいつも選択を間違える。興味深い。なぜそこまで執着できる? なぜそこまで差が出る?』
【何か】は不思議そうに呟いた。
『面倒だ』
箱が【何か】の言葉に呼応して輝きを増した。魔剣と聖剣を光の渦が連れ去ろうとする。離れた手を再び伸ばす。
血に塗れた手を必死に光の渦に突っ込む。痛みと熱さと冷たさが飽和して感覚が消えた。怒りとごちゃごちゃした思いがまともな思考回路を焼き切った。体中の筋肉と血管が悲鳴を上げた。
今血管を流れているのは箱から流れ出たエネルギー。
皮膚から光が漏れ出る。骨が溶けていくようだった。体中にエネルギーが循環して身を削っていく。俺は反対の腕を箱に叩きつける。何度も何度もしつこく必死に。一撃一撃ごとに骨の間から、爪の隙間から、皮膚の毛穴からエネルギーが吹き出しては箱の表面を撫でる。
鼻で笑うような音が聞こえた。箱の奥から諦めの悪い人間を嘲笑うような不快なものが響いた。
何がしたいのか自分でもわからなかった。
ただ思い出せた記憶があった。




