05
政府指定特別一区、通称彩華島。
その中心セントラルタワーから見て北の位置に玄武学園はある。彩華島に四つある公立の学園のうちの一つ。幼稚園から大学までエスカレーター式になっている学園だ。
その校舎の一部に明かりがともっている。時刻は午後八時過ぎ、生徒が残っているには遅すぎる時間だ。ちなみにこの島の学生は基本的に八時以降には外に出てはいけないことになっている。
その部屋の入口には高等部生徒会と木製のプレートがかかっている。
そのプレートの価値を知っているものは少ない。一握りの教職員と生徒だけが知っているトリビア。伊勢神宮の残骸を使っているのだ。つまりこの学園よりはるかに価値のあるものだ。
そんな入口が一番ある意味豪華な――もっとも誰も気付かないが――部屋の内装はやはり豪華だ。だが金が半ば趣味のために使われたため、生徒会という公的な部屋に用いるにはいささか不適な印象も受ける。
そんな部屋で生徒会の用事ではないという点で私的な会合が開かれていた。
制服に生徒会長という腕章をつけた少年はカタカタという軽い音を両手で生産している。腕章は赤と黒で縁取りされ、生徒会長以外の身分を如実に表している。
目の前のテーブルに置いてあるのは個人用のものとは思えないぐらい大きなコンピューター。それから伸びたヘッドホンから漏れ出る音声は妙に肌色を連想させる。湧き出るイメージを鑑みるとその手のタイピングがどこか気持ち悪いものに思えてくる。
悠々と過ごす生徒会長、つまりは彼こそがこの部屋の主と言っても間違いない。
その生徒会長の左手ではサングラスをかけた少年が座っている。その制服には庶務と書かれた腕章がついている。
音楽プレイヤーに繋がったイヤホンからは普通の音楽、おそらくJポップというジャンルに置いてあるような曲だろう。その指はスマホの上を忙しなく動いている。画面に消えては表れる様々なサイト。そしてそのほとんどの話題は墜落事件。忌わしい二振りの剣のもたらした惨劇。
ため息を吐きながら気怠そうに眺めている。
長いテーブルには生徒会長のコンピューターと人数分のカップ。四つのカップには温かいココアが注がれ、甘い匂いの湯気を漂わせている。
庶務の左前、つまりは生徒会長の右手側にあるカップが女の手によって取られる。包帯に血の滲む左手だ。
由利は持ったココアを口に含むとカップを置き、後ろにあるソファーに寝そべる。右手は先の焦げた黒髪を弄っている。その様子は全身で暇だとアピールしているようだ。もしくは全身で暇を満喫しているようでもある。
最後の一人はソファーの左側にもたれ、本のページをペラペラと捲っている。身長は二メートルにも届きそうな長身。巨漢という表現が似合う大男だ。
彼がココアに手を伸ばすと四つのココアの一つ、丁度三つのカップに囲まれた一つ、つまりは彼のカップだけが湯気の生産をやめる。テーブルの一部に霜が降りたような光景に四人とも顔をしかめる。
もっとも男と周りの三人の表情の意味合いは違う。男はコントロールに失敗したことに対しての不満と三人への申し訳無さ。他三人は自分のココアがぬるくなることへの不満だ。だが四人ともその氷にたいした興味を持つことなく、各々の世界に戻っていく。
一時間ほどそんな時間が続いていた。平和ではないが落ちついた時間だった。こういうものを嵐の前の静けさとでも言うのだろう。
暇をとうとう持て余した由利がソファーから身を起こし、誰にともなく問う。その手は血の滲みを気怠い様子で撫で続ける。
「様子はどうなんだい?」
「あいつらなら問題はないと思いますよ」
「特に……異常はない」
庶務はスマホの手を止め、大男はページを捲る手を止めない。さらには由利の手も動きを緩めることはない。
「先生の事案はどうでしたか?」
生徒会長は手を止めることなく質問する。由利の発言が凍結していた世界を融解していくように会話が滞りつつも開始する。由利は事案という言葉に対し二つの選択肢を鑑み楽な方へ逃避した。
「ハイジャックのことなら問題はないよ。報告書もあるしニュースの予想は案外的を射ている」
分かるだろ、と手がひらひらと振られる。手をひらひらと振った程度で意思疎通ができるようなことだ。生徒会長の目が不満げに歪んだのを由利はしっかりと確認し憂鬱な気分になった。
「そっちのほうじゃないですよ。剣のほうです。もともとテロリストなんて敵じゃないじゃないですか」
生徒会長の手が止まり、呆れたような声が出る。由利の想像通りの事案だったらしい。それはどちらかと言えば忌避したい側の選択肢だった。だからこそ由利は主張する。
「私の正規の仕事はそれだったんだがね。簡単な仕事で休暇をつぶされたのはね、どうにも」
「連絡の不備はこちらの不手際ですが僕のではないですから」
どちらともなくため息が出る。お役所の仕事の杜撰さはよく知っているのだ。だが由利からすればそれは一種の覚悟を決めるためのモーションでもある。
「剣について報告お願いします」
生徒会長は有無を言わせぬ口調で促す。これもまた覚悟を決めるためのものだ。生徒会長にとって聞きたくもない報告は誰が何と言おうとも聞かねばならぬ報告でもあった。由利はココアで一息つく。
「はぁ……思い出したくないという気持ちをくんでくれないのかね? ……まぁ今も私の術式で位置はある程度把握できている。おそらくこの島に辿り着くのは明日か明後日だろう。だがそういうことなら上からもう伝わっているだろう?」
実際生徒会長の手には紙の束が握られている。それは嬉しくない内容を文章にした、とても読みにくい書類だ。どうせ音声で聞くのならば文章にする必要はないのにという不満を由利は一人飲み込んだ。喉元に支えた。
「ええ、僕が知りたいのは、実際にそれと遭遇した感想です」
由利は再び深いため息を吐いた。気持ちを整理するための確かな空白の時。結果由利が記憶の奥から引っ張り出した感情は最も原初的なものの一つ。論理的ではない本能的なものだ。
「恐怖だよ」
ただ一言だけ言って少しの間、口を閉じる。直感的かつ本能的な代物は文書として残すには心許無い資料だ。だからこそ理由を探す。
「人間とよく似た何かが、人間よりもはるかに危険な能力を使い熟している」
何とか見つけたそれらしいものを理由として後付けする。感情に説得力を求めるのもおかしな話だが、超常的な兵器相手に落ちつきを取り戻すためには説得力があることが一番だ。理由があればこそ結果が存在するのだ。それが誤りであれ納得ができるならば十分過ぎる効力を持つ。
「それで……敵いますか?」
生徒会長は分かり切った質問をする。由利は嗤う。諦めの悪いものへの呆れが混ざったことは事実だ。
「上からの指令通りにしていればいいとも。いくらあれが化け物でも人間の体を使っているんだ。現代兵器と呪術を使えばね」
適当な手段を使えばどうなるというのか、由利ははぐらかす。恐怖という言葉を使うぐらいなのだ。言葉をぼかしたところで正確な意味合いは簡単に伝播する。
「それほど……簡単ではないだろうな」
気が付けば紙を捲る音が途切れている。本は閉じられ、テーブルの上に置かれている。本の表面には薄く氷の粒が付き誰の所有物であるかを明確にしている。由利は静かに頷き、またソファーに腰掛ける。
「やっぱり剣の目的ってのは相手を壊すことですかねぇ?」
庶務が軽い声で尋ねる。確認的な意味が強いものの問いの体裁を保っている。
魔剣の目的は聖剣の破壊なのだろう。逆もまた然り、聖剣の目的は魔剣の破壊だろう。
きっとただそれだけだ。上も現場の彼らもそう考えている。それが一番単純なことだ。そしてそれが人間にとって傍迷惑な抗争であることも分かっている。シンプルイズベストとはよく言うがこの場合シンプルイズバッドだ。より悪い可能性を捨て切れないのが何より悪い。それらは目的のために人間を気遣うことなどしない。人間を顧みることなどない。
「とりあえず……俺たちができるのは情報統制と軍備の補強だ。……もっとも俺は役立たずだがな」
男が少し悲しそうに言う。その目は窓の外に向かう。
「セントラルタワーの監視がありますからね。おれたちが優先するのはむしろそっちですし」
庶務が生徒会長の向こう、男と同じく窓の外を指差す。
そこにそびえ立つのはセントラルタワー。島の中央に位置し、ランドマークともなっている塔。イルミネーションが鮮やかで島のほとんど全域から見える。見られているのか見ているのか、たまに分からなくなるというのを庶務は常々言っていた。
東京に立つ塔のような電波塔というわけではない。きっと一般人は何の為にあるのかも分かっていない。何せここに集まる呪術師たちもその全容を知らないのだ。庶務の感じた不気味さもきっとそんなところに起因するのだろう。
イルミネーションは重要だ。一般人が勘違いをしてくれるためには重要なファクターとなりえる。何せ目立ち、分かり易い。
情報も有用だ。公式の見解として塔についての情報は正式名称と通称についてのもの、それと耳触りの良い言葉を並べた誤魔化しだけなのだ。それをカバーする形でうわさ話という形での情報を付与する。
そこで現れるのは真実と虚偽の入り混じる誤解だ。人々はたとえ実態を知らずともそれらしい誤った解が出たことで思考を停止する。
あの塔で実際に大切なのはその核とも呼べる物体。それのカモフラージュのために虚実で固められた楼閣は存在する。
核を管理し守り利用するために、そして人々を管理し守り利用するためにこの島は存在する。それのためにこの島は存在する。それがあったからこそ、この島は存在する。
「交戦しながらそこを目指しているんですよね」
庶務は親指で後ろの窓を指しながら質問する。そことはもちろんセントラルタワーのことだ。軽く明るい声は、とてもじゃないが仕事中の、それも重苦しい雰囲気には合致しない。
「あそこまで辿り着けば50年前の惨劇が再び、ってことになるんですよね」
その言葉に他の三人は静かに肯定の意を示す。可能性は十分にあるということだ。だがしかし50年前の惨劇、それを実際に体験したものはここにはいない。