03
「でも何で個人差があるんすかね」
仁は不思議そうに言った。ホモ・サピエンス・サピエンスとホモ・サピエンス・ソムニウスの差は確かに大きい。
「まぁ、単純な遺伝だろ。五十年新しい人類が暮らしてきても、まだいまいち分かってないらしいけど、実際遺伝くらいだろ。病気じゃないんだから」
母親に似た美咲は聖人として能力を持っており、父親に似た俺は特に能力はなく、多少傷の治りが早いという程度の恩恵しかない。二人が実際新旧どちら人類だったかは知らないが、父親は単なるおっさんだった覚えがある。喧嘩が強いのはきっと母親のおかげなのだろう。俺はその点に関しては感謝している。
「まぁ下手な能力があっても困るからな。これで俺には十分だよ」
努めて明るく言い、再びキャラクターを選択する。
「妹さんの能力も実用的なものだし、遺伝が原因なら同じような力なんじゃないんすか?」
仁は小首を傾げながら問うが答えは俺も知らない。実際俺には能力はない。考えても仕方のないことだ。俺には能力のある者の苦悩を知らないし、理解できるとも思わない。俺は妹の側にいることはできるが代わりになれない。俺は美咲の代わりにあのブレスレットを填めることはできない。
画面では代理戦争が始まり、お互い代わりの命を削りあっている。真剣に見つめる俺たちは俺たちの化身の痛みなど考えることなどない。攻めて、守り、反撃する。少しずつヒットポイントは減っていきついにゼロになる。
次のラウンドが始まる。俺は少しして違和感に気付く。操作が利きにくくなったのだ。さらに仁の体力が唐突に回復する。使用回数の限られた特殊技が連発される。明らかなバグ。それも仁に絶対的に有利に働くものだ。
金色の目を力強く光らせて仁が楽しそうに笑う。
「楽しそうだな」
「そりゃあゲームして遊んでるんすから楽しいっすよ」
「そうか。次やったらジュースでもおごれよ」
笑顔が一瞬歪み、不満げな顔になる。そしてすぐに楽しげに歪められた金色の瞳がすうっーと黒に戻っていく。ゲームの筐体の中で燻っていた仁の力がじわりと消え去っていき、不自然な電気の流れが収まっていったのを肌で漠然と感じた。バグが無くなりスムーズに対戦は進む。
「今日はもう帰るから」
何ゲームかすると俺は告げ、席を立った。伸びをすると肩の辺りの筋肉が、眠りから覚めたように活力を取り戻した。
「勝ち逃げっすか。なんかくやしいっすね。最後にシューティングでもしません?」
「時間ないから、また今度な」
「次回までにジュースのことは忘れてて下さいよ」
俺は愉快そうに笑う仁の頭を小突いて、一人で歓声をあげる昴の元へ向かう。仁は結局何度かチートをしていた。もしかして馬鹿にされてるのだろうか。年上としての威厳が欲しいものだ。
音楽ゲームから流れる音楽を一種のBGMにしながら、ごちゃごちゃした店内を歩く。ゲームのやりすぎか、眠気が脳に襲いかかる。
「おい、そろそろ帰ろうぜ昴」
「なんて?」
ゲームをする手を止めずに聞き返す昴。音楽の音量は店内に響き渡る程度である。つまりは結構大きい。俺からすれば頭の痛くなりそうな大きさだ。
「いや時間がそろそろ遅いからさ」
「は? 痴漢がそろそろ襲うからさ?」
珍しく昴が失敗する。痴漢がいて襲うにしろ予告はしないだろう。
「音量大きすぎだろ……」
俺の嘆きの声はスピーカーの大音量に流されていく。
「音響に気を使いすぎたからな」
流された声は昴がしっかりとサルベージされたらしかった。そしてまさかのこのゲーム、昴が調整したらしい。常連だからといっても店長はそれでいいのだろうか。それに昴以上に、仁は金を能力で誤魔化していることもある。店長は商売をする気はないらしい。
「で痴漢って何? 襲うって誰に何をしたの?」
どうやら昴の頭は大音量で流されていったのかもしれない、などと俺は痛む頭で考える。
「何もしてないから。聞き間違えだから。本題は時間がそろそろやばいってことだ」
しかめ面で言う俺に
「何だ、つまらないな。てっきり彰が犯罪者になったんじゃないかって期待したのに」
昴は心底残念そうな顔で言った。
「どういう意味だよ」
「美咲ちゃんの面倒はおれが責任を持ってやるからって意味だ」
なぜか得意げに昴は答える。たとえ俺が痴漢で捕まったとしても、昴が美咲を掴まえるのは天文学的な確率だと思う。昴だけに。
「インタビュー内容本格的に考えようかな」
「インタビューを受けるタイミングがないだろ」
「そうだな。おまえが犯罪をしないとなるとインタビュー自体ないし内容がないし」
ところで、何をするのが目的だったのだろう。取材を受けることが本質だっただろうか。
「有名にならなきゃな」
昴がしみじみと言った。その結論と始まりが奇妙にねじれた論理で地平の果てまで行ってくればいい。もちろん帰ってこなくてもいい。
「じゃ帰るか」
明るく言った昴の手がまるでゲームをやっているときのような動きをし、じっとゲームの筐体を見つめるのを見た俺は流石に呆れ、一人で歩き出した。
プライズコーナーに辿り着くと、美咲と佳奈はぬいぐるみを取っているようだった。美咲の手元には100円玉がタワーのように積み上げられていて周りが見えていないようだ。その横で佳奈は猫のぬいぐるみを抱えて眺めている。
「何回ぐらいやってるんだ、美咲」
上手くできずに唸っている美咲に話しかける。ゲームセンターにあるほとんどのゲームが苦手な美咲にとって一番楽しめるのはUFOキャ
ッチャーなのだろう。時間をかければ成果が出るからだ。
「え~とだね、確か10回くらい……だね」
口ごもりながら答える美咲の目は伏せられている。誤魔化しているのか。俺は無言で佳奈に目を向ける。
「えっと、その二倍はやってたかな……」
佳奈が苦笑いで答える。美咲がうろたえた声を上げる。俺は無言で頭を抱える。誤魔化すどころじゃなかった。一、二回ならまだしも。仁は美咲の能力を実用的だと言ったけれど、仁ならば能力を使ってコンマ単位でアームの位置をずらせるだろう。この場合はそちらの方が絶対に有用だ。
俺たち兄妹が自由に使うことのできる金額は少なくはない。何せ保護者は昨日までゴールデンウィークをアメリカで過ごし、俺たちを放っておくほど放任主義だ。無責任と言い換えても構わない。根拠は保護者当人が兄妹の人生に責任を持てないと明言しているからだ。俺たちはそれを納得しているし、放任と言っても3人で仲良く暮らしている以上文句はない。
俺たちの使える金額=生活費である。食事の材料費、学校での出費でさえ場合によればその金から出されることになるのだ。
「今月はもう金を使うな」
俺は努めて優しく言い、美咲は引きつった笑いで誤魔化しながら何度も頷いた。
横では佳奈が鼻歌を歌いながら、猫のぬいぐるみを二つ取る。いとも容易くやすやすと。佳奈が渡したぬいぐるみで笑顔を見せた美咲は、俺の目を見て涙目になった。