01
木霊する銃声が脳を揺さ振る。
確かな手応えを感じながら引いた引き金は、その何倍もの反動を手に伝えた。
火薬の匂いが鼻を襲い、濃密な暴力の香りが脳内で麻薬を分泌させる。発射された弾丸は空気を切り裂き、俺の目に確かな結果だけを知らせる。
肩の辺りにいくつもの風穴を開けた人型の標的がゆったりと倒れる。肩に穴が開いた人間がどんなふうに痛みを感じるのかは知らないが、少なくともあそこまでのんびりとすることはできないだろう。
日常生活で銃を使う機会が絶対にない、とはいえない世の中だが授業でやるのはどうなのだろうか。少し不思議に思うが、銃を撃つというのはなかなかに興奮する。
俺、滝峰彰はそれなりに楽しんでいるし、他の生徒も同じ感想を抱いているだろう。自分に痛みさえなければ、銃は兵器でも武器でも危険物でもなんでもなく、この試験も一種のゲームでしかない。
オートマチック拳銃を置き、射撃スペースから脱出を図る。
試験監督の教師に自分のスコアを聞きに行き、ひとまずやることは終わったと安心した。
断続的に銃声が耳を襲うことで、少々びくつきながらも落ちつけそうな場所を探す。
俺の目の前の風景は日本だけでなく世界中でありふれてきた日常的なものだった。世界でまともな文化を保っている国ならば。銃を試験することが、そして銃を一種の自衛手段として認めることが。
さらに言うならば俺が銃声に怯えることも自然なことだ。俺一人だけがビビっているわけではない。
響き渡る鋭い破裂音はゾンビやモンスターといった血の通わない化け物や、パーソナリティの見えない敵兵を殺すバーチャルな銃声ではなく、自分に唐突に降りかかるかもしれない暴力を象徴するリアリティ溢れる音だ。本能に恐怖を抱かせるべきものなのだ。
リアリティがありすぎてゲームに音を使うとそれだけで年齢区分が跳ね上がるかもしれない。だから俺が怖がるのも仕方無い。
たとえリアリティを求めるにせよ限度があるのだ。情報社会である現代で、遠くにある現実はフィクションよりも非現実で、身近にある現実はあまりにも面白みに欠ける。
現代で最も力を持つのは人間の想像力が生み出した身近のフィクションだ。身近で日常的なものはその本質を時に忘れさせてしまう。
銃の本質は人間の破壊の象徴であると同時にその手段だ。遠くにある現実で、もしくは近くにある非現実で人を死に追いやるのは、少年たちの手元で火花を散らす鉄の塊だ。それを忘れてはならない。
その音だけで俺は半ばゾンビのようになりながら壁際の友人たちのもとへ辿りつく。どうにも銃を撃ったことでか思考回路が不可思議な方向に向かっている気がする。
「調子はどうだ?」
俺は壁にもたれて滑るようにして座る。二人の友人はもう既にテストを終えたらしい。学業の成績からして雲泥の差があるからわざわざ聞くまでもないのだが、会話の切り出しとしては悪くはない。
「おまえはどうなんだ、彰?」
安倍昴は自分の成績を言うようなことはなく、俺に質問を返す。
「七十点だよ。前回とあんまり変わらずな」
成長がない、というわけではない。狙いを付けるのは早くなり、撃つのも素早く、銃声にも馴れた。それに平均はせいぜい六割といった具合だから悪くはない。日常生活で拳銃を携帯している人間はいないし、携帯していても撃つことはほとんどないだろう。平和な社会は引き金を重くする。
「拳銃は何?」
佳奈が興味を持ったのは俺の成績ではなく使った拳銃らしい。何と言うか佳奈らしい。つい笑うと佳奈は不機嫌そうな顔になった。
「拳銃だって成績に関係あるでしょ。別に気になったっておかしくないよ」
佳奈が拗ねたように言うので、俺は素直に伝えることとする。
「女子供が撃ったら骨が折れるかもって銃だよ」
「デザートイーグルか。でもあれ私でも撃てるよ」
佳奈は手で鉄砲の形を作り、「こんなふうにすれば」と構えた。曰く、やり方さえ間違えなければ問題ないらしい。
「手、折れなかったか?」
「折れてたらこんな風に日常会話続けてねえよ」
「痛みすら感じてないかもしれないだろ」
「それは神経から駄目になってるんじゃねえの?」
「おまえの脳味噌と同じか」
しみじみと言う昴。どうやら俺に喧嘩を売りたいがための流れだったらしい。俺は文化的平和人間だから彼の言葉に怒ることなどつゆもないのだが、会話の流れならば仕方がない。いや、普通に苛立った。
「喧嘩なら買うけど?」
「じゃああっちの的のところに立っててくれよ」
「いや、危ないでしょ」
昴の提案通り、銃弾飛び交う的の向こうに行くならば文字通り脳味噌が駄目になる可能性が出てくる。佳奈が止めていなければ俺の人生が終わってしまうところだった。なんてひとりごつ。
紛うことなき日常。常日頃からの普通の日々。銃刀法がいまだ存在しているにも関わらず、銃を日常で使えるようにする授業があるという現代のリアル。
日本はそれでも世界有数の治安の良さを誇っているのだ。
何せ三権の分立は保たれ、国家は存続し、自由な報道がまだかろうじて保たれている。
万人の万人対する闘争が世界では行われ、グローバリズムにより世界は国境なき紛争地帯へ変わった。そして二百にも届きそうだった国の数は今や半分以下となっている。そんな世界でなら国であるだけでましな話だ。
「それで佳奈はどうだったんだ?」
「ん? 私はトカレフだったよ。多分中国製かな」
俺は少し反省する。だが、質問に何か問題があっただろうか。
「それで何点だったの?」
昴は俺と同じで銃にはさして興味がないらしかった。ゲームでステータスが分かりやすく、上下関係がでるのならばまだしも、目の前の銃なんて銃以外の何物でもない。名前なんて一々覚えていられない。もちろん違いもだ。
「ああ、百点だよ。随分ぶれたんだけど、運が良かったんだね」
明るい声で佳奈は言った。好きこそものの上手なれというやつか、佳奈は射撃技術に優れている。
別に悔しくなんかないんだからね。だって授業以外じゃ使わないじゃん。勉強のできない言い訳と似たような考えをのんびりと脳内に垂れ流す。
佳奈の銃についての知識は無駄に豊富だ。
これを冗談混じりに言う時は、絶対に無駄を強調してはいけない。銃火器の授業で不幸な暴発事故に巻き込まれる恐れがあるからだ。とはいえ佳奈は結構優しいのでその程度の暴言で怒るようなことはないのだが。ないと思うのだが。
その不必要とも思える知識は、きっと俺が本や漫画の登場人物を何十人も覚え続けていることと多分変わらないのだろう。
趣味に実益を求めるのが間違っている。趣味は経済の発展と精神的安定のためだけにあるのだろう。
例えば佳奈はいくつもの銃火器についての書籍を集め、モデルガンを集め、代わりに多額の財産を手放したらしい。夜にはモデルガンを抱いて眠るらしいから、もうどうしようもない。
「ちなみにおれは八十だ」
誰も興味がないというのに昴は一人でのたまった。
「ちなみに銃は?」
ほらやはり興味を持たれていない。俺はまず、上の奴の点数なんて知りたくないし。
「ベレッタ、92FS、だっけ? 確かそんなの」
「いいなぁ。それ使うんだったら百点とろうよ」
「無理だねぇ、そんなの」
「ええ、いや、いけるよ」
「じゃあ数学のテストで満点取れるか?」
「やだなぁ、そんなの人類の所業じゃないって」
俺が静かにテストの様子を眺めている中、そんな会話が続く。というか試験で使う拳銃が違うのは問題ないのだろうか。
不意に佳奈が俺の顔を覗いた。瞳が俺の顔の上を滑り、居心地の悪さを感じる。距離が近いからだろう。
「顔色悪いけど大丈夫?」
心配そうな声に俺は首を傾げる。気怠さは感じないこともないが、不思議と高揚も感じていた。何だか無関係なものに感情を左右されているような違和感があった。
「言われてみればちょっと隈できてるしな。美咲ちゃんも朝やけに眠そうだったし、二人して夜な夜な何をしてるんだか」
昴はため息を吐いたが、口元がにやけている。佳奈は昴の妄言に露骨な反応。顔をうっすら赤くし、一体何を想像したというのか。妹といかがわしいことなんてしていたら人生が終わる。
「そういえば今は彰くんと美咲ちゃんは二人きり」
一人ヒートアップする佳奈。昴はそれを横で煽りたてる。
「単なる寝不足だよ。それに今日から帰って来るし」
「何だよ。てっきり友人が性犯罪者っていうなかなか味わえない体験ができると思ったのに」
「お前の方がよほど犯罪的な思考してるだろ」
「おれの夢はテレビのインタビューで『彰君は昔からいつか人を殺すだろうなってやつでしたよ。悪いやつではなかったんですけど』って顔に困惑を滲ませながら言うことだ」
「マジで最悪だ」
「うわーホント最悪だな。佳奈にまで手を出すなんて」
「えっ私?」
なぜ、そこで顔を赤らめる。マゾですか。苛められたいんですか? というか、佳奈に『まで』ってまるで美咲への暴行が確定事項のように。冤罪だ! それでも僕はやってない!
「まぁ、ともかくよ。あんま寝不足はよくねえだろ。ハンドガンなんて凶器使うんだから。けど危ない動きしてると正当防衛で殺せるよな」
完璧な過剰防衛だった。
「どっちにしろ危ないから気をつけろよ。おまえの撃ったデザートイーグルで前も誰かが捻挫してたらしいし、寝不足じゃ操作ミスとか増えそうだろ」
とは言うものの、もうテストも終わって授業の終了を待つばかり。結局駄弁って過ごそうと座っていた。するといつの間にか意識は閉ざされて、授業終了のチャイムで瞼が持ち上がる。
重い腰を持ち上げて、先生に進言する。
「具合が悪いので保健室で寝てきていいですか?」
俺と昴の声がハモる。
「そんなに寝たいのならまだ眠っているといい」
副担任の教師から備品のスタンガンが腹に押し当てられた感触がした。副担任に暴力的指導を許可しただろう担任への恨み言さえも真っ黒に塗りつぶされていった。