霞(かすみ)
その日から仙術を学ぶべく練習始めた俺だった、幸いこの小屋の下に地下への階段があり、奥には巻物や小物以外にも食料(様々な種類の干された木の実)が沢山保存されていたのだ。
これ幸いと俺はそれを食べながら練習に励んだ。
神通力は失敗ばかりだったが内丹にまつわることが書かれた巻物を読んでまずは気の習得を始めた、それから随分長い時が過ぎた気がする。
今ではすっかり食料はなくなってしまったが気にすることはない……何故ならば。
スーハァ……スーハァ……。俺は息を浅く吸いゆっくりと吐き出す。この呼吸はただの呼吸ではない。気を効率的に集める特殊な呼吸法だ。空気中に含まれる気が息を吸う吐くを繰り返す度に体に溜まり腹が満たされる。仙人は霞を食べると古来より伝わっている、俺は本当に霞を食べるとばかり思っていたが、実際は違った、気である、そう気だ。
空気中に混じる気を体内に溜め込む、それが霞を食べることだ。ただ味はなく、腹が膨れるだけなので普通に食事をとった方が断然いい、仙人の非常食みたいなもらしい。
この気を感じることが難しく、中々感じ取れなかったが、餓死しかけた時にようやく気を感じ取れたのだ。
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腹が減って死にそうだ。比喩ではない、実際に死にかけている。
あれから一体何年経ったのだろうか?
最初は勢いよく巻物を読んで練習に励んだが何日練習してもちっとも何も起こりゃしない。
俺はだんだん練習するのが面倒になって、小屋から出て谷からの脱出を試みた、だがこの空間からの脱出は無理だった。出ようとすると気が付けば元の場所にいるのだ。後で知ったがこの谷は元々はただの谷の底だったらしいが、あの小屋の持ち主、、巻物の製作者の仙人が修練の為に作り出した場所らしい。
滝や木、冷たい湖などは全て修行に使うためだけに作られているためここには邪魔な生き物がいない、さらに野生の獣が入らぬようにこんな谷の底に作り出し、さらには何重もの結界が張られている。俺のように何も知らずに投身自殺を試みて谷に落ちていく奴のことなんて想定されていない。何かしらの準備をしてから谷に入る者を引き返させるための結界だ。
大事なことなのでもう一度言うが、なんの準備もせずそのまま自由落下する者のことは想定されていない。結界に反射機能はないのだ。
だが内部は違った、出入りするのはここの主の仙人だけだ。他の者のことなど関係なしだ。結界の外に普通に出ようとするといつの間にか元の場所に戻っているのはそのためだ。
しょうがなく、俺は小屋での練習を続けていたが、とうとう食料が残り少なくなってしまった。食料を探そうにも結界内部には木の実は愚か魚や昆虫さえいなかった。
このままでは餓死しかない、、この状況を打破出来そうな内丹術の気の習得は何度繰り返してもウンともスンとも言わない。食料の減りとともに焦りが募る。
そしてとうとう最後の食料だ、俺は数個の固くて不味いカチカチの木の実をゆっくりと噛み締めながら食べた。水は小屋の外にいくらでもあるが食べ物はもうどこにもない。
最後まで希望を持って練習を続けたが結局意味はなかった。
俺は水をたらふく飲んだ後に小屋の床に横たわった。それからは殆ど寝て過ごした。
それから一体何日経ったのだろうか? 最初はこの小屋の持ち主の仙人が何故いないのか、何故こんな巻物を大量に小屋に置いているのかなど、色々と考えていたが、今はもう考える気力もない、目を閉じてひたすらジッとする。それだけだ……。
俺は死ぬのか……。
ボンヤリとした意識の中でそんな想いが浮かび上がる。空腹で体を動かすことも辛くなり水を飲むことを止めたために喉はカラカラに渇き、口からはもはや唾液さえでない。水を飲みに行こうにも体に力が入らない。
確実に死が近づいて来ている、最初は死が怖かったが、空腹と渇きが続くぐらいなら死んだ方がいいのかもしれない。
時折そんな考えが浮かんでくるのだ、死ねば苦しみから解放される、ならば死ぬのも悪くはない。
やがて俺は死を待ち焦がれるようになった、、真っ暗な部屋で静かに死を待つ。
そんな時だった。
暗い小屋の中に急に明るくなったように感じたのだ、いよいよ幻覚でも見え始めたか……。
死ぬ前に人間だった頃の思い出でも幻覚として見れるかもしれないと長く閉じていたせいで目やにが張り付いた重い瞼を何とか抉じ開けた、すると目の前に広がっていた光景は走馬灯ではなく、なんとも不思議なものだった。
光だ……半透明な光がボンヤリと見えるのだ。それが俺の体からあふれでている。
これは……気?。
脳裏を駆けるのは空暗示ることができる程読んだ内丹術の巻物のの内容だ。
気とは生の根源、気は空に満ち生あるものに宿るもの。気を感ずることこそが内丹の初歩なり――。
何度も感じようと練習したが感じ取れなかった。だが俺は己の生命の危機でようやくそれを感じとれたのだ……。
あぁ……。なんと美しいんだ、、透明でありながら暖かく包み込まれるような、それは生まれたばかりの赤子が母親に柔らかい布で包まれ安心して眠るような、それでありながら田に生える稲が何度踏まれようが再び元に戻るような力強さを感じる、まさに生命を象徴するような美しいさだ……。
空気に混じるよにうっすらと見える気は美しかった。
しかし、俺の体から滲み出ている気は空気に混じるよう気と違いとんでもなく濃い。おそらく俺自身の気だ。普段は体に留まっているが、死にかけているからこんな蛇口から流れる水の如く漏れ出ているんだろう。
意識して止めようとするとピタリと漏れでるのが止まった。そればかりか口に向かって近くの気が吸い込まれていく、するとさっきまでの無気力感がなくなったばかりか驚くことに飢餓感がなくなり腹が満たされていくのだ。
そこで理解したのだ、、霞とは気のことであると。
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このように命懸けで覚えた気の習得、これを覚えてからの内丹術は、驚く程簡単に(時間は掛かるが)次々と習得ができた。
さすが俺だ、今の俺なら内丹術の師範代を名乗れるんじゃないだろうか。
ただ習得に何年も掛ったが。
結界内は日付があるらしく、朝は明るく、夜は暗くなる。
それを利用して、小屋の壁に修行の日数を1日を線一本で表して気持ち悪い程ビッシリと描いたてきた、恐く一年や二年ではなく何十年分の線の数だろうな。
俺は内丹術で日付が感覚でわかるようになり、気が付けば、今では三十年が経ったことを知った。 俺は修行で技術が身に付くのが楽しくて仕方がなかった。
成功する度に、「キュイ!!」(イヨッシャアアァァ!!)と思わず歓声を挙げる程楽しくてしょうがないのだ。
ずっと続けていたが何もしなかったなら耐えきれないだろうな、間違いなく発狂しただろうな。
一つ術を覚える度にすぐ次の修行をする、それがここ数十年の俺のライフスタイルだ。
いつのまにか谷から出ることが目的ではなく、ここにある巻物で様々な術や技術を覚えていくことが目的となっていた。
この小屋には練丹術の薬品の材料や占い道具などが棚に揃っており、修行にはもってこいの場所なのだ。
まぁ、道具は狸の俺では扱えないが、神通力の巻物に面白いものがあったのでそれを身につけていずれ使うつもりだ。
そんなこんなで内丹術を身につけた次は神通力の修行を開始したのだった。