13 『決戦に向けての後始末 ~転生男の場合~』
その後百合沢は、絹川を引き連れて執務室を後にした。宇佐美が眠る、和泉の所へと向かうらしい。この世界を後にするに至り、四人で話し合いをするのだそうだ。
俺がどうしてあの女神を脅威と思っているのかは、これまで幾度と無く話して聞かせていた内容だし、今さら百合沢の行うであろう説得に不安は無い。更にあの能天気な小娘も一緒に居るのだ、恐らく、何事も無く彼らの方針は決まるだろう。
そしてその間、俺は自分のすべき仕事を済ませていた。勇者達が元の世界に帰還する意志を示すこと。国としてそれを受け入れるべきであることを、諸侯に納得してもらう必要があったのだ。
一晩中説得し続けてやるくらいの気合で望んだその会議は、拍子抜けするほどすんなりと進んでいった。ものの数時間前に行われた、あの女神を退けたという現実が響いていたのだろうと思う。
真なる女神アルスラエルによって遣わされた勇者一行は、世界を襲った邪神という脅威を見事に撃退し、そしてまた異世界へと還ってゆく……そんなストーリーが作られるのもそう遠くない日の事だと思う。あいつ等がここに呼び出されたきっかけの魔族も、そして魔王も、この通り健在だというのにな。歴史は、後から勝者が作るもの。そんな言葉が、ふと俺の頭をよぎっていった。
勇者達の帰還が受け入れられた後、俺はそのまま、自分自身の用事を済ませた。国王と議会の長、そして魔道士長であるギリスタック殿へ挨拶を済ませ、正式な書類の引渡しを終えて行政府を出たところで、思わぬ人物と顔を合わせた。
「辞任、するそうじゃな。ハインツ卿」
まるで待ち構えていたかのようにそこに立っていた王女は、俺にとっては非常に見飽きた、苦虫を噛み潰すような表情でそう言った。
「お耳が早いですな、メリッサ王女」
「ハッ。お主ほどの高官の辞意表明じゃ、既に誰の耳にも知れ渡っておる。別段、妾が優れている訳ではないわ。……それより、どういうつもりじゃ?」
「どうもこうもありませんよ、王女殿下。私が出来うるマゼラン王国での仕事は、全て終えたつもりです。これ以上この地居に留まり続けたとしても、私には何も出来ませんよ」
「バカを申すなっ! 確かに、お主以上の政治手腕を持つものはいくらだって居るじゃろう。じゃがそれでも、お主ほど多角的な視点でこの国を導けるものなど居らぬ。そうじゃろう? ハインツ卿」
睨み付けてくるこの少女にここまで評価してもらっていたことに、今さらながら驚きを隠せない。けれど決して口には出せないが、その多すぎる視点を持ってしまっていることこそ、俺が政治の舞台から退かねばならない一番の理由なのですよ、我が王女。
ここに似た世界の歴史を知ってしまっている俺は、たとえそのつもりが無くとも、自分の知りうる未来に添った舵取りをしてしまいかねない。この国の人たちのためだと言いながら、俺自身が第二の邪神になる未来だって充分にあるのだ。
そして何より……。
「メリッサ王女。ここだけの話なのですが、私にはどうしてもやりたいと思い続けてきた仕事がありました。そして今、どうやらそれは成し遂げられようとしているのですよ。だからこそのこの時点での退任なのです。決して、投げ出そうというわけではありません」
その仕事がなんなのか、俺は詳しくを語らない。何故なら、ここで王女にその話をしてしまうことすら、歴史の流れを誘導してしまうことになりかねないからだ。それは、俺のスタンスではない。
だがそれでも、ここで何事も残さなかったとしても。なおも俺を睨みつけながら罵ってくるこの王女がいれば、俺の望んでいた未来は訪れると信じることが出来た。
過去に自分がきっかけとなってしまった魔族との戦争、そして今もなお残り続けている魔族との確執。百年以上にわたって続いてきた両者の確執は、今もなお人々の心に根を残している。その解決をこそ、俺がこの国に居続ける理由だった。
だが、異種族を敵とみなす考えは、今や名実共に邪神と定められた女神による歪んだ教えのせいで引き起こされた、多種族排斥の一環であったと考えられ始めている。慈悲と寛容を体現する女神であれば、過去にいざこざのあった多種族とすら、融和の道を選ぶであろう。そんな論調が、先ほどまでの会議でもとりだたされていたのだ。
そのきっかけとなったのは、間違いなくメリッサの舌戦の内容だ。本人すら覚えていないかもしれないこの王女がホロン枢機卿にトドメを刺したやり取りこそが、これからの異教徒、異国、そして異種族に対する国の基本的姿勢の土台となったのだ。
それはいずれ広く国民に知れ渡り、そして受け入れられるだろう。そもそも今生きている人々には、魔族を憎む直接の理由などほとんどないのだから。
もちろん、言うほど容易い事業ではないだろう。魔族をヒト族全ての敵とみなす風潮は、世界各国で共通に近い認識となっている。だが、例え一つの国だけだとしても、あの種族に対して同調を示す国が現れれば、いずれはその意識が広がっていくコトだってありうる。
長い関係の断絶を経て、そして今、新たにヒト族と魔族が出会う。その時再び、新しい付き合い方を一から作り上げることが出来るかもしれないのだ。
いつの日か、この国の人間から、魔族にその手が差し伸べられる日がきっと訪れる。そうなれば、もはや魔族をあの地に縛り付ける理由は無い。魔族を外に出さぬ為だけの、魔王という存在も必要が無くなるだろう。
その時この国の人々が、魔族の皆が、更にはこの世界の人々全てがどのような道を選ぶのか。それは俺がどうこうする問題ではない。過去に越してしまった争いを、できるだけ薄めて次の世代に引き渡す。
ただそれだけが、俺のできるつじつまの合わせ方なのだから。
目的が済んだ後の俺は、魔族の森の奥地から、こっそりと人々の営みを眺めていれば充分だ。
そして、この流れを作り出した発言。特に俺が教え込んだわけではない、王女の気づいたアルスラ教の歪み。どうしてメリッサが、あの場で異種族との確執にまで言及したのか。……俺には、その真意はわからない。
だが不思議と、いつも近くで見ていた、こちらの緊張を削ぐしまりの無い顔が浮かんだ。……本当に、余計なマネをするヤツだ。
「妾がこれほどまでに頼んでおるというに、それでも考えは変わらぬのか?」
「申し訳ございませんが……」
「領地は、リーゼン領はどうする。引退するとしても、後を継ぐ者が居らぬでは無いか」
「これから先の魔族領との関係を考えれば、あの土地は一貴族が預かるべきではありません。国の直轄地とし、政府が治めるべき領土となるでしょう。その旨、陛下や議長にもご理解いただいております。しばらくの間は、私の下で代官を務めていた者にお任せいただければ、領民に苦労をかけるような事態も起きぬでしょう」
「ハッ。根回しの良いことじゃ。つくづく可愛げのない……」
「私のような中年に、可愛げなどあっても不気味なだけでしょうに」
「言葉の綾というヤツじゃ! いちいち上げ足を取るなっ。……本当に、本当に居なくなってしまうのじゃな」
「えぇ。とはいえ、まだまだあの世にいくつもりはありません。いずれまたお目にかかることもございましょう。どうか、それまで……」
「……そなたもな。息災でいよ」
身長の差が有るにもかかわらず、最後まで俺を見下ろし続けたこの誇り高き生粋の王女に、俺は深々と頭を下げた。そのまま横を通り過ぎ、王女との別れを済ませた。
すれ違う瞬間彼女の口から零れてしまった「寂しくなる……」という言葉は、彼女の名誉の為にも、俺が墓場まで持っていくとしよう。
これで、この国ですべき全ての仕事を終えた。
俺の思い残すことは、何一つなくなった。
本日は、後2話、投稿いたします。
14話投稿予定 17:00前後
15話投稿予定 20:00前後




