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いやいや、チートとか勘弁してくださいね  (旧題【つじつまあわせはいつかのために】)  作者: 明智 治
最終章  『排他的観念への包括性の同調及び協調による、パラダイム・シフトの肯定と否定』
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04  『たまには誰かのひとり語りも』

 ――王都につくまで、まだ少しだけ時間があるな。良い機会だからちょっとだけ込み入った話をしよう。

 なぁに、聞き漏らしが問題になるような大事な話は、さっきまでの打ち合わせで済んでるんだ。こっからしばらくは、俺の与太話に付き合うと思ってりゃそれで良い。

 お前は適当に相槌でも打ちながら、ちゃんと前向いて馬車動かしてくれればそれでかまわんよ。百合沢君も、そういうわけだから、もちょっと離れて聞いてくれ。……あぁ、だからメモ取るような話じゃないんだってば。




 ……さて、先ずはここからの話が、あくまでも個人的な見解だってことを納得して欲しい。いくら俺でも全方向に爆撃しかける趣味はないし、それ以前に真面目にやってるやつ等に文句付けるつもりも無いからな。


 神とはどのような存在であるのかを考える時、そこには無数の回答がある。存在の有無を論じるだけでも一筋縄ではいかないし、考える人の数だけ、それこそありとあらゆる方向から切りかかられる問題だからだ。むしろ神について語るというそれ自体が、既に一つの哲学に成りうるだけの話だろう。それが、人の精神活動における神という存在だ。

 神の起源は死者崇拝であるとも言われるし、自然に対する畏怖の念が神を作ったというヤツも居る。そのどれもが説としての説得力を持った意見で、一概にどれが正解だとか言い切れる類の設問でもない。まぁ、個人的にはそのどれもが正解だと思ってるんだがな。


 なんにせよ神というものは、人の社会的、及び文化的生活において、多大な影響を及ぼした存在だということに間違いはないだろう。人は、概念的な神と無縁で生きることは出来ないと言っても過言ではないんだ。


 まずは、そこから始めよう。




 ――ふむ、確かに無神論者を称するヤツも少なからず居るな。だが言ったろう? 俺の言う人が避けて通れぬのは『概念的存在として』の神の事だ。


 確かに神という単語を聞けば、お前等の中で最も有名な世界の隣人教のアレとか、六月の花嫁の語源を妻に持ちながら浮気を繰り返したアレとか、はたまた本邦の元祖ヒキコモリ辺りを思い浮かべるのかもしれん。

 それらの神に共通で、且つそいつ等を神足らしめている最重要項目は、信仰の対象であるという一点に集約される。どこかの誰かが崇め奉り、時に畏怖し、時に救いを求めるナニカが神なんだ。逆を言えば、そういった信仰の対象となる事象は、すべからく神的存在であるといえる。


 つまり、誰かが信仰さえすれば、その対象はその時点で概念的に神なんだ。となれば、神という存在の枠はもっと広がるだろう?



 ……ほれ、心当たりは無いか? 例えば良い大学に入れば素晴らしい人生が送れるという考え。この概念に救いを求めたのなら、学歴はすなわち神だ。皆が携帯……今はSNSか? なんにせよソイツをやっているから、同じようにすれば仲間外れにならずに済む。そう信じているヤツに流行は神となる。

 明確な根拠は無く、それでも経験則的に因果(・・・・・・・)が存在しうる(・・・・・・)と信じられている事象は、その全てが言ってしまえば信仰の結果だ。


 わかりやすく言えば、このツボを買えば幸せになるという文言と、春の新色スカートをゲットしてなきゃモテないゾってのは、観念として同じレベルの信仰だという事だ。


 そしてそんな神の機能とは、因と果を結ぶ肝にある。例えば、正直に生きていれば幸せな人生を送れるという観念があった時、『正直に』と『幸せな人生』を結ぶ不可解な部分を穴埋めするのが、その神の役割となる。『女子力を高めれば』と『カレシが出来る』の間を繋いでいるのが神であるのと同じ事だな。


 物事の因果を説明付けるナニカというのが、概念的存在の神という現象なのだ。




 少しだけ話が逸れるが『科学の発展に伴い神の存在が薄れてきた』という意見がある。俺は、これは絶対的に間違っていると思う。


 今言ったとおり、神の存在は因果の補填だ。例えば、毎朝なんだか知らんが明るくなり、時間がたてば暗くなるという自然現象を、いずれかの時代では太陽神という存在が説明していた。そして今日では自然科学の発展により、地球の自転と惑星の公転、そして太陽と言う恒星の働きによるものだと理解されている。

 それゆえ人によっては、人類は科学によってまやかしから解き放たれたなどと口にするわけだ。



 だがな? よく考えてみろ。今現在の我々が持ちうる技術と観測の結果が世界の真理であるなど、どうやって証明する?


 いずれ数百年数千年と時を重ねていけば、また新たな世界の読み方が発見されるかもしれない。そしてその時の人類からすれば、今の人々が妄信している科学技術など、それこそ間違いだらけの認識にすぎなかったという判断が下されるかもしれないんだ。さっきの例だって、太陽神というまやかしが廃れ、自然科学というちょっと新しいデタラメが主流になっただけと考えられてしまうことだろう。


 故に、その二つに概念的違いは存在しない。どちらもその時期に生きる人々が、物事の因果を説明する為に信仰している対象に過ぎないんだ。既存の神の存在が薄れたのではなく、新しい別の神に乗り換えたにすぎん。別に科学的考察なんてウソっぱちだなどと言いたい訳じゃないぞ? ただ科学を妄信するのは、歴史的観点から見て理にかなわないと言ってるんだ。

 まぁあれだ、古い因習を笑う者は、いずれ自分が信じる科学(カミサマ)を笑われる日が来ることを肝に銘じておけ、と言う事だな。




 さて、話を元に戻そう。

 本来であれば物事の説明を手助けするだけが神の存在なんだが、だからと言って神なら何でもかまわないということはない。なんだかわからないモノの説明をする為に、同じくなんだかわからない神という言葉だけで終わらせる訳にはいかんのだ。


 どうしてその神がその因果に関わるのか、そしてその神はどういった存在なのか……。その辺りの肉付けが増えれば増えるほど、神の存在は説得力を増す。海を荒れさせた原因に定められた神が、何の縁も無い安産の神だったら納得いかないだろ?

 だから時代と共に神は背景を持ち、来歴を持ち、人格やストーリーを持つに至ったんだ。


 そしてこの、信じていない人間からすれば胡散臭いにもホドがある物語を纏めて、同じような考えを大雑把に括った時。そこに出来上がるのが、宗教というヤツだ。

 つまり、その神がどのような存在であるかを定義付け、そこに正当性を肉付けしていく作業こそが、宗教と言う存在、本来の役割だと言える。要は神に説得力を持たせるということだな。


 世界の解説であり因果の理由である神は、本来ならば自身の意志も言葉も必要じゃない。なぜなら神は、ただそこにあるモノだからだ。だがそれを信仰し、そして伝達することを目的とした人々にとっては、自分や他者を納得させるだけの根拠が必要になってくる。


 そこで初めて、宗教が発生するんだ。




 ――そうだな。確かに世界の宗教を紐解けば、「神がこれこれこのように述べました」と言う教えは存在する。だから神自身に意志や言葉があるという考え方も出来るだろう。


 だがそういった『神のお言葉』というものは、すべからくその宗教下の人物が聞いたという証言によって成り立つものだ。現に、そちらの世界で二位以下ぶっちぎりなベストセラーの宗教本だって、神自身の手によって原稿が書かれたと主張している訳ではないだろう? その内容はすべて、どこそこの誰それが、神がこのように言っていたのを聞いたという、又聞きの又聞きレベルでの記述が為されているはずだ。


 もちろん俺は、それら全てがただの捏造だなんて言わない。中には本当に、神の声を聞いた者が居たのかもしれん。だが、それが神の言葉であると認可し、そして広めているのは、紛れようも無く宗教という存在なんだ。

 そしてその行為は、自分達の奉じる神の存在感を増すという効果を遺憾なく発揮している。



 繰り返すが、神自身にとって意志や言葉は必要じゃない。それは意志や言葉が存在しないということではない。ただ単に、神のありようにとって必要としないというだけだ。

 だがこと宗教にとっては、神には確固たる意志やそれを伝える言葉が必要不可欠だ。そうでなければ、宗教の存在意義である、自分達の神の説得力を増すという目的を達成することが困難だからだ。




 以上の内容を踏まえて、誤解を恐れずに暴言を吐くぞ?


 俺が思うに、神と言う概念は間違いなく存在する。何故なら神とは事象の因果であり、世界中のありとあらゆる物事を動かしているナニカだからだ。リンゴが木から落ちるのも、夏には暑さが増し冬は冷えるのも、ひいては世界が世界として存在するのさえ、そのいずれにも神は関与している。


 だが、神がどのような存在で、何を好み、人に何を求めるのかなんて事を決めているのは、圧倒的に宗教だ。自分達の信じる神がどんな存在なのかを定義付けるのは、崇める神がどういったモノか決定しておく必要のある宗教の方なんだ。

 もしかするとそれは、神自身の本意に添う教えなのかもしれない。逆に神からは、全くどうでも良いシロモノであるかもしれない。だがどちらにせよ、その神がそういうものだと決めているのは、神ならぬ人の行いに他ならないんだよ。


 神は宗教を必要としない、だが宗教は神を求める。神は世界の始まりと共に存在するが、それでも人は己の信じるべき神を作る。

 ……これが、人の歴史上連綿と続いてきた、神と人とのあり方だ。




 ――よろしい。まぁ、無理に納得しろとは言わんよ。所詮は与太話の域を脱しきれない内容だ。異論、反論の余地は腐るほどあるだろうし、だから何なんだって話でもある。

 まぁ、これから始まるアルスラ教がらみのやり取りで、ちょろっとでも理解の助けになればと解説したまでの事だ。


 だが、これだけは頭の隅にでも記憶しておいて欲しい。

 神と宗教とは、必ずしも同一に語るべき事象じゃない。むしろ、分けて考える必要がある存在だ。それはつまり、女神アルスラエルについて考えることと、アルスラ教に対処することが別問題であるという事だ。まぁ、女神についての考察はまた別の機会にやるとして、その点だけは押さえといてもらえると助かる。



 ……良い機会だから一気にやれ? 無茶言うな。お前は良くても、後ろの和泉を見てみろよ。可哀相に口から白煙吐いてんじゃねぇか。ありゃ一気に小難しい話聞いたことで、脳がブレーカー落としたに違いない。あの根性ババ色女神が如何にクソッたれな存在であるのかという話は、また今度にしよう。


 ま、そう遠からずやらにゃならん話だから、あまり期待せずに待っておく事だ。



 さて、そろそろ王都に到着だ。着いたらすぐにメリッサ王女の元に向かう。

 アイツがどんな反応をするかはわからんが、なんにせよ打ち合わせどおり、あの小娘を丸め込む方向で話を持っていこう。


 ここから先は怒涛の展開が待ってるんだ。気合入れてかかるぞ。

百「ハインツさん助けてっ! 和泉君が息をしてないの!!」

ハ「メディーーーックっ!」

絹「知恵熱こじらせるとあぁなっちゃうんだ。こわいなぁ、とづまりすとこ」



ご意見、ご感想頂きありがとうございます。

異論、反論は作者の脳内に直接お届けいただけると幸いです。


評価、ブックマークを嬉しく思い、

本日七月七日の空を見上げながら、

仕事放棄して乳繰り合ってるDQNカップルに、

いったいどんな願い事なら叶えてもらえるのかを思案している今日この頃でございます。



○本作のスピンオフ的短編


『日の当たらない場所 あたたかな日々』

 http://ncode.syosetu.com/n4912dj/

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