17 「決壊。……そして」
「あぁあアアああぁァああああぁあアアッ!!」
獣じみた叫び声と共に、おぞましいほど膨大な魔力が膨れ上がる。宇佐美を中心とした魔力の奔流は、俺や百合沢を、さらには少し距離を置いて事の成り行きを見守っていた人々をも巻き込み荒れ狂う。
この俺ですら、立っているのがやっとなほどの暴力である。魔力的に無抵抗なもう民達はおろか、身体能力に秀でた勇者までもが、不可視の圧力に身を横たえていた。
老齢のナザン卿が視界をかすめ冷や汗が出たが、傍に控えていた和泉がその身を挺して庇っているようだった。流石だ、主人公。やはり、こういう時には頼りになる。
こういう時に頼れない絹川の方も、なんとかやり過ごせているようだった。なんか「あわわわわ」転がってるけど大丈夫だろう。
とはいえ、このまま魔力を受け続けてしまえば、抵抗力の無い者は意識までもを刈られてしまうし、いずれは命の危険まである。それ以前に、これほど膨大な魔力を垂れ流していては、宇佐美自身が自己を保つことが出来なくなるだろう。
純粋な魔造生物ともいえる勇者にとって、魔力の枯渇とは、すなわち死を意味するのだ。
俺の中の冷徹な部分が、このまま自爆を待った方が手っ取り早いのではと問いかけてくる。だが、そんな解決は俺の趣味じゃない。なによりこんな子どもの身を犠牲にしたとなっては、魔王の名が廃るじゃないか。
下腹に力を入れ、自分の周囲から宇佐美の影響をかき消す。そしてありったけの大声で名を呼んだ。
「宇佐美っ! ダメだっ、感情に流されるなっ!」
恐らくは意識と無意識がせめぎ合い、一時的な暴走状態に陥っているだけだろう。しっかりと自分を認識できれば、魔力の奔走も止まるはず。
更に名前を呼び続けると、一瞬、圧力が弱まった気がした。力なく立ち尽くし俯いていた宇佐美の顔が、ゆっくりとこちらに向く。俺を視界に捕らえたその目は、未だはっきりと焦点を結んでいないようにも見える。
だが、それでもこちらの呼びかけには反応した。
「……ェ」
「宇佐美。そうだ……しっかりこっちを見ろ。気を強く持つんだ」
少しずつ緩やかになる魔力の流れの中を、宇佐美に向かって進んだ。……そう、落ち着くんだ。そうすれば、極悪な干渉などに精神を揺さぶられずに済む。
ゆっくりと、だが確実に前へと進む。「……エが」ゆっくりと上体を揺らす少女の肩に手が届くまで、あと数歩と言うところまで来たその時、
――物理的衝撃を伴うほどの強烈な殺気がたたき付けられる。
とっさに後方へと飛び退る。だが次の瞬間、離れていたはずの宇佐美の体がすぐ目の前に存在していた。
「――オマエが居なケればッッ!」
時間停止! 血走り見開かれた両目はもはや常人のそれとは思えない。口角から泡を吹きつつ、身が捩じれるほど引き絞られた右腕が俺の身体を貫こうと迫る。もはやかわす隙はない。だが、肉体を強化すれば受け止めるくらいは……。
「ダメぇッ!!」
悲鳴じみた叫びが耳を打つ。長い黒髪をたなびかせた百合沢が、声を置き去りにするほどのスピードで俺に飛び掛っていた。早っ。いや、この未来を見たのか!? だがこのままでは百合沢がやられてしまう。宇佐美に身内を傷つけさせるわけにもいかんっ!
とっさの判断で、横合いから来た少女の身体を、勢いはそのままにぐるりと廻した。宇佐美と俺の間に割って入ったはずの体が、そっくりそのまま入れ替わる。目の前には、意図せず胸元に抱いてしまった百合沢の頭。空気を裂くほどのプレッシャーが背中に迫る。
だがこれでコイツ等は無事に、……あっ、強化――
一瞬の何百分の一のやり取りの後、左肩甲骨の辺りに衝撃が走った。
耳を覆いたくなるような、何かを抉り取る音が聞こえる。自分の内側からこんなのが聞こえるなど、まったくもって不愉快極まりない。衝撃でたたらを踏むが、必至でこらえて両足を踏ん張る。……大丈夫、問題ない。
それよりも先ずは宇佐美だ。ギリギリで体の内側に張った障壁が、俺の身を抉った少女を弾き飛ばしている。目で追う。宙を舞った彼女はそのまま空中で身体をねじり、両手と両足を使って地面に降り立った。今の動きからは、反動による肉体的損傷は見受けられない。一安心と言うところか。しかしどっかで見たな、ああいう着地。初号機か?
「良かった……。二人とも、無事か……」
思わず漏れた呟きが、えらく遠くから聞こえる。そんな事より、手加減できずに吹き飛ばしてしまった宇佐美の無事を確認していると、どこかで誰かが騒いでいるような気がした。どうした、今度は何が起きた?
視界の隅で、それまでぶっ倒れていたはずの絹川が駆け寄ってくる。お前、意外と元気だな。――音が遠い。おっと、何時までも百合沢を抱きかかえている訳にはいかん。いくら緊急措置とはいえ、年頃の娘をオッサンが抱きかかえているなんて図は、世間的に宜しいものじゃない。
百合沢の身体を離し、安心するようにと口を開きかけたところで、喉の奥から何かがせり上がって来た。オイオイ、年頃の娘に吐きかけるなど、どんだけマニアックなプレイだ。鉄臭い塊を力ずくで飲み込む。
……ん? 百合沢、何故に口パクなど?
日頃のクセで口の動きを読む。なになに……し、ん、じゃ。死んじゃう? 誰がだっ!?
……あ、なるほど。
…………俺か。
ゆっくりと世界が角度を変える。
モザイクがかった意識の隅で、右腕を血に染めた宇佐美が、遠くに走っていく姿が見えた気がした。
§
§§§
§§§§§
「――――ほんっと。バカじゃないんですかねぇ」
とっぷりと日の落ちたラッセルの町中。それでも賑やかな町の喧騒を締め出すように窓を閉めると、ソファーに横たわる俺に向かって絹川は言った。
「とっさの判断で、百合沢さんかばったのは良いですよ? でも、気を失うまで自分が怪我してること気づかないとか、鈍感通り越してアホの部類ですよ。肩だけじゃなくて、お脳の具合も見てもらったほうが良かったんじゃないです?」
「しょうがねぇだろ。こちとらマトモな傷負うなんて、それこそ何十年ぶりだって話なんだ」
「だからって痛み忘れるとかありえんでしょが。……バカですか? バカなんですねっ!
……そもそもですねぇ。痛みってのは、身体のかまってちゃんサインなんですよ? どんだけ放任してんですか、ネグレクトにもホドがあるってモンです!」
んなこと言われたって、実際意識から抜け落ちていたんだからしょうがないだろ。それにああいう状況だと、脳は痛みをシャットアウトするモンなんだ。言い返しそうになるが、なんとなく口に出し辛くなってそのまま黙った。
往来の明かりが差し込んでいた窓を閉じてしまうと、部屋の中はとたんに薄暗くなる。暗がりの中、絹川に気がつかれぬよう、肩口に施された包帯代わりの布に手をやった。今は既に塞がっているが、俺が意識を取り戻すまでは、胸元に貫通するほどの大穴が開いていたらしい。傷口を押さえていたこの布も、恐らく何度も取り替えたのだろう。
巻かれた布からは、どこかで嗅いだやかましい記憶と共に、わずかに血の臭いがする。
俺が意識を保ってさえ居れば、大抵の怪我は問題なく治せる。それこそ頭が吹っ飛ぶでもしない限り、魔法を使ってなんとでもできるのだ。だが、人体の仕組みに対する認識が未発達なこの世界の一般常識では、外科的な治療法はおろか、魔法を使ってでも、ちょっとした怪我の治療程度の技術しか確立していない。
あの平原で倒れこんだ俺をこの宿に担ぎこんでから、コイツ等は必至で医者を探してくれたようだ。だが当然、あれほどの大怪我を治療できる医術など、王宮の中にだって存在しない。止血くらいしか対処の出来ない医者達を見て、和泉はおろか絹川までもが、俺がこのまま死ぬんじゃないかと思ってしまったらしい。
そんな折、何とか意識を取り戻した俺は、自力で、しかも一瞬で治療を済ませてしまったのだ。その時の絹川の表情はちょっと思い出したくない。さっきからちくちくこちらを攻撃してくるのも、今だに怒りが先に立ってしまっているのだろう。
……まぁアレだ。ありがたいというか、申し訳ないというか。とにかく尻の座りが悪い気分なのである。
ちなみに、この町まで俺を抱え込んでくれたのは他でもない和泉であり、今は俺の出血で汚れてしまった身体を洗う為、町の公衆浴場へ行っているらしい。ヤツにも後ほど礼を言わねばなるまい。
また、百合沢はあの平原に残り、ナザン卿やその他の人々に状況を説明する役をかって出てくれたとの事。領主を送り届けた後で、こちらに戻ってくる手はずになっているそうだ。
当事者である俺と宇佐美が退場してしまったあの場は、さぞや混乱してしまったと思う。だがあの娘が話をしたのならば、残された者たちも、すんなり状況を受け入れることができたのではなかろうか。突発的な事態には弱いが、それでもあの年にしては不相応なくらい理知的な人間なのだ。
「――まぁアレです。色々ありましたけど、ひとまずは終了ですか」
「……そうだな。今回の騒ぎが、この地にもたらした爪痕は決して小さなものではない。速やかに元の暮らしに戻って欲しいものだが、今後も多少の混乱はあるはずだ」
「領主のおじいちゃん、すっごいガックリきちゃってましたからねぇ。……ハインツさんは寝てたから知らないでしょけど」
「寝とらんわ。ちょっと気絶してただけだ。……なんにせよ、出来る限りのフォローはしたい」
「その二つにどれだけの違いがあるのか、と。
ま、その辺りの後始末は、リーゼン伯爵様にお任せと言うことでお願いします。私ゃただの小娘ですからねぇ」
「ハナっから期待しとらんから安心しろ。それにまぁ、今回は充分動いてもらったしな」
宇佐美の行動の裏取りから始め、和泉・百合沢のフォロー、この町での情報収集。しまいには農民達の誘導から、最重要人物であるナザン卿を連れ出すに至るまで、舞台設定のほとんどは絹川に頼ってしまった。認めるのはシャクだが、すんなり事が進んだのは、コイツのおかげと言っても良いくらいだ。
……素直に褒めると調子に乗るから、これ以上は言ってやらんがな。
「それっくらいしかやれることなかったってのが、正直なお話ですけどねぇ。宇佐美さんとの対決は、私にゃ荷が重すぎますもん。
…………しっかし、彼女はどこ行っちゃったですかねぇ」
「俺が倒れるのと同時に、姿をくらませたんだったよな?」
「です。もっとも私にしてみりゃ、気づいたら居なかったって感じですけども」
「流石に今どこにいるかまではわからんが……。それでも、今のアイツが取れる選択肢はそう多くはない。遠からず見つかるだろうさ」
「なら良いんですけど。
……ん~、でもやっぱり心配ですねぇ。あの時の宇佐美さん、まともな感じじゃなかったですもん。アレってやっぱり、あのおカタがらみの影響なんでしょか?」
「はっきりとしたことは言えんが。おそらく、な」
説得の最中、何度かそれらしい反応をしていた。日頃から話をしてきた訳では無いからわからんが、途中から口調が変わったのも、思考誘導の結果なのかもしれん。そもそも最後の暴走は、精神汚染が原因としか考えようがない。
これまで勇者どもと関わってきての推測だが、たぶん、アイツこそが女神の本命なのだろう。
「考えてみれば、宇佐美の行動は始めから誘導されていたのかもしれん。そう考えたほうが自然に思えてくるんだ」
「ほぇ? 例えばどゆことです?」
「あぁ、先ずは初めて宇佐美と顔を合わせた時だが……」
「――それはオレにも聞かせてもらいたい。梓は、誰かに操られてるのか?」
話し込む俺達に、横合いから声がかけられる。
我ながら話に集中してしまっていたらしい。
いつの間にかこの部屋のドアは開かれ、廊下の明かりが室内を照らす。
光の中、真剣な面持ちの勇者がそこに居た。
……ピコン。
どこかでナニカが立ちました。




