16 「夢のおわりと崩壊のはじまり」
一言で纏めると、効果はばつぐんであった。
俺がここまでのやり取りをライヴで聞かせてやり、更にわかりやすく噛み砕いた説明までしてやった農民達は、それはもう、ものの見事に混乱していた。
「あっ……。あっ…………」
両目を剥いて彼らを見る宇佐美の方は、壊れたラジオみたいな呟きを繰り返していた。どうやらこちらには、説明の必要もなく状況が理解できたモノと思われる。
群衆に紛れた、実に良く見知った気配から「やり方ゲスすぎでしょ。……引くわぁ」ジトっとした視線を感じはするが、情報操作と扇動は悪役の代名詞。俺を向こうに廻した自分を呪え。
それにだ、まったくの嘘やでまかせを口にしたつもりはない、全て起こりうる未来なのである。……まぁ、確かに情報の一部分を、ちょっぴり誇張して話しはしたがな。
しばらく後、控えさせていた農村の代表を名乗る老人が、この一件から手を引きたいと申し立ててくる。
「は、はぁ!? アンタ達、あんな話にノせられてんじゃないわよっ。まだわかんないの? このまま私の言うとおりに動いてりゃ、すぐに何倍も稼げるようになるのよっ?」
とっさに我を取り戻した宇佐美が必至で止めようとするが、それまでの落ち着きを失った言葉では、一度植えつけられてしまった不信感を拭い去ることなど出来はしない。これまでどんな話を聞かせて、近隣住民の協力を取り付けていたのかはわからないが、それももはや水の泡だろう。というか口調変わってんぞ、お前。
深く考えるまでもなく、農民達のこの反応は無理もないのだ。
例えばこれが、この中の誰か一人を犠牲にするモノだったとしたらば、自己犠牲の精神に囚われた誰かが、皆のために己を差し出したかもしれない。もしくは、村という人の集まりには付き物の、装置としての弱者をイケニエに差し出すことも、もしかしたら出来たかもしれない。だが俺の差し出した定義はまったくの逆。今現在そばに居る人間全てを、己のために差し出せと言ったのだ。しかも誰かを指名しての話ではなく、全員に、平等に機会を与えた。
正直に言うと、中には誘惑に駆られた人間が居たかもしれない。だがこの場でそれを口にすれば、確実に残り全員から袋叩きにあう。宇佐美の言葉に乗って力をつける前に、残りの全員から潰される。そこに考えの及ばぬほど、空気の読めない阿呆は居なかろう。現時点で全員を黙らせることが出来るほど、力の突出した者が居ないことも、前もって調査済みだった。
また、もしも自分達だけのことならば、村全体の発展を願って、自分達が犠牲になろうと言い出す殊勝な奴が居たかもしれない。だからこそ俺は、この変化は一過性のモノではなく、子々孫々と受け継がれる形式の変化だと言うことを強調した。
自分達だけならばいくらだって覚悟も出来よう物だが、それを自分の子や孫にまで強要できるほど、えげつない博愛精神が魂レベルで染み付いた人間など居る訳がない。もしも居たとすれば、ソイツはすぐにでも聖人の列に加えるべきだろう。
なおも自分の改革による利益を喚きたてる宇佐美だが、既にその言葉は、白々しい絵空事にしか写らない。彼女が語った輝かしい未来は、膨らんで登って、はじけて消えたのだ。
そして、最後の仕掛けが動き出した。
「――宇佐見殿。済まぬが、ワシの協力も、無かった事にさせてもらえんじゃろうか」
絹川に支えられて姿を現したのは、この地の領主である、ナザン卿その人である。既に老齢といっても過言ではない領主は、人の良さそうなその目を伏せながら、申し訳ないとばかりにそう告げた。
「領主様までワタシを裏切るのッ!? なんでなのよっ、この改革がどれだけ素晴らしいものなのか、アナタもわかってくれてたじゃない!」
「確かに、宇佐見殿の言葉にワシも夢を見た。特に秀でた産業もなく、ただ、王都に近いという立地だけで凌いできた我がナザンにとって、宇佐見殿の語る未来は素晴らしく明るかった。先の短いこのワシの余生をかけて、成し遂げる価値のあるものじゃと思った。それは、本当じゃ」
「だったら何でよっ! 今更、ワタシの言葉が信じられなくなったって言うのッ?」
「そうではない。そうではない、が……」
言葉を濁す老人に、今にも掴みかかりそうなほど激高している。傍に和泉も控えている事とは言え、お年寄りが詰め寄られているのを黙って見ている訳にはいくまい。
それに、コイツに引導を渡すのは俺の仕事だろう。
「みなまで言わせるな、宇佐見君。答えは君自身が示したではないか。……先ほど行った最後の質問。君がこの先もずっと、この地に留まることができるのか。それに対して答えることが出来なかった事実が、ナザン卿の心を決めたのだ」
「オマエには聞いてない!」
「で、あろうが言わせて貰おう。
君が提案したのは、この世界のどこにも前例のない改革、しかも始めて数年は収益が下がることが確定している方法だ。たとえ君達の世界では上手くいった実績があると言われても、この世界でも同じようにいく保証はない。そんな改革に手を出すという事が、そもそも大博打にも等しい行為なのだ。
もしかしたら君には、自分の話を聞いてすぐ快諾したように思えたかもしれないが、その決断を下すまで、ナザン卿が迷いに迷ったであろう事は想像に難くない。一度協力を取り付けることができただけでも、君にとって僥倖だったのだよ」
老領主の心情を語って聞かせる俺に対し、なんとも迫力に満ちた視線を向けてくる宇佐美。向けられた威圧に、尋常ならざる殺気が込められていると感じてしまうのは、恐らく気のせいではないだろう。わりと最近、似たような感覚を味わったことだしな。
だがここで臆しても仕方がない。続けさせてもらう。
「君も良く知っている通り、ナザン卿はこの地を治める領主だ。その肩には数百、数千の命を背負っている。自分自身の判断で、それだけの民を路頭に迷わすことのありうる立場に居るのだよ。だからこそ、たとえ大博打だとしても……いや、大博打だからこそ、そこに少しでも保証を求めるのは当然だろう?
だがそれに対し、君は信頼を返すことが出来なかった。ナザン卿が手を引いたのは、君自身がこの地を案じている気持ちを見せることが出来なかったからだ。卿を責めるのは、お門違いと言うものではないかね?」
「知らないわよそんなことッ。結局ワタシを裏切るって事でしょうが!」
「まだ言うのかね? ナザン卿の立場と言うものを――」
なおも不満を撒き散らそうとする宇佐美の前に俺は立ちふさがる。だが、聞き分けのない子どものように喚く彼女に対して、更なる追撃を加えるべく口を開いた俺を止めたのは、他でもないナザン卿であった。
「良い、ハインツ殿。良いのじゃ」
「……ですが、ナザン卿」
「すまぬな、ハインツ殿。本来ならばワシが言わねばならなかった事であったのに……。だが、これくらいにしてやってくれぬか? 若者の勇み足を諌めるが年長者の役割とは言え、これ以上は酷じゃ。
そして宇佐見殿。ワシの思いは、今ハインツ殿が語ってくれた通りじゃ。ワシはワシの守るこの地の為、そして民の為、宇佐見殿に協力することは出来ん。じゃがそれでもワシは、この場に来るまでは、そなたに手を貸そうと思っておったのじゃ」
老人は語る。宇佐美の提案する改革が、一歩間違えればどれほどの損害を出すものであるか、ナザン卿自身はかなり正確に理解していた。だがそれでも、この地の発展の為、この地に生きる人々の為ならと、彼は協力を申し出たのである。しかも、いずれ生まれるであろう領民達の不平の矛先となるよう、自分が悪役になることすら覚悟していた。
だがそれはあくまでも、この改革が領民達の望みと一致していたからだ。ことここに至り、実際に汗を流す民達が難色を示しているのでは、ナザン卿が無理に改革を推し進めることは出来ない。宇佐美個人に対し、どれだけ好意的な見方をしていたとしても、それだけで判を押せるほど、領主と言う席は軽いものではないのだ。
「意味が、わからない……。より良い政策があるんだから、それをやるのが当然でしょ? それに逆らうヤツラなんて、無視して進めるのが貴族ってモンじゃないの……?」
呆然と洩らす宇佐美の呟きに、俺も、そしてナザン卿も答えない。
宇佐美、お前の言は正しい。確かに貴族と言う人種は、あくまでも搾取する側の人間だ。全体としての、そして自分達の利益となるならば、民の犠牲を無視して政策を進めることが出来る立場にある。
だがそれだからこそ、俺達は民意を軽んじないのだ。いざという時に力で押さえつける為に、長期に渡る政策ではなによりも世論を重視する。
乳を出す牛を殺す農家が居ないように、領民の意志を無視し続ける支配者は居ない。それが統治と言う物だ。
「ワシが全ての咎を背負ったとしても、誰かが民を導いてくれるならばそれで良かったのじゃ。それを異世界人である宇佐見殿に望んでしまったのは、やはり望みすぎだったのじゃろうな……」
「……だったら、ワタシがずっとこの世界に居れば問題ないってワケ?」
「できもせん事を口にするモンじゃあないぞ、宇佐見君。それは無意味な仮定というものだ」
「甘く見るなッ。それくらいの事、ワタシだって!」
不味い、どうにもうまくない方向に考えが向かってしまっているようだ。確かに宇佐美が、これからの人生をこの地に捧げると言うのなら、全ての問題は解決するかもしれない。だが、そんな今後の人生を決めるような判断を、勢い任せで決めてしまって良いものではない。たとえコイツがクローンに近い存在であり、今もなお元の世界で生きる宇佐美本人には、何の影響も及ぼさない存在だったとしてもだ。
この世界に生きる宇佐美の意識が、あくまでもこの場に存在する宇佐美のモノである以上、一生モノの問題を、このようなヤケバチで決めるなど言語道断だ。そんな気持ちで決めてしまうと、本人はもとより、周囲にまで禍根が残る。
そんな決断、させてたまるものか。
これ以上妙なことを口走る前に、この少女を取り押さえる必要がある。
出来るだけ穏便に済ませることを心に刻み、最初の一歩を踏み出そうとした俺の耳に、宇佐美の洩らす呟きが届いた。
なんだ? 様子が……。
「ワタシだっ…………て? いや……。ワタ シ。だって、……ずっと? ダメよ、でも。女神……。
やだ、帰りた、……ダメ。それじゃ梓ちゃ、……嫌、でも。だって。そんな……。聞いてな……。
い、いやだ……。いや、いやいや、いやいやいやいやいや……」
「梓ちゃん……?」
両手で顔を覆い目を見開いた幼馴染の姿に異常を感じ、それまで見守っていた百合沢がその手を伸ばした。
そして周りの空気全てを巻き込む、暴力的な悲鳴が弾ける。
「いやぁぁああああぁぁぁああぁぁあああぁッッ!!」
おや……!?
うさみんの ようすが……!




