13 『チェック、チェック、チェック』
「梓のやろうとしたことだけど、もう一度良く考えて欲しいの。……まず、梓の計画した農地改革って、要は四輪作法でしょ?」
相手の間違いを指摘するのではなく、あくまでも再考に向かう為の材料を提示する。それが百合沢の立ち居地なのだろう。彼女の説得は続く。
「そだねぇ。四輪作法、ノーフォーク農法。大規模に区画整理をして、区画ごとに年サイクルで作るものを変える。地力を回復させながら農作物を育てて、同時に家畜の飼育も行える。始めて数年は厳しい暮らしになっちゃうかもだけど、しばらく我慢すればよいだけだしねぇ」
「確かにその方法が広まれば、全体としては豊かになるかもしれないわ。でもね、その、大規模な区画整理って部分で起きる問題があるとは思わない?
たとえば、今のこの世界の人たちって、村とか町って区域で、みんなで農業やっている感じでしょう。もちろんどこの土地が誰の畑かって認識くらいあるけど、それもはっきり決められたものじゃないわ」
ちらりと目配せをされた。具体的な情報は、俺が語るほうが説得力があると思ったのだろう。この数日、宇佐美説得の為の下調べをしていた俺が、この世界で見てきた事実を口にする。
「どちらかと言えば、共有の財産として認識されていたな。村共有の土地の中で、その年毎に、自分が主に世話をする場所を決めているそうだ。当然、作物を育てていない間も同じ。家畜の放牧も集落全体で行うのが常だという」
「わかる、梓ちゃん。つまり今は、あえて所有権を曖昧にさせることで、お互いに協力しやすい態勢をとっているの。けど、区画を整理して、どこが誰の使う土地なのかはっきりさせるって事は、そのみんなで行う農業って前提がなくなっちゃうってことなのよ」
これはいわゆる、囲い込みと言われる運動のことである。
四輪作法のような高度に計画立てられた農業を行う場合、土地の運用は誰かが責任を持ってやらなければならなくなる。その為、それまで行われていた、共同体の仲間であれば、誰がどのように使ってもかまわない土地というモノは存在できない。地力を回復させる順番の時に、他の誰かに種をまかれては困るのだ。
である以上、全ての土地はいずれかの家によって管理されることになり、他者の手が入ることのない自分達だけのモノとなる。
「私達の感覚だと、それぞれが自分の財産を持って生活することの何が悪いんだろうって思っちゃうかもしれないわ。でもそれによって、助け合いながら暮らしていたこの世界の人たちの生活は、大きく変わっちゃうの」
もしも全ての土地が平等に分配され、そこで得られる生産物も労働量に比例して確保できると言うのなら問題ないのだろう。だが、自然を相手にした農業において、そんな奇跡はありえない。与えられた土地による差は確実に生じる。
それ以前に、新しいやり方に適応するにも温度差は生まれるはずだ。よーいどんで始めたからと言って、誰もが同じだけの成果を上げられるわけではない。
同じ条件のはずなのに、それまで同じ共同体の中に居た者同士なのに、結果として収益の高低が生まれてしまう。富は偏りだす。
さらに、労働力の問題だってある。たとえば現時点で、独力で農業を行うだけの力がない家もあるだろう、それとは逆に、たまたま若い男が多く労働力が豊富な家もある。現時点での家族構成や労働量で割り振ったとして、その結果しばらくは、公平だとしても、遠い将来まで平等であるとは限らない。そしてそんな次元で、皆に均等な分配を行う方法などありはしないのだ。
である以上、家ごと、共同体ごとの格差は、なにをどうやったって生じる。そしてそれは年月を重ねるごとに増大し、一度生まれてしまった差は決して埋まらない。
力をつけた者はどんどん勢力を拡大し、周囲を併呑していく。数年もすれば、一つの村と呼んでかまわないだけのコミュニティが出来るだろう。だがそれは、元々あった互助を目的とした人の集まりではなく、明確なヒエラルキーの存在する格差社会だ。
問題を解決するための村長が存在し、みんなを取りまとめている集まりであったものは、構成員をそのままに、力のあるものが全てを所有し、残りの者達を雇用する形の組織となる。
いわゆる、豪農の誕生である。
もちろん俺達が何もしなくても、いずれそのような格差社会が到来するのかもしれない。けれど、この農地改革が行われれば、上からの指示の元に、この先何百年にもわたる身分の違いを決定されてしまうのだ。
「梓ちゃんがやろうとしたように、この農地改革は、領主様が指揮を取らないと出来ることじゃないわ。でも、と言うことはね、どこの土地を誰に分配するか、どの村がどれだけの土地を所有するかを決めるのも、領主様が行えると言うことよ。
それってつまり、誰か一人の独断で、土地の実質的な支配者を作り上げられると言うことになっちゃうじゃない。これまでみんなで助け合って生活していた人たちの中に、新しい階級社会を押し付けることになるわ。
ねぇ、梓ちゃん。そんなの、私達がやって良いことじゃないでしょう?」
これまで存在しなかった、新たな格差を生んでしまうと言うこと。またそれによって、地主や小作と言った身分を作り上げてしまうこと。更に、その独力では覆し辛いヒエラルキーを、更に上位の身分の者から押し付けられてしまうこと。
未来を見据えて行うものが生み出す、すぐ目の前にある問題点がこれである。
百合沢は、今を、そしてこれからを生きる人々のために、今一度思い直して欲しいと訴える。急激な変化がもたらす歪みに気づいて欲しいと。
「美香子ちゃん。すっごい熱くなっちゃってるけど、ちょっと落ち着こうよぉ」
……だが、その思いは届かない。
「確かに、私が始めたことで色んな格差は生まれるかもしれないよぉ。でもさ、それってそんなにダメなことかなぁ?」
「梓ちゃん!」
「まぁまぁ、ちょっとはこっちの話も聞いてよ。確かに、これからここの土地の人たちの生活は変わっちゃうだろうねぇ。でもそれって、周りの人より頑張った人が上に行って、そうじゃない人が取り残されるってだけだよねぇ。
そりゃ確かに、最初の段階でちょっとは不平等あるかもしれないけどさ。それでもそのくらいの差なら、頭使って生きていけば、どうとでもひっくり返せるモノじゃないかなぁ?」
食い下がろうとする百合沢を、片手を挙げて制した宇佐美は、自分達の論理で語る。
「みんながみんな、お手ゝつないでゴールしなきゃダメなんて、そんなん言ってるからゆとりだって言われちゃうんだよぉ? みんな必至で生きてるんだから、競争があったって当然じゃないかなぁ。助け合いだなんてキレイな言葉で誤魔化してるけど、結局はただの馴れ合いでしょお。
良い暮らしがしたいなら、人より頑張れば良いだけだもんねぇ。チャンスは誰にだってあるのに、それを掴まなかったくせに、そこから生まれる格差に文句言うなんて、ただの怠け者の言い訳なんだよぉ?」
「でも、だってそれじゃあ――」
「争いが生まれちゃう? それもしょうがないじゃない。だって人間の歴史なんて、争いごとの歴史みたいなものでしょお。規模の違いはあっても、絶えず争いながら生きてるもんねぇ。それは否定なんてできないわよねぇ?
それならさぁ、ミカちゃん。どうやったって競争が生まれちゃうならさぁ、ここの人たちに、どうやってのし上がるかの方法を教えてあげれば良いだけじゃない。私達もお世話になったんだしさ、これってつまり恩返しでしょお? ミカちゃんは、この国の人たちに恩返しがしたくないの? 梓の恩返しを邪魔するの?」
「それは……。そんなこと思ってないわ……。でも……」
「私達だって元の世界じゃ、受験だ就職だって色んな競争をさせられてたよねぇ。でも、ほとんどの人は、その中で一生懸命頑張ってるよ? 文句言うのなんて、頑張らなかった人たちだけだよねぇ。
ねぇねぇ、ミカちゃん。まだミカちゃんは文句を言うの? 頑張らなかった人たちとおんなじなの?」
畳み掛けられる問いに、百合沢は答えを無くす。
宇佐美の論理は、同じ価値観を有している人間には極めて有効だ。競争社会の中で生きていた者が、自分達の社会の根幹を否定することは難しい。その中で生きる筋道を立てられ、それに添って生きていたはずなのだ。
一度ならず格差社会の恩恵を受けていたであろう者が、今更そこに異議を唱えたとしても、どうしたって都合の良い綺麗事に聞こえてしまう。この清廉な少女の中でも、それまでの自分の発言に対する違和感が生じているのだろう。
本人が誠実であろうとすればするほど、宇佐美の言葉は心をえぐる。
「綺麗事だけを口にして、この国の人が世界の流れに飲み込まれていくのを見過ごすの? それはただしいことなの?」
なおも問いかける宇佐美の言葉に、百合沢の体がぐらりと揺れたように見えた。流石に放っておく訳にはいかない、ここで倒れてもらっては困るのだのだ。
俺は少し前に出て、宇佐美と話していた百合沢の肩に手を置き、支える。
思わずといった体でこちらを振り返る少女に、落ち着くようにと軽く力を加えた。
ここからしばらく俺の番だろう。
昨日は急遽お休みしてしまい申し訳ありませんでした。
本日から、本章終了まで、
連日更新する予定ですのでよろしくお願いいたします。




