11 『希望の色をした絶望のひかり』
「二つ目に必要なものは、時間だ」
二本目の指を立てながら言う。
「農業というモノは、今日始めた結果が明日には出るというほど簡単ではない。どれだけ短い期間で考えても、種をまいて実が出来るまでの時間は必要だ。もしも改革と呼べる程度の革新を行おうと思うのなら、それこそ十年単位で物事を見る必要がある」
特に、工夫だけで全体的収穫高を底上げすると有名な四輪作法では、一年や二年では望む結果が得られないなんてザラだ。発祥地の名をとってノーフォーク農法などとも呼ばれるこの方法は、大雑把に言ってしまえば、農地を四つに区分けして作物の栽培と家畜の飼育、農地の地力の回復を行うことで、休耕期間のない連続した収穫を狙う。だが同時に、それまで農地全体で行っていた作付けを四分割してしまうことで、始めて数年の間は収穫高を減らす結果にも繋がる。
やり方はお手軽だとしても、結果を出すには長く地道な努力の必要な改革なのだ。ちなみに支払う労力は、むしろ畑の外で必要とされるものの方が多いのだが。
なんにせよ、例えどのような方法であったとしても、月単位での時間的猶予を必要とする。数日で成果を出すなんて夢物語は、それこそジャックの豆の木でもない限り不可能だ。
「……あれ? んじゃ、そもそも宇佐美さんには無理じゃないです? あの人が居なくなったのって、それこそ十日くらい前のことでしょ」
途中までうんうんと説明を聞き流していたハズの絹川が、何をどうしたのか確信に近い指摘をしてくる。確かにそこに気づいたのは褒めてしかるべきことなのだが、それならばもっとそれらしい態度を取って欲しい。
そんなこいつの様子を横目で見ながら、俺は自分が少しだけ落ち着きを取り戻していることに気がついた。思えばさっきまでは、ずいぶんと地を出して喋ってしまっていたように思う。落ち着いて周りを見れば、俺の話を聞く百合沢や和泉も、いつもの調子を取り戻しつつある。コイツ等を威圧するつもりなどなかったのだが、知らず恫喝に近い話し方をしてしまっていたのだろう、思わず呼び捨てにしてしまっていたような気もするしな。事が事とはいえ、我ながら修行が足りん。
とはいえ今さらどうすることもできん。反省は後でまとめて行うことを決め、俺は話を続ける。
「確かにその通りだ。それゆえ、宇佐美君が農業改革をたくらんでいるなどという考えは、こちらも考慮から外そうと思っていた。しかし相手が勇者だという点と、候補地がここナザンである点を加えると、また別の可能性が見えてくる。
ときに百合沢君。ここから王都まで、走って帰るとすればどれくらいの時間が必要かね?」
「えっ? ……と、そうですね。全力で走れば一、二時間でしょうけれど、普通の速さならば三時間以上はかかると思いますけれど」
「だろうな。通常ならば馬車で丸一日以上かかる行程だが、君達の身体能力ならば往復六時間もかからずに行き来できるはずだ。朝、城を出て、日中この地で作業をしていたとしても、夕方には何事もなく城にいることができるだろう」
コイツ等勇者の能力を見落としていたのが最初のミスだった。
この世界の感覚ならば、小旅行程度の覚悟を持って行わなければならないこの地域と王都との往復だが、例えば自動車を使えばちょっとしたドライブ程度の距離しか離れていないのだ。馬車の数倍の速度で走り続けられるコイツ等ならば、日通いで行き来することも十分に可能である。
そもそも俺自身、毎日仕事を終えてから城を出ては夜が更ける前にこの地を訪れていたのだ。これまで気がつかなかったのは本当にどうかしていた。重ね重ね、余裕がなかったのだろう。
「ちょっと待てよオッサン。確かにオレ達なら日帰りでここに通うことが出来るのかも知れねぇ。けど、それでも時間が足りねぇだろ? オレ達はこないだまで、アンタの領地に出かけてたんだぜ。こっちに戻ってから梓が居なくなるまでも数日しかなかったはずだ」
「領地の視察に行く前の話、そう言うとすればどうだ?」
「それだってありえねぇよ。そりゃずっと一緒に居た訳じゃないけど、長期間居なくなれば不思議に思う。それにオッサンの話じゃ、一日やそこらここに来ただけで出来るようなことじゃないんだろ? 何日も、朝から晩まで姿を見せない時期があったなら、オレ達が気がつかないはずがない」
「そうだな。君達がいつもどおりに城の中で大人しくしていれば、宇佐美君にも城を抜け出す隙などなかっただろう。……新しく何事かを始めようと、城の外で活動してさえ居なければ」
「あっ、例の飲食店騒ぎ! そういえば、あの時って宇佐美さんはぜんぜん協力してくれなかったって言ってませんでしたっけ!?」
「確かにそう言われれば……。あの時は私も宏彰君もお城の外に行くことが多かったですし、梓ちゃんも興味がないからって一人でどこかに。じゃあ、あの時に?」
頷いて肯定する。
おそらくはその通りだろう。常に和泉か百合沢のどちらかと、一緒に行動しているように見えていた宇佐美なのだ、自由に動けた時間が多かったとは思えない。しかもあの時は、いつもは三人の行動を見張っていた俺や絹川までもが、和泉たちの開いた店への対処に追われていた。超知覚を有する勇者や俺の目さえかいくぐれば、城の誰にも気づかれずに王都を抜け出すことなど容易だっただろう。
あの騒ぎから現在まで、既に数ヶ月以上たっている。仕込んだ農地改革の結果が現れ始めたとしても、不思議ではないだけの時間だ。
そしてこれは、更にもう一つ、コイツ等三人にとって重要な事実をもたらす。俺はそのことに気がつかぬようにと、すぐに次の話を切り出した。
「以上のことから、時間の問題は解決された。そして、最後に残った一つ。これが、現在の宇佐見君の所在地を明らかにする。
農業改革を行うのに必須な三つ目の条件、それは、為政者の協力だよ」
三本目の指を立てる俺の視界の隅で、絹川が何か言いたげにこちらを見ている。だが、あえて無視して話を進めた。
百合沢と和泉の顔を交互に見ながら口を開く。こんなふうに顔を正面から見られながら話をされると、相手の話にいやがおうにも意識を向けられてしまうものなのだ。
「さっきも言った四輪作法を始めとして、大抵の農業改革は現場の努力でどうにかできる問題ではない。広域に及ぶ計画的な土地の利用は、現地の農家をいくら説き伏せたところで出来はしないんだよ。その土地一帯を支配する人間が音頭をとって、上から下に指示を出すことで、ようやく全体の足並みを揃えた改革が可能になる」
乱暴な言い方だが、たとえば全ての農地を整備しなおし、各農家の労働力に比例した広さの土地を配置しなおすだけでも、その土地全体としての生産高は向上する。現在の農地は、それだけ整然からかけ離れた図面を描いているものなのだ。四角四面の田畑など、どこを探したってありはしない。
言葉はアレだが、この世界の農業はきわめて大雑把に行われている。そんな状況でまったく新しい農法を試みようとしたところで、徹底した管理など出来るはずがない。長年にわたり自分達の経験則に基づいた農業を行っている人間達に、それまでとは違うやり方を強制することなど困難なのだ。
である以上、実際に新規で農地改革を行う為には、土地の支配者レベルの上位者が指揮を取って行う必要がある。最低でも、村単位の指導者が責任を持って遂行しなければ決して上手く行かない。
「じゃあ、オッサンがさっき、梓は今ある程度のお偉いさんのところに居るって言ったのも、そういう指導者の協力を必要としているだろうからってことなのか?」
「その通りだ。これは推測に過ぎんのだが、恐らく宇佐美君は、準備段階としてこの地の農村を巡ったはずだ。その村々でちょっとした農地改良や農具の伝達をして、今期の収穫高を少しだけ底上げしたと思われる。具体的に何をやったのかまではわからんが、例えば醗酵たい肥くらいなら、馬車が街中走っている現代ならどこかで見つけてこられたのかもしれんしな。
それくらいの小規模な改良ならば、現地で勇者の肩書きをひけらかせば賛同してくれる農家は少なからず居ただろう。王都からの距離を考えれば、勇者の威光が十分に効力を発揮したはずだ」
「その結果が、先ほどのお話にあった、ハインツさんの領地でおきた農作物の値下がりに繋がる訳なのですね」
「そう。そしてその実績と王女から発行された身分証を携えて、今度はこの地の為政者の下を訪れる。その際、実際に指導した村の長あたりに一筆書かせでもしていれば、大抵の領主は両手を広げて迎え入れるだろう。既に結果を出している訳だから、誰もが疑いなく彼女の言葉に耳を貸す」
そうなれば、土地の指導者からの命令と言うわかりやすい形を取って、大規模な農地改革だって行えるようになる。土地を整備、区画別けし、より能率的で効率的な土地の利用が可能になる。必要とあらば、作業効率の上昇によって余剰となってしまった農家に、強制的に離農を促す事だってできるのだ。
もちろん、どこまでいっても専門家ではない宇佐美の進める改革では、随所でこの土地に合わない方法を取ってしまうこともあるだろう。調子に乗って化学肥料などに手を出せば、逆に土地を痩せさせてしまう結果に陥るということも起こりうる。
だが、それでも、現代的高能率な農地改革が行われるであろう事は疑いようもないし、それにより生産性が向上するのは想像に難くない。一度革新的な農業を体験させてやれば、それを元にこの土地にあわせたマイナーチェンジを行うくらいは、この世界の住民だって十分にやってのけるだろう。
いくらお偉い勇者様のお言葉だからといって、たかが小娘でしかない異世界人に全てを委ねてしまうような、思考停止な大人ばかりの世界ではないんだ。
いずれにせよ、この先二十年もすれば、この土地は一大農耕地域として名をはせることになるだろう。それがどんな結果をもたらすかと言うことは置いておいて……。
「宇佐美君の行動は、恐らくこんなところだと思う。彼女が現在どこに居るのかを探るなら、今後は支配者層に絞って探索をすると良いだろう。おそらく、そう遠からず見つけることが出来ると思う」
少しだけ柔らかく言い切った俺の言葉に、和泉たちはこの日初めて顔を緩ませる。いや、ここまで喜んだ表情を見せるのは何日かぶりのことではないだろうか。夜も満足に眠れぬほどに心を痛ませていた原因に、やっと確かな光が差し込んだのだろう。
だが、俺と絹川は堅いままだった。
こちらからすれば、最悪の状況が確定してしまったも同然なのだから。
喜びを隠さぬ勇者達と対照的な絹川が、その心情をぼそりと溢した。
「あの、ハインツさん。コレ……もしかして詰んでません?」
ということで残りの二つでした。
細かなところを突っついていけば、
他にもいろいろと出てくるのでしょうけれど、
最低必要条件ということでこの三つを採用です。




