10 『叶わざるを願ったこと』
「ゴメンなさい、私もあの娘の全部を知っている訳ではありませんから、確かな事は言えないんですけれど……」
そんな前置きを入れて、百合沢は語る。
「その、農作業……ですか? 多分ですけど梓は詳しくないと思います。きれいな花を見るのは好きでしたし、毎年春にはお花見をしてましたけれど、一から自分で育てるようなことはしませんでしたから。
それに彼女の実家は県でも有数の実業家で、住んでいたのも高層マンションでしたから、土いじりなんかにはなじみが薄いと思います」
俺の真意はわからずとも、それでも聞かれた事に応えようとする彼女の気質が、欲しかった情報を与えてくれた。
思わず安堵のため息を洩らす。宇佐美の手がかりは白紙に戻ったが、最悪の方向へ進んでいないのがわかっただけでも心情的に有り難かったのだ。もしも思ったとおりの動きをされてしまっていたのだとすれば、今度こそ俺は……。
頭の中で思い描いた、取らねばならなかったであろう方策をかき消したくなり、手で顔を覆いながら天井を見上げた。
俺の様子から、それまでの緊張の糸が切れた絹川も「はふぅ」へんな声を洩らしている。きっと理由を理解しては居ないだろうが、何かしら感じ取るところがあったのだろう。今くらいは、そのだらしなさを見逃してやるとする。
だが、そんな少しばかりの安堵は、和泉の呟きによって淡くかき消されてしまうのだった。
「あの、さ。オッサンが何言ってんのか良くわかんねぇんだけど……。多分、そこそこ詳しいと思うぜ。その、農業とかについて」
弛緩しかけた空気が一変する。
「どういう事だ。説明しろ、和泉」
思わぬところからの告白に、俺は取り繕うのも忘れて詰め寄った。
「ちょ、待てよ。落ち着けってオッサン」
「十二分に落ち着いている。それよりもさっさと話せ。宇佐美はその手の知識を持っているのか? それは本当か?」
俺の豹変振りに恐れをなしたか、和泉はおろか百合沢までもがおののいていた。言葉を濁す和泉に対し、なおも詰め寄ろうとしたところで、横から肘を引っ張られる。
「ハインツさん。ちょっと落ち着いてくださいって。ぶっちゃけ私には何をそんなに慌ててるんだか良くわかんねーんですけど、それでも大事なことなんでしょ?
だったら和泉君がちゃんと話せるようにしましょうよ」
「…………すまん。だが、今は正直お前達の心情を慮るほどの余裕がない。和泉、お前の知っていることを話してくれ。それによって、事態は大きく変わるんだ」
「わかったよ。ってか、何がなんだかわかんねぇけどちゃんと話すって。
……えっと、聞きたいことってのは、梓に生産系の知識があるかどうかってことで良いんだよな? それなら、さっきも言ったけど、それなりにはあると思うぜ」
「宏彰君、それ本当なの? あの娘そういうのって、学校行事でも避けてたと思うんだけど」
「そりゃ実際にやったことはないと思うぞ。確かにそういう泥臭いの好きじゃないだろうし」
「あ~、なんか納得ですねぇ。お手ゝが汚れちゃうような作業は、下々のお仕事でしょ? ってくらい思ってそう」
「いや、流石にそこまでは思ってねぇよ。……たぶん。その……きっと」
「あ、あの娘だって必要があればちゃんとするわ。……どうしても必要があれば、でしょうけど」
「お二人とも、ぜんぜんフォローになってねーですよ、それ」
「……お前達、そういうのは後にしてくれ。和泉、続きを」
あからさまに雰囲気の違う俺に対し、少しでも和ませようという気持ちはわからなくもない。だが、今はそんな場合ではないんだ。少しだけ恨めしそうにこちらを見つめる視線を感じながらも、俺は和泉を促した。
「っと、なんつったら良いかわかんねぇんだけどさ。もともと俺も農業とかに興味があるわけじゃないんだ。だけど、俺達の世界にはネットっていう、その、色んな情報にアクセス……えっと、繋がる? 調べられるモノがあってさ」
「和泉、気を使ってくれているのはわかるが不要だ。お前達の世界の技術や用語は、全て理解しているモノとして話してくれ。不明点があれば後でまとめて質問する」
「そうか、それじゃ……。とにかく、俺のツレにそのネット系が好きなヤツがいてさ、俺にもネット小説とか勧めてくるのさ。もともと本を読むのは嫌いじゃないし、そんなに言うならって、俺も何個か読んだんだ。で、その中にはファンタジー系もあって、その中で文明の未発達な世界に飛ばされる話ってのが、結構な数あるんだよ。それ読んでた時は、まさか自分が実際に体験するとは思ってなかったけどな
で、そういう時の定番で、とばされた世界で現代の知識を使って成功するって話があるんだ。その中に農業系の技術を使うのもそこそこたくさんある。俺、結構そういうの好きだったんだ、だから梓にもそれ系のネタを出したことがあった。その流れで、実際に使える技術ってどんなものがあるか話したことがあるんだよ、一緒に色々調べたりして。そん時はどっちかって言うと梓の方がハマって調べてたんだよな」
「思い出した。確かに一時期、二人はそんな話をしてたわね。ファンタジーっぽい内容だったから、てっきりゲームの話か何かだと思ってたんだけど」
「異世界だの魔法だのって単語が混ざってりゃ、普通そう考えるよな。……そういうわけだから、専門家ってほど詳しくはないけど、それでもそこそこの知識はあると思う。それで、これが何かのヒントになるのか?」
「……つまり宇佐美は、今のお前と同じかそれ以上の知識があるという事だな。ならば、例えばノーフォーク農法という言葉くらい知っているということか。他にも化学肥料の精製方法だったり、千歯こきなどの作業効率をを向上する農具くらいは知っているとみなして良いんだな?」
「あ、あぁ。肥料とかの詳しいところは俺も知らないけど、生えてる作物から土壌の酸性度調べる方法とか、苦土石灰の使い方とかはわかる」
思ったよりに本格的なところまで知ってるじゃねぇか。情報源に貴賎があるとは思わないが、本当に余計なことをしてくれる。そう言えば確かに、コイツは以前の飲食店のときにもそれっぽい発言をしていたように思える。……召喚勇者のやることなど高が知れていると揶揄していたものだが、まさか本当にその辺りを情報源にされていたとはな、笑うしかないとはこういうことを言うのだろう。
空想の産物でしかない机上の空論が、そのまま現実に流用できるケースなど殆どないというのに。
そしてここに来て俺は、自分の抱いてしまった疑惑が確信に至ったことを理解した。こうならなければ良いと願ったことは、いつだって逆の結果が訪れる。運命様なんてモンが居るのならば、きっと底意地の悪い老婆の顔をしているに違いない。あぁ、そういえばこの世界の女神とやらは、あの根性腐りきったあの女だったな。
天を仰ぎ、何とか気持ちを落ち着けて、目の前に座る三人の少年少女に向き直る。
話してやらねばならないだろう。自分達の仲間が、いったい何に手を染めてしまったのかということを。
「……これはあくまでも予想だが、恐らくほぼ間違いないと言って良い程度の推測だ。
お前等の友人にしてこの世界に呼び出された勇者である宇佐美梓が、今現在、ここナザン地方に居るのは間違いないだろう。それも、ある程度以上の身分の者の元へ身を寄せているはずだ」
「本当ですか!? あの娘は、梓ちゃんは無事なんですね?」
言い終わるや否や、百合沢は俺に詰め寄り宇佐美の安否を問いただす。ここ数日、喉から手が出るほど渇望していた情報なのだ、無理もないだろう。俺の予想では、宇佐美が危害を加えられている可能性は万に一つもありはしないのだが、それでも安心させてやることは必要だろう。
説明を求める三人に対し、俺はこれまでの流れを説明し始める。
「宇佐美が農業改革に手を出しているのではないかと疑い始めたきっかけは、俺の領地で起きた作物の値下がりにある。うちで取れる作物のうちいくつかが微妙な値下がりを起こしているという報告があったのだ。
その原因を探るうちに、この地方で取れる農作物が豊作と呼べるレベルの収穫高になっていることがわかった。リーゼン地方と王都の間に位置する、ここナザンで供給される量が増えれば、自然とリーゼンで求められる量は目減りする。更に全体での供給量が増えたこともあいまって、価格の下落が生じたというのが真相だろう。
もちろんそんなことだけで、宇佐美が関与していると決め付けた訳じゃない。ただの偶然でも片付けられる話だからな。それに農業改革だなどと一口で言っても、実際に行うのは決して簡単なことではないんだ。
とはいえ、今しがた和泉が言ったように、農業改革はこういう状況に置かれた異世界人の行動として一般的なのは確かなんだろう。お前達の世界の常識でそうなっているというのならば、それはそれでかまわない」
誰がはじめたことかはわからないが、一見お手軽に見えて、そのうえ絶大な効果を発揮する農業革新は、さぞや魅力的に思われたのだろう。それに、生産力を向上して食糧事情を改善するというお題目は、深く考えなければ誰もが幸せになる善行に見えてしまうのだ。
この世界に呼び出された宇佐美だって、それが何を生み出すのかなど、きっと想像だにしていないのだろう。
「だが、農業技術の流入を改革と呼ぶレベルで行う為には、どうしても必要なものが三つある。これまでの動きを思い返した結果としてそれを満たしてしまったが故に、俺は宇佐美の行動と現在の状況を結論付けた」
「その三つってのは……?」
「一つは知識だ。これに関しては、言うまでもない事だと思うがな」
聞き返す絹川に、俺は指を立てながら答え始めた。
残りの二つは、以下次回。




