09 『それは最強にして最悪の行為』
それからまた二日ばかりの時が過ぎた。
俺は毎晩のように王都とラッセルの町を行き来し、三人の異世界人たちのフォローに奔走した。放っておけば食事はおろか睡眠すらまともにとろうとしない百合沢や、無関係な人々の笑い声にまで苛立ちをおぼえるほど神経を尖らせた和泉。俺が直接顔を合わせることが出来たのは、そんな二人をなだめつつ暴走させぬよう世話を焼いている絹川だけだったが……。
そして三人とも日に日に精彩を曇らせ、いずれ限界が訪れることは誰の目にも明らかのようだった。
俺の元に一枚の手紙が届けられたのは、そんな焼け付くような焦燥感が日増しに色を濃くしていく日々の、とある早朝のことだった。
「手紙? リヒテンハイムからか?」
「左様でございます。恐らく、いつもの機嫌伺かと」
俺の領地であるリーゼン地方。その主要都市であるリヒテンハイムには、王都にて執務を行う俺に代わり統治を行う代官がいる。ヤツは細かな指示を必要とする人物でもないため基本的には放任しているのだが、それでも折に触れ連絡をよこしてくるのだ。その定期連絡の手紙なのだろう。こまめに連絡を取ってくる姿勢は褒めてしかるべきものだが、このような状況だといささか煩わしくもある。
俺は受け取りった手紙の表面だけ改め、そこに極秘の文書に刻む符丁が記されていないことを確認すると、そのまま封を切らずに部下へと返した。
「代わりに読んでおいてくれ。何か気になることがあれば報告を」
そのまま取り掛かっていた書類を片付けにかかった。今夜も日が落ちる頃にはラッセルの町に入っておきたい、その為には通常業務を滞らせる訳にはいかないのだ。
パラパラと紙をめくる音だけが響く。
視界の端で領地からの手紙に目を通していた部下の視線が、文面のどこかで一瞬止まったように見えた。すぐに続きを読み始めたところを見ると、そう大した問題でもないのだろう。俺はそのまま手元の書類に集中を戻し、そしてしばらくの時が流れた。
一息入れようかと軽く伸びをしたタイミングで、芳しくも落ち着く香りが鼻先をくすぐる。茶の用意をしてくれたのだろう、ホント、気の利くヤツだ。
十年来の付き合いであるこの部下の邪魔をすることのないよう、あえて仕事をしているフリを続けた。俺が茶を待っている素振りを見せてしまっては、己に厳しいコイツに要らぬ反省をさせてしまいかねんからな。
久しぶりに落ち着いた空気を感じる。やはり、俺も追い詰められていたということなのだろう。
「そういえば……。今朝の手紙だが、何か変わったことでもあったか?」
こちらに向かって茶道具を乗せたワゴンを転がしてくる部下に向かって、手持ち無沙汰を誤魔化すように問いかけた。
「特には……。あぁそういえば、王都の流行について訊ねておりましたな。最近流行っているものはあるか、と」
「何故ヤツがそんなことを気にする。……さては、王都の流行を贈りたい誰かでも見つかったか? 色気の欠片もない朴念仁だと思っていたが、ようやくアレにも遅咲きの春が訪れたということか」
強面でならす代官の顔を思い出す。あの几帳面な性格に似合わぬ山賊のような見た目の男を惚れさせたのは、果たしてどのようなやり手の女だ? くつくつと笑いながら部下を見ると、あちらも代官の風貌を知る者、同じように口元を緩ませていた。
「あの方が篭絡されるとすれば、余程の手練手管でございましょうな」
「いや、逆に朴訥な田舎娘という線もある。ああいうヤツは意外に純情なものだぞ?」
人というより野生の熊に似たあの男が、地方の田舎娘に入れあげている様を思い浮かべ、思わず声を出して笑ってしまった。
「お人が悪いですよ、ハインツ様。それに、そのような色気のある話では無いようでございますから」
「くくっ……、いやスマン。くれぐれもヤツには内密にな。…………それで、いったいどういう訳でアイツがそんなことを気にしているのだ?」
「はい。どうやら今期の農作物がいくつか値を落としているようでございまして……」
話を纏めるとこうだった。我がリーゼン地方で生産されている農作物は、土地の人間を養う為に消費されるのが大部分ではあるが、王都を含めた各地方へ輸出される現金収入の財源としての側面も持っている。
その中で、麦や芋といったいくつかの品目が、今年は全体的に売価を落としているということらしい。もちろん買い叩かれているというほど大きな値崩れではないし、うちの品に問題があっての事でもない。幸い今年は天候にも恵まれいつもより多目の収穫が得られたこともあるため、それに伴った値崩れと見ることも出来る程度でなのだ。
だが、複数の品目に限りその値下がりが生じていることから、王都にて何らかの食のブームが起こり、それに伴い消費が落ちたのではないかと心配したのだそうだ。
「そのような動き、心当たりはあるか?」
「……ございませんな。ですが私も市井に明るいほうではございませんし、特に若者の間でそのような動きがあったとすれば知るよしもございません。ハインツ様にお心当たりは?」
「ない。とは言え、私もお前とそう変わらぬ。特定層の動きならば、あえて耳に入らぬということもあるだろう。だが……今回は思い過ごしであろうな」
もしもそんな動きがあったのだとすれば、どこからともなく噂を拾って見つけてくるヤツの姿を思い出す。あの食い意地の張った小娘なら、そういったブームを見逃すことはないだろう。相場にまで影響を及ぼすほどの流れならば一朝一夕で行われるはずもないのだから、今現在、王都を離れている事も関係あるまい。
その時、本当に何の気なしにとある考えが頭をよぎった。宇佐美の失踪、現在の潜伏地と予想される土地、そして今の話。これが全て繋がっているとしたら……?
俺はその考えを慌てて否定する。
アレはそう容易く行えるようなことではない。以前の飲食店とは比べ物にならぬ程の専門的知識が必要だし、何より圧倒的に時間が足りない。数日前に行方をくらませた宇佐美が、その短期間で成果を出せるような単純なモノではないのだ。
だが、同時に可能とするだけの材料も思い浮かぶ。該当の土地までの距離、時間的猶予、そしてあの掴み所のない女勇者がこれまでどんな行動を取ってきたか。その中で、アレを行えた可能性は本当に無いのか?
本当に、ありえない事だと切り捨てることができるのか……?
そして俺は、最悪の想像を否定する為の材料を探すことを決めた。
今のうちから早馬を飛ばせば、王都からさほど離れていないラッセルの町までは、日が落ちる前にこの手紙を届けることが出来るだろう。今夜俺が向かうということ、疲れは溜まっているだろうが時間を作って欲しいということ。そして、その場に残り二人の勇者を……特に百合沢は必ず同席させて欲しい旨をしたためた手紙を、急ぎ絹川の下へと届けさせた。
日が落ち、夜の帳がラッセルの町を包む頃。俺は先日と同じ道をたどり、絹川の待つ部屋を訪れていた。
俺が部屋に入った時には、既に百合沢はおろか和泉までもがその場に揃っていた。絹川は、詳しい話を一切せずに二人を集めていたのだろう、突然訪れた俺の顔を見て二人は驚きを隠せないようだった。
久しぶりに顔を合わせる二人は、見るからに焦燥の色を濃くしている。疲労は肌をやつれさせ、無茶なスケジュールが落ち窪んだ目元にまで現れていた。仲間を失うかもしれないという恐怖が、これほどまでにこの二人を追い詰めているのだろう。
その心中を察すれば、本当に胸が痛い。
宇佐美の消息を求め、一日中走り回っていたであろうことがありありと窺える二人を前にし、俺は自分の予想が外れていてくれと願う。
そしてその思いを確かめる為に、目の前の勇者達に向かって話し始めた。
「今夜集まってもらったのは、宇佐美君の動向を確かめる為に、どうしても確認させてほしいことがあったからだ。何の事だかわからない話かもしれないが、どうかしっかりと答えて欲しい。
……宇佐美君に、農業の知識はあったかね?」
「農業……ですか?」
「そうだ。例えば、学校で園芸部に所属していたとか、趣味で家庭菜園を持っていたとか。実家の祖父母が農家で、それを手伝っていたとかでも良い。もしくは農業史や植物史などに興味があって調べていただとか、中世の一次産業についての課題を受けたことがあるということは無いだろうか?
……何でも良いんだ。そういった、植物生産に関わる一般的以上の知識を持っていたという可能性があるかどうか。この世界に通用する農業知識を得る機会があったかどうか。
どうか思い出して欲しい。この世界に来るまでずっと、共に過ごしていた君達ならば知っているだろう?」
頬に手を当てて考える百合沢を見ながら願う。
良く思い出してくれ。そして頼むから無いと言ってくれ。
宇佐美梓にはそんな素養など存在しないのだと。歴史を加速させるという点において、最強にして最低最悪の行為である、農業改革をやる可能性など無いのだと。
生産チートなんてありはしないのだと、頼むから証明して欲しい。
そしてしばらくの後、勇者は口を開いた。
ご意見、ご感想ありがとうございます。
頂いたご意見に伴い、前話の一部を変更しております。
×→そんなふうにプンスカ言われてもまったく反省する気にならん。
○→そんなふうに、実際に「ぷんすか」と声に出されてもまったく反省する気にならん。
ちょっとわかりにくい言い回しで、後の表現に誤解を生じさせる文章でございましたので、
上記のように修正させて頂いております。
ご指摘いただいた 綾小路様 に、この場を借りて御礼申し上げます。




