07 『常在戦場の心得』
会議室の中は異様な空気に包まれている。
平時であれば、まがりなりにも王族として敬愛の念を抱かれるのが常であるはずのメリッサに対し、今や誰もが疑念と猜疑に満ちた視線を送っているのだ。
公人としての視点を除いてしまえば、この俺とてメリッサ個人を嫌っている訳ではない。コイツはこいつなりに王を目指そうと努力している。それに向けて努力をする姿勢は褒められてしかるべきで、非難される由縁はどこにもない。まぁ、その努力の方向性が明後日過ぎるからバカ王女のそしりを免れないのだが。
自分よりも圧倒的に力の強い者たちに睨みつけられ、その威圧感に身体を震わせてはいるが、それでも自分に向けられた視線から目を逸らそうとせず立ち向かっている辺り、コイツは王女の冠を抱くに相応しい人物なのだと思う。
名指しで行われた問いかけの後、額に浮かんだ汗が頬を伝い、顎先からしたたり落ちる程の時間が過ぎた。沈黙に絶えかねたように、メリッサは口を開く。
「いったいなんの――」
「何の事だかわからない。そんなありていな誤魔化しでは納得いたしませんよ? メリッサ王女」
「ぐっ……」
先手を切って言い逃れを封じた俺の言葉に、喉の奥から捻り出されたような喘ぎで応えられる。肉体的労働など生涯無縁であった事を声高に主張しているような小さく柔らかいその手が、握り締めた力の強さで小さく揺れている。
いや、なんというかもう、この反応だけで状況証拠としちゃ真っ黒だなコイツ。
だが、大切なのは王女自身の口から事件への関与を認めさせる事だ。俺はなおも、追撃にかかる。
「私は貴女が、勇者宇佐美の失踪に関与している可能性について、その根拠を申し上げた。事実、先だっての視察から戻ってからこっち、貴女が宇佐美君と頻繁に会っていたという証言も得ているのですよ」
「えと、このところ前みたく和泉君にかまっておらず、女性の勇者とばかりご一緒してるって話でしたからね。私たちはそれを、百合沢さんと一緒なのだと勘違いしてしまっていましたけど……」
追従する絹川の発言に、後ろに控える百合沢も頷き返す。メイドから最近の状況を聞き込みした時、皇女は百合沢と懇意にしていると聞いていた。だがよくよく話を聞くと、どうやら女の勇者と一緒に居るという言葉しか聞いていなかったらしい。それを聞いた絹川は無意識に、まともに会話が成立するかすら謎である宇佐美を除外してしまったのだろう。
「なぁ、メリッサ。オッサンの言ってる事は本当なのか? お前が何か知ってんなら、黙ってないで何とか言ってくれよ。梓はどうして俺達の前から居なくなったんだよ!」
「ヒロ殿……。そういわれても、妾には……」
堪りかねた和泉の追及にも、メリッサは言葉を濁すばかり。流石に生まれてこっち王城でもまれてきただけのことは在る。簡単には落ちんか。
「それに、じゃ。先ほどハインツ卿が申したのは、全て疑いがあるということだけであろう? 妾が関与したかも知れぬというだけで、はっきりとした証拠があるわけではない。確かに、このところ梓殿とは折につれ一緒におったが、それこそ親しくしていたというただそれだけの話。彼女がどうしているのかなど、妾にはなんとも言えんのじゃ」
懐から扇を取り出し、ばっさと開きつつ話す。いちいちそれっぽい仕草を取るあたり、コイツが平静でないことなど誰の目にも明らかなのだが……。
とはいえ、コイツの言うとおりでもある。現状メリッサが宇佐美失踪に関与したという明確な証拠もなければ証言もない。もちろん時間をかけて調べていけばその限りではないが、そんなことをする暇があればコイツを締め上げたほうが早い。今は一刻も早く、宇佐美の行方を確かめることが大事なのだ。
メリッサの言い逃れによって、明確な切り口を見つけられない勇者達は、それでも胸の中に沸いた王女に対する猜疑心のぶつけ先を探るように、俺に向かって視線を向ける。まぁこんな風に言いわけされてしまえば、正義の勇者としてはどうしようもないのだろう。無理もない。
だが、ここは公平な裁判官のいる法廷ではない。疑わしきは罰せずだとか、証拠だけがモノをいうだとかが幅を利かせる、清く正しい真実を探る場などではないのだよ。
この場は城の会議室、王家と貴族の戦場だ。それに相応しく、正義なんてものの立ち入る隙の無い戦い方というものが在る。
「なるほどなるほど。そこはメリッサ王女殿下の仰るとおりでしょう。先ほど私が申し上げたのは、あくまでも貴女が関与しているかもしれないという状況のみ。いわば、状況証拠にございます。
宇佐美氏の失踪に、メリッサ王女が関与していると取られかねぬ状況であることを申し上げただけ。国にとって非常に重要な意味を持つ人物が姿を消すという一大事に、この国の未来を担うお方であるメリッサ王女が何らかの責任持つのではないかと、周囲が疑念を持つ恐れがあることを示したに過ぎません。
……それで、王女殿下とされましては、如何されるおつもりなのでしょう?」
「な、なんのことじゃ……? だから、妾が関係していると決まった訳ではないのじゃろう?」
「仰るとおりにございます。ですが、貴女様が関与しているのではないかと皆が疑いを持ってしまっているのも事実。
そしてこのまま事態が動かぬとあれば、捜査の手はより広く、深く、執拗になりましょう。例えば何者かによって口封じをされた疑いの在る誰かに対し、暴力をもって口を割らせるといった行為にまで至るのも時間の問題でございます。それほどの事件に対する疑いが、今、貴女様にかけられてしまっているのでございますよ」
「知らぬっ。そのような嫌疑を妾に向けること事、それ自体が不遜であろう」
「で、ございますな。それでは、そのような不敬極まる疑いをかけられた御身は如何対処するのでしょう?
このような、不名誉で、不徳な。メリッサ様の王族としての品格も、名声も、信用も貶める疑いをかけられてしまった事実に対し、どのように対処為されるのかをお聞かせ願いたい」
わざと言葉をきりながら話す俺の一言ずつに対し、ギリギリと奥歯をかみ締めるのが聞こえてくるかのようだった。
メリッサは王族に名を連ねる存在で、そしていずれは至尊の冠を抱くに相応しい人物であるかどうかを選定される立場である。この国の王が『成る』のではなく、あくまでも『選ばれる』モノである以上、選定のその時まで重視されるのは、国に対し何を行ってきたかという事実だけ。現王の一人娘という血筋など、スタートラインに立つ為の切符にしかならない。王家の血は大切だが、それを維持するために公爵家という装置があるのだ。メリッサが不適格なら、その辺りから王家に養子を入れるだけで事は済む。
「王女殿下もご承知の通り、勇者の存在は諸外国にとっても小さからぬ関心を引くもの。我が国が勇者を抱くに相応しくないと主張する国は、それこそ片手では足りますまい。勇者の失踪など、その言に拍車をかけるに等しき行為と言えるでしょう。
そのような暴挙を、こともあろうか王女の位におわす方が行った。そんな不名誉な疑いをかけられているという事が次期王の選定にどのような影響を与えるかなど、考えるまでもありません。一刻も早く対処すべき大事ではございませんか」
「それは……。そうじゃが……」
メリッサの脳裏では、いまごろ天秤が大きく揺れているのだろう。
何を目的として宇佐美の失踪に協力したのかまでは俺にもわからない。だが、コイツが勇者に協力する理由、それ以前に勇者召喚を行った根拠自体、自分が王の座につくための実績作りに他ならない。取り立てて何かを為しえたと言えないこの凡庸な娘が周囲に文句を言わせないための方法として、勇者召喚などという大それた行為に手を出したのがそもそもの始まりなのだ。
である以上、このまま勇者に協力することと、自分にかけられた嫌疑を晴らすことのどちらを優先すべきか? その間で揺れているのは間違いない。
おそらくだが、宇佐美がメリッサに協力を取り付けるにあたり、何らかのメリットを王女に示したのだろう。自分の行動がこの国のためになる事だと言い含め、その実績がメリッサの実績になるのと仄めかすことで、失踪に協力するよう促したのだと思われる。そうでなければ、この王女が動く訳がないのだ。
このまま宇佐美に協力を続け加点を増やす方に賭けるか。それとも不名誉な噂を払拭することで減点を減らす事に賭けるか。選ばれる側の立場にいるお前は、いったいどちらの選択をする?
そして俺は、決して褒められた手段とはいえないやり方で、揺れる天秤に重りを加える。
「そういえば……。以前にもございましたな。王女がお一人で勇者方の行動を許可され、それを後押しされたことが。あの時は確か、勇者の行いが事後承諾の形で公にされ事なきを得たかと。さりとて今回も同じように処理するのは、いささか状況が苦しいでしょうな。独断専行が過ぎるとの誹りは免れません。
もちろん、皆に知れ渡る前に誰か有力な貴族にその旨を相談し、協力を取り付けでもしていればその限りではございませんでしょうが。……特に、日頃対立することの多い立場の貴族などであれば、効果は大きいかと思われます」
「ハインツ卿……。何が言いたいのじゃ」
「いえ? ただ、他の閣僚達に事態が知れ渡る前に、この私が知っていた方が良かったことがあるのでは、と思っただけにございます。今、殿下に教えてもらう何かではなく、既に知っていたはずの何かが。
とは言え私も耄碌しておりますから、せっかく事前に相談されたにもかかわらず、うっかり忘れてしまっているということもございます。もしメリッサ王女が、そんな私の粗相に心当たりがありましたら……、ご指摘いただければすぐにでも思い出すことでしょう」
俺は恭しく頭を下げ、憎しみを込めてこちらを見下ろしているであろうメリッサの言葉を待つ。
どう聞いても、恩の押し売りでしかない発言である。隣に控えた絹川から「性格悪っ」という呟きが聞こえる。知るか、こっちゃわかっててやってんだ。
パタパタと仰いでいた扇が、強く綴じられる音が耳に届く。そう安いものでもないんだろうから、あまり手荒に扱うものじゃないぞ?
はっきりと耳に届いてしまうほどの舌打ちが聞こえた。
どうやら王女の天秤は、俺の期待する方に傾いたのだろう。それが彼女にとって面白くないことであるのは言わずもがなだ。
しばらく後、面を上げよと指示がくだった。
眼前の少女は、それこそ視線で誰かを殺しでもするかのように、俺を睨みつける。
「勇者宇佐美は現在……、王都の西、ナザン地方に居るはずじゃ」
バックに虎とか竜とかが浮かぶエフェクトを思い浮かべるには、
あまりに地味としか言えない戦いです。
まぁ、料理食べて火山が噴火するよりは派手かな、とも。




