05 『最悪の予想が頭をよぎる』
和泉の乱入から少しばかりの時間がたち、少し部屋を出ていた絹川が戻ってきた。
「やっぱり、今んトコ騒ぎにはなってないみたいですねぇ。宇佐美さんが居なくなってるってことを知ってる人、誰も居ませんでしたもん。あと、和泉君が騒いでたのを聞いていたメイドさんが何人か居ましたけど、そっちは言われたとおりに、私が誤魔化しときましたんで問題ないです」
部屋の中央をチラチラと見ながら報告してくる。目線の先にあるソファーは、現在二人の勇者に占拠されていた。片方はひどく落ち込み、もう片方は苛立ちを隠さない。
「こちらも街門に向かわせた部下からの報告があがってきている。やはり、それらしい人物が町を出た様子はないとの事だ」
「ホント……、ドコ行っちゃったんでしょうねぇ?」
いつもどおりにのんきな声色に聞こえなくもないが、それでも少しだけ震えた絹川の言葉には不安の影が混じる。最悪の予想が頭をよぎっているのだろうが、二人の手前、平静を装っているのだろう。
いったいどうするべきか……。
「さて、状況を確認させてもらう」
少しでも落ち着けるようにと用意させたお茶で喉を潤してから切り出す。目の前の二人のカップは、淹れた当初から量を減らしていない。
「この中で最後に宇佐美を見たのは百合沢君。昨日の午前中ということで間違いないな?」
「はい。お昼を一緒にとろうと、彼女の部屋を訪れました」
「その時に変わった様子は?」
「……わかりません。少し話をしただけでしたし、いつもどおりだったとしか」
「おろ? ってことは結局ご飯は一緒しなかったんですか?」
「そうよ。あの子の方がなんだか用事があるとかで断わられちゃったの」
「まぁ、百合沢君から変わったところがなかったというのならそれで良いだろう。それで、今日の午後に和泉君が様子を見に行った時、昨晩から部屋に戻っていないことを確認した、と」
「……あぁ。梓についてるメイドが言っていたんだが、俺の所に行くと一人で部屋を出たらしい。夜はそのまま泊まるからってな。だが、実際には来ていない。昨日は俺はずっと部屋に居たから、もし来ていたなら気づかないワケがねぇ」
「そのメイドさんも、お昼過ぎには宇佐美さんのお部屋出ちゃったみたいですから、目撃証言としてはそれが最後ですねぇ。今日は朝から部屋に戻っていないとも言ってました」
「つまり、昨日の昼を最後に行方がわからなくなっているということか。何かがあったとしたら、昨夜か今日の午前中、と。
今日の午後に宇佐美君の部屋を訪れ、不審に思った和泉君が城内を駆け回って探したところ、どこにも居なければ姿を見たという人物も居ない。それで私のところに来たワケか」
「オッサンが今日、美香子と会ってるのは知ってたからな。もしかすると一緒に居るのかもと思った。それに……」
「私なら君達がらみで何かをしてもおかしくはないと思った、か。まぁ、日頃から勇者に含むところがあると言われている人物だしなぁ」
「別にアンタが何かしたとか思ってる訳じゃねぇよ。ただ、何か知ってるかもと考えただけだ」
目線を外しながら言う和泉に少しだけおかしな気分になる。これまでそれなりに話はしてきてるし、ちょっとくらいは信用してもらっているということだろう。こないだの旅行の最中は、ちょいと突っ込んだ悩みを打ち明けられもしたしな。
そんな気恥ずかしさをかき消すかのように、和泉は大きな音を立ててテーブルを叩く。
「ってか、そんな事言ってる場合じゃねぇだろうがっ。オッサンに心当たりねぇってんならそれで十分だ。美香子、行くぞ」
「えっ? あ……はい」
立ち上がる和泉につられ、百合沢までもがそのまま席を立とうと腰を浮かす。別に止めてやる義理は無いんだが、このまま見過ごしてしまうのは微妙に心苦しくもある。
「まぁ待て。気持ちはわかるがいったん落ち着け」
「はぁ!? 何言ってんだ。梓は攫われたかもしれねぇんだぞ。ンなトコで駄弁ってる場合じゃねぇだろうが!」
「そうは言うが心当たりはあるのか? 先ほど確認したように城内での手がかりは打ち止めだ。城門を越えた様子もなければ、王都内でも目撃されては居ないだろう。闇雲に走り回っても、見つけられるとは思わんぞ」
「偉そうに説教してんじゃねぇよ! そりゃアンタにとっちゃどうでも良い相手かもしんねぇけどなぁ、ジッとしてなんか居られるわけねぇだろうが」
「だからこそ落ち着いて考えろと言っているんだ。冷静にならねば見つかるモノも見つからんぞ」
「んだとコラ……。オッサン、あんま調子くれてんじゃねぇぞ? こっちゃ今は手加減できるような気分じゃねぇんだからな……」
一気におぞましい程の殺気を叩きつけてきやがった。確かに少し煽るような発言をしてしまったのは俺のミスだが、流石に沸点低すぎだろうが、クソッ。
血走った空気に当てられたのか、絹川おろか百合沢までもが怯えて身を縮ませていた。決して狭くない室内が、重苦しすぎる雰囲気のおかげで半分以下くらいには狭くなったように感じてしまう。
立ち上がる和泉と座ったままの俺の間で、しばしにらみ合う時間が過ぎる。非常に良くない空気だ。コイツにとって、やはり宇佐美は別格ということなのだろう。
「ハインツさんには、心当たりはないのでしょうか? 私達を狙うような相手に……」
「無くはない。というより、ありすぎて特定できん。勇者という存在がどれほど強力な戦力と成りうるかは、既に周辺諸国に広まってしまっているからな。政治的な意味でも、女神によって遣わされた勇者を自国に引き込むというのは効果が大きい」
「無理やり連れてってどうにかなるもんなんですか、それって。誘拐犯相手に協力なんてするわけないじゃないですか」
「身柄さえ押さえてしまえば、方法などいくらでもある。それに実際に協力させることは出来なくとも、勇者を有しているというだけで利点はいくらでもあるんだ」
「そんな……」
もしも俺が他所の国でそういう立場に居たとして、コイツ等の誰かを拉致、監禁することが出来たとしたら……。たとえ積極的に協力を取り付けることが出来なかったとしても、きっとまったく問題としない。
まずは諸国に対し勇者の存在を表明し、勇者自らが自分の意志で保護を求めてきたとでも主張するだろう。同時にそれまで在籍していた国に対して、その処遇が適切でなかったと言いがかりをつけて糾弾する。こんなもんは言ったモン勝ちだからな。
監禁した勇者から剥ぎ取った所持品を譲り受けたとでも言って見せびらかせば、自分達と勇者の関係が良好であるように見せかけることもできる。実際に会わせろという声には、病気療養中などの言い訳で時間を稼げばよいだけ。数年は時間が稼げるだろう。
あまり長期で隠し続けることは出来ないかもしれないが、少なくともその間は周辺の国に強く出ることが出来る。勇者を保護し、そして勇者に守られた国であることを匂わせて、有利な条約を結ぶ事だって出来なくはない。
もちろん、大きく出すぎて実際に戦争にまで発展されては困るが、そこまで相手国を追い詰めるようなヘタを打たなければ良いだけの話。外交上大切なのは、強力な武器で相手に大損害を負わせることではなく、あの国と戦争をするのは割に合わないかもしれないと思わせることなのだ。伝家の宝刀は、抜かずとも充分に効果を発揮する。
勇者はそれだけの畏怖を与えることの出来る存在で、その認識は各国の上層部に知れ渡っている。それ故にこれまでこの国は、諸国に対して下手にでるような外交に努めていたのだ。脅せるだけの武器を持ってしまっているからこそ、決して脅していると思われないようにしなければならなかった。それがこの国を軍国主義に走らせないために、絶対に必要な条件だ。
そこまで考えて思う。宇佐美は、誰かの魔手に落ちてしまったのだろうか。
正直に言えば、俺にとって宇佐美梓というパーソナリティにそこまでの思い入れはない。あの個性は強烈すぎて、俺には持て余す何かだ。だが、直接的ではなくともこの世界に呼び寄せてしまった人間として、ある程度の責任は感じている。
それに、少なからず関係を持ってしまった奴らの身内なのだ。守りたいとは思う。……不気味な相手ではあるけれど。
そして、俺よりもずっと思い入れのあるであろう人物が、耐えかねたように大声を張り上げる。
「そんなんどうでも良いだろうがっ。梓さらったヤツが何考えてたのかなんてどうだって良いんだよっ!」
「目的を考察することは大事だ。そこから相手の動きが見えてくる場合だってあるんだ」
「落ち着き払ってんじゃねぇよ! こっちは大事な仲間がさらわれてんだぞ。
オッサンだって、そこの絹川辺りが浚われたんだとしたら落ち着いちゃらんねぇだろうが!」
和泉に蹴り飛ばされた観葉植物が派手な音を立てて倒れた。同時に荒事耐性ゼロの絹川が、喉の奥を鳴らすような小さな悲鳴を上げた。ふと以前の記憶が頭をよぎる。確かに、コイツが力ずくでどうにかされるというのは俺にとっても愉快な出来事ではない。
転がった植木鉢が、ガラガラと音を立てては中の土を撒き散らす。百合沢は両手で自分をかき抱き、絶望的な想像から自分を守ろうと目を伏せる。苛立たしげに壁に拳を押し付ける和泉と、悪い方向にばかり向かう思いから目を逸らそうと、必至で考えを巡らせる俺。
カバンからハンカチを取り出しテーブルの上を拭こうとしている絹川に気づく。何かの拍子に零れてしまったティーカップの中身をふき取ろうというのだろう。おそらくは、この部屋の空気に対してどうして良いのかわからず、身体を動かしているだけなのだろう。
おれはそんな絹川の動きを眼で追い、そして、疑問が浮かぶ。
どうして絹川はここに居る? なぜ宇佐美なんだ?
そうだ……どう考えたっておかしいだろう?




