04 『可能性を削除するための獣たち』
「おろ? どうしましたハインツさん。なんか難しい顔ちゃってますけど」
記憶の中で繰り広げられた殴る蹴るの暴行に眉を顰めていた俺は、そんなゆるい声で現実へと引き戻される。いかんな、せっかく百合沢がこちらの話に耳を貸してくれているというのに、余計な考えに脳みそ使っている場合ではない。
「気にするな。お前から受けた謂れ無い暴力を思い出してしまっただけだ」
「ちょっと、いきなし人を家庭内暴力女みたいに言わないでくださいよ、人聞き悪いですねぇ」
「その発言の方がよっぽどタチが悪いわっ。なんでキサマなんぞと家庭持たにゃならんのだ、気色悪い」
「なっ!? それこそ言葉のアヤってヤツでしょ! こっちこそ願い下げですよそんなの」
大声を張り上げる絹川によって、数分前までの真面目な雰囲気が一瞬で粉砕されてしまった。……なんとも相変わらず緊張感の持続しないヤツだ。一つのソファーに隣同士で腰掛けているという位置関係上仕方なく、超接近距離で肘撃ちの応酬を繰り広げていると、眼前の百合沢が困ったような笑い顔をこちらに向けてくる。
「えぇと……。ごちそうさまです、で良いのかしら?」
「誤解も良いトコだっ!」「誤解も良いトコですよぅ!」
……思わぬところで息が合ってしまった。まったくもって遺憾である。
「とにかく、私の考えの根幹は以上だ。……どうだろうか、百合沢君」
「理解は、出来たと思います。私たちが、この世界の可能性を潰してしまう恐れのある存在なのだということも。……ただ、納得については少し時間が欲しいです」
「君にしてみれば急な話だ。もとより、すぐに同意して欲しいとは思っていないさ。
それに、君たちがこれまで暮らしていた世界がいかに優れたものであるか、それについては良くわかっているつもりなのだよ。もちろん、私なりに、ではあるがね」
「ですよねぇ。なんったってハインツさん、私たちの世界のサブカルとかまで大好きですからねぇ」
横槍を入れる絹川の言葉に、「そうなのですか?」百合沢は意外そうな顔を浮かべている。まぁ無理もない。この少女の知る俺は、異世界人嫌いの先鋒とでも言うべき存在だったのだからな。
「別にお前等の元いた世界が大好きというワケじゃないぞ、そこは勘違いしてくれるな。
……けどな、あの世界の人類が、数千、数万年の時を経て紡いできた物には敬意を払うべきだと思っている。いわゆる技術に関してだけじゃなく、文学や音楽、教育、哲学的思考に社会構造。どんな些細な物事だとしても、そこに蓄積された人々の営みは素晴らしい物だと思う」
「そこまで言われるとくすぐったいです。それに、私たちの世界もいろいろな問題点はあると思いますし」
「それは、どんな世界だって同じ事だよ。問題を抱えていない世界など、それこそ御伽噺の中にだって存在しない。けれど、現時点で問題があるということと、そこに積み重ねられた歴史とは分けて語られるべき物だ。社会を構成して生きていく以上、大なり小なりの問題は確実に起こるんだ。だが、それを如何に解消していくかこそが、ヒトのヒトたる由縁というものじゃないかね」
……人であることを辞めてしまっている俺が言うのも、ちょっとアレだと思うけれどな。
「さて……、改めて言わせてもらうが、未だ発展の途上にあるこの世界は、これからどこへ向かおうとしているのか定まってなどいない。それはもしかすれば二人の知る世界と似通った道かもしれないし、まったく違う未来なのかもしれん。だがその全てはこの世界の人間が決めることで、部外者が決めて良い事ではない」
「だから、未来を変えてしまう恐れのある、私たち別の世界で生まれた存在は受け入れたくない。……そういうことでしょうか」
「何もかもを受け入れられないと言いたいわけじゃないんだよ。だが、決して安易にやって良い事でもない。これは本当に繊細で、なおかつ重要な事だ。
……自分の恥を晒すようで申し訳ないが、私も過去に、大きな失敗をしている。先ほど絹川が言ったように、私は君たちの世界についてある程度の知識がある。その知識を元に動いた結果、人々に大きな損害を与えてしまったんだ」
説得の手札をもう一枚開いた俺の言葉に、百合沢は小さく驚いている。この年頃の若者に対して、年長者が自分の失敗を、しかも笑い話以外で話すことがどんな印象を与えるか。それをわかった上で口を開いた。隣で小さく息を呑む声が聞こえたような気もしたが、きっと気のせいだと思い込むことにしよう。
「私は現在とある集団を管理しているのだが、彼らは過去に、私がもたらしてしまったモノのせいで他者と諍いを起こしてしまったのだ。そして今は、彼らの中に生まれてしまった確執を、出来うる限り風化させることに尽力している。私は、いずれあの争いが歴史の海に埋もれていくまで、どれだけ時間がかかろうと彼らの保護をするつもりだ。
だが、今、それをどれだけ悔やんでも、そこで失われてしまったモノは決して取り返すことは出来ない。一度ゆがめてしまった流れは、なにをどうしようと元通りにはならない。せいぜい元の形に近い何かに修正し直すのが限界なんだよ」
「そんなことが……」
「私と同じ過ちを、絶対に君たちも繰り返すはずだなどと言っている訳ではないよ? だが、一歩間違えれば、この愚かな存在と同じ轍を踏む恐れはある。異世界の知識を持っているというだけでその危険性はあるし、なにより君たちは勇者という規格外の存在になってしまっているのだから。
そのことだけは、頭の片隅にでも入れてもらいたいと思う」
言い終わった俺が、乾いてしまった喉を潤している間中ずっと、百合沢は両手を強く握り締めていた。それからしばらく、互いの呼吸音だけが聞こえる時間が続く。
ここまでの話を、この少女は実に真剣に聞いてくれたと思う。少なくとも現時点までは、あの忌々しすぎる存在から何らかの精神的影響を受けているようにも思えなかった。ここまで話して、なお、この話を受け入れられないといわれたならば、それはもう俺の話し方に問題があったとしか言いようがないだろう。
「一つ、腑に落ちないことがあるんです」
祈るような沈黙の後、百合沢は何かを決めたような表情を浮かべ、こちらと視線を合わせた。頭を掠めた予想を相手に伝えぬように、俺は身振りで続きを促す。
「私たちは、勇者としてこの世界に呼ばれました。そしてその途中、この世界の神であるアルスラエル様ともお会いして、この世界のために勇者となることを望まれました。けれど今、ハインツさんは私たちの存在が必ずしも良い結果に繋がる訳ではないと仰います。そのお話、正直に言って納得できなくもないんです。
だからこそ、わからない。…………私たちの存在は、勇者は、この世界に望まれた物ではないということなのでしょうか?」
百合沢の目は、俺の考えの奥底までも覗き込もうとするように、強い光を放っている。俺は真正面から彼女に向かい、うっすらと手汗をかいてしまっていた拳を少しだけ握り締めた。
様々な体験を経て、長い時間をかけて、やっとこの矛盾にたどり着くことが出来たのだ。ここで臆することなどできる訳がない。
これからの数分で、この少女の立ち位置を書き換えることが出来る。いや、してみせる。
ゆっくりと息を吸い、俺は女神に対する最初の一太刀を口にしようとした。――その時、
「ハインツさん! 美香子! 居るか!?」
部屋の外から突如としてかけられた声に、俺達は揃って身体を跳ねさせられる。
乱暴に開かれた扉の向こうから現れた異世界の勇者によって、事態は思っても居ない方向へと展開していくのである。
「梓が……。梓が居なくなった。ハインツさん、アンタ何か知ってんじゃないのかッ!?」




