03 『生傷の耐えない思い出と回想』
神妙な面持ちで俺の言葉に耳を傾ける百合沢を前に、俺は数ヶ月前に絹川とした会話を思い出していた。
確かアレは、例の飲食店がらみの騒動が一段落ついたころだったように思う。当時の日課になっていた店舗めぐりにひと段落の着いた絹川を連れて、王都の一角にある俺の家でくつろいでいた。
俺の自宅にまでこの小動物がついてきた理由は、なんのことはない、風呂に入りたいがためという生理的欲求による物である。俺に残った生前と共通する感覚のうち、どうしても捨てきることの出来なかった衝動によって設置された湯船付きの風呂を求めて、絹川は3日と開けずに訪ねてきていた。コイツにとっちゃ、四六時中一緒にいたい相手でもないだろう俺の家に、わざわざ足を運んでいるのだ。ホントにご苦労なことである。
記憶の中の俺と絹川は、現在進行形で為されている会話の数十倍は緊張感に欠いた調子で、議論とも言えない会話を繰り広げる。
「良いか? より文明の進んだ異世界から何かをもたらすことの何が悪いのか。そいつを簡単に説明するのは結構難易度が高い。殆どのヤツが新しくて便利な、みんなの為になることを伝えようとしての行いだからタチが悪いんだ」
「中には自分の利益だけ考えてる人もいそうですけどねぇ」
「そういうのはソイツ個人の問題であって、行為自体の善悪とは別だ。そして俺が問題にしてるのは一概に悪だと決め付け辛い事でもある」
「ほむほむ」
「相槌ぐらい人語で反せ。……んじゃあ、ひとつ例え話をしてやろう。お前がさっき書き物に使ってたソレ。そいつは一体なんだ?」
「ソレって……。あぁ、これです? ただの鉛筆ですよぅ。シャーペンの方が便利だとは思うんですけど、太めの線が欲しい時にはこっちのが良いからたまに使ってるんです。ホラ、マークシートとかだとシャーペンって逆に不便でしょ? 芯が折れちゃっても慌てなくてすむのは良いんですけどねぇ」
「それならソイツの芯の部分だけ入れ替えできるようなヤツを使えばよかろうよ」
「ロケット鉛筆ですか。確かにアレも良さそうですよねぇ」
「えっ? ロケット鉛筆ってまだ売ってんの?」
「売ってます売ってます。百均で見ましたもん。……って、なんで貴方がそんなん知ってんです! こっちの世界にゃそんなん無いでしょ!」
「…………まぁ、それは良いとして。その鉛筆。原理としちゃそう難しくないが、未だにこの世界では存在しない物だ。ソレをお前が広めようとしたとする。流行ると思うか?」
「ぜんぜん良くないですけどもぅ良いです。鉛筆を広めたら、です? ん~と……。あ、そいやこっちって、普通の紙はあるんですっけ?」
「それが植物紙のことなら、あるな。出始めたのそこそこ最近だしそこまで質は良くないが、技術としては発生してる。今のところ羊皮紙の方が主流だが、それでも市場の一割くらいには進出してるな」
「そんなら普通に使われるんじゃないです? 羊皮紙だと微妙にデコボコしてて使い辛いかもですけど、紙相手なら便利ですもん」
「だろうな。俺もそう思う。なんだかんだ言って鉛筆は有能だ。書きやすいし、インクより修正も楽。対象の繊維を染色してる訳じゃないから劣化や欠損はあるが、そこそこ長期の保存にも向いている。素材の問題さえ克服してしまえば、あっという間に筆記具の中で主流になると思うぞ。だが、さっきお前も言ったように羊皮紙相手だと微妙に使いづらい。となるとなにが起こると思う?」
「…………羊皮紙の品種改良?」
「当然ソレもある。だが、そんな事するよりも植物紙を主流に据えちまったほうが手っ取り早いだろ?
組み合わせとして考えた時、羊皮紙とインクは、植物紙と鉛筆に比べてはるかに利便性が悪い。使いやすい鉛筆に、より適した植物紙を併せたほうが有益と考えられたとしても不思議じゃない」
「にゃるひょりょ。植物紙が存在してなきゃ無理だったかもですけど、既にあるんならそういう流れになったとしてもおかしくはないですねぇ。鉛筆が流行る下地はあったってことなんですもん」
「そういう事だ。かくしてお前が流行らせた鉛筆は筆記具界の主流として君臨することになり、結果二つの衰退と一つの根絶が生まれるわけだ」
「ちょ、なんすかいきなり人聞き悪い。
……二つの衰退はなんとなくわかります。インクと羊皮紙が主流から外れちゃうってことですよね」
「その通り。そして、ここだけ見れば大した問題じゃないように思える。何故ならお前も知る世界では既に起こった事象だし、歴史的に不自然でもなんでもない流れだからだ。黒鉛押し付けたら線引けるなんて、今この時点でも知ってるヤツなら知っている。そっから鉛筆が発生するのも自然だ。羊皮紙にしても、生産性と保存性の高い植物紙が発明されれば下火になるのは当然の話だろ?」
「少しだけ便利なアイテムを、ちょろっと先取りしただけってことですか。……そですね。私もコレくらいなら見逃しても良い範疇かなぁと思っちゃうですよ。でも、ダメなんですよね? 一つの根絶ってのがあるから」
「そうだ。ここで無くなるのは、植物紙以外の記録媒体の発生だ。
そもそも人類は、紙が出来る以前から色んなモンに絵や文字を残してきた。粘土板だったり、竹だったりな。今んトコこの世界で主流の羊皮紙だって、その流れにのっとって動物の皮使ってるだけだしな。そしてお前の知る歴史では、皮の次に植物紙が生まれても不思議じゃない。紙ってのはそれだけ重要な発明だし、事実そういう流れの先にあるものなんだ。伊達に重大発明品の一つとされてるわけじゃないんだよ」
「……だがな? なにを根拠に、この世界がお前たちの世界と同じ流れを歩むと決めてかかってんだ。パピルスがきて羊皮紙・木簡が来たとしても、次に来るのが植物紙と決まってるわけじゃないだろう? 確かに現状植物紙は発生してるが、ソレよりも生産性や利便性に優れた何かが近々出てこないと決まったわけじゃない」
「あぁっ! それはホントにそうですねぇ。……確かに確かに。おすもうさん引退しても、親方か飲食店経営始めなきゃならないって決まってるわけじゃない様なものですよね。別に弁護士目指したとしても不思議じゃないですもんね!」
「いや、角界ひいてから司法試験受けるのは困難大きすぎだと思うが……。まぁ大まかに言っちまえばそんなところだ。
この世界はお前たちが生きてきたソレじゃない。似通った世界ではあるが、気候も違えば生態系も違う。生えてる植物も生きてる動物にも差があるし、何よりこの世界にゃ魔法なんて代物もあるんだぞ? コレだけ違うのに、同じような歴史を歩むと決めてかかって良い根拠なんざどこにもない」
「ここまでは大変おっけーです。でも、この鉛筆一本がそこまで決めちゃいますかぁ」
「可能性は十分にある。お前の世界に流通している数多の製品ってのは、その殆どが高度に洗練されてんだ。そいつはお前等の世界がここよりも長く歴史を積み重ねた結果だ。そして、高度な製品ってのは得てして周辺環境までも選別しちまうもんだ。そして一度現在の需要を満たしうる何かが生まれてしまえば、同じ方向性を持つ何かが生じる可能性は極めて低くなるといえる。必要は発明の母ってのは聞いたことあんだろ?」
「そりゃありますとも。良く聞く言い回しですもん」
「つまり、それだけ真理に近い言葉って事だ。
需要が伸びればそれに伴って品質も向上していく。ソイツが現行品の限界に達せば、抜本的な代替品も必要とされる。必要とされてりゃ発明も生まれる。だが、その限界に達するまでの長い期間は、自動的に発明の芽も摘まれるってワケだ」
「そしてその間に生まれていたかもしれない、私たちの世界とは方向性の違う発明品は、生まれる事無く闇に葬られる、ということですかぁ。ほわぁ……この鉛筆一本が世に出回ることでそこまで決まっちゃうんですねぇ」
「…………感心してくれてるお前に今更こんなん言うのはあれなんだが、必ずそうなるって断言することはできないんだけどな」
「ぅおい。ここまで引っ張っといてソレですか!」
「当たり前だろ、植物紙の発展の原因なんてそれこそ多岐に渡るんだ。常識的に考えて、鉛筆の台頭とイコールで結べるような単純な話じゃないくらいわかるだろ。……お前、ちょっと人の話、鵜呑みにしすぎと違うか?」
「人が真面目に聞いてやってんのに何たる言い草っ! ……ちょっと歯ぁ食いしばってください。可及的速やかにストレス発散する必要にかられました」
「なっ!? ちょ、やめろ暴れんなっ。わかった、悪かった。俺が悪かった! 謝るからその手に持った鈍器を下ろせっ!」
……振り返って思うが、つくづく防音のしっかりした家に住んでいて良かったと思う。夕暮れ時に響き渡る中年の叫び声など、事件ってレベルじゃねぇ。




