03 『天を仰げば空高く』
遠征出発の朝。王都の西門前で荷物の確認をしつつ、俺は同行者達を待っている。
日中はまだまだ暖かいとはいえ、既に冬の入り口近くまで足を踏み入れようとしている時期だ。早朝特有の澄んだ空気が肺の中を心地よく冷やす。
他国に通じる主要路である東門に比べればはるかに少ない数ではあるが、開門直後のこの時間は荷を満載にした馬車がひっきりなしに行き交っている。
あちらに詰まれた穀物は、ナザン地方の小麦。こっちのはラッセルハイドからのものと見た。今目の前を通り過ぎた荷馬車に満載の、木樽の中身は恐らく魚。ここから海までは一番近くても2日はかかる。開門にあわせて飛び込めるよう、日程調整しながら駆け込んできたのだろう。夜通し馬車を引いてきた男の目元にはこの距離でもわかるほどの隈が出来ていた。それでもどこか楽しそうに見えたのは、危険を犯してまで運んだ荷物によって得られる儲けを思い浮かべているからなのだろうか。
喧騒と共に行き交う人々は、それぞれが自分の人生を生きている目をしてる。この街で、この世界で。地に足をつけて生きる人々の目だ。
……いや実際には、俺がそんな風に思いたいからそう見えてるだけなのかもしれん。だがこの光景は確かに目の前にある。暖かなものがそこにあるとわかる。それだけで十分なんだ。
なぁんて感傷に浸りながら待ち続けることしばし。いや、かなり。待ち合わせでこれだけ待たせたら、相手にぶん殴られること必至の時間が過ぎてやっと、勇者一行は到着した。
何度置いていこうと思ったか。コイツ等の監督責任が俺にある以上、先に出発するなんて出来ゃしないんだが。
「いやぁ、すんませんね。待たせちゃったみたいで」
ほんとにだ! という叫びを何とか押し留め、馬車から降りてきた和泉と相対する。パッと見じゃ国の貴賓が使うには質素と思える馬車だが、街の外に出るんだから当然だ。煌びやかな多頭引きの馬車何ぞ仕立てれば、どうぞ襲ってくださいと狼煙上げてるようなもんだからな。
それでも雨風を凌げる箱型の馬車だ。十分に獲物として魅力的かもしれんのだが、……まぁ万が一にも下手を打つことはなかろう。仮にも勇者一行だし。
「勇者殿たちは進んだ社会に生きていたとお聞きしておる。馬車での旅など初めてなのであろう? 準備に時間がかかるのも当然というもの。かまわぬよ」
「そう仰って頂けるとありがたいですわ」
渾身の大人の対応をしていると、続けて百合沢たちも姿を現した。
全員、この世界で一般的なチェニックに長ズボン。膝近くまであるブーツにマントという、ありふれた旅装である。よくよく見れば布は上等だし縫製もしっかりした一級品だとわかるのだが、新品とは思えない使用感があるため変に注目を集めることもないだろう。恐らく気の利いたヤツが、わざと古びを入れたんだと思う。誰だか知らんが感謝である。
いつもの小娘は最後になって登場し、ちょことちょこ俺の傍まで寄ってきた。他の勇者達に向けた好々爺然とした表情はそのままで愚痴る。
「おう。やっと来やがったな」
「すいませんハインツさん。お待たせです」
「ホンとにだよ。おかげで待ち合わせにすっぽかされた可哀相なヤツみたいな目で見られただろうが」
「勘弁してくださいよぅ。どっかの誰かさんがなかなか起きてこなかったんだもん」
「遅刻の言い訳がソレでまかり通るなら、新入社員抱えた上司の胃がすべからくチーズになるぞ。
……お前に言ってもしょうがないんだろうが」
「そゆことですねぇ。ホラホラ。気分変えていきまっしょい?」
言われて気付いたのだが、百合沢の陰にちらほらしている宇佐美は半目をシバシバさせながら欠伸をしている。コイツか……。俺を可哀相な男にしやがったのは。
とはいえコイツの言葉ももっともだ。文句の種は尽きんが、これ以上この場に留まるのも宜しくない。ピークはとうに過ぎ去ったと言えまだまだ人の行き来は激しいのだ。馬車が4台も溜まっていては迷惑極まりないだろう。
「では諸君。早速で申し訳ないが、各々馬車に乗り込んでくれたまえ。出発するぞ」
周りをうろちょろしている絹川を勇者達の馬車に追いやりつつ宣言する。
旅立ち前の浮かれっぷりを遺憾なく発揮し、なんだかんだと騒いでいた連中が乗り込んだのを確認。俺も自分の馬車へ向かうとしよう。
……なんというか、ほんとに引率じみてきやがったなぁ。
いつもどおり御者席に座る。コイツは俺専用で、御者席に座るのも俺しかいない小型の馬車だ。
こんな風に自分で馬車を御していると、高位貴族として体面を慮ってくれと請われることもある。だが、生憎お供を引き連れての長旅には耐えられないのだ。
なぁに、5年も単独行動やり続ければ、表立っては何も言われなくなったから問題ないだろう。こういうのも、継続は力なりって言うんかな。
根回し済みの守備兵に目礼しつつ大門を潜った。
景色と共に空気までもが変わるのを感じる。なんとなく郷愁を感じる、開放的な空気だ。
街道を走る俺たちの横を早馬が道を外れて追い越していく。後ろを振り返ると、後続の3台もきっちり遅れずについてきていた。
城壁で切り取られていた空は、俺の目の前でどこまでも遠い。旅立ちにはもってこいの天気。
……さぁ、出発だ。
道中は恙無く進み、太陽が真上を過ぎた辺りで1回目の休憩を挟むことにする。
少し早い気がしないでもないがしょうがない。曲がりなりにも旅になれている俺たち現地人は大丈夫として、勇者どもはこういう旅は初めてだ。長期の旅行をしたことがあるならば共感してもらえると思うが、ただ運ばれているだけというのも結構疲れるからな。
しかもどれだけ居住性に気を使った馬車だとしても、この時代のそれじゃ高が知れている。イロイロと限界が来ていることだろう。やまいだれに寺関係のトラブル引き起こすのもかわいそうだ。
街道を外れて馬車をとめていると、勇者達の馬車をひいていた御者達が、俺の馬も一緒に世話をしてくれると言ってきた。餌と水やりくらいならば自分でやっても問題ないのだが、せっかくなので甘えさせてもらおう。
今回の主要な面子は俺と勇者たちなのだが、当然その5人で行動しているわけではない。勇者達の馬車を世話する御者が3人。更に身の回りの世話を焼く為のメイドが3人ついてきている。
どう考えても物語で聞くような、いわゆる”勇者ご一行”とはかけ離れたメンバーだが、当の本人たちが同行を許可しているのだ。俺が文句をつける内容でもあるまい。そもそも旅の気楽さなんてのは、コイツ等が一緒って時点で諦めた。
何時の間にやら隣に座っていた絹川が、昼食のパンを齧りながら話しかけてきた。
「そいえばハインツさん。今日はどれくらい進むんでしたっけ?」
「次の街までだ。……まぁ、この調子でいけば日が落ち始める頃には着くだろう。ってか、前もって予定伝えといたろうが」
「嫌ですねぇ。確認ですよぅ、確認」
「ほほぅ。なら、明日以降の予定を言ってみろ」
「…………えへっ」
じゃねぇよ! コイツ、この反応だと忘れた以前に聞いてなかったな?
改めて言うと、今回の旅程は全部で40日前後。リーゼン地方の主要都市であるリヒテンハイムまで馬車で14日。街への滞在は20日程度を予定している。向こうでやることも多々あるため、かなり余裕を持たせた日程だ。
ちなみに勇者達には、本格的な魔族領遠征の前の下見的な旅行だと思わせている。余り長期で王都を離れさせると、またぞろ王女辺りが余計な真似を始めんとも限らんからな。これくらいが丁度良かろう。
「ん? こないだ話した時は、片道10日くらいって言ってませんでしたっけ?」
「ホンっと何にも聞いてなかったんだなお前。……あのな、今回のリーゼン行きはお前らにしてみりゃ気ままな観光旅行かもしれんが、俺にとっちゃ仕事の一環だ。寄れる限りの途中の街に寄ってくに決まってんだろうが」
「おぉ、そでしたそでした。視察を挟みながら領地に向かうんでしたねぇ」
にかにか笑いながら、うっかりしてましたなんてほざいてやがる。ぜってぇ聞いてなかったな。カシオミニを賭けても良い。
絹川の言葉どおり、王都からまっすぐ向かえば10日もかからずリヒテンハイムには着ける。だがそうなるとどうしても途中で野宿が必要になってくる。俺1人なら問題ないが、流石にコイツ等にそんなマネをさせるわけにはいかんだろう。
その為、俺が途中の街を視察するという名目で、毎日どこかしらの町で宿をとることが出来るような日程を組んだのだ。
もちろんコイツ等には野宿云々の話はしていない。俺が視察をしたかったのは嘘ではないし、余計な遠慮をされるのも面倒だったからな。
そもそも俺1人ならば、王都を出て適当に人目のつかないところまで進んだら、後は魔法を使って移動していたところだった。
いくら馬車を使っているとはいえ、移動速度に徒歩とそこまでの違いはない。舗装されていない道の上を木製車輪の馬車を走らせたところで、せいぜい日に30キロも進めば御の字。俺が姿を隠して高速で飛べば、リヒテンハイムまで4~5時間程度なのだ。
ちなみにだが、現状この世界に共通の度量衡は存在しない。それぞれの国が、独自の解釈で重さも長さも定めてる。下手すりゃ王が変わる度に単位が変わるって国もあるくらいだ。
一般市民にとって目測不可能な長さの単位とは「歩いて半日」とか「馬車で2日」といった感覚で話されるのが常識。馬車で10日くらいの場所ですよと言われたところで「犯人は20代から50代くらいの男性」なんてニュースと同じくらいふわっとした情報でしかない。
いざって時にはいくらでも先に勧める旅程だ。ゆっくり進めばそれで良いさ。
「まだ数日は他領を通過するだけだから、まっすぐうちの方向へ向かう。リーゼンに入ってからは出来るだけ多くの村を回りたいからな。ある程度非能率な道順になるぞ」
「私の目的はイロイロ見て廻ることですからねぇ。ぜんぜんかまいませんよぅ。
でもあんまし不便な日が続いちゃうと、文句のひとつも出てくるかもしんないですね。誰からか、までは言いませんけど」
「毎日きっちり宿に泊まれる旅ってのがどんだけ贅沢なことか。……なんて、言っても無駄なんだろうなぁ」
揃ってため息が出た。
これからしばらく毎日顔を合わせなきゃならんというのに。先が思いやられるな全く。
天を仰げば空高く。
この所、晴天が続いたおかげで馬足も順調。
そんな気持ちの良さにちょっとだけでも浸りたかった俺は、勇者達の馬車をそっと視界から外したのだった。




