01 『こうして苛烈な圧制者に、民衆は弾圧されていくのである』
「そうか……。もうそんな時期だったか」
政府高官である俺の元へは、日々様々な書類が舞い込んでくる。報告書だったり嘆願書であったり、なんということのない世間話に紛れさせて、重要な調査結果があがってくることもままあるのだ。
そんな書類の中には俺個人に対する私信も含まれており、今赤い蝋で綴じられていた手紙の内容も、そんな手紙のひとつだった。
「どうかなさいましたか?」
思わず上げてしまった独り言に、淑やかな声が返された。ここ最近、頻繁に顔を出してくる百合沢の声である。
「いや、なんということはない。ただの手紙だ。まぁ、少し驚いた程度の事だよ」
「うっそだぁ。さっきの声、なぁんか感情入ってましたもん。ほれほれ、良いからおねぇさんに話して御覧なさい」
軽く流してしまおうという試みは、もう1人の侵入者に邪魔された。既にこの部屋を、自分の生活の場にしていやがる小動物の声である。
改めて言うが、ここは王国大臣の執務室。
王城内で最も重要な機密が集まるといっても過言ではない場所だ。決して近所のファミレスでも放課後ティータイムでもない。気軽に立ち寄って、気ままなお喋りに興じる場所なんかじゃない。ないったらない。
元はといえば、たとえ自分の正体を知られた相手だからといって、うっかりこの絹川を見過ごしてしまったのが問題だった。コイツがいつの間にやら、俺の生活空間であるこの部屋に居住権を確保してしまったせいで、俺の日常から静謐とか安穏という言葉が裸足で逃げてしまったのである。
しかもだ。先日の勇者食堂の一件以来、いつの間にやら女勇者同士で仲良くなってしまった百合沢まで、何かと理由をつけてはここに来るようになってしまった。勇者達の動向をそれと無く教えてくれるのはありがたいが、会話の9割9部はそれ以外の雑談だ。
おかげでこの部屋のお茶と茶菓子の消費速度は二次曲線的な増加を辿っている。あ、いや。茶菓子に関しては、たまに百合沢がお手製の物を持ってくることがあるので、それほど消費が上がったわけじゃないのだが。俺も、少しだけ楽しみにしてるしな。
なんにせよ、仮にも勇者という規格外の存在である2人なのだ。俺が囲っているように見られるのは、政治的観点から宜しくないように思える。無駄飯ぐらいの生きた見本としか見られていない絹川だけならばまだしも、百合沢は前途有望な正しい勇者なのだから。
「あら。私がここに来るのは、王女様以下、皆様の許可を取っておりますわ」
「肝心な俺の許可が含まれてないのは置いておくが。どういうことだ?」
「私がハインツ様の下を訪ねているのは、伯爵閣下に魔法の手ほどきを受けるため。という名目になっているからです。確かに王女様は良い顔されませんでしたけど、特に反対もされませんでしたから」
「魔法なら、ギリスタックの爺さんとこで良いだろ」
「魔導士長様からも、実践的な魔法の扱いに関してはハインツ様に師事するのが良いとお墨付きいただいておりますもの。問題ありません」
「そそ。良いじゃないですか、別にお仕事の邪魔してるわけじゃないですし。それに、可愛いおにゃのこが2人も訪ねてくるんですよ。むしろ感謝してもらいたいですねぇ」
「お前が百合沢君に来てもらいたいのは、単にお菓子を喰いたいだけだろうが」
「じゃあ次からハインツさんには分けたげません。百合沢さん、ハインツさんいらないんですって」
それとこれとは話が別だ。百合沢も「それではしょうがありませんね」じゃねぇ。駄弁りんぐスペース貸してやってんだ、ショバ代ぐらいはきっちり寄越せ。
交渉の結果、次の焼き菓子は確保することに成功したが、何一つ解決していないなこりゃ。
こうして苛烈な圧制者に、民衆は弾圧されていくのである。嘆かわしい限りだ。
「それはそれとして、だ。本当に問題ないのか? 王女はともかくとして、他の勇者達と行動していないのは拙いんじゃないか?」
「宏彰君達とは毎日会っていますよ。ここに来る前も、一緒に訓練して来ましたもの」
「和泉君。あの後なんか言ってました? 私、かな~り怒らせちゃった気がするんですけど」
確かにそれも気になるところだった。勇者食堂内で直接対決をした時、俺たちは2人でコイツ等を追い詰めた。にもかかわらず、絹川1人を矢面に立たせる状況になってしまっている。
俺があの場にいた平民の男であるということは、百合沢含め勇者達は誰も知らぬ事だ。である以上、ヤツラの悪感情が全て絹川に向かう恐れがある。流石にこれを放置はできん。
「そうですね。少なくともあの後、絹川さんの名前が宏彰君の口から出たことはありません。というよりも、あのお店の話が話題に上らないのです。
彼は、その。……振り返らないタイプですから」
「つまり無かったことにしてる、と。最初から期待はしてませんでしたけど。なんだかなぁってヤツですねぇ」
「ごめんなさいね? せっかく絹川さんが、あそこまで気をもんで話してくれたというのに」
「いや、別に百合沢さんが悪いわけじゃないですから。それに、私としてもあのお話は掘り返さないで欲しいかなって感じですもん」
「彼もそう悪い人ではないのよ。元の世界にいたころは、きちんとリーダーシップの取れる男の子でしたもの。ただね……。こちらの世界に来てからは、なんだかタガが外れてしまったように思えることもあって」
さもありなん。もともと主人公気質の強かったヤツが、全能感満たせるだけの力を手に入れてしまったんだ。外れるタガの3つ4つは平気であるだろう。
微妙に居た堪れなくなり、煙草を取り出して咥えた。煙が室内に行かぬよう半開きだった窓を押し開ける。空気の流れを操作すれば、コイツ等に匂いが着くことも無い。湿った空気を誤魔化す為に煙草に手を伸ばすのは大人の特権だが、そのツケを他人に背負わすのは宜しくないしな。
「煙草は健康に良くないデスよ?」
「健康は煙草に宜しくないからな。健康を控えるよう努力してんだ」
「まぁたそういう屁理屈を」
ほっとけ。
手製の煙管に詰め込んだ煙草の燃え滓を、灰皿の中に落とす。紙巻の方が手軽で良いんだが、この世界じゃ当分先まで出てこないだろう。これはこれで嫌いじゃないから良いんだけどな。
口の中に残った煙と一緒に、胸の隅に残った燻っている思いも吐き出す。今はまだ和泉にはしてやれることは無いだろう。少なくとも、ヤツが痛みを感じるような事態が起こるまでは、身に残る教訓とはならないのだから。
「まぁまぁ。彼らについてはそれくらいで良いじゃないですか。それよりだいぶお話飛んじゃってますけど。……そのお手紙に何か書いてたんでしょ。どうかしたんですか?」
「そりゃお前。白紙じゃ手紙とは言えんだろ。文が書いてあってこその手紙だ」
「そういうのは良いんですって。何か問題でも起こったんじゃないです? 教えてくださいよぅ。気になっちゃうじゃないですか。
その、……私達が聞いちゃダメなお話なら、そう言ってくれれば聞きませんから」
「別に込み入った話じゃないんだ。……お前、俺の爵位、知ってるか?」
「リーゼン辺境伯、でしたよね。確か。それが何か?」
「リーゼン伯。つまり、リーゼン地方の伯爵。統治者って事だ。である以上、そこの統治も俺の仕事なワケだよ。だが同時に、俺はこの国の中央で働く大臣でもある。どういうことかわかるか?」
「辺境……と呼ばれるくらいですもの、王都の近くに領地があるというわけはございませんわよね。でしたら、代官か何かを遣ってらっしゃるのでしょうか?」
「正解だ、百合沢君。ここから我がリーゼンの地までは、馬車で大体10日程度の距離だ。流石に頻繁に行き来できる距離じゃない。実際の統治は、任命した代官に執り行ってもらっている」
「なぁるほど。んじゃ、その代官さんからのお手紙です? 何か問題でも起きたとかでしたか」
「いや、これといって何かがあったわけじゃない。そもそも問題が起きるような土地ではないしな。
税がまともに取り立てられているか。法が乱れていないか。汚職が横行していないか。気にしているのはそれくらいだ」
「安定してらっしゃるのですね。良いことです」
「特にここ数年は気候も安定していてな。収益も悪くない。取り立てて必要な事態もないから、安心して任せていられるんだよ。とはいえ、年がら年中放っておくわけにも行かんのでな、年に1度くらいは視察に戻っている。
毎年今くらいの時期には領地に居たんだが。……今年はイロイロとあったろう? さっきの手紙は、今年は何時頃来るのかという打診の手紙だ」
俺が言い及んでいた理由を察した絹川が、「なるほど……」横目で百合沢を見ながら頷く。流石に言えんだろ? 本人の目の前で、お前らがやらかしたせいで戻れなかったんだ、とは。
それに、今から長期間王都を離れるのにも抵抗がある。百合沢に関しては、早々妙なことに手出しはせんだろうと安心しているが、他の2人はわからない。何時オモシロ計画を実行しないとも限らんし、それをコイツ等に止めてくれと頼むのも過ぎた要求だろう。
そんなわけで、今年は領地の視察はナシにする予定だった。
なに、1年くらい放っておいたところでどうにかなるような軟な統治はしていない。それに代官からの定期連絡の他にも、現地を監視させている目はあるからな。不測の事態が起こったとしても、問題になる前に連絡が届く体制はできている。特に心配することも無い。
そう決めていたのだが、どうにもおかしな方向に話しが向かっている。
「――ですから、私達異世界人が心配で、ハインツ様はこの王都を離れられないのでしょう?」
「信用してくれって言ったところで難しいですよねぇ。私達だけで処理できる事しか起こんないわけじゃないですし」
「ですが私達が原因で、ハインツ様のお仕事を滞らせてしまうのは心苦しいわ」
「ですよねぇ。それに、もしかしたら領地の人たちもハインツさんが戻ってくるの心待ちにしてるかもしんないですもん」
「となりますと。……やはり、先ほどの案が一番なのではないでしょうか」
「私にゃ異論なんて無いですよ。どっちかって言えば、渡りに船?」
なんだかわからんが、領地に残した代官への謝罪を考えていた俺を他所に、勇者2人は頭を寄せ合って話しこんでいる。先ほどの案……? なんだか妙に嫌な予感がするのだが。
「なぁ。お前らさっきから何を――」
「ハインツさん。私達の近くに居なきゃだから、この街から離れられないんでしょ? だったら簡単ですよ。私達も一緒に連れてってくれれば良いんです。
大丈夫ですって。ハインツさんが目を光らせてれば、流石の和泉君たちも変な事始めたりしませんよぅ」
「いや、そういう問題じゃ――」
「私、早速王女様に申し立ててみますわね。きっと良い返事を貰ってきますわ」
いや流石に無理だろソレ。という俺の意見は黙殺され、勇者ご一行リーゼン地方への旅計画は始まってしまった。
確かに大臣としての俺からすればありがたい。
だが、「やった。観光旅行だっ」との発言は聞き漏らしてないからな。
そもそも、勇者がおいそれと長期旅行なんて出来るわけないだろうに。
そんな計画なんぞ。立てるだけ無駄だ、無駄。




