12 『ありふれすぎたモノこそが、諸悪の根源』
勇者たちは、ここに来てさらなる混乱に陥る。
目線の先にあるのはなんということもない小さな備品。現代日本で生きてきた彼らにとっては、それこそ見慣れた物だろう。最初に利用したのはいつかと聞かれても思い出せないくらいには一般的な道具だ。
よほど小さな店舗や、カウンターだけの営業をしている店。逆に格式の高い店にしか行ったことがないという奴でもない限り、今やどこでだって目にするものだからな。
そんな特別というにはありふれすぎたモノこそが、諸悪の根源であるかのようにいうんだ。意味がわからなくたってしょうがないさ。
俺だって、ちゃんと説明されるまでは何の事だかわからなかったんだ。
「ど、どういうことじゃ。それは、ヒロさんが考案した魔導具であろう? それに何か問題でもあるというのか?」
ただ1人、呼び出しボタンに馴染みの無い人物が口走る。
恐らくだが作成に関わったのは魔導士の誰かだろう。探知や警告の魔法を組み上げれば、そう難しくなく作ることが出来るはず。動力源は魔石だろう。脳裏に探知魔法くらいしか取り得の無いローザリアが思い浮かぶ。まぁ、アイツ辺りだろうな、協力者は。
「これ自体は問題のある物じゃありません。経営者にとっては画期的ともいうべき発明なんですから。……和泉君。アナタはどうしてコレを、この店に置いたんですか?」
「どうしてもなにも、そんなんドコにだってあるだろ。あると便利だって思っただけだ」
「百合沢さんは反対しなかったんですか?」
「反対……、する、理由がないわ。宏彰君の言葉どおり、そんなの珍しくない物だもの。
それがあればお客は大声を上げて店員を呼ばずに済む。スタッフが聞き漏らすこともない。お客のためなんだから、用意することは間違ってなどいないはずよ」
「確かにこのボタンは、一見お客様のためにあるように思えます。だからこそ飲食店の中で瞬く間に普及したとも思えるでしょう。
…………でも、本当にそうでしょうか?」
「何が言いたいんだ。勿体つけてんじゃねぇよ!」
痺れを切らした和泉が叫ぶ。もぅ良いだろ絹川? 種明かししてやれよ。
数日前に行われた協会の会議が思い出される。あの時も絹川は、このボタンが勇者食堂を蝕むのだと解説していた。
そもそもそんなアイテムに馴染みの無かった面々は、まずは驚き、次に有用性に感心した。そしてデメリットに納得して、自分達が導入することをきっぱりと止めた。誰もがその時に、勇者食堂が衰退していくことを予想できてしまったからだ。
確かに呼び出しボタンがあれば、客は大声を張り上げて店員を呼ぶ必要がない。どれだけ店内が騒がしかろうと、押せば絶対に気付いてもらえる。
逆にいつ来てくれるかわからない店員を待ち、何度も手や声を上げる行為はストレスになる。
これは絹川の言葉だが、客というものは、不安定な30秒は耐えられなくとも、結果のわかっている3分なら余裕で我慢が出来る。ストレスを軽減させる効果だけでも、呼び出しボタンは有能だ。
……だが。この装置が完全に客のための物かと聞かれればそんなことはないと少女は言う。
例えば10のテーブルがある店内に10人のスタッフを用意できたなら、この装置は必要ない。一人ひとりが自分の担当する客席から目を離さなければ、客の様子を見逃すことなど起こらない。
しかし現実にはそこまで余裕を持たせることなど出来ない。そして1人のスタッフが受け持つ座席数が上がるほど、そのスタッフの技量が未熟であるほど。見落としの確率は上がる。
呼び出しボタンは、そのときにこそ効果を発揮する。
たった2~3人で数十の座席をカバーしなければならない時。きちんとした教育を受けていない者でも即戦力として使用しなければならなくなった時。そんな状況下でも客にストレス無く過ごしてもらう事を考えた時、こんなに便利なものは無いからだ。
逆を言ってしまえば、少ないスタッフでも広い店内を賄えるように置かれた物であり、昨日今日雇い始めた者でもお客を見落とさないようにと用意されたものなのだ。
客のためだけだなんて、どうして言い切れようか。
「このお店、見てください。テーブルの数は10。個室があるわけでもなく、店内の見通しも良い。動線が固まってるところがありますからちょっと動きにくくはありますけど、それでもお客様に気を配れないほどではない。
和泉君。このお店のフロアスタッフは、何人常駐させていたんですか?」
「……4人だ。今は、客も減っちまったから1人か2人しか置けてないが」
「それだけいれば十分対応できたはずです。例え会計で1人、入店案内で1人取られていたとしても、まだ2人はフリーなんですから」
「わかったわ。あなたの言葉どおり、このボタンは不要なものだったのでしょうね。それは……。うん。納得できたわ。
でも、ただそれだけじゃない。悪し様にいうほどの事とは思えないわ」
「いいえ、百合沢さん。これは余計だってだけじゃなく、確実に害をもたらしました。
このボタンは、店員が接客をする機会を奪うものなんです。わかりますか?」
————接客というのは、単にお客様の相手をすることじゃない。大切なのは商品を売り込み、そしてその見返りを獲ることです。
フロアスタッフはお客様からオーダーを伺います。それは単に相手の注文を聞くだけではなく、お客様が何を欲しているかを読み取り、こちらから提案することが大切です。そうすることで初めて、お客様は十分な満足を得られるんですから。
その為に必要なのは、何をおいてもお客様と接すること。
けどそのボタンがあると、席に誘導後、一言二言会話する程度の時間しかなくなります。呼ばれて伺ったときには殆どの方が注文内容を決めている。こちらが介入する余地なんてありません。追加注文も多くは無かったでしょう。迷っているお客様の背中を押すことも出来ないんですから。
元の世界の話をしますけど、本当に出来る店員さんは呼び出しボタンに頼ることは無いんです。お客様を見て、自分から話し掛けて、様々な提案をすることで店の売り上げを伸ばします。またそうすることでお客様からも高評価を得ています。
スタッフさん達の中には、今までどおりの接客をしようとしていた人も居たかもしれません。
けれどそのボタンが効果を発揮するにつれて、自分達の仕事が減っていくことを感じたはずです。だってお客様を見ていなくとも見落としがなくなるんですから、その楽さは衝撃的だったと思いますよ。
店のやり方に慣れるにつれ、お客様を見る事は少なくなる。同時にお客様への気配りは減っていった事でしょう。
ボタンが鳴ったら注文を聞いて料理を運ぶ。それだけでお給料がもらえるんですから、こんなに楽なことは無いですよね? よほど志が高くない限り流されるのは当然です。
本来、そうならないように気を配るのはフロア責任者の仕事です。ベルが鳴るのを待つだけの存在にならぬよう。スタッフを急かして追い立てて、お客様を見回るように指導する役割です。
でも、この店にはその重要な要がいませんでした。だれも、その仕事が必要になるなんて事を知らなかったんですから。
お客様だって馬鹿じゃないです。
店員が自分たちを見てないなんてことはすぐに気がつきます。どんなに美味しい料理が出ても、そんなお店に通いたいなんて考えますか?
中には、食事中は放っておいて欲しいと思う人も居るでしょう。けれど、この世界で外食を楽しむ人の大半は、その店で食べて飲んで、盛り上がることを望んでいるんです。
それは決して好き勝手したいって事じゃない。自分たち自身もその場の雰囲気を作る存在になって、お店と一緒に楽しむことを求めているんです。
店員との距離が離れてしまっている場所では、そんな空間はどうやったって作れない。お店側が自分達を受け入れてくれているかがわからないんですから。
つまるところ、この店は居心地が良くないと思われてしまっています。
この店のお客様が激減してしまった原因の殆どは、そういう空気作りに失敗したから起こっていることですよ。
いくら可愛い女の子にひらひらの服を着せてたって、店の雰囲気は作れません。人が人を楽しませるというのは、決して小道具だけで出来ることじゃない。
せっかくの注目を引く演出なのに、肝心の中身が伴っていなかったんです。
お客様自身が満足しきれていなかったことに無自覚だったとしても、別のお店で居心地の良さを実感してしまえば、……もう誤魔化せません。
どこで食事を取るかの候補には挙がったとしても、最後の最後で選ばれない。
この店の評価は、それで固定されてしまったんですよ。
淡々と続ける絹川の言葉は、この店に送る最後通牒にも似ていた。
「スタッフの皆さんが店を辞めたのも、自分達がヒトとして扱われていないように感じたからでしょう。お客様の相手をする仕事でなく、可愛い服を着て店の中にいるだけの見世物のように思えてしまった。
ここで働く前は別の店で接客をしていたんですから、違和感を覚えないはずがありません」
しかも、例の講習会を経験した店では、その後の雰囲気に目を見張るものがあったという。自分の元同僚達が接客という仕事に対する意欲を高め、客に評価されている姿でも見聞きしたのだろう。なおさらやる気は減少したはずだ。
所詮、道具は道具だと俺は思う。置いただけですべてが変わるわけじゃない。
けれど道具のもたらす効果を把握せぬままに使っていると、思わぬところに多大な影響を与えることがある。
勇者達は、あるのが当たり前という思考停止で呼び出しボタンを導入した。だからそれが店員に、客に、延いては店全体にどのような影響を及ぼすかなんて考え付かなかったのだ。
もしもコイツ等が店を開く前、絹川に一言でも相談を持ちかけていたら。今日のような結果にはならなかったんじゃなかろうか。
……いや、そうじゃない。コイツは良くも悪くも俺と共にいる。俺が協力の姿勢を見せなかった時点で、絹川が2人に助言を与えることはなかっただろう。
つまり、これは、俺が引き起こした事態だ。
話に区切りがついたところで口を開く。
叩き切るにしても、手を差し伸べるにしても。最後は俺がやるべきだ。
……出来ればこちらの手をとって、妥協して欲しいと願う。
「という事だお2人さん。あんた達は、どうしたいね?」




