06 『お前がこの俺の前に居るという事』
それからしばしの時間が経過した。
ひとしきり絹川たちの解説を受けた俺たちは、彼女たちの話す内容が道理であることが理解できた。確かに、勇者食堂の経営方針はちぐはぐだ。言ったとおりの事態が起こるなら、そう遠くないうちにあの店から客足は遠のくことになるだろう。
「……ってなワケですから、あの店に対してはそこまで気にかける必要ないです。私からは以上ですねぇ」
その台詞で締められた時に何故だか拍手が起こったのは、自分たちの迷いを払ってくれたことに対する感謝もあったのだと思う。
「なんというか。言われてみれば、という話だったな」
「そのとおりだぜ会長。厨房の中に引っ込んでちゃ、見えねぇもんもあるんだなぁ。だが、なんにせよコレで安心なのは間違いねぇ」
安堵の声を上げる男たち。ここ数日の懸念が取り払われた後には、いつもの自分の腕一本で生きてきた男の快活な笑顔が戻っている。俺も良く見てきた顔だ。なんというか、ほっとする。
しかし、話が纏まりかけたその時、おずおずと手を挙げる1人の男に気が付いた。俺と絹川を除けば、この場にただ1人の飲食店の人間ではない、商家の長と自称した男。
宜しいでしょうかとためらいがちに上げられた声に、自然と皆の注目が集まる。
「お話は、非常によく理解できました。あの店に悩まされるのは、そう長いことにはならないということも。ですが、我々が耐えねばならないのは後どれくらいの間なのでしょう? 余り時間がかかるようでは……」
「そうですねぇ。私の勝手な予想だと、左前になりだすのは2ヶ月後くらいからでしょうか。たぶん、半年もかからず進退を問われることにはなるでしょうけど」
思案顔で答える絹川の言葉で、男の顔に影が差した。
「…………間に合わぬのか?」
「私どもだけならば何とかなります。ですが、それまでの間にかかる負担を考えると。特に農村の皆にはなんと言ってよいものやら……」
種を植えればすぐに実がなるというわけではない。
男の考えでは、勇者食堂の求めてくる葉物野菜や香草類の需要に応えるために、ひとまずは抱えている在庫を全て放出し、その後別の地域で生産された食材をかき集めて提供するつもりだったという。
それで時間を稼いでいる間に、懇意にしている農家に大掛かりな生産体制をとってもらうつもりだった。当然その間は別の作物を作ることが出来ないため、通常自分たちの食い扶持を賄いつつ、税源としても利用してきた麦などの作物を減らすことになる。
買い手が保障されているとはいえ、生産性の低い作物では手に入る額が違う。その分の差額は、誰かが賄わねばならない。
「半年後に取引がなくなってしまうとなると、それ以上の生産を依頼するわけには参りません。ですが、そこから麦の栽培を始めるには時期が遅すぎる。かといって麦の減反を行わなければ、半年の間の要求には応えられない」
「農村を支えるには誰かが大損を免れず、それを避ければ勇者たちの要求を満たしきれぬということか」
「せめて……、もう少し早く決着が着けば何とかなるのですが」
誰かのため息が、やけに響く。
いざとなれば、俺が個人的に支援することは出来る。纏まった額の金銭はあるのだ。そもそも俺自身には使いどころのない金だ、なくなっても惜しくは無い。だが、たとえ個人的な金だったとしても、俺のような公人が特定の商家に巨額の投資をするというのは、いざという時に贈収賄の嫌疑をかけられかねない危険な行為だ。
飲食店連中だけならば、勇者食堂の経営が落ちるに反比例して業績の回復が望める。深刻な事態にはならないだろう。一時的に苦しい店舗もあるだろうが、そういう困難を互助で乗り切るための組合なのだから心配は要らないのだ。
だが、この状況でこの商人1人に犠牲を強いるというのも、画竜点睛を欠くようで気に入らないじゃないか。
悩み込む俺の思考を中断させたのは、後ろから肘袖を引っ張ってくる感覚だった。いつものしまりの無い顔が、何故だかいつに無いほど真剣な眼差しで、上目遣いにこちらを見ている。
「あの。ちょっとご相談なんですけれど……」
出来れば皆さんには内緒で。そう囁く絹川に従い、俺たちは他の参加者から少し距離を置く。協会長を始めとした男たちは未だ思考の海の底だ。ここなら大声を出さない限り聞かれることは無い。
だというのに、なかなか話を切り出さない。少し待つが、痺れを切らして問いただしてしまった。
「……で? なんだ」
「あの、ですね。
……私たちの目的って、要はこの世界にあるまじき発明とか、歴史的におかしい状況を止めることじゃないですか。それは今までのお話で十分にわかってるんですよ。
でもそれって、どれくらいまでなら許容してもらえるのかなぁと思いまして」
「どういう意味だ? 悪いがもう少し砕いて話してくれ」
「ですから……具体的なモノとか技術を伝えるのが拙いのはわかってます。自分じゃそんな気は無くても、歴史を変えるようなことは許さないのもわかってます。
でも、例えば気持ちとか、何かに対する姿勢とか、そういう内側のところまで影響を与えないってのは難しいでしょ?
もしそこまで否定されちゃったら。……誰かと話すこと自体、止めなきゃならないんですもん」
溜まりかねた様に堰を切って話すコイツを見ると、自分がなにを言われているのかもわかってきた。
人と人とが話をするということは、それだけでお互いに影響を及ぼしてしまう。例えどんな些細なやり取りでもそれは起こってしまうだろう。それを防ぐには、一切の接触を断つ意外には方法がない。そして、コイツも世界の異物の1人。そのことを自覚している。
コイツには明かしていないが、それは俺自身にも言える事だ。俺の思考の根底には、ハインツとして生まれる前のオレが居座っている。だが生まれてしまった以上、何も影響を与えないわけにはいかない。
……そうだよな、そんなレベルで否定されたら、俺たちは何処にも居られないんだもんな。
「それくらいなら、俺だって止めるつもりは無いぞ。
たとえば、行き過ぎて革命の先導になるようなことは困る。だが個人が個人に影響を与える程度の範囲なら、それはただの人間関係だからな」
もしも勇者の1人が船頭となって改革を行うのならば、ソイツは俺の敵だ。矢面に立たないだけでこの世界の人間に強制したり、または誰かを洗脳してやらせたりなんかだとしても、それはそれで止める。だが勇者に影響されただけの誰かが革命を志したなら、それはこの世界に生きる個人の意志だと思う。
確かに大きな意味で言えば、この世界に居ないハズの人間に影響を受けることすらも、歴史の改変に当たるのかもしれない。だがそれを止めるには勇者と出会った人間全員の記憶を抹消するくらいしか方法が無い。つまりは不可能だ。
俺が考える異世界の害とは、意図的に世界の流れを歪めようとする何か。または意図せずとも直接歴史が変わってしまうような行為だ。
たとえ勇者が正義のためにやる行為だとしても、それがこの世界の意志でない限り喜んで敵対する。
けれど今日小石を拾うことで100年後の未来が変わるような、俺が思いつかないくらい遠回りな変革は見過ごす。というか、そんなん俺じゃ気が付かない。
だから……。異なる価値観の人間がこの世界で生きる。違う世界で生きてきたヤツが、この世界の住民となって普通に暮らす。ただそれだけならばかまわないと思うんだよ。何せここは、異世界の住民を魔法で召喚することが可能な世界なんだから。
それが、俺がこの世界で生きてきて、なんとかひねり出した自己弁護だ。これからも生きていこうと思える最低限の根拠だ。
俺は勇者がこの世界に居るという事、それ自体を否定したりはしない。
もちろん、その時々の判断が間違っていないか、悩むことは止めないけどな。
「わかりました。やって良いこととダメなことのボーダーはとってもデリケートなお話だと思いますから、ハインツさんに相談したかったんですよ。改まっちゃってゴメンなさいです」
首を振って話を流す。「私自身、自分がココに居て良いものかどうか不安でしたので」なんて気弱な発言は聞かなかったことにする。
ホント止めろよな。…………調子狂うだろ。
「話はそれだけか?」
それなら戻るぞ。いつも以上にぶっきらぼうに言いかけた俺の胸を1発殴ると、コイツはいつものニヒっとした笑い顔で顔を寄せる。
「で、ですねダンナ。こっからが本題なんですけど。
勇者食堂が限界を迎えるのを、早める方法があるっていったらどうします?」
「……詳しく聞かせろ」
俺も人の悪い笑顔を作る。なんったって、俺は魔王。
セイギのミカタの敵なんだからな。
次回予告「絹川無双 開始」




