01 『俺は今、ものすごく嫌な予感がしてきたぞ』
勇者たちがこの世界に呼び出されてから、そろそろ2月が経とうとしている。
俺としてはこの厄介種たちを一刻も早く元の世界に送り返したいのだが、未だに女神に対する有効な手立てが見つからずにいた。
あの女神がこの世界に干渉することは、おそらく非常に難しいのだと推察している。今までもなんだかんだとちょっかいをかけてきてはいるが、そのすべてが夢のお告げや宣託といった、あいまいな形での指示にとどまっているためである。
とはいえそれでも十分に迷惑だし、未だ完全な政教分離が為されていない大半の人族国家では、国策にまで妙な誘導が為される可能性もある。
テメェを褒め称える宗教作らせただけで満足していればよかろうに。とことん神というヤツは強欲だ。
あの洞窟の一件のあと、勇者たちは目立った行動を控えているようだ。それでもたまに、どこからか魔物が出たという報告を聞き、本来対処すべき軍や騎士団を差し置いて討伐に向かったりしている。情報源はきっとアホ王女だろう。ほんっと碌なことしねぇ。
向かう先が王都近郊であるということと、職域を侵されている軍や騎士団に余り良い顔をされていないという情報が入っているため、現状は放置している。国内の武力機構からの信認が低くなればなるほど、勇者たちが魔族討伐という大事業に借り出される日も遠のくのだ。そいつは俺にしても悪い話じゃ無かったりする。
余り長いことこの状態が続いてしまうと、今度は厄介払いに放逐されてしまう恐れもある。俺とは思惑が違えども、政府高官の中には、下手に追い出してうっかり他所の国にでも行かれてしまっては困るという意識は当然あるのだが、無駄飯ぐらいを飼い続けておくほど余裕のある国でもないのだ。
かといってじゃあすぐに帰還させようとなってしまっては、それはそれで困る。女神のリアクションが不明瞭なため、不用意に帰還させるのは躊躇われるのだ。結局のところ、異世界とのハザマに存在するであろうあの迷惑な存在をどうにかしなければならない。最初の命題に立ち戻ってしまうのが現状である。
「ハインツさん。良いもの貰っちゃいましたから、おすそ分けしてあげましょうねぇ」
緊張感皆無で俺の部屋にやってきた絹川がそう言ったのは、そんなある日のことである。
「知らない人から飴ちゃん貰っちゃダメだって教わらなかったのか?」
「残念。ちゃあんと知ってる人からですよぅ。お城のメイドさんからお菓子を貰ったのです。かなり美味しい焼き菓子だって話ですよ。欲しいでしょ? 欲しいですよねぇ。
ふっふっふっ。素晴らしくて最高な絹川様、どうぞお恵みくださいませって言ったらあげますよん」
「ズボラらしくて、サイコな絹川サマ、どうぞ恵んでくださりやがれ」
「あれま躊躇無しに言うとは。そんなに食べたかったですか? しょうがありませんねぇ」
やけに可愛らしい布に包まれた焼き菓子が、決済済みの書類で満載な机の上に広げられていく。「ん? 今の微妙に違ったような」言いつつ菓子の欠片をが付いた布をパタパタと払っているが、よくよく見れば女児向けキャラクターがプリントされたハンカチのようだった。
「どうかしました? そんなに見ても貰ったのはそれで全部ですよ?」
「ソコまで卑しかねぇよ。……お前、結構物持ち良いんだな」
「あぁ、コレですか。小学校の時から使ってるヤツですしねぇ。人前で出すの気恥ずかしくはあるんですけど、生憎こっちに連れてこられた時に持ってたのがコレだった物で」
苦笑いを浮かべる絹川のハンカチは、布地はまだまだしっかりしているものの、プリントされているキャラクターがずいぶんと擦れていた。きっと何度も洗濯機に揉まれ、日に晒されてきたのだろう。高々ハンカチ一枚ではあるが、こういうところに人間の質というものは出る。
「別に恥ずかしく思うようなことじゃないだろ。物は使ってナンボだ。長く使い続けてる物を持ってるってことは、それだけで自慢の種だぞ。特に、この世界ではな」
「もぅ、そんなん良いですから! 早くお菓子食べましょ」
照れ隠しなんだかわからんが無理やり話題を変えてきた。たまに褒めてやったと思ったらコレだ。やはり、小娘の考えることは良くわからん。
早く食べようと急かされはしたが、せっかくならばお茶と一緒に味わいたい。そろそろ一服入れようと思っていた頃だし丁度良い。お茶を淹れてくるよう頼もうと部屋の隅に控えていた部下に目をやると、既にティーワゴンを用意済みだった。
話が早くて結構な事だ。だが、何も言わずにコイツの分まで用意しているというのはどうなんだ? 俺の領域が侵略されてってる気がしてならん。
「で? えらく旨いらしいが、そんな高級品、よくメイド程度が手に入れたもんだな」
微妙に不揃いの丸い焼き菓子を手に取る。思ったよりも軽い。しかもちょっとしっとりとしている。
「その人も誰かに貰ったみたいですよ。すっごく美味しかったから、皆でわけわけしてるんですって」
絹川も一枚手に取り、ほぼ同時に口に入れた。…………コレは、美味い。
「ほわぁ。確かに美味しいですねぇ。久々にこんな美味しいお菓子食べましたよ」
「あぁ、美味い。このあたりに出回ってる焼き菓子と言えば、大体はもっと硬いビスケットの出来損ないみたいなモンばっかりだったが、これは口の中に入れたとたんにほぐれる位サックリしてる」
「しかも甘くてしっとり。コレ、よっぽど良いバター使ってるんでしょうねぇ」
「この辺りの村じゃコーンも作るからな。乳牛育ててるトコだって珍しくはない。バター自体もかなり昔から作られてるし、料理にだってちょこちょこ使われてるぞ」
「コーンってトウモロコシでしょ? 牛さん育てるとの関係あるんです?」
話しながらも、お互いついついもう一枚に手が伸びる。いや、ほんとに美味い。
「大有りだ。コーンは種一粒に対しての収穫量が多いだろ? しかも家畜の飼料としても優秀だ。アレとジャガイモが入ってきたおかげで、このあたりの食糧事情はかなり助かってる」
「なるほどねぇ。牛さんとモロコシさんがそこまで親密だとは知りませんでしたよ」
言いつつもう一枚。ちなみにトウモロコシで牛の飼育をしていると体内にガスが溜まりやすくなるって弊害もあるが、表立ってくるのはもっと大規模な育成を始めてからだろう。今のところは問題ない。
「しっかし、コレ美味いな。いくら料理やパンには使ってるとはいえ、焼き菓子にまでバターを混ぜ込む発想に至ったのは素晴らしい」
「そうなんですか? 私からすれば、クッキーにバター使うのは当然だと思ってましたけど」
「そりゃあお前らからすればそうだろうよ。だがこの辺りで焼き菓子っていったら、もっと硬い種無しパンみたいなモンだ。高級品でも甘さ増すために干した果物とか木の実混ぜ込んだりしてるヤツがせいぜい。お前がいっつも食ってるのだって、けっこうするんだぞ」
「そいえばそでしたねぇ。あっ、最後の一枚あげますよ」
それじゃ遠慮なく。少し端が欠けた焼き菓子をほうばる。口の中で、バターの香りと共にほろほろとほぐれていく触感が楽しい。いやぁ、実に美味かった。メイドから貰ったと言っていたが、是非買った店を教えてもらいたいもんだ。
「近いうちで良いから、コレどこで買ったのか聞いてきてくれよ。コレだけ美味けりゃきっと評判になるからな。今のうちに販路を確保しときたい」
「ハインツさんもいやしんぼですねぇ。でもま、こんなちゃんとしたクッキーなんだからしょうがないですね。聞いときますよ」
あぁ頼んだ。そう言い掛けて、ふと、こいつの言葉が耳に残った。「こんなちゃんとしたクッキー」…………クッキー? クッキーだと!?
そうだよ、これは単なる焼き菓子なんかじゃない。れっきとしたクッキーだ。
型で抜いて成型しているわけじゃなく、どれも少し歪な円状だったから気が付くのが遅れた。いくらバターや焼き菓子がそれなりにあるからと言っても、この完成度がいきなり出てくるのは飛躍しすぎだ。
「なぁ絹川。俺は今、ものすごく嫌な予感がしてきたぞ」
「ど、どうしたんですか突然。顔が怖くなっちゃってますよ?」
「俺たちが喰ったのは、紛れも無くクッキーだ。それも、バターを練ったところにクリームを加えて作ったような近代的なクッキー。そんなモン、何処で売ってるっていうんだ? 俺たちの知ってる焼き菓子はいつものアレなんだぞ」
「…………なんだか急に、私もコレくれたメイドを問いたださなきゃならない気がしてきました」
「ちなみになんだが、そのメイドの常勤場所って知ってるか?」
「お掃除メイドさんですから、何処って決まっては無いはずですけど。・・・そいえばこないだ、今度王女殿下のお部屋にも回されることになるかもって話してましたねぇ」
嫌な予感が加速度的に膨れ上がっていく。ソコまできたら殆ど確定みたいなもんじゃねぇか。
うまいうまいと喰っていたクッキーが、腹の中でやけにもたれてくる。
にこやかな空気は消し飛び、互いに顔を見合わせてうなづいた。
話の裏を取るために絹川が出て行った後、執務室の椅子に深く腰掛け眉間を押さえる。
このところおとなしくしていると思ったが、こんな形で動いてきやがったか。
始めたのは百合沢か? それとも宇佐美か? いや、菓子だから女が発案とは限らん。和泉が妙な色気を出して作ったという可能性も十分にある。
なんにせよ、次のステージの幕は開いた。
トランプ・リバーシの開発と双璧を為す、文化的侵略行為の巨頭。
異世界お料理など、好きにやりおおせると思うなよ?




