10 『心がドブ水で洗われるようだ』
入室の可否を伺う部下に対し俺は頷き返す。カチャリ、と幽かに音を立ててドアが開かれたその先には、緊張した面持ちの少女が立っていた。
「急な来訪にもかかわらず、お招き入れ下さり感謝します」
先ほどまでとある人物が上でバタバタしていたソファーを勧めると、腰掛けるや否や頭を下げてくる。とりあえず、俺も向かい側に腰掛けた。
ちなみにその”とある人物”だが、今は所在無げにテーブルの横でオロオロしてる。この来客用ソファーは2人くらいならば余裕で座れるサイズだから、どっちの横に座れば良いかわからんで迷ってるのだろう。あげく俺の横に座ろうとしてきやがった。あっちにいけ、あっちに。
「いやはや、勇者の誉れ高いお2人を前にしますと、流石に愚鈍な私でも緊張いたしますな」
「まさか。私など所詮はただの小娘です。ハインツ様にそう仰られては、恐縮してしまいますわ」
「そちらこそ謙遜なさいますな。こちらにおいでになり日が浅いというに、武術の腕前は騎士をはるかに凌ぐとか。それに魔術の才も素晴らしいものだと聞き及んでおりますぞ」
努めてにこやかに百合沢を持ち上げてみる。
事実、俺の所に来た報告だと、こいつの放つ魔法は一般魔道士の10倍近い効果を出したという。呪文詠唱式でその結果というのは異常な事だ。おそらく女神関係の何かが影響してやがるんだろう。
「魔法と言えば、ハインツ様もかなりの魔道士だとお聞きいたしました。おおよそ魔法で出来ぬことはない、とも。敬服いたします」
「それこそただの年の功という物です。勇者様方と比べられるようなものではありますまい」
乾いた笑いが口から出る。いやぁ、良いねぇこういう無味乾燥なやり取り。心がドブ水で洗われるようだ。
薄い笑みを浮かべる俺たちの隣で、視界の脇にいる絹川も形容しがたい笑顔を浮かべている。その宇宙人見るような目はやめろ。どっちかって言えば俺はこっちがデフォなんだ。
「それで、本日はこの私に何の御用ですかな? 百合川さんにおいで頂くような用など覚えがありませぬが」
「それはっ。……昨日の、お礼をと思いまして」
「…………ふむ」
「昨日は本当にありがとうございました。おかげで、私たちは命を落とすことなく帰って来れました」
頭を下げつつひざの上に置かれた掌が堅く握られている。これは……どっちだろうな。俺に対する敵愾心か? それとも己の醜態を恥じているのか。
「頭をお上げ為されよ、百合川さん。私はこの国の重鎮として当然のことをしたまで。勇者である皆様に万が一などあってはなるまいと、余計な配慮をしただけ。
それがたまたま皆さんのお役に立ったからといって、私が功績を誇る道理はござらんよ」
「ですが、私たちが救われたのは確かです。それに、あんな貴重な物を使ってまで……」
貴重な物って何だ? あぁ、あの魔族封印の秘宝か。流石の俺も、あんなモンで恩に着せるつもりは無い。というか、むしろ早く忘れて欲しいくらいだ。
力技ってレベルじゃないほどの強引な展開だったんだからな。
「いやいや。皆様の安全と比べれば、それこそ秤にかけられるようなものでは————」
「ですが、あれほど強力な魔族を抑えることが可能な魔道具など、近衛団長ですら、聞いたことが無いと仰っていました。そんな重要な物を、あんなどうでも良い状況で使って頂いたなんて」
うわっ、コイツ本気で反省しちゃってる。こりゃいよいよ、実はただの石でしたなんて言える空気じゃねぇな。絶対怒る。ヘタすりゃ泣かれる。
絹川も空気読んだのか黙っったままだ。よ~しよし、できるじゃないか。……と思ったが微妙に口元がピクピクしてやがる。
あっ、コレ笑いこらえてるだけだ。性格悪いなこの女。
しかしどうするかな。俺がこのまま黙っていると、百合沢も謝罪をやめないだろう。勇者が自分たちについて反省するってのは悪くないが、別に俺に対して謝罪してもらう必要はないんだよなぁ。
「私のような凡才では、皆さんのお心をどうこうできるハズはございませぬ。ですが、もしも今、貴女が自分の何かを悔いているのでしたら。そのきっかけに成りえたことを嬉しく思いますぞ。
私は確かに貴女方の身を案じ、一計を案じた。その結果として皆さんが自省の機会を得られたのでしたら、それで良いではありませぬか」
「……ありがとう、ございます。正直、私は甘く見ていたのだと思います。自分たちには力があるのだから、何が起こっても問題はないだろう、と。
こんなことでは、世界を救うなんてまだまだですね」
「世界を救う、ですか」
「はい。私たちはそのために呼ばれたんですから。その積は全うしたいと思います。
この世界の人たちのために、少しでも力になりたいんです」
「そのお気持ちは嬉しい。私もこの世界に生きる命の1つですのでな。ですが、皆さんに無理をして欲しいとは思っていませんぞ? どうか、ご自愛くだされ」
ここで、絹川にしたような突っ込んだ話を投げかけてみるのはどうだ?
洞窟の中で話をしたとき、目の前の少女は多少なりと理知的に見えた。こちらの話をまったく理解しないということもないだろう。少なくとも、考えなしだった和泉や、そもそも何を考えているのかサッパリ謎な宇佐美に比べれば説得が可能な相手に思える。
一瞬逡巡して、その誘惑を打ち消す。
まだ、早いだろう。コイツは、今確かに自分の行いを恥じている。だがこの世界のための自分たちという大前提にまで疑問を持つほどではない。
それにあの時宇佐美が口にした、女神によって吹き込まれた言葉も気にかかる。魔族は邪悪で狡猾。自分という例がいる以上否定は出来んが、その内容を鵜呑みにされていると困る。
もし百合沢が、未だ女神の言葉に何一つ疑問を抱いていなければ、俺の言葉が妙な方向にハマってしまうかもしれない。例えば、何もしないで欲しいと言えば、じゃあ魔族に味方するのか? などとと妙な反攻をされる事態になりかねん。下手をすると、魔族と繋がりがあるのかと疑われる恐れもある。
俺には勇者たちを送り返した後も、この地位に居続ける必要がある。魔族と人族との緩衝が可能なこの地位を追われるわけにはいかんのだ。危険な橋は、渡れない。
今日のこの場は、コイツの謝罪を受け入れて終了でよいだろう。コイツを本格的に篭絡するとしたら、もっと別の機会だ。
「ハインツ様のお言葉、嬉しく思いますわ。今はまだ力を蓄える時期。そう考えておきます」
「そうですな」
是非そうして頂きたい。欲を出せばそのまま何もせずに終わるというのがベストだ。確かにコイツ等の力は人族としては桁外れだが、俺に取っちゃ止めることは容易い。魔族の中にも少数だが抵抗できるヤツもいるだろうしな。
むしろ今危険視するべきなのは、コイツ等の力が魔族以外の国に向けられる事だからな。
この国は魔族領に隣接しているという地理条件もあり、今のところ他の人族国家に狙われては居ない。だがそれは、あくまでもこれまでの外交努力の結果としてもたらされている平和なだけだ。
うっかり勇者の力を背景にした強気外交などしたその日には、周辺諸国が徒党を組んで食いつぶしに来るのは間違いない。
勇者が自分から他の人族国家に喧嘩を売りに行くようなマネは、少なくとも今はしないだろう。だが、相手が戦争吹っかけてきた時にまで、人族同士の事だからと傍観することはできんだろう。
コイツ等には何もしないでもらうのが一番良い。それがこの世界の均衡を保つことに繋がる。
そのまましばらく内容の無い会話を交わしていると、百合沢は「そろそろ」と席を立った。思っていたよりも緊張にかけるやり取りに終わってしまったのは残念だが、丁々発止の凌ぎあいはまた別の機会に望むことにしよう。
「私、ハインツ様のことを少し誤解していましたわ」
去り際に声をかけられる。
「王女殿下から、ハインツ様は私たち勇者を召喚することに反対されているお立場なのだと聞いておりました。ですから、今回のことでも叱責を受けると覚悟していたのです」
「王女殿下には、なかなか私の考えをご理解いただけないようでして。……いや、これは不敬な発言でしたな。お忘れくだされ」
「私、もう少し色々と考えてみますわ。自分たちがこの世界の人たちのために出来ることを。
私たちだから出来る何かがあると、そう思っておりますから」
返す言葉に詰まっていると、それが何かの返事だと感じたようだ。そのまま会釈をして部屋を出て行った。
来たときと同じくささやかな金属音を残して扉が閉まった後、我知らずため息をついていた。
私たちだから出来ること、ねぇ。
……何もしないで欲しいんだけどなぁ。




